HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

赤帽網の先にあるのは?

2017-06-28 06:52:15 | Weblog
 アマゾンジャパンがついに独自の配送ネットワークの構築に動き始めた。注文当日に商品を届ける当日配送サービスを専門に手がける「個人運送事業者」、いわゆる赤帽さんを2020年までに首都圏で1万人確保するとのことだ。

 従来は大手宅配業者に委託していたが、佐川急便は「要求が高い割に対価は安い」と2013年に撤退。ヤマト運輸も昨年来、再配達やドライバー不足の問題が噴出したことで、撤退する方向で動いている。そのため、アマゾンはじめ大手通販事業者にとっては、配送業者をいかに確保するかが懸案事項となっていた。

 アマゾンジャパンは当面、大手運送会社の下請けとして繁忙期に業務が集中しがちな個人運送事業者に対し、「通年で平均的に仕事を出す」という餌で囲い込む構えのようだが、はたして思惑通りにいくのだろうか。配送についてはアスクルも東京、大阪エリアで自社比率を2割まで引き上げている。ヨドバシカメラも当日配送に注力しており、セブンイレブンもはセイノーHDと提携し、コンビニ商品の宅配に乗り出している。

 流通各社にとってはECが増えるにしたがって、配送事業者の確保がますます熾烈を極めていくわけで、アマゾンジャパンがネット通販と同様に配送インフラまで「制圧」できるとは、素人目にはとても思えないのである。

 アパレル業界でもECが伸びるにつれ、小売りを行う企業は猫も杓子も参入している。だが、経営者の多くが配送については外部委託で済ませれば良いという感覚のようで、インフラの疲弊、ドライバーの雇用環境など、それほど深刻に考えていなかったのではないか。さらにEC礼賛の方々も、ネットビジネスにおけるブランディングやマーケティング、サイトデザインでは持論をひけらかされているが、いたってアナログな物流、配送の課題ついては多くが踏み込んでいない。

 しかし、現状はアナログな問題の方が深刻なのだ。アマゾンジャパンが赤帽さんを囲い込むにしても、ネックは「配送料」だと思う。目下、アマゾンジャパンでの配送料金は「注文金額が2,000円に満たなくなった場合には、350円(税込)」「当日指定のお急ぎ便は514円(税込)」がかかる。アマゾンジャパンが発送する書籍及びアマゾンギフト券についての全商品と、アマゾンプレミア&スチューデントの両会員のみ無料だ。

 ただ、この料金がそっくりそのまま配送業者に支払われるわけではないだろう。佐川急便は要求が高い割に対価は安いと撤退したわけだし、ヤマト運輸も再配達が増えて料金的に厳しいから撤退の方向を示している。だから個人運送事業者にとっても、「荷物1個運んで配送単価がいくらになるのか」がいちばん気になるところだが、大手ですらコスト面で折り合わず撤退するのだから、赤帽さんが携わっても料金的にペイするとは思えない。だからと言って、アマゾンが配送料金を値上げするとも考えにくい。

 配送料の問題はさておいても、首都圏では人口を考えると注文は格段に多いだろうし、住宅が密集しているのでエリアごとに管理、ネットワーク化すれば配送効率も上がる。だから、個人宅配事業者を組織する中堅運送事業者や組合などを活用すれば、大手配送事業者の撤退をリカバーできなくはないとの狙いなのだ。

 しかし、問題は地方である。ECを利用するのは「探している商品」「今すぐ必要な商品」を売っている店舗が近隣にないことに加え、それらを買いに行くには都市部まで出かけないといけないなど不便だからである。言い換えると、利用者は広範囲のエリアに点在しているわけで、都市部ほど効率的な配送が実現するとは思えない。とびとびで配送するとなると、時間やガソリン代がかかることが予想され、赤帽さんがアマゾンの配送料の範囲内でペイさせるのは至難の業かもしれないのである。

 そうなると、地方における個人宅配業者の確保は、容易ではないと思う。ちなみに知り合いが個人事業の宅配ドライバーをしているので、この件について訊ねてみた。

 答えは「個人宅配事業者の確保はアマゾンが勝手にメディアを通じて言っているだけでは。まず(赤帽)組合が簡単に応じないと思う。そうなると、東京都内の23区と26市だけで1000台のトラックを確保することも難しくなる」

