HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

紙、復権なるか。

2022-01-05 06:21:16 | Weblog
 令和4年が明けた。特に1年の計があるわけではないが、変化に合わせてやっていこうと思っている。

 当方にとっての変化とは、自然に変わっていくこともあるが、作用に対する反作用というか、偏ってしまったことからの揺り戻しも含まれる。それは期待する部分が大半なのだが、今年はその兆しがあるかもということである。

 1990年代半ばから急速に浸透したデジタル社会。仕事ではパソコン利用が当たり前となり、プライベートではスマートフォンが必需品となった。新聞のニュースや雑誌の記事はネットで読み、さらに知りたい情報はそのソースを検索エンジンで手繰り寄せる。ウィズコロナでなるべく人との接触を避けるために、ネット通販の利用が当たり前となった。もはやテクノロジーの進化無しで、生活の豊かさは享受できなくなってしまったとも言える。

 ビジネス界では、昨年から生活全体をデジタルの力で変革させていく「デジタルトランスフォーメーション(DX)」が叫ばれている。今年はそれに関する様々な要素や条件がビジネスの肝になるようだ。だが、本当にそうなのか。昨年暮れには東京株式市場の日経平均株価が32年ぶりに高値となったが、半導体不足や原油高が企業や家計に影響し、実体経済が回復している様子は見られない。

 確かにオミクロン株の感染拡大を抑制しコロナ禍が収束に向かえば、経済活動への制約が徐々に和らいでいくから、日本経済は回復に動いていくという見立てもできる。もちろん、これは楽観論の域は出ないのだが、その主役をDXに位置づけたいIT関係者のビジネス論理も透けて見える。デジタルが万能の神なのかはわからない。




 現にあれだけネット通販をリードしてきたAmazonに変化が出ている。同社は米国内で「紙のカタログ」を発行し始めた。米国の小売業界をリードしていると言われるウォルマートもである。アナログへの揺り戻しが起こっているとすれば、むしろそちらに注目したい。これが自分に対しての変化を及ぼすかもしれない。

 では、デジタル先進国の米国でなぜ、紙のカタログが復活したのか。専門家は以下のような理由を挙げている。まず、メルマガなどのダイレクトプロモーションが溢れすぎ、見てもらえないケースが増えていることがあるという。逆に一定の厚みを持つ紙のカタログなら、まず郵便受けから取り出す行動がある。次に袋はロゴ等のスペースを除けば他は透明だろうから、表紙などがはっきりわかり、手にとって見たくなる。デジタル媒体より、人肌に触れやすいことが理由なのだそうだ。

 二つ目は、紙のカタログは書籍、絵本のようにページをめくる(カタログは左開きが主流)ため、購読者が表現者側のストーリーにハマりやすいという。確かに閲覧者は写真なり、文字なり、イラストなりでその場面に目を止め、自分がそれを体験するイメージに置き換える。しかし、ウエブサイトは縦にスクロールし、次ページをクリックする作りだから、閲覧者が瞬時に注目し、リアルな体験を想起させるようにはなっていない。商品に注目しても、体験する臨場感は起こしにくいのだそうだ。なるほどである。



 三つ目は、こうしたリアル体験のイメージ想起によって、違う発想やひらめきを起こさせるのは紙のカタログの方が優れているのだとか。紙のカタログは端から商品使用や消費のシチュエーションを組んだイメージ写真を数多く掲載している。自分が使用するのはともかく、他人にプレゼントするような商品では、そうした写真の方がひらめきやすい。「こんな風に利用できるのだから、あの人に贈ったらきっと喜ぶだろうな」ということか。


広告ツールは「見られてなんぼ」の世界

 これだけネットに情報が溢れているのだから、検索結果の上位にランキングされないものは、埋没して認知されないまま消え去っていく可能性は高い。それは紙の媒体もページを飛ばして読むなら一緒なのだが、デジタルはSEO対策など人為的な行為も施せるため、結果として必ずしもお客の側が欲してるものとイコールにはならない。似非マーケティングとまでは言わないまでも、顧客満足を提供できいないのなら、問題があるということだ。

