HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

潰れる前にできること。

2016-04-27 07:45:53 | Weblog
 帝国データバンクから2015年度のアパレル関連企業の倒産件数が発表された。それによると、倒産は前年比6.5%増の311件で、東日本大震災が発生した11年度以来4年ぶりに300件を上回ったとのことだ。

 データは負債額が1000万円以上、法的整理のみで、メンズ&レディス、子供、下着類の卸・小売りが対象になっている。テキスタイルや加工業者、1000万円以下の倒産、私的整理などは含まれていないので、これらを加えると倍以上に達するのではないかと思う。

 震災など大規模な災害で経済活動が沈滞すると、自己防衛による買い控えなどが影響して、卸も小売りも売上げ不振に陥る。ただ、東日本大震災から4年を経過し、売上げ回復が叫ばれていた中での倒産増加は、アパレル業界の需給バランスが完全に崩れていることも指し示す。売れないのに商品や店ばかりが多過ぎるのである。

 帝国データバンクはアパレルメーカーや問屋といった卸の倒産理由に「円高によるコスト上昇」と「消費低迷」を挙げている。しかし、消費が低迷するのは、コストを吸収できず、売れる商品が生み出せていないこともあるのではないか。

 確かに構造的不況によるデフレで、1着数万円もするような服はなかなか売れない。商品が売れないと、価格は下がっていくが、卸としては利益を確保しなければならないからコスト下げて原価率を圧縮する。当然、円高でコストが上がれば、粗利益が減って儲けが少なくなる。

 でも、こうしたビジネスはどこでも考えつくから、1着数千円の商品を作るところが次々と登場し、市場には同じような商品が出回ってしまう。その中で、儲けが少なくても耐えうる体力をもつところは生き残れるが、競争力がないところは受注不振に陥って、次第に体力を奪われていくのである。

 思いきって卸としての方向性を変えることもありかと思う。でも、企画スタッフから入れ替えてガラッと変えてしまえば、既存の取引先は迷うだろうし、営業サイドも売りにくくなる。だから、経営者にはどうしても迷いが生じ、決断のタイミングを逸してしまう。言うは易しだが、行動は難しである。気づいた時はもう手遅れなのだ。

 卸の自己責任だけとも限らない。取引先の小売店の経営悪化もある。手形のサイトを先延ばしされたり、買い取りをやめて委託に変えてきたり。次々と系列店を閉鎖し、スタッフも削減したり。経営が厳しくなると、様々な手を取らずにはいられない。それをいち早く察知した卸が取り引きをやめて商品を卸さなくなると、インターネット問屋を使って商品を探しまくる。こうなると、すでに末期症状だ。

 それでも、「長年のお付き合いがあるから」との温情で取り引きを継続するところは、売掛金を回収できず、連鎖倒産の憂き目にあうところもある。ドライになれない卸は、影響をもろに被ってしまうわけだ。

 一方、小売りの倒産は消費低迷が一番の理由かもしれない。だが、こちらも商品が売れないのは、卸が同じような商品ばかり企画するため、仕入れる商品が似通って来てどの売場も同質化してしまうこともある。似たような商品なら、お客は価格が安いお買得な方を選ぶか、買い控えるかのどちらかだ。同質化による埋没を避け、積極的に商品を手当てしたり、既存の品揃えでも販売や見せ方などで工夫するところは勝ち残り、そうでないところは潰れていく。小売りの宿命なのである。

 私事だが、昨年5月、叔母が経営していたレディス専門店の倒産した。創業50年の老舗だった。負債額1000万円以上で、弁護士を立てて法的整理を行った。帝国データバンクの倒産情報でも公開されており、311件中の1件に入る。

 負債総額は数億円だった。メーカーへの売掛金、賃貸店舗の家賃、従業員の給料、出店投資の借り入れ残等々があったと思う。バブル崩壊とマーケットの変化で、売上げはどんどん下がり、シャッター商店街を訪れるお客はまばら。一見客はほとんど来ない。来たところで専門店系アパレルの高額な商品など買う由もない。

 地域専門店にとって創業の地への思い入れは人一倍強い。経営が厳しくなれば、リストラが必要なのだが、中々踏み出せない。お客が来ないことはスタッフが何よりわかっている。「系列店を閉店して、本店のみに絞ってはどうですか」。スタッフの方から提案された意見に、経営者は「それはできない」とあっさり拒否したという。

 商栄会からは商店街の火を消さないでと、懇願されていたこともあるだろう。地域との柵があればあるほど、リストラは遅々として進まない。結果、負債は積もり積もって、億単位に及ぶ。その時はもう遅いのである。倒産のニュースを見る度に、いつも思うのだが、もっと早く手を打てなかったのかと。やるべきことはいくらもあったはずだと。卸にも、小売りにも言えることだ。

 卸が経営不振に陥らないためには、計画と販売後の2段階できめ細かく対策をとらなければならない。計画段階では、情報収集が何よりも重要になる。卸先の小売店をはじめ、業界全体、ライバルメーカーの動向や分析を行うことだ。計画とはシーズンの計画作成と服種や構成比率である。利益がとれる売り筋商品を作り、価格やプライスラインを明確にする。自社の中心価格は◯◯◯◯円と設定することがとても重要になる。しかも、いつまでその商品を引っ張るのか、である。

 卸営業の段階になると、バイヤー側は価格を重視する。あまりに高いと仕入れを迷うが、安過ぎても売上げ、利益とも取れないと二の足を踏む。大まかな予算枠があるだろうから、ごり押しはできない。筆者が勤めていたアパレルでは、「企画の段階で、この商品なら◯◯◯◯円はとれるはずと自信が持てるなら、その8掛けくらいで作る努力をして価格に反映する」と、 社長が常々言っていた。そうすると、バイヤーも感じてくれるはずで、仕入れ枚数が増えていきやすいからだ。

 もちろん、商品力は下げられない。潰れた卸の多くが経営体力を失っており、それが商品に現れていく。しかし、卸にとってもの作りは生命線だ。色、柄、デザイン、素材、サイズの劣化が商品力を下げていく元凶に他ならない。