 「宅配に関する料金や再配達の問題は、大手が下請けに荷物を流し始めた20年ほど前から起こっている。宅配業界ではアマゾンよりもはるか前からの話。仮に首都圏である程度、赤帽が確保できても、地方になると料金的に合わないから、どの組合も乗る気じゃない」

 「アマゾンが自前で配送を行うと言っても、米国企業は所詮、外部に丸投げしかしない。抜本的な解決は未知数だ」だった。

 なるほどである。

 ただ、アマゾンのことだから当然、その辺の課題も想定の範囲内だろう。その証拠に本家は今月16日には米高級スーパーの「ホールフーズマーケットを買収する」ことを発表した。市場関係者は「アマゾンによる既存業界の破壊」と言及したが、筆者は米国でも配送の問題はネックなっているから、スーパーの買収はやはり配送を少しでも減らすための受取拠点の確保が狙いではないかと思う。

 ECが発達している米国では、ローカルでは日本よりはるかに配送エリアが広大だ。だから、ロードサイドや郊外のスーパーまで買い物に行ったついでに受け取ってくれれば、配送の手間が省ける。ドローンが利用可能になったところで、制空権を確保できるはずもなく、注文を捌くために無数のドローを飛ばすことなどどだい無理な話だからだ。アマゾンがそう考えても不思議ではない。

 もちろん、これがスーパー買収の第一の目的ではない。アマゾンはECによって川下の小売りデータをほぼ手中に収めつつある。「誰がいつ何をどれくらい買っている」というビックデータを川中にフィードバックすれば、小売りのMD、品揃えに反映することができる。つまり、できる限り余分な在庫を揃えなく言い訳だ。さらに小売りを飛び越えて、商品の製造者とお客が直接のネットワークを構築できるかもしれない。同社は米国の大量生産、大量消費という旧態依然としたビジネス遺伝子すら変えていこうというのではないか。

 翻って日本に置き換えると、どうだろう。まずは個人宅配事業者をネットワーク化して、「今、誰がどこで配送中」「誰なら商品を受け取れる」「このエリアには誰もいない」などの赤帽さんの配車システム、インフラを構築できるかもしれない。それは何もトラック便だけに止まらない。

 だいぶ前に日経MJが自転車便の「ティーサーブ」を特集していたが、嵩張らない商品や書籍などでは自転車便を大いに活用できると思う。軽いものをトラックに載せる必要はないからだ。さらにそれより大きくて重いものはバイク便、さらに軽トラ、トラック便と容量、重さによって使い分ければいい。アマゾンがそこまで踏み込んでいけば、日本の配送インフラを押さえてしまうかもしれないのだ。まあ、それにしても、配送料金が先に立つことは言うまでもないが。

 日本ではコンビニや駅のロッカーを受取拠点として拡充させるには、スペース的に限界がある。だから、それに変わるものとして流通各社が立て直しに窮しているGMSを再活用できるかもしれない。駅前などに立地していながら、郊外SCに押されてテナントが集まらないのなら、いっそうのことネット通販の受取拠点に貸し出してもいいのではないか。

 今のところ、アマゾンにその動きは無いが、ファッション通販では「色や素材」「サイズ感や着心地」「肌触り」が確認できないことから、購買に二の足を踏んでいるお客がいる点、さらに「返品リスクと再販不能」などの理由を考えると、ゾゾタウンなどが確実に商品を売り切るために乗り出すとも考えられる。

 もっとも、単なる受取拠点だけでなく、注文した商品について現物を確認したり、試着したりできる拠点に進化させるべきだろう。それが本当の意味でEC利用者のCS(カスタマーサティスファクション)になるのではないか。単にECやオムニチャンネルといったビジネス概論ではなく、製造から販売、配送までのフローに中でどんなシステム、ネットワークを構築できるか。高度にデジタル化したビジネスでは、アナログ的な課題の先に問題克服のヒントが見えてくるような気がする。
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ロウアーラインの安直さ。

2017-06-21 05:31:31 | Weblog
 ニューヨークでいちばん勉強になったことは何か。それはファッションやアート領域のクリエーションを商品として流通ルートに乗せ、市場を開拓していかにビジネスを拡大するか、である。一方で、NYでは新しい価値観や美意識、それに基づいたライフスタイルから、常に既存の常識を超えた生き方が出現する。そうした革新性をビジネスに取り入れたり、業態開発に生かさないと、ビジネスが成り立たないことも学んだ。

