HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

お洒落に釣られそう。

2018-04-25 05:12:55 | Weblog
 スポーツ&アウトドアのメーカーがそのノウハウでを生かし、繊維メーカーと共同で開発した素材を使用してアパレルを開発するケースは少なくない。

 アディダスとスポンサー契約を結ぶサッカー日本代表のユニフォームは、その代表例だろう。これまでアジア予選の会場が高温多湿だったため、裏地にメッシュを使った二重構造が採用され、徹底的な軽量化が図られたケースがあった。

 また、軽さや吸汗速乾性、動きやすさなど、快適さを重視したフォーモーション、筋肉を固定し正しい姿勢を維持することによって運動能力を引き出すテックフィット。この2タイプは選手が自分のポジションに応じて選択できるなど、ウエアはビッグイベントを迎えるごとに進化を続けてきた。

 ただ、スポーツ系アパレル全体で見れば、こうした高機能ウエアは競技としてスポーツに取り組む人向けになる。いわゆるプロのアスリート仕様だから、一般のスポーツ愛好家にそこまでのニーズはなく、どうしてもメジャー、マスにはなりにくい。

 むしろ、成長を遂げているのはパーソナルスポーツ&レジャー(アウトドアやアクションスポーツ含む)のカテゴリーだ。人々の健康志向を背景にライフスタイルの中にスポーツが取り組まれ、気軽に楽しむウォーキングやハイキングなどのアウトドア関連まで含めると、ユーザーの裾野は確実に広がっている。

 欧米では高機能なアウトドアウエアがタウンカジュアルとして浸透しているが、日本ではやはり難しい。メジャー化するには、街着としてのファッション性も不可欠だ。それがユーザーをつかみ、市場を広げる条件になるのは間違いない。

 国内ではデザントやゴールドウィンが「アスレジャー」(ストレスフリー=快適性を追及したファッション)で市場を開拓しようとしている。ユニクロも言葉こそ出さないが、プロテックパーカーやスウェットの上下などはこのカテゴリーに該当し、価格の手頃さや着やすさからスポーツ愛好家にも兼用されているのではないか。

 ただ、アスレジャーと言っても、目新しい言葉が好きなファッション業界が流布しているに過ぎず、明確な市場は押さえきれていないと思う。まして、スポーティーなカジュアルファッションと言えば、あまりに広範過ぎてマーケットリーダーと言えるプレーヤーが存在するはずもない。欧米のスポーツメーカーでも派生ブランドを売り出しているが、それでも市場確保は限定的だ。



 だからこそ、スポーツ&アウトドア系のメーカーがパーソナルスポーツ&レジャーの市場を攻略するには、持前のノウハウを生かしコストパフォーマスが高く、タウンカジュアルとの併用を求める層にアプローチしなければならない。そのためにはマーケティングをしっかり行い、ターゲットを絞り込りこむこと。まずはインパクトのある商品を開発し、狭い市場でもピンポイントで押さえるのが先決になる。ブランドバリュを上げていくのはその後でいいと思う。

 そんなことを考えていると、筆者のもとにSNSを通じて以下の記事が配信されてきた。
http://www.houyhnhnm.jp/news/155927/
http://www.houyhnhnm.jp/news/157427/


 2009年にグローブライドに社名変更した釣り具メーカーの「ダイワ」。同社がその歴史の中で培った高機能素材を織り交ぜ、ファッション的なアプローチで立ち上げたのが新ブランド「ディーベック(D-VEC)」だ。昨年のデビュー時は、釣りにも着用できるアウトドア系のジャケットやフーディーが主流だった。そのため、筆者もそれほど注視はしなかったが、スポンサーのロゴマークがやたら目立つフィッシングウエアとは、明らかに一線を画するデザインは、秀逸で新鮮に見えた。

 ところが、配信されてきた今シーズンの商品は、よりタウンカジュアルの色彩が濃く、レディスではリゾートウエアにもなりそうなドレスも登場している。それらの商品を見ると、企画段階からじっくり時間をかけて内容を詰め、商品化にこぎ着けたのが窺える。



 例えば、ワイドパンツ。フルレングスで張り感のあるシャンブレー素材を使用し、かつ通気性の良いドライ仕様で、撥水機能も付いている。また、フーディーはありがちな既製パターンを崩し、着丈は短めでドローストリングスで着こなしが変えられる。表地の幾何学模様ではパターンにブレやボケを生かすアヴェドンフォーカス技法を用い、大胆でグラフィカルな柄を描き出している。

