文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Hさんへ、10月11日。

2011年10月11日 19時07分35秒 | 日記


gooにおける昨日のアクセス数は、以下の数字でした。


1010日のアクセス数


閲覧数:8,650PV    訪問者数:666IP


順位: 700 / 1,641,902ブログ中 (前日比  )


一方昨日のアメーバは 閲覧数:704  訪問者数:478
FC2
は 訪問者数:391


gooの、ページごとの閲覧数ベスト20は以下の通りです。




1トップページ83 PV


2今年の自然科学系ノーベル賞 日本の研究者...62 PV


3みちのく祈りと形 縄文と岡本太郎日経新...59 PV


4巨大地震、仕組みに新説  海山が一因・岩...48 PV


5春秋日経新聞10101面より46 PV


6EU、公的資金 軸に対応 銀行増資、G20...46 PV


7格納容器浄化へ1号機工事再開  福島第1...45 PV


8日本車 反攻なるか 「地産地消」で円高に...38 PV


9芥川は、約束通り、日本の山脈を、日本の山...36 PV


10摩擦と発展の環日本海地域日経新聞1010...35 PV


11知事・市長 来月ダブル選へ日経新聞101...34 PV


12不良債権「予備軍」44兆円 5年で1・5...33 PV


13景気指標 風当たり強まるバーゼル3日経...32 PV


14がん転移対策、研究進む 他日経新聞101...32 PV


15芥川の「文明のターンテーブル」とは、どん...31 PV


161122日号メルマガ発行のお知らせ。31 PV


17悪しき商業主義のダボハゼと、例えば構想1...29 PV


18三菱UFJモルガンの人員削減 希望退職に...27 PV


19三菱化学がワークシェア日経新聞62013...24 PV


20三菱商事など優先交渉権 カタール淡水化プ...19 PV


 


昨日の結果も、芥川の本望、本懐でした。



エネルギーと技術…日経新聞9月26日19面より

2011年10月11日 13時46分32秒 | 日記
…前略。
最後に、スマートグリッドはエネルギーを有効利用するものであり、エネルギーを生み出すことはできない。

したがって、スマートグリッドが普及したとしても化石燃料や自然エネルギーといったエネルギー資源の必要性がなくなるわけではない。

(産業技術総合研究所 安芸裕久)

「IBM奇跡の“ワトソン”プロジェクト」人工知能はクイズ王の夢をみる…朝日新聞10月9日16面より

2011年10月11日 13時45分35秒 | 日記
スティーヴン・ベイカー〈著〉
Stephen Baker アメリカのジャーナリスト。『数字で世界を操る巨人たち』

人とキカイの未来に思いはせる 評・辻 篤子 本社論説委員

ワトソン君といえば、ご存じ名探偵シャーロック・ホームズの助手である。もう一つの顔が加わった。米国で人気のテレビのクイズ番組「ジョパディ」で今年初め、人間のチャンピオン2人を破ったIBMのコンピューターである。同社創業者の名前を冠した研究所で生まれたことから命名された。

本書はそのワトソンを開発した同社の技術陣を追う。クイズは、1997年にコンピューター「ディープブルー」でチェスの王者を破ったIBMの次の挑戦課題だ。

ディープブルーは、人間の毎秒3手に対し、その約7千万倍、毎秒2億手を計算するが、人間の知能とは全く異質なものだ。クイズへの転戦は 「認知大陸の本土に真正面から挑む」ことを意味し、ほとんど不可能とも思われた。

質問は、語呂合わせなども含んだ普通の言葉で書かれ、機械にはそれを理解することがまず難しい。しかも内容はありとあらゆる分野に及ぶ。

3年ほど技術的な検討を重ね、11年初めころの対決をめざして正式に計画がスタートしたのは07年夏だ。マシンに知識を教え込み、答えを出すまでの時間は2時間から3秒にまで縮まった。問題の選び方や賞金のかけ方など勝つ戦略も教えた。

対決の様子はユーチューブで見られる。自信なさを見せたり、「6435ドル」と細かい金額をかけて笑いを誘ったり、どこか愛らしさすら感じさせるキャラクターだ。

結果は、機械らしいミスもあったものの、ワトソンの圧勝だった。決して人工知能と呼べるものではないというが、それでも、言葉を理解して膨大な情報から瞬時に答えを引き出す機械が誕生した意味は小さくないに違いない。