 ところが、インターネット社会の到来すると、洋の東西で多少の差こそあれ、ビジネスは急激な新陳代謝を繰り返していく。何億ドルもの売上げを誇ったブランドやストアですら、翌年には対前年比率で2ケタのダウンなんてこともある。イノベーターと言えど、ニューカマーが登場すると、たちまち古くさくなって相手にされなくなる。

 NY発祥のブランドほど、浮き沈みのレンジが非常に短くなっているし、数年先には世界中に伝播し、同じようになっていく。ブランド消費は景気の影響を受けやすいこともあるが、ITやデジタル機器に支配されるライフスタイルにより、なおさら浸食されているのだ。

 世界的知名度の高級ブランドだろうが、ストリートに出店する無名のショップだろうが、全米規模のチェーン店だろうが、オフプライスストアだろうが、すべてが同じファッションウォーズを展開し、弱者は淘汰されていく。ラルフ・ローレンの凋落ぶりは世界規模での売上げ不振が原因だが、まずNYにおける陳腐化がその最たるものだろう。



 FIT(ニューヨークファッション工科大学)で学び、デザイナーとして百貨店向けのレディスのウエアを売り出した「マイケル・コース」も、売上げ不振で今後2年間に100〜125店舗を閉鎖するという。筆者がNYを訪れ始めた80年代以降、ブルーミングデールズやサックスフィフスアベニューなどでは、インショップが堂々と誕生していた。

 90年代に入ると、マイケル・コースの売上げは1億ドル(100億円)規模に拡大し、その実績はヨーロッパにも伝わり、老舗メゾンがファッションコングロマリットに吸収される中、97年にはセリーヌでは初となるクリエイティブディレクターに就任する。米国人が欧州ラグジュアリーブランドのデザインに携わる傾向は、マークジェイコブスがルイ・ヴィトン、トム・フォードがグッチのディレクターに就くなど、この頃から潮流になっていった。

 同じ頃、ファッション専門学校の担当者から請われて「なぜ、英米系のデザイナーが老舗メゾンのデザイナーに就任するのか」というテーマで講義を行ったことがある。それまでのフランスやイタリアなどのデザイナーにはなかったマーケティングやマーチャンダイジングの知識をもち、クリエイティビティに加えコミュニケーション、ビジネスに長け、トータルでブランド戦略を組立てられる手腕を買われたこと。そして、老舗メゾンと言えどビジネスの軸に据えるのは、世界戦略と資金調達、株式上場、ブランドの被買収と巨大グループ傘下入り、活性化等々により、新しい感性を持ち込むことは避けて通れなくなったのである。


 
 マイケル・コースが特別に成功の道を歩んで来たわけではない。それより先にはカルバン・クラインやアン・クラインもNYでブランドビジネスを成功させている。筆者はそのサクセススタイルには共通したセオリーがあるとみる。フローは以下のようなものだ。

 ①レディスウエアをコレクションで発表し、百貨店の売場を確保する。

 ②ブランドバリュを上げて、メンズ、カジュアル(スポーツやジーンズ)を開発する。

 ③ブランドが浸透すると、セカンドライン、ディフュージョンラインにも進出する。

 ④バッグ、眼鏡、時計、アクセサリー、香水など、カテゴリーで販路を拡大する。

 こうして多くのお客がブランドを知り、自分の収入の範囲内で商品を購入できるようになることで、ブランド企業として収益は格段に増えていく。カルバン・クラインはCKカルバンクラインや雑貨、アンダーウエア、アン・クラインはアンクラインⅡまでを持ち、ブランドの知名度アップと収益拡大を実現させたのがそうだ。

 あのジョルジオ・アルマーニでさえ、1991年にはアルマーニ・ジーンズのディフュージョンライン、アルマーニ・エクスチェンジを「100ドル以下で買えるアルマーニ」をコンセプトにNYデビューさせたくらいだ。貧富の差が激しく、幅広い階層の中にあらゆる人種や民族が混在するNYゆえに求められたブランド戦略とも言えるだろう。

 ところが、カルバン・クラインは2000年代以降はブランドが陳腐化。企業自体が身売りし、デザイナーが交替するもテコ入れできず、昨年8月には今度は逆にベルギー人のラフ・シモンズがクリエイティブ・オフィサーに就任した。アン・クラインはデザイナー本人の死後、ダナ・キャランの運営会社がブランドを引き継いだものの、度重なるデザイナー交替で、ついにコレクションから撤退。今ではセカンドラインのみの販売というNYブランドとしての体を成していない。

