HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

自社のメリットを明確にすること。

2015-11-28 16:59:40 | Weblog
 The FLAGイシュー(http://theflag.jp/blog/16)のテーマ、今回は「工場は地方と都会どっちが有利?」について。

 筆者は九州は博多の生まれである。昭和30年代、地元の高級ブティックにはオートクチュール部門があり、母親を含め多くの縫子さんたちが働いていた。

 昭和40年ぐらいになって既成服の時代に入ると、クラスメートの親が経営する専門店では国産はもちろん、イタリア製などのインポートを目にするようになった。

 高校生の頃は原宿ファッション全盛期だ。日曜の早朝、表参道で雑誌の撮影隊に遭遇したことがあるが、原宿界隈にアパレルメーカーが集中していたとは全く知らなかった。

 大学時代のアルバイトがきっかけで入ったアパレルの世界で、初めてメーカーは企画と営業のみを行う卸売業で、後の工程はすべて外注していることを知った。

 この頃から青山から原宿、千駄ヶ谷の裏通りには小規模なアパレルが集まり、自分たちでデザインやパターンを起こしては、海外などから買い付けた生地をつけて、埼玉や千葉の工場へ送っていた。

 すると、早くて数週間、遅くても2ヵ月くらいで、次々とブランドタグが付いた商品となって送り返されてきた。それがマンションアパレルと言われる小規模メーカーだ。

 原宿や青山といった都会はデザイナーを夢見る若者、ファッション業界に野望を抱く人間が集まりやすかった。だから、アパレルの工場もそうした情報発信から営業、小売りまでがスムーズに行く大消費地の近くにあった方が良かったのだ。

 DCブランドの雄、ビギは宮崎や長野に自社工場を持っていたが、それは大楠祐二代表の経営上の都合だったと思う。多くのアパレルはコスト重視なんて微塵も考えていなかったから、オフィスからそれほど離れていない工場の方が使いやすかったはずだ。

 ところが、DCブームが去り、バブルが崩壊して高額品が売れなくなると、アパレルはできる限り荒利益を取るために製造原価を圧縮した。その結果、素資材の調達から縫製までがコストの安いアジアに切り替わっていった。

 それから20数年、マーケットが成熟する中で、価格にさほど関係なくグローバル調達は当たり前になっている。デリバリーも良くなり、工場が遠方の海外にあるデメリットはほとんど無いと言っていい。

 だが、今度はアベノミクスにより円安に揺り戻したせいか、国内生産に戻る傾向になっている。それが「メイドインジャパン」としてクローズアップされ、再び国内工場にスポットが当たってきている。

 その立地が大消費地に近い都会がいいのか、海外生産でも問題なかったから地方でもいいのか。どちらが有利かの議論は、博多と東京の両方のアパレル事情を知っている筆者とすれば、あまりピンとこない。

 大手アパレルだろうと、マンションアパレルだろうと、企画営業・卸という事業構造は昔も今もそれほど大きくは変わらない。

 しかも、SPA(製造小売り業)の一般化、加えてAMS(企画生産機能を持ったアパレル生産受注生産)事業者の登場で、汎用性の高い商品ほどお洒落、安い、早いの条件が必須となっている。

 いくら「ファスト」が販売のカギと言っても、今日企画した商品を明日には店頭に並べなければならないほどのスピードが必要かと言えば、それは否である。

 これらの業者はコスト高の国内工場を良しとはしていないし、何より最終商品を判断する消費者が国内産にそれほど固執しているとは思えない。

 そこそこの商品が手頃な価格で手に入ることを前提とすれば、製造原価の圧縮はもとより、素資材、縫製以外の物流コストまで含めて議論されることになるだろう。

 これら諸々の理由を加味した中で、あえて国内生産を前提とした場合でも、工場は地方か、都会かと言えば、用地の賃料や人件費が安く、経営がローコストでできる地方の方がいいのかもしれない。

 縫製スタッフなどの労働力についても、主婦パートが大人の意識で技術習得を行いながら、作業に当たれる人々は地方でも確保できる。なおさら、雇用創出ということで自治体も政策に掲げているし、経営上でも追い風になるのかもしれない。

 言い換えれば、地方の工場が都会のアパレルから仕事をもらうには、要求に応えられるだけの力を備えておかなければならない。当然、物流費などのコストも負うことになるから、それまで吸収できる事業構造でないと仕事を受けられない。

 一方で、都会にあるメリットは何だろうか。東京に本拠地を置くアパレルメーカーにとってそれは、コストをかけでも商品を自社開発する場合ではないだろうか。

 デザイナーやパタンナーの雇用はもちろん、仕様開発や生産管理も自社で行い、一貫して企画しようとするなら、担当者がインダストリアル・スペックを詰めるために工場まで出かけることが不可欠だ。そうしなければ思うような商品は生まれない。

 とすれば、東京から離れた地方より、近場にある工場の方が行きやすい。筆者が企画担当者なら工場に泊まり込んでもそうするだろうから、なおさら都会にあった方がいい。

 話は少しズレるが、東京台東区の浅草や御徒町界隈には、かつては下請けのもの作りの地として、工場が集中していた。

 プレスプロモーションを仕事をしているときは、何度か御徒町にあったメーカーの仕事をしたし、浅草生まれで機械工場の娘だった従兄の嫁さんもからもよく話しを聞いた。

 しかし、台東区は都市部にありながら人口は戦前の3分の1に減少した。区としては街の活性化を産地のデザイン力強化や創業者育成を通して行おうと、平成16年から「台東デザイナーズビレッジ」事業をスタートしている。

 カネボウでマーケティングに携わっていた(株)ソーシャルデザイン研究所の代表取締役、鈴木淳さんが村長として、廃校の小学校を貸しスペースにファッションや雑貨のクリエーターたちの創業支援に携わっている。

 しばらくは単なるローコストの場所借りなどの課題が噴出していたが、4年目くらいからはファッション、皮革、ジュエリーなどの組織や産地との連携が進み始めた。これが成し得たのも、お膝元が工場の街でモノづくりの土壌があったからだ。

 事業スタートから今年で10年を経過し、街にはクリエーターたちが拠点を構え、発信し、人を集め、新しいモノづくりの街に変えようとしている。

 モノづくり系企業と店舗が一体となるイベント「モノマチ」は、地元の飲食店や活動するクリエーターを合わせて400組が参加するまでの規模にまで成長している。

 9月にお会いした時、鈴木村長は「クリエーターや工場の職人さんがモノマチ開催によって、業種を超えたネットワークを生み出し、地元に貢献したい人や企業の発掘、地域内でのビジネスチャンスや企業連携が増えました」と仰っていた。

 つまり、大消費地の東京の中に「もの作りの拠点」=工場があれば、クリエーターたちは営業活動で気づかされるマーケットニーズをすばやく創作から生産までにフィードバックできる。それだけレスポンスの良い商品供給にもつながるというわけだ。

 やはり、「創る人間」と「作る職人」が一体であるからこそ、素晴らしいクリエーションが生まれるのである。これは地方に住む筆者は如実に感じている。

 デザビレ事業は緒に就いたばかりだが、工場が都会にあれば都会にアトリエをもつクリエーターにとっても安心して仕事ができるだろう。

 工場は地方と都会のどちらが有利かは、アパレルやクリエーターがそれに求める条件よって違ってくると思う。

 筆者が仕事をした90年代半ばのニューヨークでも、ハドソン川を渡った対岸のニュージャージーのシコーカスには、高級ブランドを製造するファクトリー群があった。

 マンハッタンから車で15分もかからない距離だ。まさに都会の隣に工場があるという感覚だった。しかもそこには製造上で発生するB級品を販売するアウトレットまで付随していたのである。

 それぞれの工場が地方、都会にあることで自社のメリットを明確に伝え、立ち位置をハッキリさせることが重要になると思う。
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モノ、コトから知、技へ。

2015-11-25 12:16:05 | Weblog
 さる11月19日、東京渋谷にあったマルイシティ渋谷がリニューアルされ、「渋谷モディ」としてオープンした。

 マルイシティ渋谷の前身、丸井渋谷店はDCブランド世代の筆者にとって渋谷パルコ、ラフォーレ原宿と並んで、よく立ち寄った館だ。

 クロージングやウエアはブランドによって買い分けしていたが、コーディネート隙間を埋めるベルトや靴、マフラー、手袋では、お気に入りを見つけるのにマルイが重宝した。

 百貨店という業態ながら、コストパフォーマンスの良い商品が揃っていたとの印象だ。

 ただ、それもDCブランドブームの終焉とともに、次第に影が薄れていった。MDの担当者が声に出さないまでも、「商品を作るメーカーがなくなった」のだから、「売場に品揃えできない」のは当然だろう。

 メーカーとすれば、「お店で売れないのだから、作ってもしかたない」との言い分かもしれない。どちらが元凶どうのといっても無意味だ。それほど、ブームが去るというのは、小売り、メーカー双方にとっていかに反動が大きいかである。

 その後は筆者もマルイはもちろん、パルコ、ラフォーレにも足が向かないまま、業界紙誌などで動向に触れるくらいに止まっていた。 

 2003年くらいだっただろうか。流通系メディアに大再編を謳う見出しが躍ったが、ヴァージン・メガストアーズ・ジャパンの株式売却、ヤマトHDとの資本提携の他、小売業としては中野店の建て替え、新宿店のリニューアル以外に目立った動きはなかった。

 でも、水面下では次の一手に向けて着々と準備は続けられていたようだ。若者ターゲット、洋服を中心としたファッション偏重、そして割賦販売のカード事業による百貨店ビジネス(消化仕入れ)からの転換である。

 新生マルイは老弱男女の全世代に焦点を当て、ライフスタイル提案型のMDとテナント、汎用性のあるカードを合体させた都市型ショッピングセンターとして、新たな一歩を踏み出したのだ。

 ビジネスモデルも服飾雑貨から飲食、アミューズメントまでの専門店、サービス施設を定期借家契約でリーシングするデベロッパースタイルである。

 モディはグループ会社のエイムクリエイツが運営にあたり、このデベロッパースタイルを踏襲して立地特性や建物に応じた小商圏に対応する業態。埼玉の川越、東京の町田、神奈川の戸塚の3店で手応えをつかみ、満を持して渋谷に乗り込んだ形だ。