 ショーツの一つは、異なる複数の縫製パターンを使った3Dニットを採用。人体の形や可動域に合わせた縫い方をしているため体に動きが加わった時、こすれたり引っかかったりすることなく軽やかに動けるのが特徴という。ショーツにそこまでの機能性は必要ないと思うが、同素材でメンズのジップブルゾンやパンツがあることから、こちらならアウトドアで活躍するのは間違いない。



 筆者が最も注目するのは、アンブレラクロスのアイテムだ。昨年、原宿のキャットストリートに旗艦店がオープンした時、このコートがメーンで打ち出されていた。文字どおり、傘を着るような撥水素材で、要所には湿気を逃がすベンチレーションを採用している。これなら蒸し暑い梅雨のシーズンには最適と思う。しかも、生地は光沢があって、油絵画家による海をモチーフにしたデザインをオリジナルのジャカードで織り込んでいる。

 微に入り細に渡って企画やデザインに注力しただけでなく、釣り具ブランド「DAIWA」のアイデンティティまで表現した点は見事だ。企画には特定のデザイナーを起用せず、国内ブランド含むスタッフ数名のデザインチームが担当しているそうだが、ここまで作り込めるのは凄いのひと言に尽きる。ライセンス契約を解除されたことで、別の海外ブランドを単に百貨店向けに焼き直した某アパレルのコートとは大違いである。

 今シーズンはドレスも企画されている。アンブレラクロスのコートと同素材で、それよりもジャカード織りの柄が際立つ。Vネックのオールインワンスタイルにドローストリングスが施され、ウエストマークは自在だ。おそらくリゾートで着ることを意識したのだろう。同素材では他にショーツもある。つまり、ディーベックの企画は釣りというアウトドアスポーツからタウンカジュアルに進み、さらにリゾートウエアにまで斬り込んでいるのだ。

 筆者がそこで思うのは、「オッサン臭いレジャーの延長線にいる釣り女子を抜け出し、機能性十分なシャツやパンツ姿でフィッシングを楽しみましょう」「メンズではゴムと天竺のミラノリブのジャケットもあるので、カップル(夫婦)で楽園に飛び立ち、休日を満喫しませんか」「複数カップルで出かけるなら、彼らと釣りを楽しむも良し、女性同士でエステ三昧も良し。釣った魚はホテルのシェフに調理してもらってパーティーも。このドレスなら場が華やぎますよ」との提案である。

 よくスポーツにはいろんなドラマが付きものと、言われる。ならば、釣りにも様々なシーンがあっていいはずだ。それを演出してくれるのがウエアリングかもしれない。アパレル企画においても機能性は進化を続けているが、ファッション性やデザインでは頭打ちだ。だから、着る場面を創造していくことが売れるカギになるわけだ。企画の方向性では、いろんなシチュエーションやシーンを考えなければならないのである。

 今週末からゴールデンウィークに入る。プレジャーボートや漁船で釣りに出かける人々もたくさんいるだろう。だが、その二歩も三歩も先をいって、南国の楽園で過ごす非日常の中にフィッシングがあってもいいと思う。

 かつて作曲家の宇崎竜童が親友の故・根津甚八によく渓流釣りに誘われたが、頑に断っていたという。その理由について、「あんな胴長靴姿で川に入るなんてカッコ悪いものはない」と、語っていた。妻で作詞家の阿木曜子が創る詩に合致する楽曲を作り上げるには、常にナルシストな自分でなければなし得ない。カッコ良い自分を否定することが許せなかったのだろう。

 ファッション性の表現が決して上手いと言えないスポーツ&アウトドア系アパレル。そして、機能性の知識を持ち合わせていないカジュアル系アパレル。ディーベックは2つの弱点を克服するだけでなく、ブランドの新たな世界観すら生み出そうとしている。その手段としてウエアリングで非日常というシーンを創り出す。これもアパレルが目指す方向性の一つかもしれない。

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ジャパン社の極限。

2018-04-18 13:33:53 | Weblog
 いつの間にか、ショップの撤退が相次いでいたが、別に気に留めることもなかった。しかし、業界紙誌がこぞって報道すると、やはり理由を考えてみたくなる。サザビーリーグが日本で運営してきた「アメリカンラグシー」の事業終了のことである。