 筆者は80年代にNYでカルバン・クラインジーンズやアン・クラインⅡの時計を購入している。当時はカジュアルや雑貨でもデザインや作りは秀逸で、デザイナーの感性やファーストラインの威光がしっかり及んでいた。

 ところが、ビジネスが拡大すればするほど、セカンドラインや雑貨などのロウアーラインでは、デザイナーのマネジメントや監修という体のいい言葉だけが強調され、本人は企画やデザインに携わることなく、黒子のスタッフやOEM業者任せ、商標権販売といった手法に流れていき、安直なもの作りしかしていないように感じられた。もちろん、筆者だけでなく、多くのお客が同じように感じ、ブランド離れを引き起こしたのではないだろうか。

 繊研新聞の報道によると、マイケル・コース社の年商は12年13億ドル、13年21億8200万ドル、14年33億1100万ドル、15年43億7100万ドル、16年は47億1200万ドルと順調に伸びたが、17年は44億9400万ドルと2億ドル以上減少する見通しで、18年度はさらに42億5000万ドルまで下降するとのことだ。

 不振の主な要因は以下になる。

 ①オンラインリセール(中古品販売)ビジネスの影響

 ②スマートウォッチの影響による時計の売り上げの減少

 ③ハンドバッグ市場が世界的に成熟し、成長が鈍化

 ④ラグジュアリーハンドバッグの競争の激化

 ⑤値下げが多い環境

 ⑥ドル高の影響


 ①はブランド品だから大枚をはたいて買ったけど、飽きが来ればネットオークションやユーズドサイトで売り捌くのが世界の潮流になった。当然、セコハンが売れると、プロパー市場が奪われていく。②時計はコンサバでエレガンスなデザイン。それがシンプル&機能性のスマートウォッチに食われるとは意外だが、スマホさえ持てば腕時計が要らないという時世をよく現している。

 ③④は確かにNYのブランドなら、影響は避けられないと思う。マイケル・コースにはルイ・ヴィトンやエルメスのような絶対的な意匠性はなく、売れる要素はシンプルでお洒落で買いやすい価格帯くらいだ。しかし、そこには競合ブランドがあまたあるし、ファストファッションの隆盛はバッグの世界でも凄まじい。ルイ・ヴィトンとてSupremeとコラボするくらいだから、トップブランドを脅かす前に自分が下級ブランドに攻められているということである。

 そして⑤は米国ブランドの特徴として大量生産、大量販売がある。売れなければセール、アウトレット、オフプライスストアとバーチカルな消化ルートで現金化する。売上げが伸びているときは良いが、安売りに頼る収益確保はブランドバリュを下げ、企業体力を消耗させる。⑥はドル高では海外製品の方が安く買えるので米国製品は競争力が落ち、海外生産をすればなおさら米国内の製造業者が疲弊する。




 個人的には、マイケル・コースのクリエイティビティは、セリーヌのディレクターの時がピークだったのではないかと思う。バッグや時計、眼鏡などブランドのカテゴリーを増やした時点でビジネスが重視され、クリエイティビティがおざなりにされたようにも感じる。商品のテイストはコンサバエレガンスで、価格も300ドル以下と手頃だ。バッグや財布ではそれほど余分な装飾が施されてない。時計はローズゴールドやピンクを基調に貴石をあしらったもので、こちらもエレガンステイストだ。しかし、アイテムは総じてデザイン的な特徴がそれほどない。

 ラグジュアリーブランドのシャネルやクリスチャン・ディオールをややモダンにした感覚だが、女性が好きなエレガンステイストは共通する。日本でもそれらが好きだけど手が出ない客層は、コーチやマイケルコースで妥協しているのではないか。というか、バックやウォレットのデザインについては、グッチの時代からの系譜とも言える。どちらが真似したかどうかはわからないが、時計ではセイコーも若い女性向けに似たデザインを売り出しているから、世界的なトレンドに乗った売れ線のデザインであるのは確かと思う。

