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酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

こおりやま文学の森 文学講座

2013-11-11 21:05:39 | Weblog

 

10日は、谷田川小学校の創立140周年記念祝賀会。
120周年の時は我が家の娘も小学生で、当時100名を越していた児童数が、
今年度は45名(1年生はたったの2名)となんとも寂しい。

そんなわけで、
せっかくの航空写真なのだけれど、校章の白線の上に児童がぱらぱらと並んでの撮影となった(左)

(右)は、児童と教師、父兄、近くに居合わせた地区の住民たち。
*クリックで拡大します

そう言えば、↓の赤坂氏によると、
「江戸時代から150年かけて1億3千万に増えた人口が、50年後には8千万に減ってしまう」のだとか。
この国はどうなってしまうんだろう?


さて、本題の文学講座について

日時:11月9日(土)午後1時30分より午後3時  
会場:ミューカルがくと館
講師:赤坂憲雄氏(学習院大学教授・福島県立博物館長)
内容:「遠野物語から会津物語へ」

ギャラリー観の佐藤さんのフェイスブックでこのことを知り、
隠れ赤坂ファンとしては行かないわけにはいかない。

会場は大勢の赤坂ファン(中高年が多い)で熱気にあふれていた。
30代は、ひょっとして我が家の娘だけ?

第九九話(いっこんまの勝手な要約)
「海岸の田の浜へ婿に行った福二が、(明治29年の)大津波に遭い、妻と子を失い、
生き残った二人の子と元の屋敷に小屋を建てて住んでいた。

夏の初め(新盆の頃)の月夜に便所に起き、見ると、男女二人が近寄って来る。
女は亡くなった妻で、思わず付いて行き、名前を呼ぶと振り返ってニコッと笑った。
男はやはり津波で亡くなった者で、
自分が婿入りする以前、互いに深く心を通わせ合っていたという男である。
「今は此の人と夫婦になったの」と言うので、
「子供は可愛くないのか」と言うと、
女は少し顔色を変えて泣いた。
死んだ人と話をするなんてと悲しく情けなくなり、足元を見ている間に男女は足早に去って行った。
追いかけてみようかなと思ったが、死んだ者なんだと気付いた。

その後、福二は長く患っていたということである。


これに似たような話、他にももっといろいろあるんじゃないかな。
これが男女逆だとして…やはりやりきれない。

で、赤坂氏の話は、次に会津物語の
第2話「キツネは仕返しする」と第23話「山姥」へ。

会津には沢山の話があり、只今、朝日新聞に「会津物語」を連載中だとか。
そして、出版の予定もあるらしい。

ここで一つ「こおりやま物語」を。
この家に嫁いで30数年。
義母から耳にタコが出来るほど聞かされた話があるのだが、
食事中、あるいはお茶の時間に嫌々ながら聞いていたので、
文章化するのは極めて難しい、と言い訳しつつ・・・

「昔、糸社を経営していた本家の旦那様、仕事関係の大事な用があって遠くへ出かけた。
用事が済んで帰る頃にはもう真っ暗で、途中道に迷ってしまった。
すると、そこへひとりの男が現れ、
旦那様の前になり後ろになりながら付いて来た。
幸い、こうしてようやく帰宅出来たのだが、
翌日の朝、家の前には年老いたキツネが死んでいたんだって。」


もっと大事なこと、心に沁みるようなこと等、抜けているかも知れないが、
大体こんなあらすじだったと思う。
義母の元気なうちに、もう少しちゃんと聞いておけば良かった~。

本家の屋敷に稲荷様が祀ってあるのは、こういうわけなのかも知れない。



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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (さっちゃん)
2013-11-12 10:45:22
良いお話読ませていただきました。
郡山物語をおばあ様の話で出来ちゃったのですね。
なんだか日本昔話ですね。

昨日夕方から雪が降っていました朝は雪景色に成って
ました。初雪です。
我が家にもお稲荷様が祀って有ります。(屋敷神様)と言われます。なんかいわれが有るのかな~






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文学講座 (オヤジな私)
2013-11-12 12:43:30
小学校の140周年。
一年生が2名とは驚きです。どこの学校も同じような数でしょうか。大事にされますね。

