突然ですが、西島三重子という歌手をご存知でしょうか?
歌に興味がない方は分からないかもしれません。
それでは、40年前にヒットした『池上線』と言えば、思い出した方もいるかもしれません。
西島三重子(67歳)と言ったら『池上線』、『池上線』と言ったら西島三重子というぐらいに巷では有名です。
『池上線』は1976年の曲ですが、当時は、“ニューミュージック” とか “フォーク”が全盛の時代だったかと思います。
そして、その西島三重子のセカンドシングルの曲で、哀愁のあるメロディで、フォーク歌謡として極めて長いヒット曲でした。
当方がこの曲を初めて聞いたのは、35年ぐらい前で、福岡にいた頃です。
当時、鹿児島の百貨店の飲み会で、ネクタイ屋でセールス仲間の原君という男が良く歌っていました。
この原君って、野球の原辰徳のいとこで、親戚だから原選手の結婚式に出たそうです。
そして、その結婚式に引退した山口百恵が来ていて、一緒に撮った写真を見せてくれたことを覚えています。
その原君の『池上線』ですが、あまり上手くなかったのですが、当方も特に気にとめない曲でした。
数年前ぐらいにカラオケで初めて歌った訳ですが、今は気にいってたまに歌います。
さて、前置きが長くなりましたが、『池上線』のアンサーソングが6年前に『池上線ふたたび』という曲でリリースされています。
『池上線』のストーリーの中の男女が、30数年経って今どうしているのかみたいなニューバージョンで蘇っています。
当方が、西島三重子の『池上線ふたたび』という曲に気が付いたのが最近で、今とても気に入っています。
イッシー
歌に興味がない方は分からないかもしれません。
それでは、40年前にヒットした『池上線』と言えば、思い出した方もいるかもしれません。
西島三重子(67歳)と言ったら『池上線』、『池上線』と言ったら西島三重子というぐらいに巷では有名です。
『池上線』は1976年の曲ですが、当時は、“ニューミュージック” とか “フォーク”が全盛の時代だったかと思います。
そして、その西島三重子のセカンドシングルの曲で、哀愁のあるメロディで、フォーク歌謡として極めて長いヒット曲でした。
当方がこの曲を初めて聞いたのは、35年ぐらい前で、福岡にいた頃です。
当時、鹿児島の百貨店の飲み会で、ネクタイ屋でセールス仲間の原君という男が良く歌っていました。
この原君って、野球の原辰徳のいとこで、親戚だから原選手の結婚式に出たそうです。
そして、その結婚式に引退した山口百恵が来ていて、一緒に撮った写真を見せてくれたことを覚えています。
その原君の『池上線』ですが、あまり上手くなかったのですが、当方も特に気にとめない曲でした。
数年前ぐらいにカラオケで初めて歌った訳ですが、今は気にいってたまに歌います。
さて、前置きが長くなりましたが、『池上線』のアンサーソングが6年前に『池上線ふたたび』という曲でリリースされています。
『池上線』のストーリーの中の男女が、30数年経って今どうしているのかみたいなニューバージョンで蘇っています。
当方が、西島三重子の『池上線ふたたび』という曲に気が付いたのが最近で、今とても気に入っています。
イッシー