 ただ、この客層は移ろいやすい。トレンドが変われば、ブランド離れも顕著だ。売上げ不振はそうした傾向も影響していると思うが、どこかで見たようなデザイン、テイスト、カラーに、自社のロゴマークを付けただけではやはり限界がある。時計の文字盤に大胆なMKのロゴをあしらったり、そのアイコンをチャームにしてバッグにつり下げる手法が本当にブランドデザインなのかは甚だ疑問である。MK自体はカルバン・クライン、アン・クラインがCKやAKでとった記号化と同じで、すっかり陳腐化した手法だからだ。

 結局、安直なもの作りをお客が見透かすようになり、他と同じようにブランド離れを引き起こしているのだ。NYブランドの凋落ぶりを見ると、ウエアのコレクションで知名度を上げ、カジュアル、バッグ、時計などに進出する戦略に対し、再考すべきことは間違いないと思う。カテゴリーを広げることは間違っていないが、ブランドの裾野を広げるためにロウアーラインを強化することは、もはや成功の方程式ではなくなっているのではないか。

 これはアルマーニエクスチェンジにも通じる。デビュー当初、SOHOの旗艦店でジャケットを100ドル程度で購入したが、色はサンドベージュ、ショルダーラインがナチュラルで、ジョルジオ・アルマーニの感性を見事に再現していた。一方で、胸ポケットをカットするなど低価格を実現するためのダウンスペック、ローコスト企画にも目を見張った。ところが、今はこちらもAXのロゴマークを強調するだけのヤンキー、いかもといクラブ系テイストに成り下がってしまっている。

 一方、グッチやコムデギャルソンは、拡大カテゴリーでもファーストラインのクオリティ、価格帯を堅持している。だから、ブランドバリュは落ちないし、一定の客層をしっかりつかんで放さない。NY、いや米国のファッション、ブランドにはそうした遺伝子はないようだ。トランプ大統領の発言なんかを見ても、ファッションビジネスに対するクリエイティビティの限界が垣間見える。まあ、そうした反省から新たなチャンスをつかむのが米国の良さでもあり、NYのスピリットでもあるのだが。

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誰かが作ると思ってた。

2017-06-14 05:13:14 | Weblog
 小売店ほどではないが、中小のアパレルメーカーでも、少なからずマネキン会社や空間デザイン業者のお世話になる。在庫をストックするハンガーラック、商品をプレゼンする什器をリースしたり、合同展示会を仕込んだりするからだ。

 単品ではアルス、七彩工芸、吉忠マネキン、合同展では乃村工藝社や丹青社が御用達だった。ただ、メーカーは小売店のように販売演出のVMDやVPにはそれほど関心がない。工場から上がって来た商品は目視で検品すれば、布帛はビニールカバーを付けたまま一時的にハンガーラックに架けておく。それらを取引先店舗からの注文に応じパッキン詰めにして発送するだけだ。

 しかし、ショップでは自社の商品が他社のアイテムと一緒にディスプレイされ、畳んで什器に展開されている。当然、商品を購入したお客さんはいろんなブランドとコーディネートする。だから、レディスの商品であれ、翌シーズンの企画のため「なぜ、商品化できなかったか」「バイヤーの反応が今イチだったか」の原因をチェックし、トップとボトムのバランス、配色、素材合わせなどの再考が欠かせない。そのため、筆者は中古の9号ボディ(トルソー)をマネキン屋さんから譲ってもらい、VOID商品やサンプルを自室でも眺めながら、考えていたこともある。

 そんな経験をしてきたので、今でも自服の収納は業務用ラックを使い、事務所での上着のハンギングも払下げのコーディネートスタンドを愛用している。事務所と言っても都市部のマンションだからスペースは限られるし、それでもなくても資料が増えていく。家賃負担はバカにならず、なるべく省スペースを心がけてはいるが、訪ねてくる人からはいつも「生活感がないよね」と言われる。そのため、オブジェ代わりにまたボディを置いてみようかと考えていた…。



 デザイナーのアトリエにあるような、ピン打ちできる芯地布のトルソーでは面白くない。海外通販を見渡すと、「fil métal」(金属線)を使ったものが目に止まったが、こちらはレディス向けでフェミニンだ。決断できないまま過ごしていた矢先、繊研PLUSに「マネキンを救え! 廃棄トルソーがスピーカーに」という記事が掲載されて、ハッとした。https://senken.co.jp/posts/mannequin-torso-speaker-kaon