 アメリカンラグシーがロサンゼルス発のセレクトショップとして日本上陸を果たしたのは1998年。奇しくも20年という節目の年にピリオドを打たざるをえなかったのは、業態そのものや多店舗化したスタイルが行き詰まったからではないかと思う。

 米国発祥のオリジナル業態は、1984に創業者のワーク・ワーツ氏がフランスのマルセイユ港からヴィンテージ衣料を米国に持ち込み、ロスに1号店を構えたのが始まりだ。ワーツ氏はそうした商品群をじっくり時間をかけてロスの文化や風土と上手くシンクロさせ、独特な店を作り上げた。

 本国のショップは今も1店だけ。そこではワーツ氏自身とバイヤーが世界中から厳選した商品を買い付け編集することで、世界観がキープされている。同店はそうした考えを「私たちが運ぶすべてのブランドは、独特のストーリーを持ち、グローバルなセレクションの折衷的なパッチワークに織り込まれています。私たちは、時間が最も重要だと考えています」と、宣言している。

 一方、日本におけるアメリカンラグシーはロゴマークこそ同じだが、中身は似て非なるものと言うか、日本市場向けに焼き直したものに過ぎない。しかも、店舗数は全盛期の2011年には全国で15店まで拡大していた。

 2000年前後の古着&ヴィンテージのブームから火が付き、店舗を全国に展開していったと思うが、数に限りがある真性のヴィンテージクローズを店舗数に比例して揃えるには無理がある。確かに売場に並ぶ商品はインポートのそれもあったが、大半は「それらしく」作り上げた似非ヴィンテージだ。

 一方で、ヴィンテージセレクトのロイヤルティを打ち出すために、ウエアは原則として1店舗あたり種別毎に1サイズ、1カラーのようなラインナップだった。お客からすれば、度・ストライクの商品が見つかれば即買いするだろうが、デザインが好きになれなかったり、サイズが合わない、色が好みでないとなると、どうしても購入に二の足を踏む。

 最近は多くのお客が色、型、サイズをしっかりアソートメントしているSPAに飼いならされており、若者と言えど1点ものは買いにくい心理状態ではないだろうか。つまり、アメリカンラグシーのようなMDでは、必然的に買い上げ率は上がりにくいのである。

 また、似非ヴィンテージと言っても商品をオリジナルで生産する場合、ある程度のロットが必要になる。生産枚数が少なければ製造コストが嵩んで、価格は高騰する。それでも有り余るヴィンテージ性が出せて、ショップが価格応分に足る販売力を持てば言うことない。

 しかし、店舗あたりに生産在庫を積めば、確実にヴィンテージ性は薄れてしまう。生産ロット分を消化するには展開エリアを全国に広げて、店数を増やして商品を分散しなければならない。最大で15店まで店舗数が拡大したのはそういうことである。

 それにしても 「ヴィンテージが好き」の不特定かつ不確定なターゲットを想定した商品政策に他ならない。結局、アメリカンラグシーのブランド、またはヴィンテージセレクトのイメージで、ショップを訪れて購入するお客は別にして、コアなヴィンテージファンからすれば「それらしい」ではやはり物足りず、満足できなかったはずである。




 天神のヴィオロに出店していた福岡店は昨年春に閉店した。以前の店舗からたまに覗いていたが、筆者が購入したのはスニーカー1足だけである。中敷きにロゴマークが印字されたプライベートブランドで、製造はMade in China。スエード素材のトップサイダー風で、つま先に向けて細くになるデザインで、ロスの本店にも同じものが置いてあったかどうかはわからない。

 一応、店舗で試着して購入したが、1日中履いていると夕方には足が浮腫むせいで、靴の細くなる部分に接する親指下の種子骨、小指下の第5中足骨が痛くなった。過去に履いたインポートのトップサイダーでは、別にそうなった記憶はない。米国人の足型に合わせたわけでもないだろうが、オリジナリティを出すために木型からシャープにしたことで、筆者の足には合わなかったようだ。

 他のセレクトショップでは、ウエアはオリジナル化が進んでいるが、スニーカーに関しては依然としてナイキやアディダスなどの定番が主流だ。ショップのロイヤルティを高めるためにオリジナルを開発する意図はわからないでもないが、やはり靴は木型が決め手になるし、デザインばかり追求すれば売れないリスクは高くなる。