私たちのだれもがいずれ、助手のワトソン君を持つようになるのか。といってホームズになれるわけではなし。
人とキカイの未来に思いをはせさせる一冊だ。

「モノが語る日本対外交易史 七-一六世紀」…日経新聞10月9日21面より

2011年10月11日 13時44分23秒 | 日記
シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア著
▼著者は55年ドイツ生まれ。フランス国立東洋言語文化学院大学文学博士。仏高等研究院教授。専門は古代・中世日本の対外関係史、物質文化史。

形態から観念まで俯瞰し叙述  評・東京大学教授 村井章介

著者は、1955年ドイツに生まれ、現在フランス高等研究院歴史学部の教授で、古代・中世日本の対外関係や物質文化を研究している。日本語・中国語にも堪能で、ひんぱんに両国を訪れては現地調査や研究交流に励んでいる。国際派・行動派の女性歴史学者である。

原著は1988年にフランス語で刊行され、2006年に英訳が出た。それぞれの標題を拙訳すると『起源から一六世紀までの日本の対外貿易』、『荒海を越えて七~一六紀日本の対中国・朝鮮貿易』であり、日本語版とあわせて3つの標題から、おおよその内容をつかむことができよう。

本書は個人が1冊で1000年にわたる歴史を俯瞰的、総合的に叙述した意欲作で、研究が細分化された日本の歴史学界では類例がない。輸出入されたモノについて、従来の貿易史ではたんに名前を羅列するだけのことが多かったが、本書では形態、用途、さらにはそれにまつわる観念について、ある程度具体的な説明がある。

たとえば、不老不死の薬に使われた水銀を多量に産出したことが、日本についての仙境イメージを生みだしたという指摘など、蒙を啓かれた。しかも可能なかぎり数量を示しながら、時代や国家・地域の巨視的な比較が試みられている。巻頭の39点のカラー図版も有益である。

本書は英語版を訳出したものだが、日本古代外交史の専門家である河内春人氏が、著者と協議を重ねて訳しているうえに、原著刊行後の研究の進展をふまえて、日本語読者むけの加除・改稿や、五つのコラム・補注・参考文献の追加・増補が行われている。

とはいっても、基本部分は初版の1988年時点の研究水準に依拠しており、その後の研究で塗りかえられた部分が目につくのは、やむをえないところか。日本の土地制度や朝鮮の通交制度などについて、不正確な記述もいくつか見られる。

とくに14世紀以降、海洋アジアの交易に大活躍した琉球について、わずかな言及しかないのは残念である。

東京の「教育改革」は何をもたらしたか 渡部謙一〈著〉…朝日新聞10月9日18面より

2011年10月11日 13時43分25秒 | 日記
学校を民間企業になぞらえて効率化を唱える議論が盛んだ。しかし企業には。「名ばかり店長」を酷使するブラック企業もある。都立高校の元校長である著者は、「校長に『権限』など何もない。

『責任』だけとらされる」と告発する。東京都の学校はブラック企業か。「管理職とは、教育行政に対してではなく、教職員に、生徒・親に、地域住民に、直接責任をとる人」という著者の実践と葛藤の記録。 

『アベべ・ビキラ 「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯』ティム・ジューダ〈著〉

2011年10月11日 13時41分12秒 | 日記
朝日新聞10月9日17面より
Tim Judah ジャーナリスト・作家。英国BBCを経てタイムズなどで執筆。

いまなお鮮烈 東京五輪の記憶  評・横尾 忠則 美術家
 
東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベは日本人の記憶に今なお焼きついている。そして彼の人生が栄光と悲劇で幕を閉じたことも。本書はそんなアベベのコーチを買ってでたスウェーデン人トレーナーのニスカネンの献身的な指導の実態のドキュメントである。

ヨーロッパの選手を日本に運んできた帰りの飛行機を利用すれば旅費が安価だという理由で、僕はオリンピックの期間中ヨーロッパを旅した。そしてローマで東京の街を走るアベべの姿をテレビで見た。

ローマを裸足で走った彼が白いソックスと白いシューズを履いていることに違和感を抱いたのを覚えている。

無名のランナーをオリンピックに出場させるまでに導いたニスカネンは常に控えめでアベベの背後に身を隠しながら彼を叱咤激励し、オリンピック史上初の3連覇をメキシコに賭けたが途中棄権。