 だいぶ前になるが、七彩工芸のスタッフと思いつきで、「トルソーがスピーカーなら、お店に置いてBGMを流せるから、一石二鳥じゃん」と話したことがあったからだ。当時、ショップのBGMは大半が有線放送だった。雑誌アンアンには有名ブランドのプレスルームやコレクションで流す楽曲の紹介コーナーがあり、取引先の中には昼間、夕方、セール時など、お客さんのテンションに合わせて、楽曲を編集したオリジナルテープを制作するこだわり派もいた。

 当時はアナログのステレオが全盛で、居抜きで借りているようなショップには天井にスピーカーが付いていた。BOSEのスピーカーなんかを備え付けているのはわずかで、コンポステレオのものを代用しているところも少なくなかった。中には観葉植物を置いて目立たないようにするなど、涙ぐましい努力をしているお店もあった。

 繊研PLUSの記事では、ブランディングチームThink・Cinq・Lab/シンク・シンク・ラボのアートディレクター、星野孝司氏が「破損や塗装のはがれ、型が古くなったなどの理由で数多くのマネキンが廃棄されている。廃棄にもコストや環境負荷がかかる。再利用して何か新しい提案ができないかと考え、廃棄マネキンをインテリアやエクステリアとして生まれ変わらせようとアイデアを練ってきた」という。



 古くなったトルソーを再活用し、ボディーに穴をあけてバイブレーションスピーカーを内蔵したようだ。外側は生地や革で覆うことで、ショップにも溶け込むようになっている。ボディのフォルムがそのまま生かせるので、お店に置けばオブジェ感覚のスピーカーになるわけだ。

 シンク・シンク・ラボは新しい循環型のライフスタイルを提案しており、これは「マネキンレスキュー」と題したプロジェクトだそうだ。トルソー型スピーカーは量産ではなくて受注販売されるというから、1点ものに近く個性派のショップには演出ツールとしても機能すると思う。かつてマネキン会社と思いつきで語っていたことが、かなりの時を経てカタチになったことが実にうれしい。

 振り返ると、ボディの形状を利用するアートは、昔から多くの芸術家が創作していた。初めてニューヨークを訪れた1980年ごろ、画家の篠原有司男氏のアトリエにおじゃました時、同氏の代名詞となったボクシングペインティングの流れから、ボディ風のオブジェにも触れることができた。今年は絵師、三戒堂水宝氏の福岡展でボディの前半分をカットしてキャンバスに貼付け、カラリングした立体アートを拝見した。水宝氏によると、ボディは東急ハンズで画材として購入できるという。

 美術大学ではトルソーのデッサンが必修になっている。そのフォルムはヌードサイズの原型であるだけでなく、中世、ルネッサンスから続く不変のビーナスラインには高い芸術性が宿っているということだろう。

 そこで、筆者もトルソー型のスピーカーを作れないかと思い始めた。ネットでピックアップしていた金属線のボディ「BUSTE FIL ACIER Buste de présentation en fil acier」を使用するもので、閃いたのは枠線の中にアクリル板を使った透明のスピーカーを内蔵するアイデアである。最近、趣味の家具づくりやインテリア制作がご無沙汰なので、一気に創作意欲が湧いて来たのだ。

 スピーカーのキットは、無線屋さんに行けば売っている。後はアクリル板を箱形に組立てて据え置けばいいし、それをボディーの下から入れて支柱に固定すればでき上がる。 胴体の奥行きに合わせると市販の小型しか入らないかもしれないが、それでも十分だ。まあ、頭の中で考えると簡単に作れるのだが、金属線の間から部品や部材を入れて組立てるとなると、まるでボトルシップ作りのように根気がいるかもしれない。まあ、それはぞれで楽しいのではないかと思う。

 これに自ら企画した服のサンプルを飾って、アートとして楽しむのもいいかもしれない。ただ、事務所でジャズをガンガンかけると、ご近所に迷惑だろうし、自室では家族からクレームが来る可能性はある。だから、ハイアーオクターブ系のヒーリングになるだろうか。それでも、ボリュームは絞らないと行けないだろう。事務所ではセールをやるわけではないから。

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試着なしは趨勢か。

2017-06-07 05:48:45 | Weblog
 福岡久留米発祥のシューズメーカー、月星。現在の社名は英語読みした「ムーンスター」に変更されている。月星と言えば70代以上は地下足袋、50代以上は学校の上履きの方が親しみがある。筆者が小学生の時、海外ドラマの影響から親にねだって買ってもらったのも、同社のハイカット(レースアップ)の“バッシュー”だった。

