HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

安く買えるなら、新品。

2024-09-11 06:32:40 | Weblog
 少し前の話だが、メルカリが2024年6月期連結決算を発表した。それによると、売上げ収益が前期比9%増の1874億円で、コア営業利益は同12.9%増の188億円、純利益も同3.1%増の134億円と過去最高を更新した。2018年以来初めて2期連続で黒字を確保したが、1進出から10年を経過した米国事業は苦しい状況にある。こちらの同期の営業損益は調整後で1700万ドル(25億円)の赤字。前期が4800万ドル(約70億円)の赤字だったから改善はしたものの、米国における流通総額は9億1300万ドルで前期から10%も減っている。

 メルカリも米国事業の不振に対し、手をこまねいていたわけではない。進出から3年目の2017年には、米Facebookの幹部を招き入れて経営をテコ入れ。新型コロナウィルス感染拡大による巣ごもり需要もあり、21年4~6月四半期には営業黒字を達成した。同年7月にはウーバーと組んで最短即日配送を全米で始めた。さらに23年10月にはロサンゼルスで対面取引を試験導入したが、収益をあげるには至らずむしろ苦戦を強いられている。

 一方、日本での事業は数値にも出ている通り好調だ。消費者は物価高による実質賃金の目減りから、生活防衛に追われている。そのため、趣味のカテゴリーでは、新品ではなくて良いという価値観が醸成され、それがリユース市場を活性化させた。さらに真贋を鑑定するアプリが開発されたことで、ブランドバッグなどを個人でも直接フリマに出品できるなど、マーケットプレイスにおける個人売買の環境が整備された。ただ、内閣府が発表した2024年4~6月期の実質国内総生産は、前期比で2四半期ぶりにプラスになったものの、南海トラフ地震などへの不安から今後は消費が萎縮する可能性は捨てきれない。

 値上がりする食品など生活必需品の節約も限界にきており、セーブするのはやはり趣味のカテゴリーに入るウォンツ商品になる。特に夫婦と子供2人の一般世帯が生活を守るには、衣、食、住のうちではまず先に「衣」がカットされる。男性向けのアイテムや子供服がそうだ。特に「子供はすぐにサイズが合わなくなるし、外で遊ぶと汚れやすいから、中古衣料は助かる」という意見を多く聞く。ただ、親がファッション性を意識して子供の体型にフィットしたものを着せると、成長が早い子がすぐに着れなくなるのは当然のことだ。



 昔は子供の成長を見越して大きめのサイズを着せていたし、兄弟姉妹、親戚、ご近所で衣類を引き継ぐ「お下がり」という慣習もあった。これは子供むけの衣料品の多くが丈夫で、それほどトレンドを意識していなかったのが理由と言えるが、今ではお下がりも学校の制服で一部利用されているに止まる。背景にはライフスタイルや価値観が変わったこと、子供のアイデンティの重視、周囲への気遣いを避けたいという心理がある。中古衣料のリユース市場が形成されたのは、生活防衛だけが理由ではないということだ。

 衣料品でもそうなのだから、それほど必需性のない趣味の用品はなおさら、中古でも良いというのは当たり前だろう。若年層ではメルカリのスマホアプリ(真贋の判定を含め)が使いやすいこともあり、流通総額が増えていったと言える。加えて価格なしの出品機能が提供され、購入希望者側が購入価格を提案して出品者がOKすれば、取引に移れるようになったことも大きい。メルカリは広島でヤクルトの宅配員に家庭の不用品回収を委託する実証実験を始めたが、アプリを使えない高齢者が気軽に出品、販売できる仕組みを確立できれば、さらに取り扱い額は増えていくのは間違いない。


景気が上向くと、新品購入が増える



 では、米国ではなぜメルカリは上手くいかないのか。あくまで私見だが、次のことが考えられる。まず中古品より安い低価格商品が豊富にあること。次に国土の大きさは物流手段やコスト増大に影響すること。そして、景気の下振れ懸念による消費の冷え込みである。

 米国の消費者はよく、5%の富裕層と95%の貧困層(最近では1%の超富裕層と99%の低所得者層とも)に分かれると言われる。だから、貧困層が購入するのは、相対的に低価格品になる。ディスカウントストアのウォルマートの売上げが堅調なのはそうだし、最近では中国の越境EC企業であるSheinやTemuが勢力を拡大しているのも、衣料や日用品が超低価格で購入できるからだ。確かに米国ではZ世代の環境意識が高く、リユースにも関心が高いと言われる。だが、大半の消費者は同様のカテゴリーの商品がメルカリで中古で10ドルだとして、SheinやTemuでは新品が5~6ドルなら、後者を選ぶのではないか。