 ただ、若者カルチャーの聖地にはパルコ、109、マークシティ、渋谷ヒカリエのShinQsと、競合がひしめく。パルコや109は一時は覇権を得るほどの隆盛を極めたが、若者マーケットの方がボリュームで十分に満足し始めたせいか、最近は精彩を欠いている。

 マークシティは渋谷駅という好立地、集客性、マスマーケットに何とか助けられているほどで、聖地を代表するようなテナントリーシングではない。ShinQsとて、運営が東急百貨店ということでは、無難なテナント集積に落ち着いている。

 モディ渋谷はマルイにとって自前店舗、自主編集売場よりも運営は容易いようだが、テナントの顔ぶれを見る限りカフェや飲食、雑貨が中心で、マルイとてキラーコンテンツ不足は例外ではないようである。

 そこで、「コト消費」に軸足を置き、何とか集客、滞留時間を拡大しようという腐心ぶりがうかがえる。

 コンセプトは「知的商業空間」というから、かつてのセゾングループ風な印象も受けるが、まあ知的好奇心をくすぐるような遊びをいろんなテナントから発信していこうということだろう。

 そこではマルイ自らプレスリリースで発表している「HMV&ブックス・トーキョー」が目玉テナントなのだろうか。

 HMVは米のタワーレコードと双璧をなした英国のレコード販売チェーン。90年に日本に上陸し、渋谷のONE-OH-NINEに1号店を開店した時はよく訪れた。それほど大きな店舗ではなかったが、Higher Octave系のCDを何枚か買った。

 このHMVがCD売上げ不振の真っただ中に仕掛けるのが書店と一体化した新業態。100名収容できるスペースを設け、年間1000本のイベントも仕掛けていくとか。

 アーチストの新作リリース、ベストセラー作家のサイン会からオタク系アイドルのミ二ライブまで、集客力をもつ渋谷の地の利を生かし、物販とリンクさせる狙いのようだ。

 まあ、アキバまで行けば、渋谷イメージがガタ落ちするかもしれないが、商業者としてはモノが売れない中で四の五の言ってられないのかもしれない。

 表の通りにあれだけの通行客がいるのだから、とにかく店に入って滞留してほしいというのが本音だと思われる。

 丸井渋谷店は80年代から90年頃まで御用達の一つだっただけに、モディ渋谷にも期待は大きい。併せて来年春には博多駅前のキッテ博多には「マルイ博多」が進出するのも楽しみである。

 こちらの詳細なテナント概要はまだ発表されていないが、マルイ業態として幅広いターゲットに合わせたリーシングになると思う。

 立地が九州の中心、福岡という政令市、博多駅前ということで、商圏は広域に設定されているはず。ライフスタイル提案型店舗として服飾から飲食、アミューズメントまでの構成も、変わらないだろう。

 もし、モディ渋谷と同じく、 HMV&ブックス・トーキョーの博多版が出店してくれるのなら、久々にスムースジャズ系のレーベルでも探してみようかと思う。

 もうCDを買わなくなってどれくらいだろうか。最後にCDを買ったのがいつだったか、思い出せないくらいご無沙汰だ。新業態ができれば、CDを購入するきっかけにはなる。

 逆に書籍については、アマゾンをメーンにジュンク堂、地場書店と天神生活圏で十分過ぎる中、わざわざ足を伸ばしたくなるような仕掛けを提案してくれないだろうか。

 ビジネス系の単行本からデザイン関連、雑誌まで年間にすると数万円も購入しているから、筆者はこのマーケットからは外れていないと思う。

 個人的には、マスメディアが切り込まないネタを書くジャーナリストやフリーライターの裏話なんかは聞いてみたい。また、書籍を読むだけではなかなか理解し難い技術系書籍の解説イベントなんかをやってくれないかと思っている。

 それもこれも、 HMV&ブックス・トーキョー博多が出店してくれることが前提なのだが。天神にはない業態だけに期待は大いにある。

 街はクリスマス商戦に入ったのだが、店頭を見る限りでは冬物衣料の動きは鈍いように感じる。ずっと期待している目新しいメンズ業態の登場は、この秋もなかった。

 メーカーも大人向けはそれほど作らないし、スーツを脱げばアメカジ系か、ユニクロで十分ということだろう。ならば、いくらマルイが新店舗をオープンするといっても、テナントがリーシングできるわけがない。

 欧州系のSPAが登場するまで待つとするか。マルイ博多の登場を含めて、当面はカルチャー系業態や食品ストアで、DIYや料理、撮影なんかに投資するしかないようだ。

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接客スキルの標準化がカギ。

2015-11-22 08:09:08 | Weblog
 The FLAG(http://theflag.jp/)イッシュー。今回は「接客をアプリでする時代はやってくるのか」について。

 ICTがファッションビジネスに深く浸透した今、販売や顧客管理の「情報」をアプリケーションでやりとりするのは、自然な流れになってきた。

 ただ、業界で仕事をしてきたものとして言わせてもらえば、販売スタッフの提案力や購買客の来店、リピーターづくりのための顧客管理は、「店頭」でははるか前から行われていたはずである。

 AIDMAの法則を照らし合わせるまでもなく、商品は「注目する」「興味をもつ」「欲しいと感じる」「他と比較検討する」「行動に移る」という段階を踏んで売れていく。

 ウィンドウショッピングから来店し、接客を受け、購買にいたるお客の一連の心理は、昔も今も大して変わらない。

 そこにはプライス、オケージョン、テイスト、素材感、シーズン、在庫など、様々な条件が介在する。それらを軸に経験から来る販売スタッフの「接客術」によって、お客との間で交わされる濃密な会話やかけひきの末に、購買か否かが決まるのである。

 当然、お客の属性は様々である。シーズン前の先買い。好きなブランドなら金に糸目は付けない。消耗品のみの買い足し。マークダウンまで待つ。ポイントを有効活用する。バーゲンでしか買わない、等々だ。

 年齢を重ね、買い物のたびにお客の学習効果は上がっていく。商品を見極める目が養われ、販売スタッフの接客レベルを推し量る力ももつ。

 マインド編集したショップの場合、来店したお客が20代後半である時、接客に当たるスタッフが20代前半と若かければどう対応するのか。アプリがそうしたお客の属性をどこまで分析・管理、データ化し、それぞれに応じた接客を支援できるかなのである。

 販売スタッフも入社間もない新人から、2~3年の経験をもつチーフ級、5年以上のベテラン、ショップとスタッフをマネジメントする店長まで。接客のスキルは経験やキャリアに応じて格段に違う。

 有能な販売スタッフになると経験に関係なく、お客のことを脳裏にインプットしている。新人が接客で苦労している時には、さりげなくフォローに入ることもできる。実店舗ではこれが可能であり、バリューチェーンなら行われて然るべきだ。

 キャリアや能力によっても、商品に対する認識に差が生じる。バイヤーが仕入れてきた商品に対し、「あれは難しい。これは売れない。値段が高すぎ」と、不平を漏らすのは、経験が浅いスタッフに多い。

 しかし、豊富な経験を持ち、販売力があるスタッフなら、少々難しい商品でも頑張って売ってくれる。それが活気ある売場、良いショップを作るのである。




 販売スタッフがバイイングまで行うなら、顧客をイメージして仕入れた商品は、自ずと接客にも力がこもる。自分とウマが合うバイヤーが仕入れた商品、好きなブランドや人気アイテムについても同じだ。

 さらにお客から褒められるなどプライドがくすぐられれば、接客はのびのびとこなせるはずである。

 どんなに良い品揃えをしたところで、その気持ちがお客に通じるとは限らない。「あのお店には自分に似合う商品がある」「このスタッフのセンスは自分をお洒落に見せてくれる」。 お客はショップや販売スタッフを通じて、イメージを決めていく。

 接客の数だけ喜怒哀楽があり、販売スタッフにも悲喜こもごもがある。商品を売るには得てしてそういう部分が出てくるのであり、接客の行きつく先はお客に期待され、共感を得てもらうことなのだ。
 
 言い換えれば、ICT、アプリが関わらなければならなくなったのは、こうしたヒューマンライクな接客が、すでに過去のものになってしまったからなのか。

 情緒的なやりとりでは、もう商品は売れなくなったということか。はたまた今どきの販売スタッフにそこまで接客術を要求するのは無理なのか。これらすべてが当たらずとも、遠からじだろう。

 そもそも論として、販売スタッフの心が通う接客とPCやスマホのアプリを同等に語れるはずはない。所詮、ICTは情報武装の一手段に過ぎないからだ。

 だからこそ、アプリがこうしたヒューマンライクな接客のすべてにおいて、どこまでフォローできるかが重要になる。

 アプリ開発を行う上では、こうした前提でのスペックや機能がカギを握るだろうし、開発スタッフは売場に入り込んで、接客のイロハから学なばなければならないのかもしれない。

 顧客情報は住所、氏名、生年月日、スリーサイズ、好みの色や素材、職業や家族構成、購入履歴、お直しの有無だけではない。店頭での何気ない会話の中に、重要なネタが隠れているのだし、それを察知するのは販売スタッフの感性に他ならない。

 もちろん、販売スタッフには顧客の属性に合わせ、時事ネタから下世話なことまで勉強しておくことが求められる。クラブのお姉ちゃんが上顧客をつなぎ止めるためにやっていることと同じだ。

 顧客側も常に流動していく。転勤や引っ越し、リストラや転職、昇進、トレンドや嗜好の変化、スタッフの異動や店舗移転による心変わり等々。若いお客になればなるほど、移り気なのは言うまでもない。

 仕入れ先の倒産、ブランド休止、デザイナーの交替、MDの変更などで、お客が好む商品が入って来なくなる場合もあり、そうした理由でもお客は去って行く。

 これら内部的、外部的要因も含めて、顧客情報をきめ細かく管理し、次の接客に生かせるかどうかは、販売スタッフ個々の能力で違う。その辺にアプリがどこまで踏み込んでいけるかなのである。

 スタイリストがコーディネート提案により商品をアピールするくらいで、本当に売りにつながるのか。アプリがその程度のスペックや機能に止まるのなら、Pinterestなんかを写真を見た方がお客にとってはよほど参考になる。 