 筆者が勤めていたアパレルも、商品が売れているときはこのような計画をさほぞ気にも止めず、独立独歩でもの作りを進めていた。しかし、経営が傾いて改めて「もっと緻密な計画が必要だった」との社長談を、辞めた後に人伝に聞いた。

 小売り店側の対策はどうだろうか。基本は卸とは逆の立場になるから、ここではあえてふれない。倒産理由である消費低迷は景気や増税の影響によるものだが、お客が求める商品がないこともある。だから、この際、仕入ればかりに頼るのではなく、商品づくりも考えていかなければならないと思う。
 
 小売りにとっての商品づくりは、ものづくりから処理に至るまでの仕組みが重要だ。仕入れオンリーでは損益分岐点が高いから、SPAでない成り立ちにくいとの意見もある。だが、まずは中小の小売りは卸から仕入れという形をとる中で、どんな商品が作り出せるかを考えることだと思う。そのためには販売期間、単品管理、最終処分、ロスの責任などあらかじめ決めておかなければならない。
 
 当然、取り組むメーカーや卸を絞り込み、アイテム別、ゾーン別で設定する。深く取り組めば組むほど、相手も小売りの意図を理解してくれるし、クオリティもさらに上がっていくはずだ。ある程度のシェアをとれば、生産の面で融通が利くだろうし、小売りにとっても安定したデリバリーにつながると思う。

 作る商品は自店が強いアイテムに絞り込んだ方が良いと思う。それに加え、素材、デザイン、価格、色も限定し、量を売りながら、確実に売り切って粗利益を確保する。カギになるにはメーカーや卸と綿密なコミュニケーションをとること。ネットでのやり取りするだけではなく、卸と一緒に工場にまで入り込んでスペックを詰める覚悟もいるだろう。

 小売店が倒産するのは、他と差別化できずに埋没するケースが多い。だからこそ、同質化を早めに察知することが重要で、危機感をもちそこから脱することが、倒産を回帰することにつながる。商品づくりは決して大手にしかできないわけではない。小売り側からの提案、取り組むスタンス、買い取る量がしっかりしているなら、対応してくれるメーカーや卸はいくらもあるはずだ。お客さんに一番近いのは店頭なのだからである。
 
 セオリー通りに商品を企画し、展示会、ルート営業で卸販売する。売れれば期中にフォローし、不振在庫を抱えれば粗利を削って叩き売るだけの卸。展示会に出かけて、商品を見つけて仕入れ、売場で編集して販売するだけの小売り。それでは立ちいか無くなっているところが倒産に突き進んでいく。その結果が昨年は300件以上もあったということだ。
 
 プロモーションの仕事をしたあるアパレルメーカーの社長がこんなことを言っていた。「キミたちは服を売るのに『表現』にこだわるけど、『売れる表現』はちゃんとあるんだよ」。売上げは全てを物語るということだ。このメーカーは業界が厳しい中で、倒産などどこ吹く風と頑張っている。

 卸も小売りも潰れる前にもっとできることが、いくらもあるのではないか。それに取り組むか、取り組まないかが存続できるか否かの分岐点になると思う。
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天災に優るものはなし。

2016-04-20 14:26:43 | Weblog
 熊本市を地震が襲った。4月14日に午後9時26分頃にマグニチュード6.5、最大震度7、16日1時25分頃にはM7.3、同6強の地震が発生。現在も余震は続き、死傷者、建物倒壊などの被害は増えるばかりだ。今回のコラムは、現地の状況をルポしながら、地元ファッション業界、九州全体への影響を考えてみたい。

 筆者が現地に入ったのは、4月19日。原稿の締切や夏場の企画に追われ、余震も続いていたので見合わせていた。おそらく熊本の人々がこれまでに経験したことのない未曾有の大震災だと思う。マスメディアは被害が深刻な益城町や南阿蘇を主体に報道するため、毎度のことながら被災格差が生じてしまう。だからこそ、現地に行けば、中心商店街、ファッションストリートが受けた被害が決して少なくないことがよくわかった。

 被災の状況がよりわかりやすいように、熊本のファッションマーケットやエリア構造を簡単に解説しておこう。

 熊本市の中心市街地は、熊本城が見下ろす通町筋を中心に形成されている。上通、下通という2つの商店街を分けるように電車が走り、軌道の北側に上通のアーケード、鶴屋百貨店が運営するファッションビルNew-Sがセレクトショップやブランド店をリーシング。西側にはB&Yユナイテッドアローズやビームスが路面展開している。

 南側に鶴屋百貨店本館、東に東急ハンズなどを擁する鶴屋新館、下通り入口脇にはパルコがある。下通は南に数百メートル続き、ザラなどの海外ブランドも出店、大火災を起こした大洋デパート~旧ダイエー城屋の跡では、天神ヴィオロの熊本版が建設中だ。 通りの東側には破綻したスーパーの寿屋から派生した不動産会社が旧店舗を活用して運営するカリーノがある。

 アーケードが切れる先は、30年前にファッションストリートとして一世を風靡したシャワー通り。L字に曲がった新市街を抜けて電車通りを渡ると、旧熊本岩田屋~県民百貨店は更地になって再開発を待つばかりである。

 一方、上通は商店街に老舗専門店が軒を連ね、アーケードが切れる並木坂、東側の上乃通りの路地裏、横町には若手経営者のショップや飲食店が数多く立ち並んでいる。

 ただ、中心商店街に買い物に来るお客は、周辺に住む高齢者や通勤するビジネスマンやOLと20代前半の若者。経済の中心は郵政省などの出先機関など官公庁が主体、民間企業は少ないことから、マーケットとしての規模はそれほど大きくない。