 先日、シーインはテムが知的財産権の侵害したと提訴したが、当のシーインも他の小売業者から同様の申し立てを受けている。シーインが主張するのは、テムの従業員がシーインの売れ筋商品を特定する企業秘密を盗み、テムはそのコピー商品を販売するよう同社のプラットフォームを利用する販売業者に指示したとか。まさに安売り業者同士が乱立する米国市場で、泥仕合に発展する様相だ。他にも中国の縫製工場で作業員がほぼ毎日12時間働いている疑いや人権弾圧が指摘される中国新疆ウイグル自治区の綿を使った商品を米国に輸出していたなど、超低価格の背景には様々な問題が見え隠れする。

 ファーストリテイリングもシーインのラインドミニショルダーバッグのデザインがユニクロの商品と酷似し、不正競争防止法に違反していると訴えた。これらの提訴について司法の判断が下ったところで、低価格品を求める米国市場では別の業者が出てくると思われるので、イタチごっこになるのではないだろうか。メルカリなど全く蚊帳の外と言える状況だ。



 国土の広さは物流手段に影響するし、運賃にも跳ね返る。ジェトロの調査(2017年)によると、米国の輸送活動量を距離(マイル)と重量(トン)を掛け合わせたトンマイルで比較すると、トラックが42.6%、鉄道が26.5%、トラックと鉄道のマルチモードが14.2%となっている。航空輸送は重量当たりで高額な貨物の輸送に使われることが多い。メルカリに出品される商品の配送もトラック輸送が一番使われるわけで、当然国土が広大な米国では時間がかかる。別表のように東海岸北部のワシントン州からフロリダ半島の南端まではトラック便オンリーなら7日。輸送時間や積み替えの手間はコスト増の要因となり、運賃も嵩むことになる。




 中古品でも高級時計やブランドのバッグやスニーカー、レアなキャラクターグッズなどは、多少の運賃がかかっても手に入れたい。それはe-Bayの人気を見てもわかる。また、中古の書籍はamazonの価格体系があるので、購入しやすい。ただ、メルカリの商品は価格に送料がプラスされるか、着払いになる。買い手がそれを割高だと思えば、安い新品を購入した方が得だとなる。前出のように米国では低価格商品はいくらでもあるからだ。メルカリの送料は買い手がどこに住んでいても一律なのだが、配送コストは距離によって違ってくるわけだから、応分はメルカリが負担しているのではないか。商品価格が割安なのにコスト高ければ損益分岐点が高止まる。全米を一つにした取引構造は、メルカリにとって厳しいのかもしれない。

 景気の下振れ懸念も影響する。米国の景気は、新型コロナウィルス感染拡大で一時的に揺らいだものの、2021年4~6月期にはGDPはコロナ以前に回復した。21年全体を見ても実質GDP成長率は前年比で+5.7%と回復の高さを示している。22年も急速に進んだインフレや金利の上昇に関わらず、GDP成長率は前年比+2.1%と堅調だった。個人消費が順調に伸びたことが経済成長につながったのだ。しかし、米国経済の行方は99%の低所得者層が握っており、そこでは常に不安がつきまとう。雇用者数や失業率の悪化がついて回るからだ。

 個人消費によって小売業が堅調さを維持しても、それは安売りセールが下支えしている部分が大きい。「宿泊先のホテルのグレードを下げる」「パソコンやテレビは低価格品を選ぶ」「高級酒が売れなくなった」。いろんな企業が感じている市場動向の変化は、低価価格志向で共通する。ここ数年、高いインフレが続いたことで、生活コストを賄いきれなくなった低所得者層は、生活の質を一つも二つも下げないと暮らしていけなくなっている。日々の暮らしに余裕がなくなれば、メルカリで売買されるような趣味の商品にはなかなか手が出しにくい。

 メルカリは24年3月末に「買い手が商品到着後3日以内に申請すれば、理由を問わず返品できる」とするテコ入れ策を導入した。ところが、売り手がとても納得できないような返品が相次いだという。中古品のネット画像だけお見て衝動に駆られ、ポチッてしまうECの弊害が出たとも言える。メルカリ側はサービスを向上させれば、取引は増えると算段したのかもしれないが、それ以上に返品が増えたことで思惑が外れた格好だ。