 そうした商品開発やクリエイティビティが仇になったかどうかはわからないが、16年には新ディレクター2人が招聘されてブランド力の再強化に注力したものの、浮上させることはできなかった。ヴィンテージ&オリジナリティと多店舗化という二律相反の課題を抱えた運営スタイルが限界点に達していたのは、どうやら間違いないようだ。

 アメリカンラグシーを運営してきたのは、「サザビーグループ」である。有名な業態ではセレクトショップの「ロンハーマン」「エストネーション」、雑貨&飲食の「アフタヌーンティー」、アクセサリーの「アガタ」などがある。近年は東京・神楽坂にカフェ併設のライフスタイルストア「ラガク」も出店している。

 もともとは家具の販売からスタートし、「サザビー」ブランドのバッグを手がけたことから、アパレルよりも雑貨のイメージが強い。筆者も同ブランドのシステム手帳をもっている。オリジナルを開発していくというより、海外からブランドを輸入し、日本市場で孵化・定着させる=ブランドインキュベーションの方が上手い気がする。アニエスb.然り、カンペール然り、フライングタイガー然りである。

 そこでカギを握るのが合弁会社や日本法人、いわゆる「ジャパン社」の存在だ。今回の事業終了も、「アメリカンラグシー・ジャパン」が同ブランドを持つインダストリーズ・ワーツと合弁契約を解消したことによるものである。

 一般的に海外ブランドが日本市場を攻略する場合、ジャパン社を持てば地の利があるため立地条件などを把握でき、出店戦略をスムーズに行える利点がある。また、商社を咬ましてバラバラに行っていた卸やライセンスといった販売チャンネルを一元化し、商品流通をコントロールできる。コピーなどの商標権侵害を防止するのも可能になるわけだ。さらに品質に対する対応、広告宣伝などの業務も自前で行える。

 直営チャネルは旗艦店、路面店、卸チャンネルはショップ・イン・ショップ(百貨店のコーナー)がある。旗艦店を持てばブランドイメージが醸成できるし、インショップではブランド認知を拡大できる。また、大型の旗艦店では商品をフルアイテムで展開できるため、販売効率もいい。売り切れた商品をいちいち注文しなくても済むのだ。もちろん、市場攻略や商品政策、マネジメントでは本国の意向が徹底されるのは言うまでもない。

 欠点は日本法人を作るわけだから、それなりの資本金が手当てしなければならないことだ。ラグジュアリーブランドの場合、財務基盤が確かな大手商社と組むケースが圧倒的に多い。逆にアニエスb.やアメリカンラグシーの合弁会社は、本国のブランド企業がそれほど大きくない=力をもっていない段階だったから、サザビーグループでも可能だったと言える。

 そのアニエスb.も05年にフランス本国C.M.C. S.A.との合弁契約を解消し、アニエスベーサンライズへの資本関係は終了している。これについては、アニエスb.が力を持ったからというよりは、ブランドが陳腐化し本国でテコ入れせざるを得なくなったからだと思う。

 また、ジャパン社の規模がそれほど大きくなければ資本力も弱く、店舗は旗艦店やインショップと、展開は限られてしまう。ライセンスもないから日本のお客にあった商品、価格帯を作れず、どうしても収益性は低くなる。

 赤字に陥ってもブランドイメージの醸成のために本国から広告宣伝費が投下されれば店舗展開は維持できるが、本国側がそうした潤沢な資金を持っていなければ、アメリカンラグシーのケースのように事業終了、店舗閉鎖、ジャパン社の清算という結末を迎えざるを得ない。ジャパン社には一長一短があり、功罪が付きものなのである。

 サザビーリーグは、米国の3.1phillip lim LLC.との合弁で、「㈱3.1フィリップリム」を設立するなど、海外ブランドとの合弁事業に積極的な一方、本体は持ち株会社となって傘下企業、ブランドのM&Aを繰り返すなど経営を支配していこうとしている。

 各ブランドの合弁事業が終了しても、日本市場で当たりそうなブランドを世界中から見つけてきて運営管理する方針に変わりはないようだ。まあ、アパレル&雑貨、飲食の企業グループとして有名ブランドを所有し、ポートフォリオが確立している点は良いことかもしれない。しかも、いろんな業態を展開しているので、自然とリスクが分散できる。
 