 お客が絶対に欲しい商品は自ら探すはずだし、それが面倒なお客でも間にICTが介在する方がかえって間遠しく感じるだろう。

 仕入れた商品を顧客にいかに販売するか。購買後にいかにフォローしていくか。そうした技術レベルは、販売スタッフの素養やスキルで格段に差が出る。

 そうしたきめ細かな接客術につながるデータをアプリが管理し、スタッフの力量に応じて提供していけるかが重要なのだ。

 要は販売スタッフの接客スキルをどこまで標準化できるか。そこの辺の程度問題をアプリのスペックや機能に落とし込めるかだと思う。

 接客の目的は商品を販売するだけに止まらない。一見客をショップの固定客、スタッフのファンにしていくことであり、そのためにはお客の心をくすぐるような術が必要になる。在り来たりの情報管理では、間にワンクッション入るだけで終わりかねない。

 リピーターになればなるほど、顧客データは某大になる。それをいかに整理整頓して、接客に当たるスタッフに必要な情報をタイム、プレイス、オケージョンで提供できるか。そこにどこまでアプリというICT、科学の力が立ち入ることができるのか。

 単なる情報端末は感性も思考力ももたない。しかし、ICTの力を借りることで、お客からは「神対応」の接客と評価されるかもしれない。ぜひとも、そんなアプリを開発してほしいものである。
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大義のないテーマ設定。

2015-11-18 14:03:45 | Weblog
 さる、11月10日、福岡市が毎年年度末の3月に行っている「ファッションウィーク福岡2016」の参加施設・コミュニティ募集が福岡アジアファッション拠点推進会議のサイトで発表された。

http://www.fa-fashion.jp/index.php?action_detail_index=true&doc_id=287

 ファッションウィーク福岡は、平成24年度に高島宗一郎福岡市長の肝いりでスタート。春物商戦直中の3月、福岡市に集客するイベントが無かったため、市長の「おもいつき」で急遽起案されたカタチだ。

 初年度は「十分な準備期間がなかった?」ということで、企画ごと地場広告代理店「NA」に丸投げされ、企画内容が販促に特化するのか、イベント色を全面に出すのか、中途半端な事業で終わってしまった。

 代理店お得意のポスターやパンフレットの制作に参加施設、参加店の広告スポンサー料の大半が費やされ、参加店舗を回ってスタンプラリーによる旅行プレゼントなどの企画も、然したるレスポンスはなく、事業効果がほとんど得られず仕舞いだった。

 そうした反省を踏まえ、2回目は「企画コンペ」というカタチで事業案が募集された。事務局が置かれる福岡商工会議所には、事業をゲットしたい代理店に加え、参加施設&スポンサーとなるデベロッパーが揃い、事業募集のオリエンテーションが開催された。

 企画運営委員長は出席者、特に代理店の担当者を前に ファッションウィーク福岡の目的を「多くのお客さんに福岡に来て服を買ってもらう」と説明した。

 そして、「あなた方にはそのための企画を考えてほしい」と宣い、事業費の総額は「700万円」で、ポスターやパンフレットなどからイベントまで全て賄うことを条件とした。

 参加した代理店の多くが「えっ、たった700万」「あまりうま味がないな」「スポンサーを捉まえろってことか」等々が頭をよぎったのは言うまでもない。

 結局、コンペの結果、代理店の「H」が事業者となった。企画はパンフレット、タブロイド型のフライヤーなどのPR物は部数を削減して制作され、メーンイベントは市の広場を活用した「ファッションマーケット」や「キッズファッションショー」どまりだった。

 推進会議側は当初、ファッションマーケット出店の条件を「ファッショントレンドの発信」としたが、店舗を経営する事業者がわざわざ参加するはずもなく、所場代を取られることで募集が進まず、結局、フリマまがいのイベントに堕ちてしまった。

 代理店の企画力もせいぜい、企業タイアップでサンプリングを抱き合わせたくらいで、ファッションウィークとは名ばかりのパットしない事業に終始してしまったのである。

 もっとも、推進会議も、代理店も、先立つ予算がなければ思いきった企画などできるはずもないのは、最初からわかり切ったこと。

 そのため、今年3月に開催された第3回目は、メーン予算のクリエイティブ産業関連の他、年度末で事業休止が決まっていた「かわいい区」、福岡市自ら名乗りを上げた「国家戦略特区 福岡市グローバル創業・雇用し創出特区」などもあてがわれて、何とか事業費は確保することができたようだ。

 ところが、事業者はH社がルーチンで継続。新たな企画と言っても、売れないミュージシャンや三流タレントに予算が費やされ、販促面のポイント還元は参加店任せで、実効性を欠く内容は変わらなかったのである。

 プレス的な活動としては、地場テレビ局のFBS福岡放送を活用。夕方に放送されている自社制作の「情報番組」で10分ほどの枠を買い取り、イベントの様子やスタイリスト、専門学校生、学生のファッショショーを告知した程度である。

 番組内では、商工会議所の担当スタッフがファッションウィークの事業目的を「売上げ拡大」「集客」などと声高に叫んでいたが、都落ちのスタイリストや業界無知の専門学校生を取り上げたところで、単なるニュースの域を出ないのは明白だ。

 この辺にも、企画運営委員長の意向で無理矢理こじつけたのがよくわかる。自ら専門学校にはメディア出演に足る学生がいなかったのか、それとも後ろめたかったのか、こればかりは他校に譲ったようだが、何の脈略もない情報発信にイベントそのものの手詰まり感を露呈した。

 8月の福岡アジアファッション拠点フォーラムで、企画運営委員長は「約260もの商業施設や個店が連携し、イベントやセールを行った」と、ファッションウィークの結果報告を行った。

 しかし、参加店舗と言っても、サイトなどに無償で店名を記載したところまでカウントして数字を過大計上しただから、それがイベントの盛り上がりを判断する材料には全く当たらない。

 事業の成否、集客数、売上げ実績へのプラスαなど、具体的なデータをあげない限り、イベント事業者たちによる手前味噌の評価では、客観性も信憑性も欠くのは言うまでもない。

 こうしたいくつもの問題点を抱えながら、イベント利権を手にしたい輩によって、本年度もファッションウィーク福岡は実施される。

 期日は来年3月の予定で、さすがに代理店には企画を任せてられないのか。テーマは「市民のアイデアやマインドがファッションでカタチになる春の祭り~ファッション・ブラッサム(仮)」となっている。

 具体的には、主役が「福岡びと」と設定され、「福岡びとが生み出すファッションの力を内外にアピールすることで、多くの人を呼び込み、街全体を盛り上げていく」とか。それに向けて、参加施設とコミュニティの公募が始まったのである。

 12月のマッチングミーティングで、参加施設とコミュニティを事業に照らし合わせ、諸条件を含め合意したコンテンツが実施に至るかたちとなるそうだ。

 テーマや主役をそのまま解釈すれば、「福岡市民から企画を募集する」ように受け取れる。しかし、具体的には「参加施設」「コミュニティ」と規定されているのだから、ハードをもつところやサークルなど活動実態がある団体とならざるを得ない。

 東京からタレントやミュージシャンを呼んでもギャラがかかるので、地元の施設や団体を活用してその分の経費を浮かそうということなら、わからないでもない。事業予算には限りがあることだし、この辺は代理店の浅知恵と言えなくもないだろう。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/47575/1/20150304-keizai-yosan.pdf

 となると、「博多どんたく」とどこが違うのだろう。まあ、ファッションウィークという若者よりの事業だけに、ダンスチームやパフォーマンス集団、クリエーターの集まりなんかに期待しているのは、だいたい想像がつく。

 予算獲得について、今年8月に粗案がまとまった「福岡市まち・ひと・しごと創生総合戦略~キラリと光るアジアのリーダー都市をめざし~」が活用されるのはないだろうか。事実であれば、福岡びとともマッチする。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/49519/1/sogosenryaku-genan.pdf

 しかしながら、ファッションウィークの事業参画募集は、福岡県と福岡商工会議所が中心母体の福岡アジアファッション拠点推進会議のサイトのみで公開されただけである。メーンの予算を拠出する福岡市のホームページでは、今のところ告知されてはいない。

 福岡びとと言っておきながら、こうした対応はどうなのか。推進会議のサイトを一般の福岡市民が見ているはずがない。情報発信力、レスポンス率ともたかが知れている。

 市民に向けた企画募集といったところで、この程度の告知なら、応募が殺到するとは思えない。言い換えれば、推進会議側では参加施設もコミュニティも、ある程度の目星をつけていると見た方が妥当だろう。

 今回の事業企画は「コンペ」ではないので、すでに参加者が決まっていても出来レースにはならない。企画運営委員長を中心にした利害関係者が簡単に既得権益を手放すはずはないから、自分たちにとって有利な福岡びとを集めた方が事業はスムーズに進む。

 ファッションウィーク福岡の事業対象エリアは、天神や博多駅とその周辺に限られている。そのことを考えると、それほど多くの参加施設やコミュニティが企画募集に集まるとも思えない。周辺を加えても限定的だろう。

 とすれば、利害関係者にとってはメリットのある施設や団体を事前に設定し、残りを公募で採用する腹づもりではないだろうか。でなければ1回きりのマッチミーティングで、参加者を決められるはずはないからである。

 小売業が中心の福岡にとって、ファッション業界の活性化事業とは何なのか。端からそうした問題提起が蔑ろにされ、利害関係者の思惑や利得だけで事業が進んでいく。会議と言ってもすべてが密室で決められ、事後報告されるだけだ。

 先立つ予算獲得に必要な大義も、テーマのニュアンスを何とか変えてつなぎ止めているに過ぎず、回を重ねても企画が修練されることはない。

 ファッションウィーク福岡2016の企画募集があった数日後、推進会議がメーン事業とうそぶくものの、実質はRKB毎日放送の事業となっている「福岡アジアコレクション(FACo)」が台湾の台北市で開催された。5月にはタイのバンコクでも実施されているものだ。

 東京から三文タレントを呼ぶ客寄せ興行も、福岡県や福岡会議所からの予算拠出、スポンサー収入を当てにしないと興行的に成り立たないのは言うまでもない。それをつなぎ止めるには、さらに自治体の「アジア発信広報予算」をゲットするしかない。