あんなに子供のように純真で素直だったアベベは東京オリンピックの後、人が変わったように傲慢で尊大に振る舞うようになり、ニスカネンとの関係もギクシャクし始めた。

そして足の故障に追い打ちをかけるように交通事故に遭い、ランナーとしては再起不能の車椅子の人となった。

それでもアベベはエチオピアだけでなくアフリカ大陸の英雄には変わりなかった。「哲人アべべ」は「すべては神様の思し召し」と悟り自分の思いのまま生きたことを認識しながら「試練と戦って」いたが、彼の内面の苦悩は、相当なものであったことが想像できる。

また、彼を寵愛した皇帝が革命で暗殺されたのはアベベの死の2年後だった。一方、ニスカネンもすでにアベベから離れ、自らの人生が「無に帰してしまった」想いを抱きながら、第2の故郷エチオピアに骨を埋めたい望みも空しく、スウェーデンに没する。なんとも悲哀に胸痛む運命的な二人の生涯でありました。

「戦場のエロイカ・シンフォニー」私か体験した日米戦…朝日新聞10月9日17面より

2011年10月11日 12時44分46秒 | 日記
ドナルド・キーン、小池政行〈著〉
Donald Keene 22年生まれ。日本文学研究者 ▽こいけ・まさゆき 51年生まれ。

巨大な悲劇の中の一滴の救い 評・後藤 正治 ノンフィクション作家   

文中黒字化は芥川。

日本文化と文学の世界への伝達という功績により、ドナルド・キーンに文化勲章が贈られたのは3年前である。
先頃は日本国籍の取得および日本永住も話題となった。本書は、キーンヘのインタビューをもとに構成されているが、その「原点」と「いま」を伝える書となっている。

コロンビア大学生だった若き日、キーンはニューヨークの書店で『源氏物語』を手にする。ここに美のために生きている民族がいるーーそれが日本との出合いだった。

戦争がはじまり、米海軍の将校となり、アッツ、沖縄戦も体験するが、「筋金入りの反戦主義者」、発砲したことは一度もない。やがてハワイの捕虜収容所で通訳や翻訳などに携わる。死に直面した日本兵の遺稿日記には、もはや戦争の狂気は消え失せ、「どんな文学をも凌駕する」深い内面の葛藤が記されていた。それが原点となった。


表題は、収容所で流れたぺートーべンの交響曲3番「英雄(エロイカ)」より採られている。音楽好きの一捕虜の所望に応え、キーンはシャワー室に蓄音機とレコードを持ち込んだ。協力要請のためではない。単に彼を喜ばせたいと思ってである。

キーンと日本とのかかわりは他の著作でも散見できるが、あらためてキーンその人が浮かび上がってくる。それは、多彩多層なアメリカ社会のなかでも、おそらく最良の層に属するであろうヒューマニストの像である。

戦争を憎んだ一学徒に、戦争は生涯の道を開いた。後年、それは日米両国に大いなる利益をもたらした。巨大な悲劇のなかの、一滴の救いのしずくというべきか。

憎しみ合う関係性もいつかは変わる。人間存在のありようは国境によって区分されない。「私はもう民族という言葉や観念を嫌うようになりました」とも口にする。米寿を超えた日本学の泰斗は、いま遠くを見詰めている。


インスピレーションがやって来たのは…。

2011年10月11日 12時30分34秒 | 日記
芥川とはやっぱり縁があった訳だった或る高名な建築家Aさんの作るもの、作るフォルム、その形態、特に外観等、芥川はとても良いと感じ続け言い続けてきた。

だが、まさか芥川の人生において、彼の作った作品の中に半年以上も住む事になろうとは思いもしなかった訳だが、この部屋がまさに、「弘法も筆の誤り」というか、芥川が思うに、彼に限らず、世界中のすべての高名な建築家というのは、空間とか人の流れとか、そういう面でとても素晴らしいのだが。 ただ、そこで人が生活をする、暮らす場合(短期であれ長期であれ)おそらく皆さん全員細部には目がいっていないはずだ。

その事が芥川に21世紀の安全保障戦略を具体的に見事に完成させたのだから、まさに「袖触れあうも多少の縁」であった、特にAさんの場合は。あれほど何度も会い、既述したように双子の兄弟の方にまで会ったりしていたのだから。