 高級ブランドやレアなグッズならともかく、どこにでもあるような商品の中古では衝動買いしても返品という逃げ道があれば、「気に入らなければ、返せばいい」という前提で購入する消費者は少なくない。何も米国が特別というわけではなく、それが消費者なのだ。メルカリ側もこうした心理は読んでいたと思うが、想定上に返品が多かったところは計算違いだったのではないか。結果的にわずか2ヶ月弱で、理由を問わない返品サービスを取りやめている。さらに6月には米国法人の社員の半数弱をレイオフした。営業損益が4800万ドルの赤字から1700万ドルの赤字に減ったとは言え、投資家からすればまだまだ手ぬるいとの見方だろう。

 8月には米国のメルカリから日本のメルカリで出品されている商品も購入できるようにしたが、それも商品次第になる。ポケモンなど米国でも人気がある日本のキャラクターグッズがどこまで豊富に出品されるか。ただ、売り手側は中古品でも価値があると思えば、メルカリよりもオークション機能があるe-Bayを選ぶだろうから、日本での出品商品が米国内で購入できたところで、抜本的な不振脱却には繋がらないのではないかと思う。

 米国事業の行先はやはり11月の大統領選挙次第になる。共和党のトランプ氏が返り咲いても、民主党のハリス氏が女性初を手にしても、FRBの政策金利の利下げに目を光らせながら、米国経済をいかに底上げし、低所得者層の賃上げまで踏み込む政策を打ち出せるか。トランプ氏が大統領になると、中国の越境ECを締め出すかもしれないという話も聞こえてくる。一方で、米国の景気が上向いて個人消費が旺盛になると、なおさら新品購入が増えていくかもしれない。メルカリにとって非常に難しい舵取りを強いられるということだ。
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DNAは引き継がれる。

2024-09-04 06:30:15 | Weblog
 デザイナーズブランド「ヨシエイナバ」が2024年秋冬シーズンで終了する。創立は1981年だから43年という長い歴史に幕を閉じることになる。

 ヨシエイナバは、1970年7月に誕生したデザイナーズブランド「ビギ」が2年目から破竹の勢いで売れ始める中、創業メンバーの一人で、代表の大楠祐二氏が派生ブランドを次々と増やし独り立ちさせる戦略から生まれた。最初は1973年のメルローズ。ビギのニット部門からの独立だった。次いで77年にアクセサリーのクシュカ、78年にはカジュアル色の強いディーグレースやマドモアゼルノンノなどを傘下にもつBBKK、82年にはピンクハウスを独立させ、次々と別会社が誕生した。ビギグループ躍進の原動力を支えた分社経営とも言える。

 ところが、誕生から5年目の1975年には状況が一変する。ビギの創業以来、デザインに携わってきた菊池武夫氏が妻である稲葉佳枝氏(その後、賀恵に改名)との夫婦生活に終止符を打ち、別居。同年10月、菊池氏はビギを退社し(株)メンズビギを設立した。だが、大楠代表は確信していた。「デザイナーが思い通りに作った服が売れるわけがない。ビギが売れたのは、俺が売場やお客の声を集めてマーチャンダイジングをやり、菊池がデザインを修正したからだ。失敗して必ず戻ってくるさ」。読みはズバリ的中。菊池氏はブランド事業に失敗し、1980年にはビギに復帰。メンズビギはビギグループの傘下となった。



 一方、大楠氏は素早く動いた。菊池氏に去られたその月に、稲葉氏をチーフデザイナーに起用して体制の立て直しを図った。アパレルだけではない。東京・青山にフランス料理のル・ポアソンルージュを開店した。「次はいつ稲葉に去られるかわからない。デザイナーの知名度に頼りきったビジネスほどリスクがあるものはない」。大楠氏には常にそうした危惧があった。だからこそ、ビギの設立から3年目でメルローズを独立させ、菊池氏が去った後も別会社を次々と設立してブランドを増やしていたのだ。