 広告収入が頭打ちのテレビ局にとって、放送外の事業収入を得るには客寄せ興行のガールズコレクションが手っ取り早いということだ。

 奇しくも昨日は、九州・沖縄の主要企業の9月中間決算が出揃った。それによると、RKB毎日放送は売上高115億7200万円(対前年比2.9%減)、純利期7800万円(同83.1%減)と、減収減益だった。

 理由はどうあれ、業績不振は紛れもない事実である。国から放送事業の許認可という恩恵を受けながら、なおかつ放送外の事業にも自治体から巨額の税金が投入されて、この体たらく。下らない客寄せ興行に手を出す前に、もっとやることがあるだろう。

 来年もファッションウィーク福岡は、福岡アジアコレクションをしんがりにして幕を閉じるはずだ。その事業主体の企業に自治体は公費で支援をしているのだから、空いた口が塞がらない。

 地場のファッション産業界にとって、メリットがあるのであれば、多くのファッション関係者が参加し、支援するはずである。ファッションウィーク福岡にしても、福岡アジアコレクションにしても、それが全く見えないところに、事業利権が見え隠れする。
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モノ作りをフォローできるか。

2015-11-16 06:13:23 | Weblog
 The FLAG(http://theflag.jp/)、今回は「EC化率50%の世界はやってくるのか?」について。テーマを単純に解釈すれば、実店舗から自動販売機まで、モノを売ったりサービスを提供したりする拠点の半数が無くなってしまうということか。

 極論すれば拠点まで出かけてのショッピング量が半減すること。楽天やアマゾン、ヤフーといったネット販売の先行企業に加え、大手量販店やコンビニ、家電など、さらに一般小売事業者、個人までが参入すれば、否定できないのかもしれない。

 現実にそうなるかどうかはわからないが、テーマが設定されたので、そうなると仮定したときの課題、またそうなることを前提とした条件に触れてみたい。

 昨年だったか、楽天の三木谷浩社長は、自社のタウンミーティングでこんなことを語っていた。「人間の多様なライフスタイルを考えると、楽天市場のシェアがこれから6割、7割と増えることは無い。全部を抱え込むことは無理」と。

 リーディング企業のトップ自らが語るのだから、ECマーケットの寡占化は終焉を迎えたということだろう。言い換えれば、それは新規参入を狙う企業にとって、ビジネスチャンスが到来したとも言える。

 では、今後どんなモデルが提供されていくのか。楽天はネット上に仮想のショッピングモールを作り、そこに加盟店の参加を促し、販促などを手掛けて購買を進め、手数料をとる手法で成長した。俗にいうBtoC(企業対個人の取引)である。

 今ではすでに古典的とも言えるやり方だから、新規参入組はCtoC(個人間取引)や物販にとらわれないサービス系のECに可能性を見いだそうとしている。

 ECが拡大する条件は、まず取扱う商品やサービスが広がること。楽天は三木谷社長が語った通り、限界が近づいているのかもしれない。でも、アマゾンはそのブランド力、国際的なネットワークを持つだけに、まだまだ伸びシロはあると思う。

 次に個人が個人に商品を販売したり、スポーツやスクール、ベビーシッター、クレリンネスなどのサービス予約ができるCtoCも登場している。まだ始まって間もないから、どこまで伸びるかは想像がつかない。

 メッセンジャーアプリのLINEがサービスを提供する「ラインモール」は、CtoCの新たなスタイルで、価格は出品者が決めたワンプライスだ。

 出品や販売の手数料もかからず、購入者にとっても手数料や配送料は発生しないことが受け、アプリのダウンロード数は200万を超えたと言われている。

 今後はこうした参加者のメリットがEC拡大の条件になるだろう。ただ、ECが成熟していく中で、お客は賢くなっているのも事実である。

 一般にECを利用するお客はまずほしい商品を検索し、別のサイトもチェックして同じ商品をピックアップする。次は価格の安い方を購入の候補にあげ、さらに同価格なら送料などサービスの違い、それも同じなら星印の良い方を選ぶようになっている。

 だから、最初にとっかりで余分な料金が発生しないメリットは大きい。

 次に出品者側にとっても出品や販売の手数料がかからないこと。あるいはモールの歩率家賃が下がることはメリットになり、EC拡大の条件でもある。しかし、参入障壁が低ければ低いほど、出品者も増えるわけで、競争は激しくなる。

 出品や販売の手数料がかからないということは、量でカバーするにしても、どこかでコスト圧縮をしなければならない。ラインモールの場合はシステムをいたってシンプルにすることで、それを吸収していると言える。

 だが、出品者、購入者にとってオークションのように高く売れた、安く買えたという偶然性はなくなり、ヤフーのようなサイトコンサルティングも希薄で、商品がピックアップされないデメリットも露呈している。この辺の課題がある。

 コスト面ではどうだろうか。配送料金があげられる。「購入者にとって配送料が発生しない」のはメリットだが、そのしわ寄せは物流業者に来てしまう。米国のアマゾン・ドットコムは、競争力を増すために国内配送料を無料にしている。

 その流れが日本に押し寄せ、宅配便などに「配送料の値下げ圧力」がかかっているとの話もある。それに対し、「空のトラックを走らせるよりは良い」「物流網を有効に活用すれば可能だ」との意見もある。確かに机上の論理では、そうかもしれない。

 しかし、商品を自宅まで届けるのは、宅配スタッフという人間である。一軒家もあればマンションもあるし、都会もあれば山間部もある。雨も大雪も降るし、猛暑もある。配送条件がすべて異なる中で、一律で低い料金体系が容易く受け入れられるとは思えない。

 国土がフラットな米国ですらそうした課題があるのだから、無人配送のドローンに活路を見出そうとしているのだ。しかし、日本では法整備が追いついていないし、何よりメカが住宅事情を超えるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。

 料金を逆手に取り、「超速配」という切り口で、競争力を持とうという事業者もある。弁当宅配やハイヤーの配車サービスだ。オーダー側と配送・配車側が無駄をなくそうということらしいが。

 でも、個人的にはそこまで忙しいのなら、逆に待つ方がかえってイライラする。ならば、近くのコンビニに買いに行った方が早いし、ハイヤーではない限り流しのタクシーを拾えばいいと思う。

 一方、リアル店舗とECの融合で、オムニチャンネルに踏み込む動きも進んでいる。ファッションの場合、ネット販売では試着ができない。それを解決するためにバーチャルフィッティングも開発されているが、お客が素材感や着心地まで確かめることは無理だ。

 それは当初からわかっていることなのだが、それでもECが広がったのは購入するお客は試着無しでも、好きなブランドが買えれば満足ということだろう。

 とすれば、これからECを拡大するには「試着しないと買う気になれない」というお客をいかに捕捉するかということだ。昨年からにわかに叫ばれ始めた「ショールーミング」がその有効な手段になる。

 店舗には型、サイズ1型のみの商品サンプルを置き、お客は試着をした後、商品が気に入れば店舗のPCまたはスマートフォンで注文する。後日、配送センターから自宅に商品が届くという仕組みだ。

 筆者もSPAやセレクトショップでの買い物で品切れし、試着ができなかったり、店舗在庫が絞り込まれて揃わないものは、ネットでの購入を勧められた経験をもつ。そうなると、やはり購入には二の足を踏む。このサービスはそんな顧客心理にフィットする。

 SPAは物流コストが自社負担だし、一般の小売店はメーカー負担となる。とすればショールーミングは物流コストの削減になる。

 売れるか売れないかわからない在庫を店舗まで配送し、ムダな物流コストがかかるのであれば、ショールーミングを選択するのは吝かではないだろう。とすれば、ECが拡大する条件にはなる。

 ショッピングセンターやファッションビルでは、デベロッパーはテナントの売上げに応じた歩率家賃で収益を上げている。昨年、ゾゾタウンがショールーミングのソフト「WEAR」をお客に配信すると発表した時、反発するデベロッパーは少なくなかった。

 同時期、雑貨店のロフトは眼鏡通販サイトのオーマイグラスと提携し、同社のメガネについては歩率割合を変えることで、対応しようとしていた。実店舗で売れると歩率は10だが、ネット販売に移行すれば歩率は5とか3とかというものだ。

 デベロッパーもテナントもウィンウィンの関係を目指す懐柔策ということだろうか。店舗だろうが、ネットだろうが、コマースである限り、売れてなんぼの世界には変わりない。この当たりがもっと進めば、販売環境は活性化していくと思う。

 ただ、これまで述べてきたECの課題や条件は、あくまで既存の「商品、サービスありき」、あくまで「商品&サービス頼み」だ。

 だから、個人的には、「これから商品を作る」「商品づくりのためのサービス」でのベクトルでも、EC拡大をとらえたい。

 実店舗とネット店舗の大きな違いは、時間と空間を超えて取引ができるかできないかである。実店舗では商圏や客数は限られるが、ネット店舗ではもしかしたら自店の商品を求めているお客が時空を超えて存在するかもしれない。

 その可能性に賭ける商品やサービスを提供できる店舗が登場すれば、EC拡大のプラスαにはなると思う。

 日本のファッションマーケットは、完全に飽和状態で価格低下は否めない。市場が成熟したからと言ってしまえばそれまでだが、もうバブル期のように高級品がどんどん売れるという環境にはならないだろう。

 つまり、マスプロダクションでは頭うちなのである。多くのアパレル事業者がそれを感じて中国やアジア市場への進出を図っている。その結果、効率主義のツケは日本に廻り、どこを切っても同じ商品ばかりが出回って、お客離れを招いている。

 極論すれば、ここまで成熟すれば、もう既成服では難しいとさえ考える。お客がお金を持っていないわけではない。それでも売れないのは、市場に買いたい商品がないからだ。

 それをECはいろんな仕掛けを駆使して、衝動買いさせるように仕向けてきた。でも、さらに市場が拡大するには、完全オリジナルのもの作りなんかも手掛けないと、わがままなお客の財布の紐は緩まないと思う。

 一例をあげると、こうだ。「自分でデザインはできるが、型紙製作までの技術はない」「生地の製造や卸機能はあるが、デザイナーや消費者へのアプローチする術がない」「気に入った生地やデザインでオリジナルの服を作りたい」。