 それでいて、郊外の住宅ラッシュで、SCやロードサイドショップは増えている。熊本第2の都市,八代市近郊には旧ダイヤモンドシティ(現在はイオンモール宇城バリュー)が九州で初めて出店。現在は市内にイオン八代ショッピングセンター、ゆめタウン八代も出店する。この他に地震で被害を出した上益城郡嘉島町にはイオンモール熊本、宇土市に宇土シティ、北部の菊陽町にゆめタウン光の森と、SCが乱立する。

 これらにディスカウントストアやドラッグストアが加わってマーケットを捕食。さらに福岡まで高速バスで2時間の距離から持ち出しは、年間で100億円以上とも言われている。行政の再開発事業も大した効果はなく、市内に大型客船が着ける港がないため、訪日外国人の爆買いもほとんど見られない。中心商店街はかつての賑わいを取り戻すどころか、高齢者の日常の買い物と一部の若者によるファッション消費しか集められない構造に陥っている。

 ところが、ファッション傾向については、福岡に対する対抗意識が強い。それゆえ、福岡のトラッド志向に対して、熊本はレアなブランド志向が顕著だ。裏原よりも先にストリートにスポットを当てたシャワー通りをはじめ、最近の並木坂や上乃裏通の隆盛もそうした意識からだろうか。業界紙誌に堂々と「熊本はセレクトショップ生誕の地」とまことしやかに書かせるのは、それだけファッションでは他に負けたくないという「肥後もっこす」「わさもん」の現れかもしれない。

 しかし、今回の地震では、そうした反骨精神は何の役にも立たず、新しいもの好きも地震対策には生かされてはいなかった。というより、ハード面での整備が立ち遅れていた点がもろに出た格好だ。中心市街地に立つビルや建物の多くが阪神大震災前に建設されたもので、基礎、柱脚や筋交いの強度、耐力壁のバランス配置が新耐震基準に達していなかったと思われる。

 今回、そうした施設や店舗がかなりの影響を受けている。アーケード天井板の落下や湾曲、民家を改築した店の壁や屋根瓦の破損、道路の亀裂や陥没、シャッターや窓ガラスの大破など、ほとんどが大なり小なりの被害を受けている。上通と並木坂、上乃裏通は被害が酷く、下通の店舗もほとんどが休業している。被害を受けなかったところも建物が立つ位置や地盤との角度から免れたわけで、たまたま良かったというのが正解だろう。



 では、代表的な店舗の被害状況を見ていこう。セレクトショップの代表格、「ベイブルック」は上林町にある本社ビルは仮囲いがついたままで外観さえわからない。上通の旗艦店はシャッターが降りたままだが、外から見ただけではそれほどの災害は感じられないが、春竹町のアルファ東などは店舗自体に破損が見られた。しばらくは全店で休業のようである。(20日から路面店8店で、時間限定で営業再開)


 
 同じ上通にあるインポートセレクトの「モーヴドゥーエ」。こちらもシャッターが閉じられ店舗は休業。商店街のアーケードや通路が所々で被災しているため、単独での再開は難しそうである。鶴屋百貨店が運営するNew-Sも休館。店頭の公開空地では訪れる度に何かしらのイベントが開催されているが、その中止を告知する手描きの紙が空しく柱に貼られていた。




 ただ、電車通りに面するビームスは地震の影響ははとんどなかったようだ。19日は営業していたが、こんな状況で洋服を買いにくるお客はいるはずもないから、スタッフが暇そうに話している姿だけが見られた。その手前のB&Yユナイテッドアローズは店舗自体の被害はないようだが、ビルのアウネがエレベーター、エスカレーターとも機能が停止、復旧工事業者のスケジュールも調整がつかない状態という。




 鶴屋百貨店は本館、東館、ウイング館のすべてで休業。さすがに今回ばかりは、電通のコピーライターに頼んだ社員の意識改革、自己革新を続ける組織づくりは、柱の突っ張りにもならなかったようである。通りの入口脇にある熊本パルコも休館。ビルと接合するアーケードの天井が折れ曲がるほどだからかなりの衝撃だったと推察できる。もし、開館中だったらお客さんにも相当の被害が出たのかもしれない。パルコがどれほどの危機管理をしているのかは知らないが、今回は不幸中の幸いだったと言えるだろう。



 下通を入ってすぐの右手には「マルタ號」のビルがある。メディア露出がやたら増えている「ファクトリエ」の母体である専門店だ。こちらも1階のテナント共々休業していた。 ファクトリエ自体は商社、卸系だから物販ほどの影響はないと思う。その先、左手にあるザラも、当然のことながら休業。斜向いにあるダイエー城屋跡の再開発ビルも鉄骨が組み上げられているが、まだまだ余震が続いているだけに工事が計画通りに進むかは予断を許さない。





 下通、新市街を抜け、電車通りを渡った先の産業文化会館跡地は、広場として開放されていたが、それが今回の地震で避難場所に様変わり。西側の県民百貨店で進む大型商業施設の計画にも影響が出るのは間違いない。耐震構造など地震に強いハードづくり、被災時の避難誘導などのソフト面などが改めて浮き彫りにされた。こうした課題を克服しない限り、テナントリーシングも進まないのではないかと思う。

 その他、知り合いのアパレル会社が展開する雑貨店も休業に追い込まれていた。出店するイズミのゆめマートが被災し、まだまだ余震が続くため、デベロッパー側からの要請があったのかもしれない。

 電車通りを健軍方面に向い、県庁通りから自衛隊西部方面隊基地横を抜けると、遠くに益城インターやグランメッセが見えてくる。今回の震災でいちばん被害が大きかった益城町に近づくに連れて、幹線道路に面するビルの被害は酷い。安普請なのか、老朽化なのかはわからないが、壊れたままでは営業の再開は無理かもしれない。

 インターに近いさくらの森ショッピングモールは、核テナントにスーパーのハローデイやホームセンターのフタバが出店する。ハローデイは入口のドアが折れ曲がり、ガラスは大破。まだまだ震度3以上の余震が続き、益城町の住民は買い物どころではないだろうから、当分営業再開はできないと思う。