 (株)ビギ傘下には以下のようなブランドが名を連ねた。「ビギ」「モガ」「ジャストビギ」、そしてヨシエイナバである。文字通り、ヨシエイナバにはビギ、モガのデザインに携わった稲葉氏の服づくりのスタンスが細部にわたって浸透した。さらにヨシエイナバは既製服にはない手作りの1点ものに近い技術や品質をもとに最高のウエアを提案することを追求した。1981年といえば、デザイナーズブランドが最盛期に入ろうとした時期。にも関わらず、ヨシエイナバはクリエイティビティよりもクオリティを追求したのである。

 それがどんな意味を持つのか。当時の洋服好きは「お洒落でカッコ良い服が着たい」とデザイナーズブランドを購入していた。しかし、そんな洋服好きも歳を取るごとに成熟し、「いい服を着続けたい」に変わっていく。ヨシエイナバが誕生した時、稲葉氏は42歳。デザイナーとして十分な経験を積み、服づくりでは油が乗っていた時期だ。にも関わらず、手作りの1点ものに近い技術や品質を重視したのは、自身のスタンスである「私はデザイナーではなく洋服屋。モードを意識しても、アブストラクトな服は作らない」からだったと思う。当然、自分の服を愛してくれるファンがやがて成熟することも想定していたのではないか。

 もちろん、稲葉氏は夫だった菊池氏とは違い、ビギという会社に籍を置いて仕事を続けた。もし独立すれば、経営にもタッチしスタッフや取引先のことまで考えなければならない。ならば、ビギにいた方が服づくりだけに邁進することができるわけだ。それを特別に意識した訳ではないだろうが、大楠代表が持論とした「服は作りすぎても少なすぎてもダメ。感覚は新し過ぎてもいけない。一歩先より半歩先だ」というマーチャンダイジング重視の経営方針とシンクロした部分はあったと思う。


加齢を味方につけた服づくり



 稲葉氏は、ヨシエイナバを終了する理由について、「満足のいくパフォーマンスが望めないことも出て参りました」と、語っている。これほど長きにわたって続いてきたブランドだから、社内には後継のデザイナーを立て今後も存続させていいのではとの意見もあったはずだ。だが、稲葉氏は「ヨシエイナバは自分が携わってこそ、ブランドとしての体を成す」との思いが強かったのかもしれない。だから、あっさりと身を引く決断ができたと思う。

 もっとも、体調面では以前にも変化を感じている。「60代の半ば頃から、色が見分けにくくなりました」。会社に染色部屋まで造り、自分で染めて色の出具合を確認していたにもかかわらずにだ。長年の経験からこの色とこの色が合うと組みわせても、違和感ができてきた。自然光に晒したり、照明を変えたりして、ようやく決めるという状態だった。原因はやはり加齢による目の衰えにあった。

 70歳になる直前、知人から白内障治療の専門医を紹介され受診したところ、水晶体の中心部が硬くなる核白内障と水晶体の後ろが濁る後嚢下白内障が併発していた。医者からも「微妙な色の違いがわかりにくかったでしょう」と言われたとか。そのまま放置して症状が進行すれば、デザイナーとしての生命を奪われるかもしれない。幸い、処置が早かったことで、両眼の水晶体を取り除き眼内レンズを移植する手術を受けることができた。術後は色もクリアに見えるようになり、視力も0.8から1.2に回復したという。

 人間は加齢により、目の異状を感じることが少なくない。特にデザイン関連の仕事をしていると、色が見分けにくくなる人も多いようだ。知り合いのグラフィックデザイナーもそうだった。一方、服を着てもらう顧客は、加齢に伴って髪の毛の色や肌の色艶が変化するので、似合う色が変わっていく。ここがブランドビジネスとして、一番悩ましいところだ。マインドエージを頑なに守ってデザインをしていると、コアなファン客は歳を取っているのだから自分に似合う色がないと、ブランド離れを引き起こしてしまうこともある。



 ヨシエイナバが43年もの長期にわたってブランドを維持できたのは、コアな客層に合わせて色やデザインをうまく微調整してきたからだ。これは簡単なようで実に難しい作業になる。そこには稲葉氏が直接デザインに携わり、それを後身のスタッフに委ねても自らディレクションに携わる中で、経験則や売上げデータをもとに決めてきたと思う。80歳を超えてもアトリエ作業の合間には必ず店頭に立って、顧客との会話も惜しまない。だから、身体にそいつつも、さりげなく体型をカバーし、ずっと着られる仕立ての良い服を作ることができる。ほんの一瞬だけでなく、変に目立つこともせず、シックで落ち着いた色合いがヨシエイナバの真骨頂でもあった。