 こうしたファッションのコマース環境に存在する三者三様のニーズをネット環境でフォローしていく。こうすることで、新たなビジネスが生まれるのではないかということである。

 これは、すでにサービスを開始している「ファクトリエ」や「シタテル」といったBtoBではなく、新たなBtoC(企業対個人)として想起したい。

 既存のマーケットを否定したところに生まれる新しいマーケット。効率主義やマスプロダクトではできないお客ウォンツの掘り起こしである。

 「イタリア旅行でいい生地を見つけたんだけど、デザインやパターンメイキング、縫製をしてくれる人はいないかな」。洋服好きの素朴な願望にECがどこまで応えきれるか。

 こうしたウォンツは現状では「点」かもしれない。しかし、点を線にし、面にしていくのがビジネスである。EC化率が50%になるには、こうした点のマーケットにまで踏み込んで、捕捉していくことが必要ではないか。

 ファッションビジネスの原点とは、一枚の布が生命をもつこと。だからこそ、なおさらそう思うのである。
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プラットフォーム化する展示会。

2015-11-11 11:21:44 | Weblog
 昨日、ファッションライターの南充浩さんが、「大型合同展示会が盛り上がらない理由」と題して、ブログを書かれていた。

http://blog.livedoor.jp/minamimitsu00/archives/4525209.html

 それによると、「来場する小型専門店の顔ぶれも変わらなくなってきたし、毎回新規店2つか3つと契約できるが、その分、同じくらいの数の店舗との取引もなくなる。差引トントンという場合が多い」そうだ。

 筆者がマンションアパレルにいる頃は、合同展示会というのはほとんどなかった。東京ファッションウィークの勃興期は、メーカー単独の展示会を寄せ集めてイベント週間にして盛り上げた程度だった。

 もともとアパレルメーカーは単独で、だいたい同じような日時、週間に展示会を企画し、バイヤーが訪れやすいようにスケジュールを組んでいたという感じだ。

 しかも、東京、大阪と都合よく、分かれて開催されていたので、バイヤーは東京出張◯日、大阪出張◯日とうまく割り振ることができていた。今でも、メーカー単独での展示会は、暗黙のスケジュール調整が行われていると思う。

 問題は南さんがおっしゃるように内容だ。

 「大手小売店は有力セレクトショップをはじめとして自社製品化比率を高めている。新規でわざわざ仕入れる必要がない」「小型専門店ほど「希少性の高い」ブランドを仕入れたがる」

 「ここまではwinwinの関係といえるが、数年後には袂を分かたざるを得ない」「数年後にはブランドは少し成長するからだ」「当然、取引先店舗も何店舗か増えている」「そのため、希少性は少し薄れる」

 「ブランド頼みの小型専門店はここが気に入らない」「希少性が薄れているから、また新たな希少性の高いブランドを探す」「要するに、またデビュー間もないブランドに乗り換えるわけである」

 「アパレル業界では大型合同展示会に陰りが見え始めていると感じる。10年間もやっていればだいたい出展側もマンネリ化してくるし、来場者も大きくは変わらない」

 「本来の来場者は仕入れを行う小売店だが、今の業界で、新しい「有力小売店」などそう簡単には生まれない」、である。

 最近、中小零細のアパレル、特に小規模メーカーが自社単独では、なかなかバイヤーを呼びきれない。そのため、その個性的な企画やブランドを一度に一か所に集積することで、集客力をもつ展示会を企画しているわけだ。

 しかし、バイヤーとて、「個性的な商品になればなるほど、売れるかどうかのリスクがある」ので、仕入れに二の足を踏んでしまうこともある。小規模なメーカーは他にはない特徴を出そうと必死だが、それがバイヤーにとっては仇になってしまうのだ。

 これについては南さんと筆者の見解が多少異なるが、有力店のバイヤーは何も探しの姿勢で展示会巡りをしているわけではない。

 有能なバイヤーならシーズン前にはMD計画を組み立て、仕入れ先メーカーの営業期設定で行動する。「いつ立ち上がって、いつ中心に売って、いつ切り上げるか」を正確に見極める。ブランド頼みだけでは、いまのお客さんは決して納得しないからだ。

 大型の合同展示会は、だいたい同じような取引先専門店を対象とするアパレルメーカーが集まって、同じ営業期のものを披露するというやり方が多い。

 当然、シーズン立ち上がりの商品のカラートーン、素材感などはほぼ決まってしまう。個性的なブランドでもそれらの色、素材が似ているなら、売場のメリハリは付きにくい。シーズン立ち上がりは他店と同一化していく傾向にあるのだ。

 だから、それを嫌がる=個店レベルの専門店(中小のセレクトショップ)は、大型合同展示会はあまり重要視していない。

 それより、仕入れ先メーカーでも、想定するターゲットやポジションが違うところは、商品づくりの工程も異なるため、同じような時期に展示会は開催できない。特に海外のメーカーはそういうところが多いので、デリバリーの時期も異なってくる。

 そういうメーカーと取引し、MDにメリハリをつけているインポート編集のセレクトショップからすれば、仕入れ先の立ち上がりが早いのだから、なおさら合同展示会には脚が向きにくい。海外出張にスケジュールを合わせざるを得ないからだ。

 さらに店の規模に関わらずバイイングパワーをもつショップ、あるいは高度なMD構築力をもつバイヤーは、仕入れ先の状況を把握した上で商品がない立ち上がり時期には、国内外を問わずメーカーや工場に入り込んで別注までかけるケースがある。

 お客さんの顔が見え、売り切る自信がある専門店、バイヤーほどメーカー主導の展示会にはあまり期待をしないのである。

 それより、海外のトランクショーを徹底して回ったり、工場に入り込んで別注をかけたりした方が、結果として売れる商品が揃うということである。小売店自らが攻めの姿勢を持つため、待ちの姿勢での展示会では手応えを感じ得ないのは当然だろう。

 ショップ、つまり小売り側にとっては、自店の立ち位置はお客さんが決めることなるわけだから、自店がどういう評価にあるのかで営業期は変わってくる。一律に展示会を巡れば良いというわけにはいかないのである。

 こうした小売り側の変化を察知して、展示会のやり方を変えているアパレルメーカーが登場しつつある。先日、このコラムで取り上げたSPA、(株)リンクイットの卸部門が行っている展示会は実にユニークだ。

 参加者は自社東京事業部の卸担当営業、自社取引先のバイヤー、SPAとして各地区のスーパーバイザー、年商1億円を売り上げる店舗の店長、それに競合メーカーと店舗のお客を加えた総勢100名の規模になる。

 通常の展示会は、メーカーの担当営業と取引先のバイヤーとが主体となった商談の場だ。しかし、この展示会はその機会に競合メーカー、お客、ラインスタッフのスーパーバイザーや店長が相見え、喧々囂々のやり取りを重ねるのである。

 平たく言えば、「お客がいろんなサンプルを見て、『これお洒落』と感じれば、同社の商品であれ、競合メーカーの商品であれ、店舗はその商品を仕入れればいい」というスタンス。卸機能と、SPA機能を両方もつからそれができるのだ。

 互いにリアルなお客の声を聞いた方がメリットが多いのは当たり前だし、取引先のバイヤーも「お客さんはこんな商品が好きなんだ」とわかれば、そのメーカーと新たな取引が始まるかもしれない。

 お客はいろんなメーカーの商品を誰よりも早く見ることができるので、シーズンインの買い物とは違ったエンターテインメント空間を楽しむことができる。

 つまり、マーケットの中のお客を主眼に置き、卸とか、小売りとか思惑、あるいは自社の商品、他社のブランドにとらわれないビジネス発想も必要になってきているのだ。

 卸とか、小売りとか、自社企画とか、他社企画とかジャンルの垣根を飛び越えたところに、ビジネスに新しい活気が生まれるという考え方。要は同社はプラットホーム化した新しい展示会を目指そうとしているのである。

 企画スタッフが展示会で「他社の商品が仕入れられる」のを見せつけられると、「こういう部分がうちは弱いな」と気づくはずである。この辺もプラットフォーム展示会のメリットなのかもしれない。

 同社ではその後の営業態勢においても、競合メーカーには「同社の店舗の売場を貸すので、委託で販売して構わない」。逆に「同社の取引先で坪効率が良い専門店には営業をかけてOK」と言っている。

 展示会で互いが刺激し合えば、いろんな副産物を生むという考えなのである。

 アパレルメーカーが業績を拡大するには、卸売り先を広げていかなければならない。同社は早く現金化できるところに優先的に商品を出荷することに軸足を置き、そのための物流体制を含め、在庫の一元化システムも作ろうとしている。

 もっとも、卸部門としては、取引先の専門店に2~3アイテムを仕入れてもらったところで、そのブランドの世界観はお客には伝わらない。

 SPAなら商品企画なり、MDなりが「このニットを売るには、このコーディガンと組み合わせよう」と、店舗にどうすれば売れるのかを指示することができる。

 そのノウハウは卸部門も卸先と共有した方がいいから、「バイヤーには買い取らなくて構わないので、多くの商品を委託で置かせてください」と請願しているそうだ。

 卸先に対し、買い取りなら5掛けとなるところが、委託なら6掛けとなり利益率は上がる。ちまちまフォローする必要もないので、物流コストも下がる。1型1点だったものが、3点になると売り切れせずに、売上げは3倍に跳ね上がるという目論見もできる。

 取引先の専門店にはi-Pad1枚を渡し、顧客コードを入力すると商品説明や在庫の情報がわかるようにしておくという。

 商品構成は店舗によってA、B、Cと3パターンくらい作り、商品はディスプレイのみで、お客さんから注文を受けると、同社のいちばん近隣店舗から商品を持っていくようにするという。これも全国に店舗網をもつSPAだからこそ、可能になるのだ。

 在庫ロスや輸送コストも下げられるため、取引先、同社とも互いにメリットとなる。 在庫、単品の管理がポイントになるため、ユニクロやギャップジャパンでシステム開発の経験したスタッフを社外取締役に起用。システム構築を急いでいる。

 メーカーが丹誠込めて企画した商品を取引先のバイヤーに吟味してもらい機会を提供する展示会。そのノウハウは否定しないが、時代が大きく変わったなかで、その先にあるものを想定したイノベーションが不可欠であるのも言うまでもない。
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表現から見た欧米の違いとは。