 その他、ショッピングモールではゆめタウンが全館休業。イオンモールも変則営業を余儀なくされている。これらにはユニクロやグローバルワーク、無印良品といった全国チェーンの大型店が出店しているので、売上げへの影響は少なくない。客数、売上げともに減少しているユニクロにとっては、泣き面に蜂となるのだろうか。

 筆者が熊本市内から郊外にかけて見て回った被災の状況はざっとこんなものである。ただ、影響は熊本に限ったことではない。筆者が住む福岡市も21日には博多マルイが開業するし、月末からはゴールデンウィークに入る。大型休暇の間にはどんたくも開催されるので、福岡は県外からの集客に弾みがつくはずだった。

 しかし、交通手段では九州自動車道が熊本の植木インター以南が通行止めで、福岡熊本間の高速バスは全便運休。新幹線も車両の脱線、橋脚の破損、線路の隆起などで、博多から新水俣までは運行停止で、再開の目処は立っていない。おそらく新幹線はゴールデンウィークには間に合わないかもしれない。

 JR博多シティはこの春にテナントを入れ替え、今年も増収増益させる計画だったはず。それがいきなり躓いた形だ。出店するブランドのほとんどはネット通販に対応しているため、実店舗の集客が厳しければ何らかの対応は取れる。しかし、デベロッパーにとっては店舗の売上げが上がらなければ、歩率家賃が入って来ない。それだけでなく、旅行客が買って帰るお土産需要が減少することも避けられないだろう。鉄道が麻痺すれば、駅ビルへの影響は必至ということである。



 JR九州にとっても、ゴールデンウィークは書き入れ時で、新幹線はドル箱でもある。それを見越して、この春にはタレントのローラを起用し、鹿児島旅行のキャンペーンを張っていた。博多行きには大した販促をしなくても乗客はあるが、観光が主体の鹿児島にはある程度力を入れないと乗客は伸びない。それでなくても鉄道事業単体は赤字だ。それに輪をかけるように今回の震災。物販や不動産が好調なために収益は上がって来たが、いい事は長続きしないというのが神の摂理でもある。この辺が潮目なのかもしれない。ともあれ、広大なマーケット設定、広域商圏、広域集客は非常にリスクが高いということがわかったのではないか。

 そうは言っても、鹿児島キャンペーンでは代理店に多額の広告費を払っているはず。それが今回の震災で全く当てが外れてしまったわけだ。広告業界は大災害に見舞われると、CMの放送を自粛する。ローラのCMも地震以来流れていない。ローラ自身もため口、父親の犯罪、今回の震災と、ネガティブな話題には事欠かない疫病神キャラになってしまった。クライアントには今回のケースで起用リスクというより、 ジンクスとして受け止められたのではないだろうか。

 こうした悪夢を払拭するため、九州新幹線開業時に制作費を格安であげ、広告賞をとったあのCMを復活させようなんて話も聞かれる。それをJR九州が言い出したかどうかはわからない。ローラのCMが放送中止でお蔵入りになったから、代理店が媒体料を稼ぐために苦肉の策で提案したとも考えられる。それをパブリシティで九州のテレビ、ラジオ各局に振れまわさせているのではないかとさえ思えてくる。

 筆者は2005年3月20日の福岡西方沖地震で被災した。その日は休日だったにも関わらず、天神コアのショップスタッフの撮影があり、8階にある管理事務所に入った瞬間だった。 打ち上げ花火があがるような「シュルシュル」という音とともに、「ドン」と突き上げる衝撃でビル全体が大きく揺れた。とても立っておれず、事務所のカウンターにしがみついたのをはっきり憶えている。

 当然、大名にある当事務所も惨憺たる有り様だった。パソコンや液晶テレビの画面が破損し、シェルフやチェストは倒れてデザイン本や資料が散乱。撮影用の小道具にストックしていたカップやグラスもほとんどが割れ、足の踏み場もないほどだった。だから、10年以上が経過した今でも、震災は他人事とは思えない。

 今回の震災は交通網が寸断されているので、アパレル工場や材料の供給でもかなりの影響が出ている。でも、起きてしまったことは仕方ないし、天災に対して人間は何と無力なのかもわかっている。復興の兆しは少しずつ見えているが、まだまだ時間はかかりそうだ。個人的にも東日本大震災の時と同様に、何らかの業界支援をしていきたいと思う。
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経営者は服が好きなのか。

2016-04-13 05:13:16 | Weblog
 先日、流通業界を揺るがすニュースが駆け巡った。セブン&アイHD鈴木敏文会長の突然の辞任である。メディアの論調は概ね、快進撃が続く子会社トップの退任論に造反者が出て、威信を傷つけられた会長が自ら身を引く事態に追い込まれたというものだ。また、後継の人事を巡っての創業家との対立やもの言う株主、ヘッジファンドの影もちらついたと、報道するところもあった。

 ただ、鈴木会長はセブイレブンという日本一の小売業を育てた人物である。それに対し、第三者が評論家的に「晩節を汚した」「老害以外の何でもない」と言うのは簡単だ。ただ、辞任は経営者たるものが引き際を迎えるにあたり、何を成しておくべきか、どこまで責任を持つべきかという課題も露呈した。

 「人を残すは上なり」との名言があるが、セブン&アイでは後任がコンビニの好調を維持できる確証はないし、不採算のスーパーについて好転させた経営者も出ていない。持ち株会社によるコントロールが一般的になり、サラリーマン経営者としては従業員、お客、取引先、株主といったステークホールダーの利害も絡むことから、舵取りは容易ではなくなっている。

 こうした経営のゴタゴタは、何もセブンイレブンに限ったことではなく、昨今のファッション業界でも当たり前のことである。先日、繊研新聞にこんな記事が載った。あるレディスブランドは、アパレルメーカーの子会社が運営していた。親会社とは異なる独自の生産背景を活用し、トレンドを程よく取り入れた「上質な商品」を販売、主に30代の女性に支持され、売上げも順調だったという。

