水郡線の地元駅を8時30分に出発し、
郡山駅で往復のチケットを購入したり、買い物したりして、
Maxやまびこ210号に乗り込む。
大宮駅であさま515号に乗り換え、軽井沢駅に11時26分に到着した。
斎藤茂太先生の「いい言葉は、いい人生をつくる」を読んでいたので、
3時間(326.4キロメートル)はあっという間だった。
*因みに、復路は連絡が上手く行き、軽井沢16時発で地元駅着18時33分。
約2時間半で30分の短縮だった。
軽井沢は、天気予報通りしとしとと雨が降っていた。
タクシーに乗って旧銀座通りへ。
あらかじめ調べておいたお蕎麦やさんへ直行し、信州蕎麦を戴く。
注)画像はすべてクリックで拡大
鴨せいろ蕎麦(娘)と胡桃せいろ蕎麦を註文し、例によって二人仲良く…
(二人前で3,000円也)
お腹が満たされたところで、銀座通り商店街をブラブラ・・・・・
お酒屋さん、お味噌屋さん、八百屋さん、漬物屋さん、パン屋さん、洋服屋さん、
骨董品屋さん、手作りソーセージのお店etc.
その途中、名高い人が設計し歴史的建造物と言われる教会へ
*聖パウロカトリック教会
内も外も全部、無料で見せていただいたので、
感謝しながら「讃美歌 頌栄541番」を歌い 絵ハガキを買って教会を後にした。
そして、ここらで少し疲れたので、茜屋珈琲店へ。
せっかく軽井沢まで来て黙ってコーヒーをすすっていたのでは美味しくもなんともない。
マスターに「お客さんが多い時には並んだりもするんでしょ?」と声をかけ…
珈琲と「高いがうまいお菓子735円也」というのを戴きながら話が弾み、
また、軽井沢散策のアドバイスもいただいたりして、
ほんの短い時間ではあったが、
ひろ~い店内で心地よい音楽を聞きながら母娘の至福の時を過ごした。
観光シーズン前の平日の午後、そんなに強くはないが、雨が降ったりやんだり。
人通りが少なくて、私たちにとっては幸運であった。
寒くなって来たので、多くの文豪たちが宿泊していたという「つるや旅館」の前を通り過ぎ、
芭蕉の句碑を横目で見て『ショーハウス』へ急いだ。
「明治19年、軽井沢町にはじめて訪れたアレキサンダー・クロフト・ショー師は、この地を『屋根のない病院』と呼び絶賛しました。そして、自ら明治21年、軽井沢で最初の別荘を建てました。
この別荘が『軽井沢の別荘』を生み出すもととなりました」(軽井沢町ショーハウス記念館より引用)
碓氷(うすい)峠の碑がある先へ行ったところに有名な建築家の建てた別荘があり、
だがそこは進入禁止になっていたので引き返し、タクシーを呼んでホテルへ向かった。
今日の宿は軽井沢万平ホテルである。
なんと、部屋の番号が大好きな数字だった。
夕食は、銀座通りのパン屋さんで調達したサンドイッチ、サラダ、コロッケ、メンチカツなど。
軽井沢ビールで乾杯し、猫足のバスタブで足の疲れをほぐし、
明日へ備えるべく早目にベッドに入った。
今日の歩数:8022歩 消費カロリー:139kcal
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