 90年代半ば、ネット広告が浸透し始めた頃は、それまで主流だったマス媒体(ラテ、新雑)よりも、媒体料は格段に安かった。また、チラシやカタログなどの印刷物よりも広範囲に露出できるので、マーケティング効率がいいと言われた。確かに2000年台に入るとこうした利点からデジタル広告は急激に伸びていった。だが、20年も経てば、媒体料は少しずつ高額になっている。

 クッキーレスによって媒体閲覧履歴を利用しないケースもあり、ユーザーごとのカスタマイズも難しくなっているという。デジタルだけで優位に立つことは難しいという証左である。Amazonやウォルマートが紙のカタログを復活させたのは結局、広告ツールとしてデジタルのデメリットを補い、リスクヘッジしようということかもしれない。要は広告媒体はお客に見られてなんぼの世界だからだ。米国企業が紙の媒体にシフトしてリードすれば、やがて欧州にも伝わるだろうし、日本でそうなるのも時間の問題か。



 一方、日本ではカタログ通販の企業は多い。老舗の「ニッセン」はフジサンケイグループのディノスや千趣会のベルメゾンなどとの競合に巻き込まれるようになり、2000年代にはネット通販の台頭もあって次第に売上げを落としていった。14年にはセブン&アイHDとセブン&アイ・ネットメディアの完全子会社となったが、当のセブン&アイ自体はネット事業では苦戦を続けている。

 一時、無料で配るカタログの制作コストが重荷になっていると言われていたが、ニッセンが復活した背景には、アパレルのサイズを小さいSSから大きい10Lまでのワイド展開に変えたからと言われる。これだけネット通販が浸透しても、イレギュラーサイズはほとんど販売されていないからだ。そうした商品を求めるお客さんに着こなしのイメージやフィット感を訴求するにはデジタルだけでなく、手軽に見られる紙のカタログの重要性もあるのではないか。

 また、1983年にアパレルの通信販売をスタートした「ベルーナ」は通販サイトは開設しているが、今でもカタログを制作し全国の会員に送付している。そのマーケティング手法は先にテレビでスポットCMを流し、翌日にメール便でカタログを宅配するもの。CMでお客に対し新商品への期待を煽り、直後に紙のカタログで購買意欲を喚起するやり方だ。もちろん、扱うアイテムが中高年向けだから、デジタルよりも紙の方が訴求力があるとの判断もあるだろう。




 アパレル業界ではOMO(オンラインとオフラインの融合)が叫ばれている。デジタルとリアルをミックスして、互いのデメリットを補っていこうということ。この理屈でいけば、リアル店舗では、実物の確認やスタッフによる接客のみならず、小洒落たショップツールを常備して顧客に手渡すこともできる。フロッキーやエンボスなど素材感のある「カード」や「タグ」も、ブランドバリュをあげる道具になる。

 デザイン業界ではかつてあった活版印刷が注目を集めている。印刷の掠れ具合など独特の趣がデジタルでは表現できないからだ。これで厚みのある紙にブランドロゴを印刷すれば、違った世界観が打ち出せる。アパレルではギフト需要もある。それにはパッケージも必要だ。「クラフトボックス」も開発されており、活版印刷も利用できる。そんなパッケージギフトをもらった人の感動はいかばかりかだろうか。



 もちろん、デジタルを否定するものではない。カタログに制作にはInDesignといったアプリケーションが不可欠だし、カードやタグのデザインはIllustratorで行う。デジタルは制作ツールとして無くてはならないのは確かだ。筆者の事務所では、昨年暮れクライアントさんにオリジナル制作の卓上カレンダーをお贈りした。これはデザインはIllustratorで行い、厚めの紙に出力した後、月毎にカットしてフロッピーケースに入れたものだ。

 デスク周りで使ってもらうには、リアルな紙の媒体がいいだろうとの判断で、一昨年から制作し始めた。結局、デジタルだけでもリアルだけでもダメ。ネットと紙の利点をいかにうまく活かしたマーケティングをしていくかだと思う。その意味で、2022年は紙媒体が再び脚光を浴びる年になることを期待して止まない。

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