 母校の奈良屋小学校(現:博多小学校)の正門を出て数分歩くと、月星の営業所があった。事務所の硝子越しに飾ってあったシューズは、学校の帰りに他校の生徒までが見にくるほどの人気だった。

 当然、眺めると欲しくなる。営業所の人に「売ってよ」と告げると、「うちは小売りはやってないのよ」との答え。流通のことなど知らない小学生に理解できるはずもない。でも、あまりに子供たちが見に来るので業を煮やしたのか、年に数度、売り出しをやってくれたような記憶がある。

 中学時代にはロンドンブーツ影響から、レースアップを上げ底にしたものが、原宿を中心に出回っていた。くるぶしのところに付いたロゴマークが「べンチャー」っぽかったので、月星の特注品ではなかったかと思う。それから、大学に入るとナイキのコルテッツやトップサイダーのデッキシューズが流行ったこともあり、月星ブランドからは遠ざかっていた。

 昨今はセレクトショップがスニーカーの別注に力を入れていることから、ムーンスターも量販ルートに乗せないブランドを開発している。昨年、ネットで見かけた「シューズ ライク ポタリー」や「ライフ イズ ジャーニー」もそうだ。

 もっとも、実際に購入するとなると、サイズ感や履き心地は試着しないとわからない。だから、取扱い店を探すのだが、この検索が難しい。セレクトショップ向けの卸は、一部の個店に限られており、片っ端から連絡するも近隣では中々取扱店が見つからない。すると、コムデギャルソン福岡店が入るビルの2階にある雑貨店「ディアンドデパートメント フクオカ」が期間限定で展示するという情報を得た。

 早速、出かけていくと、そこにあったのはムーンスターでも、定番のローバスケットやデッキスポーツ、ジムクラシックだった。試着はでき、サイズ感はつかめたが、ライフ イズ ジャーニーは置いてなかった。結局、その時は購入を諦め、翌シーズンに期待することにした。

 2017年はどんなタイプが発売されるのか。春先からムーンスターのホームページをチェックし目にとまったのが、「ダイレクトインジェクション製法」の「RALY」だ。キャンバス地のアッパーに直接ソールが成形されたシンプルなデザインで、中敷きがなく足にしっかりフィットするという。愛用のアディダスよりやや横広で、日本人の足には馴染むと思うし、汗かきの筆者には足がグリップされるのがなりよりだ。

 ロゴマークなども一切入っておらず、一見、無印良品が作りそうにも思う。ただ、ムースターのホームページで「CHIC INJECTION」のタイトルの動画を見ると圧倒された。 http://moonstar-manufacturing.jp/chic-injection/ 人気のない工場でアルミ製の型を作るシーンから始まる映像からは、MADE IN KURUMEの高い技術力が伝わり、蘊蓄無しで製品を買う気にさせられる。

 ところが、これも取扱い店は近隣では見つからない。久留米市内のコンセプトギャラリーまで出かければ、サンプル試着ができるかもしれないが、それもかなり面倒だ。 手っ取り早く購入するには、ムーンスターのオンラインショップか、ゾゾタウンに出店するビームスのサイトになる。ムーンスターでは「返品は受け付けない」との決まり。結局、ビームスの実店舗を当たるも取扱いがなく、ゾゾタウンを選択するしかなかった。

 ゾゾタウンでは過去、何度か靴を注文している。しかし、サイズ表記やレビューを参考にしただけでは自分の足には合わず、止むなくすべて返品せざるを得なかった。今回もそのトラウマがあるので、購入にはかなり躊躇した。またアディダスで自分のジャストサイズに当たる26cmが、RALYでは完売していることも焦りを生んだ。

 まあ、そうそう好みのスニーカーには巡り会えないので、26cmが入荷と同時に25cmと2タイプを注文した。レビューに「通常は25cmを履いているが、今回は26cmの方がフィットした」と書かれていたので、なおさら惑わされてしまったのだ。サイズが0.5cm刻みではないので、それほど選択の幅はないが、届いて試着して見ると自分には25cmで良かった。

 同社では久々の購入、返品なので、改めて電話で要領を確認した。すると、担当者はきめ細かく商品の「状態」をたずねて来た。「商品に汚れはないか」「タグは付いているか」「箱は破れていないか」「付属品は無くしていないか」等々。以前はそこまで詳しく念押しされたことはなかった。