 店舗数は10店に達し、新規出店も決定していた。ところが、経営再建中の「親会社」が不採算ブランドと店舗整理に乗り出したため、このブランドの廃止が決まったのである。売上げは順調だったが、出店コストや販促費が嵩み、赤字だったことが理由だ。

 企業が経営不振に陥ると、経営者が交替する。そして、新しい経営者は定石通りに不採算事業から撤退し、収益が望める事業に経営資源を集中させる。ファッション業界の場合、経営の立て直しに派遣されるのは、大企業ほど業界出身者ではないケースが増えて来ている。少しでも柵や温情、甘さが出ると、再建が進まないからだろう。

 しかし、やっていることは、教科書通りでしかない。目先の数字しか見ず、売れている商品でも最終赤字ならバッサリ切り捨てる。ドライに徹しないと、企業の経営は立て直せないからである。

 経営者として、親会社のルートに乗らない商品、マスマーケットで売れないデザイン、 高い収益が望めないブランドは、再建シナリオの俎上には乗せない判断からだろう。しかし、それに変わるブランドを構築し、売上げを伸ばしている経営者がいるかと言えば、まずいない。

 規模は小さくても、お客の心をつかんで販路とマーケットを開拓。出店先の評価を得ているのなら、経営者の一存で何とか残せないのかと、いつも思う。 今のファッション業界を見ると、似たような商品、安さだけの追求、能書きのみのブランディング等々。服好きにはどうでも良い商品ばかりだ。ならば、希少なブランドをもっと大きくしたり、違うマーケットを開拓したりすることも、再建の範疇に加えてもいいのではないか。

 ファッション企業の再建には、銀行やファンド、再生屋などから、実績をもつ経営者が送り込まれる。それに異論を唱えるつもりはない。ただ、多くはブランドや店舗のリストラばかりで、リプロダクトやリエンジニアリング、インキュベーションには踏み込まず、目立った経営改革が見えて来ない。

 この中に、「私がこのブランドをもっと大きく育てて見せる」と言える責任感と気概をもつ人がどれほどいるのだろうか。「いくらいい物を作ったところで、売れなければ意味がない」「売れたものがいい物なのだ」と、躊躇や保身ばかりが多過ぎやしないか。「責任は俺が取るから、どんどん新しい企画を出してほしい」と、部下のモチベーションをあげるような人はほとんどいない。

 ファッション企業の経営者に就任するなら、バランスシートを見るだけでなく、商品を見極めて可能性を見つけ出すことも必要ではないか。商品のどこに問題があるのか。企画やデザインか、素材か、縫製か、販売方法か。率先して現場目線まで下り、原点に切り込むべきではないか。それをやるか、やらないかは、服が好きか、否かで変わってくるのではないかと、筆者は思う。

 セブン&アイの内紛劇に話を戻すと、今年の年明け早々、イトーヨーカ堂の戸井社長が辞任したことが端緒になっている。鈴木会長は自身の大学の後輩である戸井氏に期待したが、結果を出せなかったことで、亀井元社長を復帰させた。スーパーの改革方針をいちばんわかっているからというのが理由のようだ。

 会長が方針を出し、実務は社長がやるのだから、それをわかった人間が経営に当たるのが一番なのだと。

 社内に人材が居ようがいまいが、人材を育てられようが育てられまいが、外部からスカウトされて来ようが、すべては結果次第。ならば、スーパーの商品をどこまで突き詰められるか。売上げ回復はお客が買うようになることが前提だから、そんな商品をどこまで提供できるかにかかっている。

 それができるのは、コンサルタントでもなければ、評論家でもない。この商品なら、お客さんは絶対買ってくれると、自信を持って言える経営者なのだ。ファッション業界はなおさらそうだろう。

 かつてファッション業界には、いろんな経営者がいた。成功したトップはバラエティに富んでいた。例えば、ある経営者は事業部の部長やマネージャーに対し、現場を任せ各自の能力を発揮させた。そして彼らの動きを掌握していた。組織内で信頼関係を構築し、権限を委譲して評価を公平かつ厳しくしたのである。

 ワールドやイトキンの例を出すまでもなく、大企業は組織が硬直化するため、新しいマーケットに対応できなくなる。当然、経営者は新ブランドや業態開発が必要なことはわかっているが、社内の古い体質や規定が足かせとなって中々挑戦できない。

 しかし、アウトロー的でバイタリティをもつ人が子会社の経営に当たると、本社にいるときとは違ってのびのびと仕事をするようになる。本社の保守的な考え方を批判する形で、ハングリーに何でもチャレンジする意欲を絶やさない。新しい体制を作り出し、プロジェクトを成功へと導いていくのである。

 経営者には野望を抱く人が多い。儲けたい。サクセスしたい。それに到達すると、もっとビッグビジネスをしたい、もっとカネ儲けがしたい人と、土地や建物に投資して自分の資産を守ろうとする人とに分かれていく。

 前者は企業は社会の公器だからと、社員教育や福祉にお金を使う。つまり、組織や会社の仕組み、合理化などに投資を惜しまないのだ。それが最終的に企業の利益を生むことにつながるケースもある。

 ファッションビジネスでは、ブランドごとに企画や販売手法、マーチャンダイジングが違ってくる。経営者はブランドをくまなく見ることはできないから、それぞれの部門担当に任さざるを得ない。

 しかし、担当者は自分に責任があるとなると、どうしても冒険ができず、無難な路線を歩んでいく。サラリーマンだからしょうがないと言ってしまえばそこまでだが、だからこそトップの責任で思いきったことをやらせることが必要になるのだ。「俺は服が好きだから、お前たちが好きなようにやれ。責任は俺がとる」と。 企業内起業家を育成する経営者とでもいうべきだろうか。

 ファッション業界はほとんど中小零細の企業が占めている。昔なら、中学を卒業して繊維問屋の丁稚奉公から結果を出してのし上がっていった人、営業からスタートし、どうしたら取引先が喜んでくれるかと自ら店頭で売って認められた人など、様々な立志伝の経営者がいた。