 しかし、ブランドの合弁会社を経営すれば、当然本国のスタイルやマネジメントに則る部分も多く、自社における人材が育成されないという懸念もある。ブランドの知名度だけで売れるので、どうしても人が知恵を出したり、クリエイティビティを発揮する場面が少ないからだ。新ディレクター2名がテコ入れに参画したが、業態を立て直せなかったのは、人が育ってない証左ではないのか。

 結果として「アメリカンラグシーで店長をしていました」と言ったところで、その先にどこに行けるのか、また会社側がどう決めてくれるのか。今回のような事業終了のリスクを抱えていれば、社員のキャリアパスが明確にならないという構造的な問題をはらんだままである。

 ロンハーマンもアメリカンラグシーほど極端なMDではないが、エストネーションとともにウエアは絞り込まれ、お客がいろいろ見比べて買えるような品揃えではない。どちらも特別に好調だとの話は聞こえて来ないし、今後の状況次第ではアメリカンラグシーと同じ轍を踏まないとも限らない。極限に達した有名ブランドのジャパン社は、まだまだ他にもありそうである。
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付けたくなる腕時計。

2018-04-11 06:41:24 | Weblog
 これから夏に近づくと半袖を着る機会が増え、手首のアクセサリーが目立ってくる。願掛けで数珠なんか付けている男性は意外に多く、こればかりは性別、年齢は関係ないようだ。ただ、筆者は多汗症のため、夏場に時計やアクセサリーを付けると、汗でびじょびじょになり、実にうっとうしい。かといってメタルベルトは汗で皮脂が付着するため、掃除が面倒だ。

 レザーベルトは汗染みで劣化が激しく、2〜3年でかん部分の革が切れてしまう。しかも、電池交換の度に時計屋さんから「機械が多少錆びていますが、水仕事が多いですか」と、聞かれる始末。だんだん「汗っかきなもんで」と応えるのが億劫になり、ベルトも電池も交換しないまま、手頃な時計に買い替えるようになった。



 それでも、携帯電話やスマートフォンを持ってからは、腕時計自体ほとんど付けなくなっている。腕時計を付けていた時でも、ラグジュアリーブランドには全く縁がなく、ぜいぜい高くてもミラノで買った「リトモ ラティーノ」や「パスクワーレ ブルーニ」くらいだ。

 バブル時代に代官山のスーパープランニングが発売したアンティーク風を買ったが、後でそれがロレックスのオイスターを模したものだと知った。同時期に付けていたセイコーアルバのウレタンベルトは、イタリアのウブロをコピーした感じだった。高級ブランド風のデザインが気に入ったのは、後にも先にもこの2つだけである。

 今から15年くらい前には「デカ時計」が流行した。米国ブランドのTIMEXやGUESSが外国人の腕に合わせて作ったのか、それとも精巧なメカが必要ないからなのか。その辺はよくわからないが、筆者は手首が細いので、これらも不釣り合いだった。



 ただ、パリを訪れた時、たまたま文字盤のデザインで目を引いたのが、全く無名ブランドのデカ時計だった。結局、買わずに帰国すると逆に欲しくなり、ネットで調べて取り寄せた。家族へのお土産にしようと40cm、45cmの2種類、3点を購入したが、「ベルトがダサい」と言われ、キャビネットにしまったままにしていた。

 一昨年、久し振りにそれらを引っ張り出して、自分で革を切ってベルトを付け直した。自分としてはこれが意外に気に入り、夏でも出張時には付けるようになっている。というのも、雑貨店がセレクトするミニマルな腕時計を見ると、トレンドが来ているように感じるからだ。

 コンランショップやリビング・モティーフ、タムレスコンフォートなんかのショーケースには値ごろな腕時計が並んでいる。価格は2〜3万円程度とそれほど高くなく、ファッションウォッチの感覚で身につけられる。筆者にはそっちの方が合っている。

 4月2日付けの繊研PLUSも「ロンドンデザイン、スイスメイドの優れもの(https://senken.co.jp/posts/mwakatsuki43)」というタイトルで、ミニマルなウォッチを取り上げていた。

 ロンドン通信員の若月美奈氏が記事中で、「一昔前までは腕時計は服や靴と同じく必需品だったが、スマホを持つようになってからは、なくてもいいものになってしまった。友人たちも同様で、使っていた時計が壊れたり、デザインが古臭く感じたりしてそのまま新しいものを買わずにノーウォッチがフツーになってしまった人がほとんどのようだ」と、書いている。

