みんなに好かれた”国民的映画”「男はつらいよ」
だれもが知ってるこの”映画”は、
渥美 清の「泣いてたまるか」(S41~TBS系ドラマとして放映された)が原型だったんです。
団塊世代の多くのOBの皆さんは、昔テレビで見たこと無いですか?
ぼくは、ずっと見ていた記憶があります。ドラマのテーマソングもなんとなく覚えてます。
そのTVシリーズでの最終回、山田 洋次が脚本をし”男はつらい”が放映され、なんと寅さんは”ハブ”に噛まれて死んでしまう。
次の日からTBSに、「何故寅さんを殺したのか?」っとクレームが殺到しこれが松竹での映画化に繋がりました。
当初、松竹は「男はつらいよ」の映画化には反対でした。
理由は単純で、「貧しい醜男が、恋をしてふられる話は当たり前すぎてつまらない。」ということだったようです。
結局、松竹社長の判断でしかたなしに決定。
当初は、一作のみということだったんですが、空前のヒットとなり
この後、1969年~1995年の間、全48作品のギネスブックにも載る大シリーズ化となったんです。
何ゆえ、これほどの大ヒット作となったのか?
「寅さん」の役柄のベースに、見え隠れする「渥美 清」の人生観、美意識がたいへんに重要な要素だったと思います。
貧しい少年時代 虚弱体質で学校はよく休む
勉強はしたくとも出来ない 戦後上野の森で不良の親玉になる(テキヤの啖呵売も手伝っていた)
若くして(25,6歳)肺結核(右肺切除)を患う。

以下、渥美 清の人柄を示す談話を雑誌”サライ”の特集の中から拾ってみました。
昭和44年は、急激な経済成長の渦中にあり、凄まじい競争社会の始まりでもありました。
そんな社会の流れの中で、出世やお金儲けに縁のない、何のとりえも無い「寅さん」を笑いながら、そこにある人間らしい優しい心にみんな共感したんでしょうね。
「渥美 清」さんと言う人の「感性」「人生観」が、観客に伝わったんだと思います。
「渥美 清」さんは
顔は不細工だけど、日常の佇まい、その様子が実に綺麗。
立っていても、座っていてもどの姿をとっても粋でうつくしい。
金も無く、才能も無く、さらに顔もよくないそんな男に愛情が注がれる映画を。(山田 洋次 談)
人生の終わり方について
”すーっと居なくなる。しばらく誰も気がつかない。何年かして、渥美清って近頃どうしてる?死んだよ。ああ死んだのか。”そういうのが、理想ですよ。(渥美 清が、山田洋次に語った話のようです)
「僕は、もう死ぬかも知れないよ」
側(そば)で渥美さんが、ニコニコ笑いながら手を取ってくれて
「山田さん、オレもすぐ追いかけていくよ、死ぬのはそんなに辛いことじゃないからなあ」
僕は、そうしたら安心して死ねるよ。(山田 洋次 談)
渥美さんが、スタジオの隅っこでポケットに手を突っ込んだりして佇んでいる。
”ああ、綺麗だなあ”っと思う。
笠 智衆さんもそうでしたが、風姿の美しさがあって、なおどこか哀しい。
バツイチになった離婚前後の頃、撮影の合間に突然私の首を抱えて、
「ばかやろう、男にだまされるなよ!」
気持ちがいたいほど伝わってきて、嬉しかったです。(倍賞 千恵子 談)
私は俳優「渥美 清」さんが、とても好きです。
彼が、生涯演じ続けた「寅さん」も大好きです。
やはり、金もなく、才能もなく、さらに顔もよくないそんな男に
「いっしょやなー!」っと
みょうな共感を覚え、一緒になって大声出して笑ったり泣いたり、映画の中の「寅さん」を応援していました。
3拍子揃った醜男(金ない、才能無い、顔がわるい)でも、日頃の佇まい、姿勢はつねに美しく
ありたい。
更に、「”人の負担にならないように”人生の終焉も爽やかに迎えたい」っと私もつくづくそうありたいと思います。(タケ 談)
1928年3月 上野に誕生して1996年肺がんにより死去してはや10年がたちました。
プライベートでも仕事上でも”贅肉”がない人(倍賞 千恵子 談)、そして”類稀な天才”(山田 洋次 談)と言わしめた
こんな俳優は2度と出てこないと思いますが、彼が私たちに映像を通して伝えたかった"思い”はしっかりと捉えて生きつづけたいと改めて感じた一日でした
OBの皆さんは、どんな”映画”が好きなのでしょうか?
今までに観た”映画”の中で記憶に残っているものがあれば、是非紹介してください。
豆知識 映画の中で「寅さん」お得意の啖呵売(たんかばい)
「けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りは
クソだらけってねえ。タコはイボイボ、ニワト
リャハタチ、イモ虫は19で嫁に行く~~」
これらの口上は、台本には無くすべて渥美清の
アドリブとのこと。 戦後手伝ったことのあるテ
キヤの経験が生かされた。
私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。
人呼んで、フーテンの寅と発します。
どおせ俺らはヤクザな兄貴
わかっちゃいるんだ妹よ
いつかおまえの喜ぶような
偉い兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の
今日も涙の陽が落ちる
陽が落ちる
(作詞 星野哲郎 作曲 山本直純)
by タケ
(参考資料 "Wikipedia" "サライ”)
だれもが知ってるこの”映画”は、
渥美 清の「泣いてたまるか」(S41~TBS系ドラマとして放映された)が原型だったんです。
団塊世代の多くのOBの皆さんは、昔テレビで見たこと無いですか?
ぼくは、ずっと見ていた記憶があります。ドラマのテーマソングもなんとなく覚えてます。
そのTVシリーズでの最終回、山田 洋次が脚本をし”男はつらい”が放映され、なんと寅さんは”ハブ”に噛まれて死んでしまう。
次の日からTBSに、「何故寅さんを殺したのか?」っとクレームが殺到しこれが松竹での映画化に繋がりました。
当初、松竹は「男はつらいよ」の映画化には反対でした。
理由は単純で、「貧しい醜男が、恋をしてふられる話は当たり前すぎてつまらない。」ということだったようです。

