文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

新たな章。

2011年10月02日 13時08分17秒 | 日記
Amartya Sen 33年生まれ。ハーバード大教授。

「単一帰属」の幻想を打ち砕く  評・姜 尚中 東京大学教授・政治思想史

文中黒字化と*は芥川。

グローバル経済の格差と貧困を温床とするテロと暴力の連鎖。この、それこそグローバルなテーマにどう向き合ったらいいのか。本書は、ノーベル経済学賞受賞のセンによる渾身の処方箋である。そのキーワードは、アイデンティティーだが、本書が心打つのは、センが自らのアイデンティティーをめぐる「生体解剖」的な分析を通じて、アイデンティティーの複数性と「選択」の必要を説いていることにある。

この揺るぎない信念から、センは、暴力への誘因となる「単一帰属」のアイデンティティーの幻想を打ち砕こうとする。その一つが、狭隘な利己的功利主義に基づく「合理的愚か者」の幻想だ。

これは、一切の個別的なアイデンティティーを消し去り、人間をただ欲望機械のような利己心だけで動く「普遍的な」アイデンティティーに還元しようとする。このような還元主義を代表するのが、新自由主義的な市場原 主義の幻想だ。
   
これに抗うようにテロや暴力に走る宗教的原理主義があり、そしてより知的な意匠をこらした還元主義的な単一アイデンティティーの幻想がメディアや学術の世界を闊歩している。

マイケル・サンデルに代表されるような共同体主義と、ハンチントンの「文明の衝突」論だ。両者とも、人間と社会を、「共同体」と「文明」という単一のアイデンティティーに還元し、アイデンティティーの複数性と選択の自由を否定する点で共通している。


これらの点に於いては、芥川とセン教授は全く同等の思索をしていると言っても過言ではない。

これらもまた「運命」としてのアイデンティティーという幻想を分かち持ち、目に見えない暴力に荷担していることになる。

センの共同体主義の解釈などには異論もあるかもしれない。しかし、本書は、アロー以降の社会選択論・厚生経済学とともに、ロールズ流の公正としての正義や自由論を受け継ぐセンの信仰告白にも近いマニフェストとして読み応えがある。


*この評者である姜氏は、芥川とほぼ同年代の人間で在る訳だが、芥川が、彼を初めて観たのは「朝まで生テレビ」に於いてだったが。

芥川は、彼については、「日本の失われた20年」、特に、この15年だ…を作って来た、たった3万人の側の範疇のイン物であると考えているのである。

日本が、どれだけの経済超大国で在る事か、なかんずく、「文明のターンテーブル」、が廻った国で在る事に、全く気付かせなかった、マスメディア。

その張本人の一人だと芥川は考えているのである。その事については、いずれメルマガにでも書く事にする。

雨宮処凛さんと読む 「舞姫」(上)…朝日新聞10月2日14面より 補注。

2011年10月02日 12時23分32秒 | 日記
賛否うずまく小説デビュー「変奏」の妄想広がる名作に

文中黒字化と*は芥川。

荷風も太宰も三島も、みな尊敬した規矩正しき名文家・森鴎外のデビュー小説。しかし「こんな読みづらい文は古文教科書に載せとけ」 (長野県・青木駿哉さん・18)と高校生は恨み節となる。

「文語体で作文を書かされた年代の者だけれど、『舞姫』には難渋する」 (千葉県・上野菊江さん・91)というのだから当然だろう。

主人公の太田豊太郎は、維新間もない明治政府の期待を背負い、ベルリンへ国費留学した超エリート。しかし、貧しい踊り子の美少女エリスと恋に落ち……。「周りにどうにかしてくれという豊太郎は醜い」(長野県・日下部包さん・18)「卑怯未練。許すべからざる罪人」(福岡県・二宮正博さん・62)と、老若問わず怒号うずまく結末が待っている。

作家の雨宮処凛さんも「いけ好かないエリートが女をはらませ、出世話がきたらホイホイ乗って女を捨てちゃう。友人まで逆恨みするというダメ押し的なジコチュー男。これだけむかつける小説もすごい」と、最初は思った。

鴎外のドイツ留学体験を、ある程度下敷きにしている。実際、ドイツから鴎外を追って女性が日本まで来たことは、よく知られている。

「鴎外は己のずるさを非凡な筆力で薫り高い文学作品にし、自らの栄光にすり替えた。二重の罪を負っている」(千葉県・萬濃その子さん・83)という批判は、発表当時からあった。