彼が設計した事はまず間違いがないのである、後で、ネットで正確に調べて観るが非常に扱いにくいのである。外の気温はもう秋の温度になっているはずなのに、この部屋は突然湿度が高くなったりするのである。

仕方なしに頻繁にエアコンで調節しなければならない。
エアコンを入れて 頭寒足熱ではなく正に頭熱足寒の部屋の設計なのだった。

ここから芥川はインスピレーションを得たのだ。この扱いにくさが逆に芥川のGiftedを閃かせたのである。それはもちろん絵空事ではなく見事な解答として具体的に簡潔に。


追記

先程、ネットで確認して見れば、日本一高名な設計会社の設計でAさんの設計ではなかったのですが、一つの普遍的な文章として、このままにしておきます。

石井竜也が最盛期に米米クラブでやっていた音楽は…。

2011年10月11日 12時26分16秒 | 日記
寝直して、もう一度目を覚ました、まだ4時前だった。この時、おそらく夢と現(うつつ)が一緒になっていたのだろう。 

石井竜也のバンドについて、その音楽とそれを評する何かテレビのドキュメンタリーのようなものが脳裏に流れていた。芥川はこの石井竜也のバンドには一定の評価をしているのである。どんな事かといえば、ダンスミュージックというか カリプソ、或いはケイジャンミュージックのフュージョン・ミュージックというか一番正しい形容は、ちょっと今度忘れてしまっているのだが、この分野に或るとき突然、一人のGiftedが現れたのである。

それは、もう2度と作れないようなワンフレーズでもって世界をうならせた。混血のカリブ系の歌手なのだ。カリビアン・ミュージックが融合した音楽の最高峰を、たった一曲、たったワンフレーズで作り出した人間とそのバンドがいるのである。確かジョン・メイオールだったと思うのだが。

それを石井は模倣したに違いない。その耳の良さだけは芥川は認めるのである。しかし、それ以外は、ほとんど何も認めるものはない。何故か、それは音楽について芥川が書いた簡潔にして短い文章を読んでもらえば分かる事だ。再読してもらえば分かる事だ。

早朝に芥川の脳裏で出来あがった3部作。

2011年10月11日 12時23分49秒 | 日記
昨夜思いっきり早く寝たからであろう、思いっきり早く目が覚めた。2時、しかしこれではなんぼなんでも早すぎる。寝直す事にしたのだが、眼を覚ました時に、 先般、芥川が内田さんよ、あなたは道を間違っている と書いた事を簡潔に指摘した文章に続く事が出てきた。

言論人や学者というものは、こう言う面ではどういうものか芥川は知らないが、本物の芸術家という者の中にはディレッタンティストはいない。徘徊主義者はいないということである。君は、どういう理由かは知らんが、徘徊している。それを君が師と仰ぐ梅棹たいじんが良しとするとは芥川には思えない。

大新聞は正しくて、或いは何らかの理由で大新聞は必要であるんだとか、ネットは正しくない、だとかと言うことには何の意味もない。芥川が、ただ言いたいのは、芥川が書きだして、たった一年超の間に私達のマスメディア(この中には当然大新聞の特に論説委員達が含まれる)の酷さに心底気が付いた事である。

ジャーナリストとしてだけではなく人間として決してしてはならない事は反民主主義的なものに与すること。

与してしまっただけでなく国民をミスリードし続けてきた者たちが何の反省もしない。

そういう有り様を、君は、それでいいんだと言っているに等しい。君もそうだったからかもしれないが、そんな論理はどこにもない。大新聞であろうがネットであろうが言葉はそこに本当に真実があったのか本当の真実を書き続けて来たのか、それだけが問題なのであって、大新聞には肩書があるとか大新聞は大部数の有名だとかネットには肩書がないとかネットは無名だとか、そんな事は何も関係がない事だ。

文章とは、論説とは、そこに本当の真実があるかどうかだけである。
「おためごかし」の真実なんかどこにも無いのだ、内田さんよ。

つまり、あなたに代表されるような、そういう、マスメディアに対する同級生意識が、この20年超の痴呆テレビと、35年超に渡る「政治とカネ」…実態は何度も言う様に田中派叩き…と言う名の内向きの虚構ゲームを許して来たのだ、とも言えるのだ。