 稲葉氏は、あくまでヨシエイナバを着てくれる人が着ていて心地よくいられることを重視した。それを学んだのは専門学校時代に遡る。原のぶ子アカデミー(現在の青山ファッションカレッジ」での経験からだ。前にも書いたが1960年代前半は既成服はそれほど出回っておらず、少し違ったデザインにするには作るしかなかった。原氏は戦前にパリにわたり、本場のオートクチュール(高級注文服)の技術を学んでいた。学校ではクリスチャン・ディオールの美しい人台を揃えていた。それが稲葉氏が学ぶ理由にもなった。
  
 入学直後の1ヶ月は床に落ちた仮縫用のピンを拾うことのみだった。それによりピンがどういうものかを覚えることができた。糸抜きも重要な学びとなった。ツィードからシフォンまで50cm四方の生地から横糸や縦糸を抜き、再び針で糸を入れる。まっすぐ抜くのも難しいし、よりがかかっている糸もある。そんな地道な学習によって布というものが理解できた。布目がよれたまま裁断したり、生地の特性を分からないまま縫製すると、予期せぬシルエットになってしまう。しかし、生地がどのように畝り、歪むかを知った上でなら、それをデザインに活かすこともできるのだ。そうしたノウハウがビギの服づくりにも表れている。

 一世を風靡したデザイナーズブランドも1990年代に入ると凋落した。ビギもブランド名は残ったものの、往時とは似ても似つかない低価格・量産の産物に堕してしまった。2019年には三井物産がビギホールディングスの株式33.4%を取得し、24年6月には残りの株式66.6%も取得して完全子会社化した。これについて、ファッションライターを自称されたあるお方は「DCブランドブームという名残さえ消えたと感じた話」と論評されていた。俄か景気が萎んでいくのは当たり前だが、ビギから派生したwb(ダブルビー)やDÉPAREILLÉ(デパリエ)は顧客をつかみ、売上げも積んでいる。デザイナーズブランドが消え失せることはないのだ。



 しかも、商社がブランドを買収したところで、彼らはアパレルのプロではない。せいぜい経営者を送り込んで量販体制を整えるか、ODMの会社を噛ませてブランドの体裁を取るのが精一杯だ。商売としてはユニクロを支えているのと同じで、1点あたりのマージンは低くても数が売れれば、儲けものとしか考えていない。商社のアパレルビジネスなんて所詮、そんな程度だ。ビギはブームが去って身売りしたが、その遺伝子を引き継いだDÉPAREILLÉ は、新たなクリエーションとクオリティを創出し、デザイナーズブランドを牽引している。そうした動きのリーダー的存在だったのがヨシエイナバと言っても過言ではないだろう。




 会社は異なるが、beautifulpeople(ビューティフルピープル)やpasdecalais(パドカレ)、marcourt(マーコート)やplainpeople(プレインピープル)は、大人の洋服好きに愛されている派生系デザイナーズブランドだ。これらに共通するのは量販アパレルはもちろん、百貨店系の大手アパレルにも出せない生地の色合いや質感、そして個性的なデザインだ。小物やアクセサリー、テーブルウェアなどを組み合わせたライフスタイル提案も上手い。数を売ろうとしない分、コストがかかって価格は割高になるが、他にはない世界観がファンを惹きつけていく。いい服を着たいお客にとっては、選びたくなるブランドと言える。



 メンズでも、2022年にはアダストリアの子会社で、CURENSOLOGY(カレンソロジー)、CHAOS(カオス)といったレディスブランドを運営するエレメントルールがHUM VENT(ヒューベント)をスタートさせた。ブランドは23年シーズンで一旦終了したものの、(株)ブルーレーンがHUM VENTブランドの商標権を取得。(株)ヒューベントを設立し、24年8月よりブランド事業を再開した。アメカジが主流のメンズに飽きたりない一定のニーズは底堅いと見たのだろう。商品のラインナップを見ると、デザインはもちろん、色や質感と洋服好きの男性に響くものがある。

 ヨシエイナバが43年もの長きにわたって存続したのは、適度なクリエイティビティをキープしながら、クオリティに主眼を置いたからだ。そこにデザイナーズブランド存続のヒントがあるように感じる。ブームは去っても、デザイナーズブランドのDNAは誰かが引き継いでいくのである。

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