 どうやら腕時計を付けなくなったのは汗かきの筆者だけでなく、スマホを利用する人々全般に共通のようだ。

 一方で、若い子の間ではアクセサリー感覚で腕時計を身に着ける傾向もあり、選ぶポイントはやはりウエアと同様にデザインのようである。そんな流れをフォローするかようにヨーロッパから値ごろ感のあるミニマルなウォッチが生まれているわけだ。どうやらトレンドになりつつあるのは間違いないだろう。

 ムーブメントはスイスメイドがあるわけだし、日本製のクオーツも技術移転している。ラグジュアリーブランドならケースからオリジナルでデザインし、職人さんが磨き上げて形にしていくが、ミニマルなウォッチならケースは円形のまま、表面処理もクロム仕上げか、ヘアラインで十分である。

 サイズのみメンズ、レディスの2〜3種類用意すれば、あとは文字盤のデザインだけ行えば良い。機能も時間がわかればいいので、クロノグラフのような複雑なメカは必要ない。いたってシンプルな構造だから、メーカーからムーブメントさえ供給してもらえば、ファッションやグラフィックの延長線で企画開発できるのだ。ファッションデザイナーなら、ベルトのデザインや用いる革にこだわるかもしれない。

 ラグジュアリーブランド、宝飾品の一部としてのドレスウォッチとは一線を画するスタイリッシュな腕時計というコンセプトだ。バブル期にも「ポルシェデザイン」のような時計が露出していた。しかし、キャッシュフローが旺盛な中ではロレックスやオメガ、コルムといった高級時計の前にメジャーになりにくかったのである。

 その後も、タグホイヤーなど中価格帯の腕時計がスポーツ選手なんかを広告塔にプロモーションされた。ファッションコングロマリットが傘下に収めるブランドウォッチでは今も派手な広告展開が行われているが、それに飛びつくのは中国の富裕層くらいだろう。

 成熟した日本では一時的に株価が上がり、売却益で小金を得た層がステイタスを誇るために購入するくらいで、お金を持たない多くの若者が一点豪華主義で高級時計を購入する環境はない。だから、腕時計もファッション雑貨の感覚で仕掛けた方がメジャーになりやすいと思う。

 ファッションウォッチはヨーロッパが先行している。価格帯も下は数千円から上は数万円と実に幅広い。繊研PLUSの記事にあるように「様々な機材が揃った試作や組み立てを行う工房で、空気清浄機が設置され、3Dプリンターを使ってサンプルも制作している」というから、それほど高機能な生産設備は必要ないようだ。

 女性向けには雑貨やアクセサリー、男性向けにはステーショナリーの延長線。そういった表現が適切かもしれない。そろそろスマートフォン(スマートウォッチを含む)市場も頭打ち、とすれば、再びアナログな腕時計のマーケットに薄日が射す可能性はある。成熟した中でマスを目指す商品開発は容易ではないが、雑貨やアクセ、ステーショナリーのベクトルなら攻められるのではないか。

 雑貨の展示会に行くと、ケースもベルトも手作り感覚の腕時計を見かけるが、ここで言うのはあくまでケースもベルトもカチッとしたスタイリッシュなウォッチのことである。サイズやデザインのバリエーションを増やしてシリーズ展開し、コレクターズアイテムとしての販売機会も増やせそうな予感もする。まずはファッショングッズとして付けたくなる腕時計の復活だろうが。

 セレクトショップも商品開発の点でSPAとの差別化は難しくなっている。ウエアは量産化によるコスト吸収で荒利確保ばかりが横行し、誰でもできる政策ゆえに優位性は失われている。仕入れという原点に立ち返るなら、腕時計などの小物が注目されていいはずだ。



 こうした瞬間にも本場では次々と新しい時計が生み出されている。意外だが、セイコーも見本市でミニマルな腕時計を発表している。車で言うところのコンセプトカーで市販はされてはいないが、これも非常にスタイリッシュでカッコいい。