 独立して小さい会社を設立し、自分の営業力で5億円、10億円までは簡単に伸ばせる。だが、その先が中々続かない。システムやオペレーション、部下の教育などが追いついていないからだ。そこで、少しずつ仕組みを整えて会社をつくり、それぞれにリーダーを添えて軌道に乗せていく。俳優や監督の力量を見抜いて起用するプロデューサーのような人。それは企業が大きくないからこそできるのである。

 決して大きなパイは追わず、会社は小さくなければならない。一つの大ヒットブランドより、いくつかの小ヒットアイテムをもつ。いろんな業種を手掛けるが、安い原価に高い売値がつけられる業種に限定する。そしてお互いのリーダーを切磋琢磨させて競い合わせる。全盛期のビギグループを率いた大楠祐二社長がそうだったような気がする。

 他にも、山本耀司氏のようなクリエーター型。もてる創造力とカリスマ性で、部下を惹き付け、組織を引っ張っていくタイプだ。そのビジネスがいつまでも通用するかどうかは周知の通りだから、ここでは省略する。

 ファッションビジネス黎明期に多かった体力、知力に優れたエリートリーダー型。リスクを恐れず、新しいことにもどんどんチャレンジする。バイタリティがあって、成長力もある。しかし、孤独だ。時にはリスクを追うことも厭わず、鋭い洞察力や自信過剰なことから失敗もするが、大きな成功を手にすることもある。

 ただ、いつまでもトップ自ら行動するため、組織が構築できず部下も育って行かない。だから、孤高のリーダーとして数人のスタッフを引き連れ、ビジネスチャンスを求めて事業を展開する。ブローカーであったり、商社であったり。外食や雑貨の企画プロデュースであったり。会社を大きくするまでの下敷きを作るのがうまい経営者である。

 ざっと見ても、いろんなタイプの経営者がファッション業界を動かして来た。ちなみにセブン&アイの鈴木会長は、企業内起業家もしくはエリートリーダー型か。少なくともすべてに一旦は共通することは、いい商品を作っていい仕事をして、お客さんに喜んでもらおうということだろう。時代がそうだったから、それができたと言ってしまえばそこまでだが。

 しかし、どうせ売れないから、作っても仕方ない。ではなく、今こそ、いい物を作って売っていこうという経営者が必要ではないか。「俺は服が大好きだから首をかけて、経営に当たる」と言わしめる魅力ある経営者。そんな人たちが表にどんどん出てくれば、業界で働こうという若者も増えてくるのかもしれない。業界は再びそんな経営者の登場を待っている。



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売る側の都合で形骸化。

2016-04-06 07:19:17 | Weblog
 今回は「セレクトショップはどこへ向かっているのか?」について論じてみたい。この受けとして、一部では「セレクト商品の販売が落ち、オリジナル商品主力に変化してきた」と言われる。だが、筆者は「オリジナル商品主力」の時点で、「すでにセレクトショップじゃないんじゃないの」と、提議したい。


セレクトの定義とは何なのか

 そもそも、セレクトショップとはどんなものか。それが出現するまでの「ブティック」「品揃え専門店」「チェーン店」といった業態と、どう違うのか。その辺から再度、整理してみないと、定義もつかめず、提議も理解されないのかもしれない。

 筆者が30年近く執筆に携わってきたファッション業界誌では、 セレクトショップとは「編集型品揃え専門店」と、訳していたと記憶している。

 本来、専門店とは店のコンセプトを明確に定め、仕入れ商品によるエディトリアルやコーディネート提案で、個性を主張してきたはずだ。しかし、チェーンストア化で売上げ規模や効率を追うようになると、売れ筋ばかりを追求し、没個性に陥ってしまった。

 一方、大手のアパレルメーカーは激しいトレンド変化に対応するため、また卸先専門店の経営力の低下から、短サイクルで商品を生産し、自ら販売までコントロールする製造小売業(SPA)にシフトして行った。

 もっとも、バイイングパワーと販売力を持つ一部の有力専門店は、大手アパレルから商品を卸してもらえなくなったことで、その対策として仕入れを国内から海外に求めることで、生き残りを図っていった。

 こうした規模、効率の追求や同質化への反抗、国内アパレルに頼らず仕入れをワールワイドに求める発想転換などから生まれたのが、セレクトショップだったと思う。それらは真の品揃え専門店として、顧客の顔を見ながら一歩先のファッションを独自の感性で探し出し、絞り込まれたターゲットに対し、こだわりのある商品を選別、アソートメントし提案していった。

 じゃあ、どんなフォーマットがあるのかと言えば、まずFBに携わる多くの諸兄が知るところだ。また、「ブティック」と呼ばれた地域の高級専門店では上得意の顧客がいたため、インポートセレクトに転換したところもある。でも、メジャーになりにくいことから、全国的な知名度をもつところは多くない。

セレクトには5つのフォーマットがある

 厳密に分析すれば、セレクトショップには5つくらいのフォーマットがあると思う。まず、「欧米のコレクションブランドからバイヤーの目利きでバイイングし編集した業態」(フォーマット1)。パリのコレット、ニューヨークのオープニングセレモニーといったインターナショナルのセレクトショップがこれに当てはまる。

 次に「オリジナリティをもつ国内外の主にクリエーター系ブランドをセレクトした業態」(フォーマット2)。仕入れとは別に一部のコラボレーションやプライベートのブランドを持つことも特徴だ。2012年にクローズしたディエチェ・コルソ・コモ コム デ ギャルソン、現役ではパリのレクレールやマリア・ルイザなどだ。

 続いて「店舗でブランドのコーナーをストレートに見せる陳列スタイルの業態」(フォーマット3)。最近は少し変わって来たが、エストネーション、そしてストラスブルゴが代表的だろうか。さらに規模を拡大したストア業態では、バーニーズ ニューヨークがある。