2015-11-07 08:28:39 | Weblog
 The FLAG イシュー、今回のテーマは「あの広告覚えてる?」について、書くことにする。

 The FLAGが投げかけている「ユーザのインパクトを残すには、ビジュアル訴求が重要になってきました」のは、何も今さら始まったことではない。

 筆者はプレスプロモーションの仕事をしていく中では、いろんな広告から学んできた。そこで、今でも脳みその片隅に焼き付いている広告ビジュアルをあげながら、背景にあるものを探ってみたい。

 ファッションの広告ビジュアルを注意してみるようになったのは、大学生になった頃からだろうか。

 授業の行き帰りに見かける駅貼りポスター、百貨店の懸垂幕、新聞や雑誌の広告などだ。もともとグラフィックデザインにも興味があったので、だんだん注意して見るようになった。

 渋谷に出かける度にパルコのポスターは見ていたが、それほど印象にも記憶にも残っていない。むしろ、自宅でじっくり見られる新聞広告の方が、今でも脳裏に焼き付いているものが多い。

 業界で仕事をしている今、改めて当時の新聞広告を振り返ると、アパレルメーカーがダイレクトに広告を出稿するというより、大手百貨店がブランドの「ハコ」をアピールするものが主流だったように思う。

 百貨店の新聞広告と言えば、70年代後半は伊勢丹がリードしていた。派手な広告で一時代を築いたセゾングループが台頭する前だ。伊勢丹はアパレルメーカーとの取引関係から、Calvin Kleinの広告キャンペーンに力を入れており、それが印象に残っている。




 コピーライターの土屋耕一氏を起用した一連のシリーズで、広告枠は新聞の10段ほどのスペースを割き、目立つビジュアルとキレのあるコピーが躍った。

 ビジュアルの元となるアートディレクションには、ファッションシューティングの旗手、アーサー・エルゴート、カメラマンの吉田大朋や細谷秀樹が参画。今振り返っても、彼らが撮る写真なくしては成り立たなかったように思う。

 キャッチコピーは憶えているだけでも、「キャリア・ウーマンにあたる日本語って、なんでしょう。」「パリは、産油国の王妃たちにまかせて。ニューヨークを見つめてみよう。」「着る男は、作った男。」。当時はこんな作風がプレゼンに通ったようだ。

 「本家のCalvin Kleinは、どんな広告を作っているのだろうか」。一介の大学生はますます好奇心をそそられ、開港2年目でまだ厳戒態勢が続く成田空港から、ニューヨークに飛び立つまでになった。

 現地に着くや、タイムズスクエアのビルボードで目にしたのが、ブルック・シールズがモデルを務めた「Calvin Klein Jeansの広告」だ。「Between me and my Calvins Nothing.」は、当時100ドルを超える高級ジーンズ以上に衝撃的だった。




 Calvin Kleinは、ニューヨークコレクションで双璧を成していたNorma Kamaliとともにニューヨークタイムズでも積極的に広告キャンペーンを打っていて、日本でいう15段広告は当たり前のように出稿していた。

 タイムズ紙には、Calvin Kleinはアートディレクションを手掛けるブルース・ウェーバーによって、「大人にかなりのインパクトを与えた」「イメージは鋭く、賢く、セクシーで、いつも論争を巻き起こす」と書かれていたのを憶えている。

 これは「Calvin Kleinなどの広告が掲載された新聞をぜひ持って帰らないと」と思い、電話帳と揶揄されるニューヨークタイムズの日曜版を購入した。だが、1週間分ほどの束は意外に嵩張り、成田の税関職員にずいぶん怪訝な顔をされてしまった。

 新聞広告は日本で大型コピーを取り、額装してしばらく部屋に飾っていたものだ。それからも公私で度々ニューヨークを訪れるようになり、90年代半ば現地で仕事をした頃は、Calvin KleinはMD戦略をカジュアルにシフトし、広告ビジュアルも一新された。

 広告で一躍注目の的となったアイテムが「ブリーフ」や「ショーツ」と、チープ路線に転じた「CK Jeans」である。

 アートディレクターには、バーニーズなんかでキャスティングの巧さを誇ったニール・クラフトが就任したことで、モデルには全米大人気のラッパー、マーキー・マーク(俳優のマーク・ウォルバーグ)やスウィフトモデルのケイト・モスが起用された。






 タイムズスクエアのビルボードでは、ブリーフ姿で上半身ムキムキの男性モデルが街行くニューヨーカーの前で堂々と股間をさらす。さしずめ日本ならどうだろうか。ここまでやると、どこかの団体がJAROにクレームを付けるのではないか。卑猥すぎると。

 でも、筆者からみると、不思議といやらしさを感じさせない。そこがCalvin Kleinのビジュアル表現の秀逸さであり、斬新でギリギリの路線を行くからこそ、広告表現として伝える力を増すのだと思う。

 こうしたファッションにおけるビジュアル表現の豊かさは、米国ブランドならではなのだろうか。

 ファッションの広告ビジュアルでいちばん大切なことは、いかにインパクトのあるものを作るかだ。その点で考えると、米国、特にニューヨークファッションの広告ビジュアルは、パリやミラノのブランドより秀逸と感じる。

 ただ、90年代は同じ米国でも、GAPのビジュアルも見逃せない。全米規模で展開した広告戦略は当時としては画期的なもので、今ではユニクロやH&Mも同じ手法をとる「インディビジュアル・オブ・スタイル」である。

 媒体もファッション誌ではなく、メジャーな週刊誌やスポーツ専門紙、バス停のアドボードなどを使用。撮影のシチュエーションは、白のホリゾントをバックに1人または数人の著名人がモデルとなって、GAPのウエアを着ているカットだ。

 モデルにはハリウッドスターからミュージシャン、スポーツ選手、一般の学生やナイトクラブの歌手、作家までが起用された。そして、それぞれのビジュアルには、商品価格が記載された点も大きな特徴だろう。






 アートディレクションも、米国ファッション界で活躍するピーター・リンドバーグ、アニー・リーボヴィッツ、ハーブ・リッツといった写真家、カメラマンが担当した。

 タートルネックのカットソーとツータックのチノパン、レザージャケットと胸ポケットの付いたTシャツ、純白のシャツとジーンズ。どれもおろしたての新品というより、着古したお気に入りのアイテムという感じだ。

 こうした広告表現には、「GAPは老弱男女が着られて、思い思いの着こなしを楽しめ、日々の暮らしに欠かせないアイテムである」とのメッセージが込められている。日本の広告のような「レトリックなコピー」表現もない。

 ビジュアルからは「マスプロダクトでも、着る人間の個性によって、着こなしは画一化しないんですよ」とのストレートな思いが伝わってくる。どこかのSPAの社長兼会長が言っているのと同じことを、GAPははるか前から実践してきたのである。

 では、なぜ米国ブランドの広告ビジュアルが目を引くのだろうか。一言で説明するのは難しいが、ファッションが生まれた歴史や土壌と関係があると思う。

 欧州のファッションは階級社会の中で生まれ、オートクチュールやプレタポルテの高級服を中心にしたクリエイティビティと職人技の中で、ブランドが育っていった。

 だから、多くのビジュアル表現が高級服を買うお客さんを意識し、教会やホテル、遺跡などムードのある「シチュエーション」を重視している。

 ところが、米国ブランドはGAPやLEVI'Sに代表にされるように、誰もが着こなせる(階級無し=資本主義的)カジュアルウエアが中心だ。

 裏を返せば、どんなメーカーでも進出しやすく、それだけ競争が激しいため、差別化するためには「マーケティング」や「プロモーション」の力が必要になる。

 結果として、アートディレクターやカメラマンなど優秀な広告クリエーターも育っていき、彼らによってインパクトのあるビジュアルが作られていくのだと思う。

 2000年以降は、売上げが鈍化し経営的に厳しくなった欧州ブランドもそれに気づき、デザインからアングロサクソン系のクリエーターに任せるようになった。もちろん、広告づくりまでも米国の企業に依頼するようになっている。

 トム・フォードやマーク・ジェイコブスは米国人、故アレキサンダー・マックイーンは英国人。彼らがクリエイティブディレクターとして商品デザインだけでなく、広告づくりも携わっていたのは、「ビジネスマインドもつアングロサクソン系だから」というのも否定はできないと思う。

 まあ、ユニクロが売れている点を販促面から分析すれば、米国企業が得意とするインディビジュアルによる戦略が貢献しているのは、言うまでもないだろう。

 特に日本人はブランドが大好きだし、インパクトのあるビジュアルに弱い。日本で買えるのに海外旅行に出かけてもわざわざ同じブランドショップを訪れ、さらにインターネット通販でもフォロー買いしてしまう。

 それは派手なビジュアルの背景にある安心感がそうさせているのだと思う。ブランドネームとプロモーションは相乗効果を生み、お客の来店を促すようにショップの付加価値も高めていく。

 それがお客の主観に委ねられた曖昧なものであっても、結果的に売れていることを考えると、そういうことなのだろう。

 個人的には、欧州ブランドの広告ビジュアルも嫌いではない。中でもアルマーニでは、制作スタッフは撮影の前にロケ地の雰囲気に親しみ、これから始まるストーリーの中に入って、アルマーニの雰囲気を身につけ行くと聞いたことがある。

 Photoshopでの加工、Illustratorによる版下づくりと、その後の制作スケジュールなんてお構い無し。何とも悠長なフィニッシュワークだが、だからこそ一般人には近寄り難いブランドの世界観ができ上がり、プレテージ性が高まるのである。




 使い捨てのカジュアルブランドにはないクオリティと品格と優雅さ。パースがかかって抜け感のあるビジュアルでそれを見事に訴えているところが、キングオブミラノと言われる所以だろうか。

 欧州ブランドと言えるかどうかわからないが、コムデギャルソンの広告表現も気になる。こちらは商品写真を使う方がきわめて少ない。それでいて、ファッションイメージをずっと引っぱり続けているのが凄いのひと言だ。

 販促媒体のSixにも商品カタログ的な掲載はほとんどなかった。むしろ、服以外のアーチスト作品をクローズアップすることで、自社のブランドイメージに昇華させる手法をとってきた。