 日本にはクオーツという技術がある。それを生かしながら、ファッションデザインの感性で腕時計というマーケットを再創造するのも、面白いのではないかと思う。

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展望なき買収はない。

2018-04-04 06:37:32 | Weblog
 伊藤忠商事が2009年に連結子会社化したジャヴァグループの株式を投資ファンドのエンデバー・ユナイテッドに売却した。この案件は3月末の正式発表、4月1日の新体制スタートだったようだが、業界ではすでに既成事実のように語られ、売却理由について様々な憶測が飛び交っている。

 どちらにしても、一時代を築いたデザイナーズブランド系アパレルである。筆者が大学生だった80年頃、「ロートレ・アモン」「ビッキー」「ケティ」といったブランドが分社化され、ファッション雑誌にチラホラ露出していた。ちょうど大学を卒業し、業界に入った直後には、うちの会社でも「ジャヴァが神戸のポートアイランドに本社ビルが建てるらしいぞ。すげえなあ」と語られていた。それだけ勢いは凄まじかったのだ。



 日本経済がバブル景気に突入し、DCブランドがピークに達した80年代半ば、たぶん市ヶ谷だったと思うがジャヴァの営業所が移転し、そこには雑誌タイアップやプレス用の商品を借りにスタイリストたちが日参しているとの話だった。今考えると、80年代後半がジャヴァの商品が一番輝いていた時期だったと思う。

 知り合いも何人か働いていて、実際に商品を購入したことがある。だから、商品はよく知っているし、神戸らしい瀟酒な雰囲気のもの作りには惹かれる部分もあった。ただ、DCブーム終焉後には、ご多分に漏れずブランドバリュ、知名度とも下降線を辿っていた。

 2003年2月期、ジャヴァグループは売上高が前年同期比5.1%減、利益が同8.8%減と減収減益だったが、それでも年商は750億円も稼いでいた。だから、日経新聞は同社の企業価値、ブランドバリュウを好意的に扱っていたし、投資案件としてお墨付きを与えるアナリストもいたと、記憶している。

 そうしたことが影響したのかどうかはわからないが、伊藤忠は3年後の06年、「今が買い時」と思ったのか、ジャヴァグループの株式35%を取得。さらに09年には株式の過半数を得て、連結子会社にした。同グループには大津寄正登社長が派遣されて構造改革に着手。傘下のロートレ・アモン、ビッキー、ケティ、リップスターのレディスアパレル4社は統合された。

 15年には伊藤忠で北米繊維部門長を務めた中西英雄氏が社長に就任し、神戸ファッションというローカル企業から全国ブランドへの成長加速を目指す一方、Eコマースや中国・アジア進出などの販売チャンネル拡大を打ち出した。今回の売却はそれらの戦略に一定の道筋が付いたことで、今度は「売り時」と見たのではないか。

 中西社長は、引き続き同グループの社長に留まり、経営の舵取りを担うというから、投資ファンド側から不採算ブランドの休止、人員の削減、国内展開の見直し、海外戦略の強化など、いろんな命題が突きつけられていくはずだ。

 業界では、中西社長は構造改革の一環として、50代以上の社員に対し早期退職を主導したと言われているが、50代の社員はまだまだ半数にも及ぶとの話もある。社員の年齢構成が高いことは、そのまま人件費率の高さにつながり、こうした高コスト構造を改めない限り、改革は道半ばということだろう。ことの経緯はざっとこんなところだ。

 ここからはあくまで私見だが、ジャヴァグループが一般のアパレルに比べ、なぜ高齢社員の構成比が高いのか。それは創業者である故・細川数夫元会長が掲げた企業理念が影響してきたのではないかと思う。「愛」を基本に、人の心に寄り添い、人を幸せな気分で満たす服づくりを目指してきたことだ。

 今考えると、何と歯の浮くような理想郷的考えだが、創業当時から成長期にはそれが真っ当に受け入れられていたのだから、何とも良き時代だったと思う。当然、愛の伝導は社員や売場のスタッフについても変わらず、それは業績が傾き始めた90年代にドラスティックな改革を行う上で、足かせになったのかもしれない。

 アパレル業界の仕事をしていると、必ずと言っていい程、あちこちから経営者批判が聞こえて来る。営業にも企画にもMDにも携わってなくても、SNSを通じて堂々と批判する御仁もいるくらいだ。筆者もあまり人のことは言えないが。