「確かにそうなんですけど、作家なんて多かれ少なかれ罪人。これを書かなければ一歩も前へ進めない、死んじゃうというものを書くのが文学」と雨宮さんは言う。

*おいおい、それは並の作家の場合の話だろう。芥川は違うぞ。

そんな自虐的な事を言うことが、「表現」だと思い続けて来た、貴方がたの怠慢…自分たちが、やっと表現者として世間に認知されたという奢り、その特殊な世界で生きていることに対する無批判、無反省が、痴呆テレビの20年を続け、「政治とカネ」という虚構を35年超、続けて来た事、日本の大停滞、その結果としての、世の不安定化をもたらして来たのだと、芥川は断じても良い。(以下本文に戻る)

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県亘理町から、田所純一さん(57)の手紙が届いた。高校の授業で『舞姫』を教えている。

「激怒する女子高生がいるかと思えば、男なんてあんなもの、男を信じたエリスがばかよ、という者も」とあった。「女子高生、鋭い! エリスの視点から書いたら、思い切りベタなケータイ小説になる。16歳ぐらいの子に書いてほしい。

ていうか、私、すぐ書けますよ。絵文字いっぱい使って」(雨宮さん)女性はおおむねさめていて、長崎県の松尾美保子さん(62)は「男は女子の涙にかくも弱いのか」と 「おぼっちゃま」の豊太郎にあきれた。「

ところがエリスが不細工ならこの涙は成立しないんだな。エリスがブスの設定なら、あり得ない不幸に転げ落ちていくギャグ小説に」と雨宮さんは語る。変奏の妄想が広がるのも、名作のあかしか。(近藤康太郎)

*この書評には、腹がよじれるほど、笑わされた。笑いとは、本来、そういうものだろう。

流転の子 本岡 典子著…日経読書欄から。

2011年10月02日 09時22分09秒 | 日記
「満州国皇弟一家」激動の記録

(中央公論新社・2200円)▼もとおか・のりこ 56年生まれ。ルポルタージュ作家。

中国の東北地方に日本が作り上げた傀儡国家、満州国。短命に終わったこの国の最初にして最後の皇帝、愛新覚羅溥儀は、辛亥革命で倒れた清朝のラストエンペラーでもあった。
 
その溥儀の実弟、溥傑は1937年、日本の皇室につながる侯爵家の長女、嵯峨浩と結婚した。日本と満州国のつながりを演出するための政略結婚だったが、二人は深い愛情を育み、2女をもうけた。そのうちの一人が、本書の主人公である。福永嫮生さん。愛新覚羅溥傑家の次女だ。
 
嫮生さんの半生を通して、本書は東アジアの激動を生き生きと伝える。ソ連軍の満州侵攻、日本の敗戦、満州国の崩壊、中嫮国国民党と共産党の内戦、中華人民共和国の成立、そして文化大革命。歴史の荒波がこの一家を揺さぶり続けたのである。
 
45年8月18日に満州国が崩れ去った後、溥傑と離ればなれになった浩と嫮生さんかたどった道のりは壮絶だ。 

アヘン中毒の末期症状を呈していた溥儀の廃后、婉容を介抱しつつの、逃避行。共産党の監視下にあった46年2月には、潜伏していた旧日本軍の将校らが婉容や浩を奪おうとして多数の死者が出た 「通化事件」が起きた。
 
共産党に釈放されたあとは偽名を名のり、日本への引き揚げの拠点港たった萌蘆島にたどり着いた。が、乗船の直前に今度は国民党に捕まり、上海に移送された。

このときの浩は「漢奸」(中国語で売国奴の意味)として処刑されかねない立場。幸い、上海で日本人の内地送還に携わっていた旧日本軍将校の手引きで、銃撃を受けながら脱出した。ようやく日本に帰国したのは、47年1月。
 
一方の溥傑は、兄とともにソ連軍に拘束され、戦犯とされ、中国共産党による「改造教育」を受けた。妻と娘に再会したのは61年。そして浩が北京で溥傑と暮らし始めて間もなく、文化大革命の嵐が吹いた。親元ではなく日本での生活を選んだ嫮生さんの結婚式に、二人は出席できなかった。
 
溥傑一家を翻弄した歴史は、しばしば残酷だ。だからこそ、その中でも揺らぐことのなかった溥傑と浩の強いきずなに、感動を覚えずにはいられない。

論説委員 飯野克彦

「毛沢東の大飢饉」 フランク・ディケーター著…日経読書欄から。

2011年10月02日 09時11分00秒 | 日記
毛沢東の大飢饉 フランク・ディケーター著(中川治子訳、草思社・2800円)

文中黒字化は芥川。

▼著者は61年オランダ生まれ。ロンドン大で博士号を取得し、香港大人文学院講座教授などを務める。
本書は2011年度サミュエル・ジョンソン賞を受賞。
 
「一九五八年から六二年にかけて、中国は地獄へと落ちていった」で始まる本書は、大飢饉の中の中国の悲劇を余すところなく扶り出す。文中の人肉食カニバリズムに悲劇が凝集されている。