 そして「仕入れ商品にショップオリジナルをミックスしたSPAセレクト業態」(フォーマット4)。日本でセレクトショップと言うと、まず最初にこれを思い浮かべるはずだ。小売り発ではビームス、ユナイテッド・アルーズ、アーバンリサーチ、メーカー発ではアクアガール、エポカ、アダム エ ロペが代表的だ。

 最後に「構成を雑貨や飲食まで広げたライフスタイル型業態」(フォーマット5)。米国の20Twelve、同じくロサンゼルスのロンハーマン、パリのメルシー、日本でもワールドのオペークは以前からあるが、最近はナノユニバースのザ オーク フロアなど、既存のショップからの派生が増えている。

 番外として、パリのギャラリーラファイエットが展開するル・ラボラトワール・クリエーターやル・ラボラトワール・リュクス、同じくボンマルシェ、日本では伊勢丹のTOKYO解放区、リ・スタイルなど百貨店が自主編集する売場を加えると、6つになる。

 意外だが、地方ではブティックやレディス専門店の二代目、三代目が100%仕入れで運営し軌道に乗せているし、独自でフォーマットを開発している地域一番店もある。

 店舗が自社の物件であるとか、数店規模に絞っているところなら、一人のバイヤーでもコントロールができて収益が上げられる。仕入れも商社やインポーターと一緒になってブランドを開拓したり、新進クリエーターのトランクショーなどから商品を見つけたりしている。それらもフォーマット1~3と5をミックスしたセレクトショップに該当する。


拡大でセレクトの意義が薄れる

 セレクトショップにブランド力がつけば、企業としては拡大路線を進む。いわゆる多店舗化である。 フォーマット4が歩んでいる路線だ。規模を拡大するには市場が大きく、パイがつかみやすいゾーン向けを増やしていった方が効率がいい。

 仕入れはメーカーの掛け率で、粗利益が決まってくる。また、インポートブランドはアパレル側が掛け率を決めるし、間に商社やインポーターが介在するとさらに掛け率が上がり、ショップ側の利益が薄くなる。つまり、儲けが少なくなるわけだ。

 しかも、ショップの顔として見せるブランドほど「お客の好き嫌いが激しい」から、消化率を悪化させる場合もある。どんなに優秀な=カリスマバイヤーでも高感度、高価格帯のブランドで、買い上げ率100%になる商品を仕入れることは不可能だ。

 だから、ショップとしては「確実に売れる」「売りやすい」「粗利益がとれる」といった商品も必要になり、オリジナル商品の企画にも走っていく。そこで「見せる部分」と「売っていく部分」のバランスが大事になってくる。

 見せる部分は高感度、高価格帯、クリーター系ブランド、インポートなどで、売っていくのは定番デザインや定番ブランド、値ごろ感のあるもの、利幅が大きいもの。定番的な売れ筋で、しかも粗利益を取ることを重視するなら、やはり仕入れよりオリジナルを作った方が確実だ。

 当然、オリジナルを作るにはある程度のロットが必要になるから、それを捌くルートが不可欠だ。結果として、多店舗化、多チャンネルシフトの中で、ショップMDのバランスは仕入れ4割、オリジナル6割とか、同3割、同7割とかになっている。

 また、オリジナルと言っても、小売りスタートのセレクトショップに商品企画のノウハウはない。だから、間にODMやODMの業者を介在させてオリジナル商品を企画していく。しかも、こうした業者を入れても自店は出来る限り粗利益を稼ぎたいから、当然、原価率は圧縮される。

 それが折からのアジア生産シフトとシンクロして、「中国生産」を当たり前にしていった。それでもセレクトショップとしてのロイヤルティ、最低限の商品クオリティは失われてはいないから、お客にとっては原産国はどこでも構わないということもはっきりしたのである。

 言い換えれば、こうしたお客の安心感が、日本の「SPAバイイングセレクト業態」を売る側の都合=粗利益が取れる業態へと変化させていったと言ってもいいだろう。この傾向はこれからもいっそう高まっていくと思う。

 根本的に言えるのは、オリジナル商品がどこまで増えていくかである。それがOEMでもODMでも業者から仕入れるのだから、セレクトの内だとのへ理屈は成り立つ。極論すれば、オリジナル99%、仕入れ1%でもセレクトショップと言えばそうかもしれない。


仕入れ、個性というコンセプト維持

 ここからは筆者独自の見解である。セレクトショップと呼ぶならやはり100%仕入れで、一部の別注オリジナルを含む程度が正解ではないかと思う。筆者はバイヤーが日本を含め世界中のアパレルや小物のメーカーを巡り、ショップコンセプトとターゲットに沿った商品を買い付け、編集して提案することが「セレクト」と考えるからである。

 店舗体制、売上げ目標に沿って、メーカーが企画したショップオリジナルやメーカーに依頼したオリジナルの中から吟味して買い付け、売場に並べるフォーマットなら、それはしまむらやフォーエバー21と何ら変わらない。でも、それらをセレクトショップとは呼ばないだろう。メディアを含めて、ご都合主義だ。

 ビジネス的に見ると、100%仕入れではお客の好き嫌いに左右され、消化率が悪く、粗利益が高くないなどのデメリットがある。でも、オリジナル商品が増え、ショップがSPA化すればするほど、セレクトショップのロイヤルティは失われていくような気がする。

 考えてみればセレクトショップとは、「店のコンセプトを明確に定め、仕入れ商品によるエディトリアルやコーディネート提案で個性を主張する」「顧客の顔を見ながらその一歩先を独自の感性で提案し、結果絞り込まれたターゲットに、こだわりのある商品を選別し、アソートメントしていく」「真のスペシャリティストア」のはずだ。

 それから外れれば、外れるほどセレクトショップ然とはしなくなる。現に駅ビルやファッションビルに溢れるSPAバイイングセレクト業態を見ると、どこもかしこも同じテイストのアイテムばかりで、逆にオリジナリティさえ感じない。

 アーバンリサーチのラシックなどスピンオフで毛色を変えて来ているところもある。ただ、総じて一歩先を独自の感性で提案すること、絞り込まれたターゲット、こだわり、キレのある上質な商品といったキーワードが店から見えづらくなっているも事実だ。

