文中黒字化は芥川。
みちのくの祈りの美を一気にさかのぼってみる。行きつく先は、やはり縄文の精神世界だった。過去からの呼び声は現代人の心をふるわせずにはおかない。
合掌土偶
なにをしているのだろう。青森県八戸市で7月に開館した是川縄文館を訪ね、特別室の国宝土偶に見入ったときのことだ。不思議なポーズに目をうばわれる。手を組む人は女。けれど顔は性差を超え、人間ばなれしている。
名にあるとおり、合掌して祈っているのか。あるいは、なにか特別な行いをしているのか。
「はっきりしたことは、わかりません。ポーズからみて出産シーンだという見方があります。日用品ではなく、宗教の道具ではあったでしょうから、やはり祈りの形と考えられます」
小林和彦館長の説明で、霧はいくらか晴れてきた。合掌しているようでも、それはお寺で今する形と同じわけではない。ただ出土状況からすると、祈りの儀式に用いたはず。
竪穴住居の出入り口から反対側の壁ぎわにあり、小さな火をたいた跡もあった。祭壇のような場所に置かれていたようだ。わずかに赤色塗料が残るから、もとは全身真っ赤だっただろう。「宗教にかかわる家だったかもしれません」
この格好でお産をする例があることから、合掌土偶が子孫繁栄を願う偶像だとみる研究者は多い。そもそも土偶という縄文時代の遺物は、そのほとんどが女だ。乳一房を強調した作例も目につくから、生命を宿す神秘が女神の像を生んだという考え方は有力。
くわえて土偶は壊されるものだった。精霊が宿る依り代となり、痛みをやわらげる身代わりにしたり、命の再生を祈って「あの世」へおくったりするため割られたという説もある。
「東北のビーナス(立像土偶)」東北を代表する土偶のひとつ
このページのもうひとつの土偶は 「東北のビーナス」の愛称をもつ。合掌土偶よりも時代は古い。顔はなく、
くぼみに革などでできた仮面をつけたかもしれない。大胆なデフォルメは現代アートを思わせるが、これも謎が謎を呼ぶ祈りの造形である。
不思議な精神世界を映す美は海外でも評価が高い。2年前の秋、ロンドンの大英博物館で開かれた「THE POWER OF DOGU」展には、7万人近くがつめかけた。
企画にかかわった文化庁文化財部の原田昌幸・主任文化財調査官は「現代アートとしても通用する力強さが再発見された」とふりかえる。土偶は見つめる人に、生き方を見直させるパワーがある。
たとえば、縄文人にゴミとか廃棄物とかいう考え方はない。「モノは捨てるのではなく、別の世界へおくるのです。貝塚はよみがえりを祈る神聖な場。その世界観は古代信仰、ひいては古神道にも通じます」(原田氏)
針や箸のような大切な道具、あるいは鯨や熊といった貴重な獲物を供養し、塚をたてる心は日本人の精神世界の古層に残る。縄文の残り火を直感的にそうとらえて、大きな見当違いにはなるまい。科学への過信がおそろしい災いを生む現代である。
生き物のみならずモノにまで命をみて、よみがえりを祈る縄文の世界観をただ劣っていると断じることができるかどうか。
さて原田氏によると、数千年にわたって土偶がつくられた地域は意外に限られていた。東高西低であり、縄文時代の中期も末になると、中部地方や関東地方でも姿を消す。生き残ったのは東北地方だけだった。
小林和彦氏の指摘もある。「西日本では縄文がストンとなくなるが、北東北では縄文と弥生の境目を線引きするのが難しい。次の時代を象徴する前方後円墳も岩手県南部までしか達しない。異なる北の文化圏が根強くあったのでしょう」
このシリーズでとりあげた青森の棟方志功、岩手の萬鉄五郎はともに「縄文的」と評されることがしばしばたった。わび、さびといった都の美意識からかけはなれた北方の美意識が体感されるからだろう。美術評論家の匠秀夫はこう書いたものだ。
「縄文土器の美感であった“荒々しく”も“力強い”ものへの美意識は地下水のように底流することになった。現代人とはいえ、棟方志功はこの原始の美意識を強くキャッチできるアンテナをもって生れてきたーー」(「棟方志功讃」)
原始と現代を行き来しようと、美のアンテナを縦横にはたらかせた美術家が関東にもいた。岡本太郎である。