 90年代に起用されたアートディレクター、マルク・アトランは、香水のパッケージデザインを担当した。それは日本よりも海外において、ブランドを取り巻くパッケージや包装資材で見事な世界観を生み出し、川久保玲氏の要求に見事に答えたのである。

 ディスプレイもインパクトがあった。パリのリッツホテルの階段を使い、透明のプラスティックケースに入れた香水をロゴ入りのビニール袋に入れて並べた手法は、大胆かつ繊細で宿泊客の度肝を抜いたのは言うまでもない。

 それがそのまま広告ビジュアルにもなっていた。アーチスト作品をエディトリアルすることで、お客に対しブランドイメージを連想させる手法は、ビジュアル表現の系譜として引き継がれたと言えるだろう。

 筆者がコムデギャルソンに引かれるのは、商品そのものより、それを取り巻く一つも二つの捻った素材使い。広告ビジュアルもその一つで、そこに生きづく独特の感性が好きだからである。
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脱SCへの地ならしは進むか。

2015-11-04 08:23:31 | Weblog
 久しぶりにローカルネタを取り上げてみたい。地場SPAで卸も行っている(株)リンクイットが福岡のど真ん中、天神地下街に都心型新業態「アトリエ・ド・ブージュルード」1号店をオープンした。

 同社は2000年7月、森 健太郎社長が務めていたアパレル商社の営業譲渡を引き継ぐ形で独立。翌年には自社における企画生産体制を確立し、ミセス向けの「ブージュルード」を開発し、SPA事業にも進出した。

 09年には「100店舗体制、年商100億円」の目標を掲げ、製造卸、小売りなどの事業会社に分社化し、各代表にも経営意識を持たせた。

 そして、店舗数が80店を超え、目標達成の目処がたったことで事業会社を吸収合併し、 13年9月にJACトレーディングから現社名に変更。2年後には株式上場をはたす構えだ。

 当初、ブージュルードでは、「生活を楽しむ40歳ミセス」狙いでMDを構築。客単価を15,000円と値ごろに設定し郊外SCを主体に展開した。そのため、小さな子供をもつヤングミセスまで取り込んだ。

 結果的にこれがエージレスで瀟酒な品揃えを生み、急成長の原動力となったのである。数年前から新業態の開発に取り組み、展開も始めている。今回のアトリエ・ド・ブージュルードの前には、「カバナ」という業態を開発した。

 こちらはコスメと雑貨とウエアをミックスしたもので、そのためにハワイブランドのコスメ「ボディ&ソウル」のアジア販売権を購入した。 雑貨は仕入れ商品、ウエアにはブージュルードのプレミアラインと他社の商品をミキシング投入。これが見事に当たったのだ。

 以前からミーナ天神で展開していたブージュルードは、都市部展開ではすこぶる好調だったが、活性化の狙いからカバナにリニューアル。そして、今度はアトリエ・ド・ブージュルード出店にもこぎつけた。

 場所は天神地下街5番街区で、「レカロ・カーサ」「フカヤ」など地元のミセス系セレクトショップが軒を並べるエリアだ。

 繊研新聞はネット版で、「アトリエ・ド・ブージュルードは20代後半~30代のOLに向けて感度の高い都市生活者の好奇心を刺激するアパレルやバッグ、シューズ、アクセサリー、コスメをミックスした提案を行う」と、同社のプレスリリースを引用した感じの記事を掲載した。

 しかし、20代後半~30代のOL向けの業態は、天神にはブランド、セレクトショップと著名なものがひしめき合っている。いくら同社の業態が郊外SCでは好調とは言っても、都市部のOL攻略では実績がないし、同社自身も手探りの段階だろう。

 幸い、同社ではメーカー、担当営業や取引先のバイヤー、スーパーバイザーや店長、店舗のお客まで加えた「新しい試みの展示会」を開催。直営店では他社製品が展開できるようなプラットホームづくりに注力する。今回の出店ではこれが生きたようだ。

 デベロッパーの福岡天神地下街開発としても、郊外SCに持って行かれているヤングミセスを取り戻したいのはやまやまだろう。でなければ、わざわざ「キャトルメラージュ」の斜向いに展開させるはずがない。

 キャトルメラージュは、フカヤのヤング業態、タンタンからのスピンオフ。もとはイムズの地下にあったが、そこがロニースコッツ系のDANROにリニュールされたことで、時間を置き苦戦気味の「ハンキーパンキー」と入れ替わるカタチで出店された。

 お客のエージも徐々に上がり、今では30代が中心のはずである。ただ、一部の別注を除いてほとんどが専門店系アパレルの仕入れ商品のため、ヤングミセスにとって決して安い買い物とはならない。

 それに対し、アトリエ・ド・ブージュルードは、母体がSPAだけにヤングミセスでも買いやすい値ごろ感のある価格帯が中心だ。働いて可処分所得が多いOLなら、経済的余裕もある。そこがデベロッパーの狙いでもあるだろう。

 お客が同街区にあるマインド編集のショップで買い物できれば、それだけで滞留時間は長くなり、買い回りも進む。天神地下街とて、都市型のショッピングセンターには変わりないのである。

 繊研の報道によると、同社も「商品本部直轄として50%は仕入れ商品で構成し、これから売れそうなものや現在の弱点などを探りながら業態を確立する」と言っているから、SPAセレクトとしての実験店舗、テストマーケティングとしてのスタートと言える。

 だが、ターゲットが「20代後半~30代のOL」と言っても、その中にはミセスもいる。だから職業、階層で区切るのではなく、天神で働く若いミセス層へのアプローチも含まれると考えられる。

 繊研は報道していないが、狙いはもう一つある。同社の店舗スタッフは店長以下、全員女性で、大半がミセスである。ブージュルードがメーンで出店する郊外SCでは、仕事を終えたミセスが夜、田んぼのあぜ道を帰宅するのは、とてもたいへんだ。

 かつてイオンは「狐や狸が出る場所に店舗を出せ」と宣言し、郊外市場を開拓した。しかし、肝心な郊外テナントは今、スタッフ不足に悩んでいる。ファッション業界全体もそうなのだが、パルコ買収に失敗したイオンのテナントは、なおさら厳しいだろう。

 岡山では都市型のモールも出店したが、地方で働く側の立場なら少しでも都市部の方が通勤は至便だし、退社後のテンションも違う。昼間はSCの巨大空間でも、タイムカードを押した途端、田舎の夜道を歩くのでは、なおさら防犯上の懸念もある。

 同社は子育て支援を実践しているだけに、ミセス社員はもちろん、これからミセスになるスタッフの身の安全まで保証しなければならない。福岡の都心部天神への進出は、こうした「脱郊外SC」への地ならしとも言える。あとはそれをどう進めるかだ。

 アトリエ・ド・ブージュルード天神地下街はその試金石となる。軌道に乗れば東京などのファッションビルからも出店要請が来るのは、間違いない。

 同社は2009年に100店舗、100億円の目標を掲げ、その達成の目処がたったことで、2年後の「上場」を決定している。それに向けて外部の会社とも連携し、ベンチャーキャピタルの支援も取り付けた。

 ただ、上場については、 それで「本当に社員は幸せになるのか」という迷いもあったようだ。しかし、「社員もお客も同社の株を持つことで、経営に参画できる」「頑張った社員はその分の利益に加え、自分の会社を誇りに思えるはず」と、上場を決断した。

 森社長はソニー元社長の出井伸之氏が友人の会社の顧問をしていたため、博多の総鎮守櫛田神社近くの居酒屋で相談を持ちかけたという。

 上場する意味がわからないと相談すると、出井氏は「大義があればいいと思うよ」との答えたとか。大義とはいったい何か。森社長は突き詰めて考えていくと、「みんなの会社、みんなのブランドにすればいいんだ」との結論に行きついたそうだ。

 自分たちが死んでも続いている会社。100年後も存続する企業。それこそが社会の公器である企業のあり方ということだ。脱SC宣言の先には、さらなる野望があるのかもしれない。
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食とのコラボは意外性や裏切りを。

2015-11-01 15:57:25 | Weblog
 The FLAGのイシュー、今回は「ファッション×〇〇の次のカタチと今後の可能性とは」について考えてみたい。

 モノからコトと言われ始めて久しい。最近ではエクスマなる、体験を売る視点のマーケティングも注目されている。

 情報があり溢れ、消費への関心が薄れる中で、店舗なり商品なりに興味をもってもうらためには、モノを取り巻く何らかの仕掛けまでが必要になっているということだ。

 短絡的に考えると、イベントを行うのが手っ取り早い。比較的人が集めることが容易で、商品に注目させることもできる。次に異業種とのコラボレーションもあるだろう。互いの技術や能力を掛け合わせ、魅力的なプロダクトを作ることができる。

 10月24日に開催されたSHIBUYA FASHION FESTIVALでは、 ファッションというコンテンツでは集客は厳しいためか、ジュースセットやクーポンという「ベタ付き」が仕掛けられている。

 「もれなく何かくれる」のなら、イベントに行ってみようという気にもさせる。

 ノベルティはそれだけで経費がかかるので、企業のサンプリングなどとタイアップするれば、コスト削減ができる。渋谷というファッションタウンのポテンシャルを生かし、街一体型事業に異業種まで巻き込んで盛り上げようということらしい。

 でも、どうだろうか。それで人は集まるかもしれないが、商品が売れるのだろうか。また本当にファッションタウンの魅力が高まるのだろうか。

 街ということになれば、自治体も何らかの事業で携わらないといけないので、行政の「予算措置」という別の期待があるではないのか。

 筆者は「ファッションと◯◯」の融合とかというスローガンそのものは否定しない。でも、そうしたテーマのもとに仕掛けるのが「集客イベント」で止まっていることには、疑問を感じるし、成功の度合いも懐疑的と思っている。

 なぜなら、ファッションをクローズアップするというより、イベントに注目を集めようとするあまり、それが手段ではなく目的化している嫌いがあるからだ。

 いつのまにか主導権もファッション業界からイベント屋に移り、催事を行えばそれで終わりになっていく。さらに「ある程度の参加者、ある程度の集客があれば、成功した」と結論づけられることが常態化してしていることには、懸念を示さざるを得ない。