文学講座はよかったでしょう。
遠野物語の九十九話は切なくも悲しい物語ですね。
しかも主人公が長く患うとは! 
遠野物語はこのような内容、筋の話が多いのでしょうか。

こおりやま物語はわかりやすくほのぼのします。
本家のお稲荷さんに祀ってもらってきつねも喜んでいるでしょう。
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本家と分家 (シン)
2013-11-12 17:03:48
高校生の頃、新潟にいて、親戚筋や地域の知り合いなどに、街なかでお会いして、うっかり挨拶を失念したときに、後日、しっぺ返しを受けることシバシバでした。
必ず母親から、「ちゃんと挨拶しなさい」との言葉。
そういうのが一因で、津軽海峡を渡ったのでした。

いっこんまさんを囲む周辺の「古来」の習慣。
大変なことでしょう。
お義母さんの介護関係の記事を読む度にそう思います。
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☆さっちゃん様 (いっこんま)
2013-11-13 20:29:04
寒くなりましたね。
市内でも雪が舞ったところがあるそうですよ。

記憶がおぼろげで恥ずかしいです。
さっき、娘から「男」ではなく、初めから「狐」だったよと指摘されちゃって。でも、このままにしておきますね。

お稲荷様は確か商売の神様のはず。
ご先祖様、何か商売をされてましたか?
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☆オヤジな私様 (いっこんま)
2013-11-13 20:32:09
独身の人が多いことと、お年寄りだけ残して町の中へ引っ越したり、それが連鎖反応となり、益々児童数が減って行きます。都会へ避難して戻って来ない人も。
それでも、郡山市全体としては32万8千人となり、これでも県内では一番多いんですよ。

今まであまり関心なかったので、nhkの遠野物語は見なかったのですが、もし、また再放送があれば今度こそ。

柳田国男が、佐々木鏡花という人から聞いた話をまとめたもので、青空文庫で読むことができますよ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html
今なら個人情報保護法とか何とかに引っ掛かるところでしょうね。
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☆シン様 (いっこんま)
2013-11-13 20:38:29
思春期はそういうのが煩わしくなりますね。
私が郡山を離れたのも同じようなことでだと思います。
「ふるさとは遠くにありて思うもの」でした。
結局は戻って来てしまいましたけど。

ある知人から、「この家に嫁いできたことはハズレだったね」と言われたことがあります。でも、私自身としてはそうも思えないんですよ。
上を見ても下を見てもキリがない。
「自分の幸せは自分で決める」ということでしょうか?

あっ、私は今介護を楽しんでますよ。
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人口減 (東京老人)
2013-11-15 11:34:06
日本も人口が少なくなって、なにかと普通になっているのではないでしょうか、昔はこのまま人口ばかり増えて、どうなるのかとコゴモ心にずいぶん心配しましたが、もう少し人が減って、要らない家がなくなって、野山が増えたらとてもいいと思います、地球のためにはニュージーランド並みの人口密度がほしいです、
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文学講座 (pochiko)
2013-11-16 05:43:51
おはようございます。

場所によって、昔から伝えられてきた物語があるものですね。
遠野物語のいろんな話を読んでみたくなりました。

谷田川小学校の創立140周年記念おめでとうございます。
でも寂しいものですね~
いっこんまさんの娘さんが通われていた頃は
たくさんの児童が居て活気あふれた学校だたのでしょうね。
今はどこも子供が少なくなりました。
私のところは、子供を見かけるのは集団登下校の時くらいです。
昔は会津若松市一のマンモス校だったんですよ。
子供が少なくなると言うのは寂しいものです。
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ありがとうございました (オヤジな私)
2013-11-16 08:55:48
遠野物語。
お気に入りに入れさせていただきました。

折りをみて読ませていただきます。
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☆東京老人様 (いっこんま)
2013-11-16 21:15:55
今まで日本の人口推移に殆ど関心がなかった私ですが、
でも、グラフで見ると大変なことになってますよ。ピラミッドが変形してます。

30年前から一人っ子政策をとっていた中国は、夫婦のどちらかが一人っ子の場合、二人まで認めることになったそうです。

お孫さんとの海外旅行、実現するといいですね。
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