編集委員 安井 孝之
群馬県富岡市の山肌を切り開き、外界と遮断されたブラックボックスのような工場の中で試作が繰り返されている。2015年秋に空を飛ぶエアバス「A320」の新型機のジェットエンジンに使われる、先端素材の生産に向けた準備が進んでいる。
重工大子IHIの100%子会社でロケット開発、生産などを手がけるIHIエアロスペース(IA)の富岡事業所。ここは小惑星「イトカワ」で採取した物質を地球に持ち帰った探査機「はやぶさ」の打ち上げロケットと燃え尽きずに戻ってきたカプセルをつくった場所でもある。
エアバス新型機に使われる先端素材は、炭素繊維と樹脂を組み合わせた複ふに材料。軽量で強く耐熱性にも優れている。見た目は黒っぽい。同種の複合材料は秒速12キロで大気圏に再突入し、1万度を超える超高温の環境にさらされた 「はやぶさ」のカプセルを守った。
「はやぶさ」からエアバスへと、複合材料の生産技術が「知のリレー」でつながった。打ち上げから帰還まで7年の間、燃料漏れやエンジン停止、音信不通など何度も苦境に直面した「はやぶさ」とIA社がこれまでたどった道とはどこかだぶって見える。
IA社の源流は戦前に軍用機をつくっていた中島飛行機。戦後、解体された多くの会社に技術者や技術は引き継がれ、そのうちの富士精密工業がプリンス自動車工業と合併、その後日産自動車の航空宇宙事業部門に姿を変えた。炭素繊維を使った複合材料の研究は60年代から始まった。
知のリレーの危機は90年代後半の日産の経営不振。99年にカルロス・ゴーン氏が経営に参画し、「選択と集中」戦略を進めた。いわば「事業仕分け」で、航空宇宙事業は仕分けされ、売りに出され、IHIが00年に買い取った。
日産時代から働き、現存IA社の宇宙開発事業推進部長の牧野隆さんは「航空宇宙事業は自動車とは時間軸も規模も違う」と言う。
今回のエアバス新型機への納入で、今後30年間で1兆5千億円の売り上げを見込む。年間500億円の売上高はIHIの航空宇宙事業の売上高3千億円にとっては大きな柱だが、日産の売上高の1%にも満だない。
それぞれの技術、商品にはそれを育む適正な企業規模があるのだろう。大きな組織がすべての先端技術を育てられるわけではない。
現在公開中の映画「はやぶさ/HAYABUSA」の堤幸彦監督は研究者や技術者のそぶりや癖などを「完全にコピーした」という。そのスクリーン上に映った彼らの「最後まで諦めない」姿が感動を呼ぶ。
中島飛行機で90年近く前に始まった技術の地道な伝承が、富岡でようやく安息の地を見つけようとしている。
群馬県富岡市の山肌を切り開き、外界と遮断されたブラックボックスのような工場の中で試作が繰り返されている。2015年秋に空を飛ぶエアバス「A320」の新型機のジェットエンジンに使われる、先端素材の生産に向けた準備が進んでいる。
重工大子IHIの100%子会社でロケット開発、生産などを手がけるIHIエアロスペース(IA)の富岡事業所。ここは小惑星「イトカワ」で採取した物質を地球に持ち帰った探査機「はやぶさ」の打ち上げロケットと燃え尽きずに戻ってきたカプセルをつくった場所でもある。
エアバス新型機に使われる先端素材は、炭素繊維と樹脂を組み合わせた複ふに材料。軽量で強く耐熱性にも優れている。見た目は黒っぽい。同種の複合材料は秒速12キロで大気圏に再突入し、1万度を超える超高温の環境にさらされた 「はやぶさ」のカプセルを守った。
「はやぶさ」からエアバスへと、複合材料の生産技術が「知のリレー」でつながった。打ち上げから帰還まで7年の間、燃料漏れやエンジン停止、音信不通など何度も苦境に直面した「はやぶさ」とIA社がこれまでたどった道とはどこかだぶって見える。
IA社の源流は戦前に軍用機をつくっていた中島飛行機。戦後、解体された多くの会社に技術者や技術は引き継がれ、そのうちの富士精密工業がプリンス自動車工業と合併、その後日産自動車の航空宇宙事業部門に姿を変えた。炭素繊維を使った複合材料の研究は60年代から始まった。
知のリレーの危機は90年代後半の日産の経営不振。99年にカルロス・ゴーン氏が経営に参画し、「選択と集中」戦略を進めた。いわば「事業仕分け」で、航空宇宙事業は仕分けされ、売りに出され、IHIが00年に買い取った。
日産時代から働き、現存IA社の宇宙開発事業推進部長の牧野隆さんは「航空宇宙事業は自動車とは時間軸も規模も違う」と言う。
今回のエアバス新型機への納入で、今後30年間で1兆5千億円の売り上げを見込む。年間500億円の売上高はIHIの航空宇宙事業の売上高3千億円にとっては大きな柱だが、日産の売上高の1%にも満だない。
それぞれの技術、商品にはそれを育む適正な企業規模があるのだろう。大きな組織がすべての先端技術を育てられるわけではない。
現在公開中の映画「はやぶさ/HAYABUSA」の堤幸彦監督は研究者や技術者のそぶりや癖などを「完全にコピーした」という。そのスクリーン上に映った彼らの「最後まで諦めない」姿が感動を呼ぶ。
中島飛行機で90年近く前に始まった技術の地道な伝承が、富岡でようやく安息の地を見つけようとしている。