タブーではなくなったのだろう、最近では中国の有力な研究者も大曜進による「非正常な死」について堂々と発言し出した。リベラルな経済学者、茅于弑(北京天則経済研究所)は、自分のブログで毛沢東の誤りを徹底的に批判、1959~60年の飢饉による人口損耗は出生減が1624万人、餓死者が3635万人だと暴露した。茅はまた、反革命鎮圧70万人、三反五反運動の犠牲者200万人弱という毛沢東の「政治的殺人」を摘発する。
  
「(4年間で)4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた」というのが本書の結論だが、著者が各地の公文書館で丹念に集めた資料は、趙紫陽総書記のブレインだった陳一諮などの作業グループの報告書が信頼に足ることを示しているという。陳は89年の天安門事件で亡命、ジャスパー・ベッカーは陳へのインタビューを使って『餓鬼(ハングリー・ゴースト)』 (96年)を書いた。
 
大躍進失敗の初歩的な総括をした62年1月の中央工作会議(七千人大会)で劉少奇国家主席は「三分の天災、七分の人災」と表現して大躍進を批判し、毛沢東は、「中央が犯した誤りはすべからく直接的には私の責任に帰する。間接的にも私に責任のいったんかおる」と、生涯を通じてただ一度、自己批判した。
 
これまで現代史最大の悲劇である大飢饉を描いた本は少なくない。だが本書が類書と決定的に違うのは、各地の公文書館にある公的文書をいま可能な限り使い切っていること、毛沢東を文化大革命に追い込んだ心の闇に迫っていることだろう。

毛の猪疑心の底には、劉少奇こそ、独裁者スターリンを引きずり下ろしたフルシチョフのように、自分亡き後自分の罪状の数々を糾弾する秘密演説をするにちがいないとの暗い思い込みがあった、との分析には説得力がある。

大飢饉は文革の序曲だったのである。

《評》早稲田大学名誉教授 毛里 和子

ジョブズ氏が世界中で読まれる理由は…日経19面、今を読み解くから。

2011年10月02日 09時07分22秒 | 日記
…前略(全文略)

ジョブズ氏が世界中で読まれる理由は、経営の座を追われながらも返り咲き、企業価値トップの会社に再生したことにつきるだろう。そうした不屈の精神や情熱などは日本の経営者にもぜひ学んでほしい。11月には正式な自伝『スティーブ・ジョブズ』が邦訳と同時刊行されるという。人気のジョブズ本にまた新たなページが加わる。

TPPについての備忘録。

2011年10月02日 07時19分56秒 | 日記
TPPというのはアメリカが提唱したものである。

芥川が最初に、覇権国家論で書いたように、米国が、歴史上初めてと言っても良い真正な覇権国家として登場した70年超前、世界の人口は、極端に言えば今の半分だったはずだ。それが、あっと言う間に六十五億人となり、今や七十億人なのである。

アメリカ一国では、救えない数と成ったしまった訳である。

アメリカに屹立、並列して世界をリードして行くべき国である日本が、自分の道を自分で決めれない理由は、簡単に言えば痴呆テレビなどという言うものを、20年超やり続けて来た土壌、「おためごかし」を35年超やり続けて来た、日本の人口から言えば、たった3万人の人間たちの、不要、無用のアメリカ追随主義と言うか、

東大を出て、アメリカに留学し、東大一番病とアメリカ追従が一緒に成ってしまって、現状維持や、現状分析だけの頭になってしまい、何一つ、自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の頭で考えると言う事をしなくなった者達。

芥川が、不動産売買仲介業に於いて、個人としては、もう誰も出来ないだろうと言うレベルの仕事をやり続けていた時も、否、常にそうであるのが当然なのだが、

芥川は、世の中で流行っているもの等には、一切、興味がなかった。

例えば、食に於いて、いろんな流行り廃れがあったが、芥川は、そんな所には、一度も行ったことが無い。例えば、もつ鍋、だとかetc.

芥川が、行き続けていた店は、本物の板前さんと、厳しい修業期間に在る弟子たちが作る料理。和食、中華、イタリアンを。店は、殆ど同じ店。

人がやった事を真似る、流行りものを追いかける、このようなindecencyに、真の成功が在る訳はないのである。ロクな者はいないのである。すぐにメッキが剥がれるような者達ばかり。今なら、「オイ、オイ橋下さんよ」や、孫正義たちが、その実例。

続きは、また。

取り敢えずの結論は、TPPに参加しなければ、日本の道は無いなんて事はないのである。…自分の頭で考えてみよ。すれば分かる。

分からないほどに、東大一番病と、アメリカ追従に毒されてしまっている者たちは、2ヶ月後には出版される、芥川の、「文明のターンテーブル」、を買って読め!