 どこが利益を被るかと言えば、ファッション業界であるはずもない。イベントに群がって事業企画と予算を手中にする広告代理店、制作会社、タレント事務所などの利害関係者なのである。

 筆者が居住する福岡でも、地元ファッション業界がうまく利用された事業が行われている。その問題点をこの場で解説するには文字数が足りないので、今回は差し控えることにしたい。



互いの能力を生かし、
単体以上のモノづくり

 何でもイベント頼みにするのを猛省し、反面教師としてファッション業界自ら考え、どう動くか。その意味で、前向きに「ファッション×〇〇の次のカタチ」「ファッション×〇〇の今後の可能性とは」何かを考えてみたい。

 従来、「ファッション×〇〇」では、ダブルネームの商品づくりがあった。裏原全盛期には、「ア・ベイジング・エイプ」が「アディダス」とコラボして、数々のスニーカーが発売された。

 両者のブランド力、限定モデルというレア感で売り切れが続出したのは、記憶に新しい。最近でもダブルネームスニーカーは、 マーガレットハウエルとコンバース、シュープリームとVANSなど、数多くが発売されている。

 アパレルブランドとシューズメーカー。このケースは両メーカーが互いの能力や技術を生かして、単体以上のモノづくりをしようということだ。その背景から、 ファッション×〇〇のヒントを考えてみたい。

 アパレル側にはデザインや感度はあっても、靴の生産に必要な「木型」は持たない。木型を作るには専門技術が必要だし、サイズ対応するには相当数の型が必要だ。だから、ロットが増えないアパレルにとって、オリジナル生産はリスクが高いのである。

 シューズメーカー側も、定番のデザインだけではお客に飽きられるし、値崩れが激しく陳腐化していく。ファッションとのダブルネームであれば、自社にないテイストが生み出せるし、手持ちの木型を使えばコストはかからない。

 営業的にもOEMのような生産ではないだろうから、買取を条件とすれば利益も確保できると思われる。なおさら、自社で販売するのではないから、在庫リスクもない。

 ただ、この手のダブルネームは、アパレル、シューズメーカー双方にそれなりのブランド力があるから、成り立つとも言える。シューズメーカーと言っても、アディダスやコンバースは知名度はもちろん、ファッション性も十分に持ち合わせているからだ。

 アパレル同士なら、なおさらコラボは当たり前になっている。最近ではH&Mとバルマン、ユニクロとクリストフ・ルメール、WEGOとナンバーナインなどだ。

 こちらはどちらかがデザイン面での高い感度をもち、どちらかに量産によるコスト吸収力がある。そして、どちらもブランド力、知名度は申し分ない。今のマーケット状況からすれば、最高のコラボレーションだろう。

 こうした両者がタッグを組めば、おしゃれなアイテムが手頃な価格で手に入るという消費者ニーズにも合致する。常時展開ならオリジナルの売上げにも影響するかもしれないが、スポット的のコラボなら市場の活性化にもつながるはずだ。

 もっとも、「ファッション×〇〇」ということでは、異業種と組むのが正論だ。ただ、ここでも「互いの能力や技術を生かして、単体以上のモノづくりをしよう」という精神が不可欠になるのは言うまでもない。

 市場の注目度に期待するのであれば、ある程度のブランド力や知名度がある相手がいいのかもしれない。ただ、双方が無名であっても、互いの能力や技術を生かして、単体以上のモノづくりを追求することは、決して吝かではないはずだ。

 今年行われたNYコレクションにおいて、カゴメ株式会社の新作ジュースの配布ブースがショーのバックステージに設置されていたのは、互いのポテンシャルを生かして、単体では出せないパワーを発揮しようとしたのではないか。

 NYコレクション+カゴメのような「ファッションと食」は、生活にいかに潤いや満足感を与えるかという点で、仕掛け次第では大きな力を生むと思う。

 まずNYコレクションが発する都会的でスタイリッシュなイメージ。それはそのままブランド力になっている。ランウエイを歩くモデルたちも、ギスギスした体型より健康ではつらつとした美しさを必要とするトレンド性もある。

 一方、カゴメはトマトケチャップをはじめ、ジュース製造でも高い技術をもち、日本のトップブランドとして君臨している。そうした能力がNYコレクションと合体すれば、ヘルシーかつおいしいジュースが世界中に発信できる。

 「ファッションと食のカタチ」では、ジョルジオ・アルマーニも、ミラノのショップではドルチェ、いわゆるスウィーツを販売していた。「アルマーニ・ドルチェ」で、パッケージに入ったチョコレートは目を引いた。

 その中にはジャパニーズテイストの「抹茶」味もあり、丸の内仲通りのショップで御土産に購入したが、しばらく食べるのを躊躇ったほどだ。その時は結婚式の引き出物なんかに良いんじゃないかと思ったが、いつの間にかショップの方が撤退してしまった。



ファッションブランドと
チロルチョコレート

 経営的に考えると、安い原価に高い売値がつけられ、儲けが大きい方が理想的だ。アルマーニ・ドルチェは典型的だろう。

 でも、チョコレートの場合、何も高級品である必要はないと思う。有名パティシエがつくるトリュフチョコはデパ地下に任せておけば良い。

 だから、ドラッグストアで100円くらいで売っている袋入りのチロルチョコなんかとのコラボはどうだろうか。ファッションと食の「次のカタチ」ということだ。

 生産ラインの乗せるためにはロットが必要だが、不可能ではないと思う。いろんなバリエーションが発売されているので、既存の味をアソートメントしてもいい。

 次のカタチでファッションが果たす役割は、パッケージングや包み紙のデザインにチャレンジし、ブランドの世界観を広げれば良いと思う。ロゴやカラリングをしっかりと打ち出せば、面白い商品ができ上がるのではないだろうか。

 ファッションに携わるのなら、グラフィックデザインにも大いに挑戦してみよう。Adobeのillustratorはクラウドで使用できるようになっている。身近なお菓子でチャレンジすれば、斬新さ、世界観がグラフィカルに広がっていくはずだ。

 ◯◯◯◯◯&チロルチョコなんて最高ではないか。ドットやハートなんかのモチーフがプリントされ、ロゴがバチッと入り、個性溢れるアソートの包み紙のイメージが浮かぶ。食べた後の包み紙はコレクターズアイテムになるかもしれない。

 おそらく限定品になると思うが、価格が300円、500円、いや1000円でもファンは購入するのではないか。ブランド力があるという条件付きなのだが、きなこや抹茶などいろんな製品を生んでいるので、チョコアレルギーの心配もない。

 デザイナーの川久保玲氏は、H&Mが日本上陸を果たした時、コラボ商品をデザインした。その時の狙いについて、「クリエイションミーツビジネス」というキーワードを上げ、説明していたように記憶している。

 直訳すると、クリエイションとビジネスの出会い。「ビジネスだってクリエイションだ」とのメッセージも、込められているのではないだろうか。
 
 食の方がある程度の商品開発力があり、市場に浸透して知名度もある。こう考えると、ファッションと食のコラボレーションは、クリエイションミーツビジネスという側面を持つ。アイデアの発揮で、コスト面などの吸収はいくらでもできると思う。

 チロルチョコのような駄菓子感覚では、「うまい棒」なんかもキャラクター性が打ち出せるかもしれない。ファッションだから若々しさも必要だし、ブランドのキャラクター性を打ち出すには、洒落が利いた方が受けるはずである。

 強力なブランド力を持つものは、ギフト対応にもいけるかもしれない。だが、これからブレイクさせたいブランドなら、プロモーションやノベルティの感覚でいけばいいだろう。



不味い味でインパクトを
与える方法もありか

 一方で、食とのコラボは、何も美味いものだけとは限らない。「チョー辛い」とか、「不味い」とかもありと思う。先日、凄く「わさびが利いたあられ」をもらって食べたが、うちの家族は辛過ぎて食えないと言ってた。

 パッケージにはシャレではなく、「辛さが苦手な方やお子さまは十分ご注意ください」と書かれていたのも目を引いた。まるでヴィレッジヴァンガードのPOPのようだ。

 逆に癖になりそうだったので、リピートしようと探したら、もう売り切れてしまっていた。それくらいの強烈なインパクトがあれば、それだけ訴求力もあるだろう。

 コストがかからない反面、あまり売上げは期待できない。でも、キャンペーン的な要素を持たせて、ブランドアピールに活用すればいい。その時、ファッションがもつデザイン感性を存分に発揮すればいいのである。

 筆者の地元、博多は老舗菓子舗が乱立し、全国でも類を見ない厳しい競争を繰り広げている。そんな中で、ひよこや鶴乃子、博多とおりもんと全国的なヒット商品も生まれたが、経営者はこぞって「和菓子より洋菓子の方が売上げが良い」と語る。

 日本人の生活が洋風化し、菓子についてもスウィーツに代表される洋菓子が市場を拡大している。とすれば、個人的には博多の菓子舗にコラボを持ち込めないかと考えている。

 バブル期は、銀行の融資が乱発されたので、アパレルメーカーがダイレクトに飲食店を経営していた。銀行員から「飲食業はキャッシュフロー経営ですよ」なんて、口車に乗せられたこともあるだろう。

 しかし、バブル崩壊で不景気が長引き、デフレが定着した今、よほど金銭的余裕があれば別だが、そこらのファッションブランドが飲食に手を出してもまず成功しないだろう。

 だから、ファッションと食のコラボは、互いの能力や技術を生かして、単体以上のモノづくりを進めるためのテストマーケティング程度から始めてみてもいいのではないか。

 言い換えれば、互いの弱さを補完して、新しいことにチャレンジしようという姿勢を示せば良いと思うのである。

 当然、そこから生み出されるコラボ商品は、本来の目的とは違った使い方になる。サプライズギフトとかだ。真面目に考えてもつまらないし、切り口を変えていないと可能性はないに等しい。

 商品づくりを意識する上では、良い意味での裏切りや意外性、型破り、ドラスティックなど突拍子のないベクトルで考えた方が、ファッションも際立ってくると思う。ファッションも食も先の可能性を考えるのなら、当たり前では面白くないからだ。

 ハロウィンの喧噪の中、そんなことを考えてみた。

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