みちのくの祈りの美を一気にさかのぼってみる。行きつく先は、やはり縄文の精神世界だった。過去からの呼び声は現代人の心をふるわせずにはおかない。
合掌土偶
なにをしているのだろう。青森県八戸市で7月に開館した是川縄文館を訪ね、特別室の国宝土偶に見入ったときのことだ。不思議なポーズに目をうばわれる。手を組む人は女。けれど顔は性差を超え、人間ばなれしている。
名にあるとおり、合掌して祈っているのか。あるいは、なにか特別な行いをしているのか。
「はっきりしたことは、わかりません。ポーズからみて出産シーンだという見方があります。日用品ではなく、宗教の道具ではあったでしょうから、やはり祈りの形と考えられます」
小林和彦館長の説明で、霧はいくらか晴れてきた。合掌しているようでも、それはお寺で今する形と同じわけではない。ただ出土状況からすると、祈りの儀式に用いたはず。
竪穴住居の出入り口から反対側の壁ぎわにあり、小さな火をたいた跡もあった。祭壇のような場所に置かれていたようだ。わずかに赤色塗料が残るから、もとは全身真っ赤だっただろう。「宗教にかかわる家だったかもしれません」
この格好でお産をする例があることから、合掌土偶が子孫繁栄を願う偶像だとみる研究者は多い。そもそも土偶という縄文時代の遺物は、そのほとんどが女だ。乳一房を強調した作例も目につくから、生命を宿す神秘が女神の像を生んだという考え方は有力。
くわえて土偶は壊されるものだった。精霊が宿る依り代となり、痛みをやわらげる身代わりにしたり、命の再生を祈って「あの世」へおくったりするため割られたという説もある。
「東北のビーナス(立像土偶)」東北を代表する土偶のひとつ
このページのもうひとつの土偶は 「東北のビーナス」の愛称をもつ。合掌土偶よりも時代は古い。顔はなく、
くぼみに革などでできた仮面をつけたかもしれない。大胆なデフォルメは現代アートを思わせるが、これも謎が謎を呼ぶ祈りの造形である。
不思議な精神世界を映す美は海外でも評価が高い。2年前の秋、ロンドンの大英博物館で開かれた「THE POWER OF DOGU」展には、7万人近くがつめかけた。
企画にかかわった文化庁文化財部の原田昌幸・主任文化財調査官は「現代アートとしても通用する力強さが再発見された」とふりかえる。土偶は見つめる人に、生き方を見直させるパワーがある。
たとえば、縄文人にゴミとか廃棄物とかいう考え方はない。「モノは捨てるのではなく、別の世界へおくるのです。貝塚はよみがえりを祈る神聖な場。その世界観は古代信仰、ひいては古神道にも通じます」(原田氏)
針や箸のような大切な道具、あるいは鯨や熊といった貴重な獲物を供養し、塚をたてる心は日本人の精神世界の古層に残る。縄文の残り火を直感的にそうとらえて、大きな見当違いにはなるまい。科学への過信がおそろしい災いを生む現代である。
生き物のみならずモノにまで命をみて、よみがえりを祈る縄文の世界観をただ劣っていると断じることができるかどうか。
さて原田氏によると、数千年にわたって土偶がつくられた地域は意外に限られていた。東高西低であり、縄文時代の中期も末になると、中部地方や関東地方でも姿を消す。生き残ったのは東北地方だけだった。
小林和彦氏の指摘もある。「西日本では縄文がストンとなくなるが、北東北では縄文と弥生の境目を線引きするのが難しい。次の時代を象徴する前方後円墳も岩手県南部までしか達しない。異なる北の文化圏が根強くあったのでしょう」
このシリーズでとりあげた青森の棟方志功、岩手の萬鉄五郎はともに「縄文的」と評されることがしばしばたった。わび、さびといった都の美意識からかけはなれた北方の美意識が体感されるからだろう。美術評論家の匠秀夫はこう書いたものだ。
「縄文土器の美感であった“荒々しく”も“力強い”ものへの美意識は地下水のように底流することになった。現代人とはいえ、棟方志功はこの原始の美意識を強くキャッチできるアンテナをもって生れてきたーー」(「棟方志功讃」)
原始と現代を行き来しようと、美のアンテナを縦横にはたらかせた美術家が関東にもいた。岡本太郎である。