結局、松竹社長の判断でしかたなしに決定。
当初は、一作のみということだったんですが、空前のヒットとなり
この後、1969年~1995年の間、全48作品のギネスブックにも載る大シリーズ化となったんです。
何ゆえ、これほどの大ヒット作となったのか?
「寅さん」の役柄のベースに、見え隠れする「渥美 清」の人生観、美意識がたいへんに重要な要素だったと思います。
貧しい少年時代 虚弱体質で学校はよく休む
勉強はしたくとも出来ない 戦後上野の森で不良の親玉になる(テキヤの啖呵売も手伝っていた)
若くして(25,6歳)肺結核(右肺切除)を患う。

以下、渥美 清の人柄を示す談話を雑誌”サライ”の特集の中から拾ってみました。
昭和44年は、急激な経済成長の渦中にあり、凄まじい競争社会の始まりでもありました。
そんな社会の流れの中で、出世やお金儲けに縁のない、何のとりえも無い「寅さん」を笑いながら、そこにある人間らしい優しい心にみんな共感したんでしょうね。
「渥美 清」さんと言う人の「感性」「人生観」が、観客に伝わったんだと思います。
「渥美 清」さんは
顔は不細工だけど、日常の佇まい、その様子が実に綺麗。
立っていても、座っていてもどの姿をとっても粋でうつくしい。
金も無く、才能も無く、さらに顔もよくないそんな男に愛情が注がれる映画を。(山田 洋次 談)
人生の終わり方について
”すーっと居なくなる。しばらく誰も気がつかない。何年かして、渥美清って近頃どうしてる?死んだよ。ああ死んだのか。”そういうのが、理想ですよ。(渥美 清が、山田洋次に語った話のようです)

「僕は、もう死ぬかも知れないよ」
側(そば)で渥美さんが、ニコニコ笑いながら手を取ってくれて
「山田さん、オレもすぐ追いかけていくよ、死ぬのはそんなに辛いことじゃないからなあ」
僕は、そうしたら安心して死ねるよ。(山田 洋次 談)
渥美さんが、スタジオの隅っこでポケットに手を突っ込んだりして佇んでいる。
”ああ、綺麗だなあ”っと思う。
笠 智衆さんもそうでしたが、風姿の美しさがあって、なおどこか哀しい。
バツイチになった離婚前後の頃、撮影の合間に突然私の首を抱えて、
「ばかやろう、男にだまされるなよ!」
気持ちがいたいほど伝わってきて、嬉しかったです。(倍賞 千恵子 談)
私は俳優「渥美 清」さんが、とても好きです。
彼が、生涯演じ続けた「寅さん」も大好きです。
やはり、金もなく、才能もなく、さらに顔もよくないそんな男に
「いっしょやなー!」っと
みょうな共感を覚え、一緒になって大声出して笑ったり泣いたり、映画の中の「寅さん」を応援していました。
3拍子揃った醜男(金ない、才能無い、顔がわるい)でも、日頃の佇まい、姿勢はつねに美しく
ありたい。
更に、「”人の負担にならないように”人生の終焉も爽やかに迎えたい」っと私もつくづくそうありたいと思います。(タケ 談)
1928年3月 上野に誕生して1996年肺がんにより死去してはや10年がたちました。
プライベートでも仕事上でも”贅肉”がない人(倍賞 千恵子 談)、そして”類稀な天才”(山田 洋次 談)と言わしめた
こんな俳優は2度と出てこないと思いますが、彼が私たちに映像を通して伝えたかった"思い”はしっかりと捉えて生きつづけたいと改めて感じた一日でした
OBの皆さんは、どんな”映画”が好きなのでしょうか?
今までに観た”映画”の中で記憶に残っているものがあれば、是非紹介してください。
豆知識 映画の中で「寅さん」お得意の啖呵売(たんかばい)
「けっこう毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りは
クソだらけってねえ。タコはイボイボ、ニワト
リャハタチ、イモ虫は19で嫁に行く~~」
これらの口上は、台本には無くすべて渥美清の
アドリブとのこと。 戦後手伝ったことのあるテ
キヤの経験が生かされた。
私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。
人呼んで、フーテンの寅と発します。
どおせ俺らはヤクザな兄貴
わかっちゃいるんだ妹よ
いつかおまえの喜ぶような
偉い兄貴になりたくて
奮闘努力の甲斐もなく
今日も涙の
今日も涙の陽が落ちる
陽が落ちる
(作詞 星野哲郎 作曲 山本直純)
by タケ
(参考資料 "Wikipedia" "サライ”)