 言い換えると、ECの伸びと並行して返品も増え、お客の中には「商品をぞんざいに扱っている」ケースが増えているのではないか。メーカーならECにおいて、ある程度の返品ロスは織り込み済みだろう。でも、小売り業者は商品が売れることなく返品され、なおかつ再販できないのなら、収益にもろ響いてくる。

 これから夏にかけて素肌に着ける商品は、汗染みが付かないとも限らない。外履きのスニーカーではフットカバーを付けるにしても、試着するのにわざわざ新品や洗濯したそれに履き替えるお客はいないだろう。店舗でも履いている靴を脱いで試着するから、自宅に届いた商品に対しても同じはずだ。しかし、足の臭いには個人差があるし、通販では店の様にスタッフが接客対応をしない。当然、返品された状態もケースバイケースだと思う。

 筆者はRALYを2足注文する時点で1足は返品する前提だった。だから、届いたその日にサイズを確認するつもりで、新しいソックスを履いて試着した。そして、事務所のフローリングの上に敷いた洗濯したてのバスタオルの上で試し履きした。担当者にも返品商品に「瑕疵がない」ことを自信を持って告げた。返送には運送事故のリスクを考え、履歴がわかるゆうパックで使ったので、送料が1300円近くかかったが、これも最初から覚悟の上だ。ただ、ここまでやるのは、何度もできることではない。

 ECで販売される国内ブランドは、せめて店舗でも試着ができないかと思うが、ブランドの中には店舗商品=EC商品ではないケースも多々ある。店舗商品の方が気に入れば、接客を受けたり、試着して購入するかを決めればいいが、EC商品を購入したい場合、店舗では取り扱っていないというのがいちばん困る。まあ、返品すればいいのだろうが、いろんな規定もあるし、発送の手間や輸送事故などのリスクもある。

 店舗によってはネットで注文し、店舗で受け取るような仕組みを整えているところもあるが、それは店舗とECの商品がほぼ共通だから、メリットはそれほど感じない。ここまで来ると、ECビジネスはお客の側に主導権を渡さないよう購買に誘う戦略なのかとさえ思えてくる。

 アパレルや小売り各社の決算発表をみると、一様に昨年対比では店舗売上げが鈍化またはマイナスで、ECは伸びている。分母が違うので一概には比較はできないが、実店舗での接客や試着をカバーする仕組みが完全にECビジネスを支えているのは、確かだろう。

 もはや、お客が現物を試着をしないで購入するのは、すっかりトレンドとして定着したようだ。業績が絶好調なメルカリの経営者に言わせると、「お客は1万円のドレスを購入しても5000円で売れれば、半額でシェアした感覚になる」のだとか。だから、返品が面倒なら、しばらく身につけて「売ればいい」という意識なのだろう。

 しかし、靴は難しい。足の形は人種や民族で異なる。大きく分けてエジプト型、ギリシャ型、スクエア型と3種ある。エジプト型は母趾が一番長いタイプで、日本人の7〜8割がこのタイプだ。だから、先細の靴を履くと、外反母趾になりやすい。欧米人はギリシャ型で第2趾が一番長いタイプ。スクエア型は母趾と第2趾が同じくらいの長さだ。

 当然、革靴はもちろん、スニーカーもブランド母国の民族に合わせた木型で、作られているから、足に合う合わないは出てくる。それを考えると、日本人には日本のメーカーがいちばん合うはずだ。それに足には「ツボ」が集中しているから、なおさらフィットしない靴を履くと健康にも影響する。スニーカーはそこまでないにしても、足が滑ったり、靴擦れを起こすと、履くのを躊躇ってしまう。

 だから、購入時には試着が絶対に必要になる。EC先進国の米国でも靴の通販では30%が返品されるというから、試着しないことがいかに販売を難しくさせているのかとも言える。こうした問題をどう解決していくか。「合わなければ、ユーズドサイトで売ればいい」という効率重視のビジネス観だけで見過ごせるとは思えない。

 筆者は商品購入でも素材からインスピレーションし、スイッチが入る。直感で好きと感じた商品が試着できないと、買う気も削がれてしまう。数%しかいない層だからECのマーケットからは外れて当然なのだが、ECシステムだけで捉えられない=取り逃がしたところにもマーケットは出現するのではないか。ビジネスの趨勢、トレンドを捨てたところにも、新たなチャンスがあると思う。

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