 それに対し、ジャヴァで働く知り合いからは、細川元会長の譏りや謗言など一つも聞いたことがない。ある体験談が今も記憶に残っている。アパレル時代の取引先でバイヤーを務めていた人が退職し、違う業界で独立するまでの準備期間にロートレ・アモンの店長を務めていた。



 ちょうど88年だったと思う。雑誌アンアンにキャンペーンを兼ねたタイアップ企画が掲載され、その中で胸元にカットワークが施されたニットがひと目で気に入り、売場まで見に出かけた。商品は雑誌の発売直後に完売していたが、店長と話すうちに「仕事で世話になっているクライアントの女性に他社の商品だけど、ぜひプレゼントしたいから」という流れになり、取り寄せてもらうことにした。

 店長は「他社の人がうちのブランドをどう評価するか。それも聞いてみたいわよね」と、快く受け付けてくれた。それに対し、「良い会社じゃないですか」と言うと、「(細川元会長は)腰の低い人だから、批評も前向きにとらえるし」「あなたみたいに仕事でいろんなブランドを見ている人に買ってもらえるのは、うちにとっても嬉しいし」といった感じの反応をしてくれた。

 この店長は、この後にも「(細川元会長は)自らチャレンジを怠らない人。ビジネスについてはやると決めれば、後には絶対に引かないから、現場も決して手を抜けないのよ」と、語っていた。こうしたやり取りをした翌年だったか、ジャヴァグループは「愛・PAN APPARELISM」を発表し、人が幸せな気分になれる服の創造、その気分を増幅する時間とと空間の創造を企業テーマを打ち立てた。

 それは2000年代に入っても継承されたと思うが、如何せんアパレルを取り巻く環境が大きく変わってしまった。長引く不況とデフレの影響、若者の価値観の変化で、商品単価が平均単価が2〜3万円もする同グループの服は、若い女性には売れづらくなっていった。一方で、80年後半から90年代前半に入社した社員は歳を重ね、40代、50代になっていったわけだ。

 愛をテーマに、社内をガバナンスしてきた細川元会長が第一線を退いたとは言え、ドライな人員整理など大ナタを振ることに同意するはずがない。しかし、不幸にも細川元会長は2012年に死去された。これを境に後は資本の論理による新しい体制づくりが進んでいったのだ。伊藤忠が構造改革に一定の目処を付けたことで、あとは神戸ファッションから全国展開、Eコマースや中国・アジア進出を目論見、それを投資ファンドがどう継続させていくかである。



 ただ、全盛期を知る人間からすれば、ジャヴァは神戸らしさを持っていたからこそ、DCブランドブームの最盛期に全国でも売れたのだと思う。昨今は売れ筋狙いでデザインが紋切り型になってきているし、ワールドの凋落など神戸ファッションそのものの存在価値が薄れている。

 伊藤忠が打ち出し、投資ファンドの支援のもと継続される戦略は、他のブランドと大差ない。果たして、それでジャヴァが本当に勢いを取り戻せるのかと、一抹の不安もある。某プロフェッサーの口癖ではないが、「ファッションはローカルなもの」である。だからこそ、無理に全国マーケットにすり寄るのではなく、往年のジャヴァらしさのもとで新しい神戸テイストを確立させ、それでアジア戦略を進めてもいいのではないか。ジャヴァの特性や顧客、時流に適したジャヴァ流ビジネスモデルの再創造が不可欠なのだ。

 エレガンスの匂いが残せるビッキーやケティはこれから成長が著しいアジアで、コンサバOLやマダム受けする可能性は大いにあると思う。アジア市場に浸透しているグルーバルSPAのカジュアル一辺倒では飽きがくるし、収入が上がってくれば人より一つ上の着こなし、より良質で胸が張れる服が求められるはずだ。

 一方、キャリア寄りのロートレ・アモンは、2010〜11年に台湾で製品卸とライセンス供与の両面での展開をスタートさせている。当時、業界では中国戦略に目が向いていたが、同ブランドはコアなキャリアラインであり、特にジャケットスタイルは「中国市場での攻略はまだ早い」と、社内には慎重論があったと聞いている。

 その時から7〜8年を経過した。今なら堂々と攻められるかもしれない。それには、もう一度往年のようなブランド価値を磨いていかなければならない。展望なきブランド買収などあり得ない。そのブランドに一角の価値を見出すから、投資マネーも動いていく。是非とも、これを機会に消費者にブランド価値が認められるもの作りを復活させてもらいたいものである。

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