 SPAバイイングセレクト業態が限りなくSPAに近づくとどうなるか。結局、チェーン専門店が辿ったのと同じ轍を踏むような気がする。どこも売れ筋ばかりを追求していき、同じターゲット層のベクトルに合わせてしまうと、ODMやOEMの商品では差別化はされなくなっていく。

 本来、オリジナル商品はショップの個性を主張するためのものだが、粗利益をとるための売れ筋商品と化し、味が薄く面白みを無くしてしまっている。店舗規模も全国30店を超え、さらにネット通販まで増えると、それはセレクトショップではなく、売り上げ効率を追求した単なるチェーン店と変わらない。

 とすれば、人口減少の中でマーケットは縮小しているのだから、そんなショップが何店もいるわけがない。いずれどこかが撤退していかざるを得ないと思う。


個店も淘汰される時代に

 一方、フォーマット1から3にも、課題は山積する。まず、1~3に共通することでは、ターゲットのお金持ち顧客が年齢を重ねていけば、店には定着しなくなっていく。ファッションよりも他にお金をかける必要が生じるからだ。高齢層が多い日本ではこの傾向は顕著だ。

 現状でもインポートのラグジュアリーブランドを扱うと、エクスクルーシブやミニマムロットという取決めから、予算よりはるかに高い仕入れ額を要求されている。また、インポートは総じて掛け率が高いし、完全に買い取りである。プロパーで7割以上の消化率でないと、まず利益は出ていないだろう。

 かといって、インポートに代わる感度の国内ブランドがあるかと言えばそれもない。売れなければ、キャッシュが入って来ないわけだから、ますます資金繰りは苦しくなる。

 すでにインポートセレクトは大都市周辺で一定の富裕層がいないところでないと成り立たないと思う。日本は今後、高齢社会がますます進み、客離れが激しくなるわけだから、この業態がいちばん厳しいのではないかと思う。

 フォーマット2は、クリエーター系ブランドが安定供給されないという構造的な問題を抱えている。ショップ側が勢いがあるときは、次々と新ブランドを開拓できるからまだいい。ただ、あまりにクリエーターがころころ変わると、店のコンセプトとズレが生じてしまう。今後はこうした課題がジワリと響いていくだろう。

 特にクリエーター系ブランドを好むお客さんほど感性が鋭く、目が肥えている。商品では簡単に妥協しないし、財布の紐も堅くなっている。それをクリエーターとのコラボレーションで解決できればいいのだが、ロットの問題もあり、クリエーター側も譲れないだろうから、商品づくりは簡単でない。

 感度、生地、縫製のすべてでこだわりをもつ大人のお客をいかにクリエーターとともに捉まえていけるか。若者の服離れが激しいだけに、若者に訴えるようなテイスト、デザインのままでは、今後は顧客が定着せず、経営は立ち行かなくなると思う。

 フォーマット3は、現状でもそれほどブランドのアイテム数が豊富ないので、コーディネートする場合のタマ不足は否めない。というか、売れ残りのリスクを恐れて、どうしても絞り込んで仕入れている。表向きはセレクトを謳っているが、裏面では在庫を残すことで利益率が下がるのが怖いのである。

 また、提案力やVMDの点でもお客に対する訴求力を感じない。売り切れご免の商売では、ブランド好きのお客にとって、品切れの場合に他の商品になびくとは思えない。

 結局、つまり、ヒットアイテムが出ると、売り逃しも避けられず、逆に販売ロスを生んでいるのではないかと思う。セレクションもさることながら、他にも全く売りを感じないので、ストア規模でないショップは1に取り込まれていくか、淘汰されていくのではないかと思う。


セレクトではなくなっていく

 セレクトショップと言ってもビジネスである以上、市場ニーズに合わなければ必要とされなくなる。ショップのロイヤルティをもつところは、大なり小なり、都市地方を問わず、経営力次第で生き残ることはできるだろう。しかし、それがセレクトの概念かと言えば、必ずしもそうとは言えないと思う。

 特に大手セレクトの実態は「ショップブランドショップ(SPA)」となり、企画力をもつバイヤーを抱えているところは、その意思をダイレクトに反映させてオリジナリティを出しやすい「工場直発注系SPA」となって、差別化していくのではないか。

 つまり、大手ではセレクトショップという名前は完全に形骸化していくということだ。それでもSPAになれば、商品の味が薄く面白みを無くしていくのは避けられないから、どちらにしても生き残るところは限られる。

 逆に地方のセレクトショップは、自社の土地で家賃が不要、経営者が店長とバイヤーを兼ねるなどの条件付き=ローコスト経営なら、100%仕入れでも存続はできると思う。ただ、こちらも厳密にセレクトショップというカテゴリーで生き残るところは、限られてくるというのが筆者の見解である。

 大手は生き残りをかけてSPAに向っているが、それもこれからは頭打ちになっていく。中小はセレクトショップのフォーマットは残せるが、顧客の高齢化や服離れで生き残るところはこちらも少数派になる。生き残るためには、大手同様に商品やサービスのバリエーションを広げるなどの経営手法はとっていくはずだ。

 売る側の都合で真の意味とはほど遠く、形骸化してしまったセレクトショップ。周辺では「モノを売るな、体験を売れ」だの、「お客さまが欲しいのは体験」だのと、言われているが、じゃあそれでどれほどの売上げがあがるのか、損益分岐点をクリアしてペイするのか。

 筆者が知っている大手セレクトショップでカフェを担当していた人は、その後のポストは無く飼い殺しの状態と聞く。セレクトショップは小売業であって、文化事業ではない。売れなければ、多くのスタッフや業者が路頭に迷うし、これから潰れていくショップも枚挙に暇がないだろう。

 さらに現在では商品仕入れて売るという商業発生の時代から続く仕組みさえ変わっている。セレクトショップの行く末は、前途多難であることだけは確かである。
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