当ブログ、(英語という言葉のニュアンスに限らず)英語話者たちの身振り表現のニュアンスに関しても、別室でエア・クォーツについて論じてみたように、ところどころで話題にしてる。
という事で、きょうはまた無作為に「It's been a good run.」というフレーズについて考えたい。
1.人生の「もう戻っては来ない、何らかのステージ」を去る時、または去ったあとに(その当時を)振り返って使う。
例えば、軍人が退役するとき、プロスポーツ選手が引退するとき、政治家が大役の任期を終えるとき、上長が職場を辞するとき……などの改まった挨拶の中に使われることが多い。そのステージに立てたことが「ある意味、人生で一番輝いていたと思える」場合に語られることが大半で、たとえば出世や栄転など、そこからさらに高い活躍の場が控えている場合には使われない。
2.そのステージで過ごせた自分を自己採点してみて、おおむね及第点が採れたと思う場合、悔やむことのない場合に使う。
このステージで(自分の)やれることはやり切った。満足のいく仕事は出来たと思う。自分を褒めてあげたい。こんなに活躍の場を与えられた自分は幸せだった……そういったニュアンスを伝えたいときに「It's been a good run.」と言う。戦闘系ドラマのなかで、闘士が命運尽き、「もはやこれまで」と自決するときにも「It's been a good run.」と口走ることがある。自分は満足している。敗残するワケではないのだ……という意味合いで、選挙に負けた候補者が(激しかった選挙戦を振り返って)「It's been a good run.」と演説する場合もある。ここは去るが「手ごたえはありました。応援やサポートありがとう」といった雰囲気まで内包しているのかもしれない。
そして最後に……ある意味、これが(このフレーズの語感を理解する上で)一番重要なことなのだが、
3.あくまで「自分が自分に」言うセリフである。人から言われる言葉でなく、人に対して使ってはいけない。
何らかの大舞台を終えた人が、自分を「何とかやれた」と労(ねぎら)うのが「It's been a good run.」。非常に控え目な、最低ラインの及第点をクリアできた、というのが真意であり、「まだまだ、上を目指したい想いが無かったワケではない」という自負心を内に秘めている。これをもし、人から「It's been a good run.」と言われると、言われた方は「まあまあだったね」「あんたにしては上出来だった」「今までやれたなら十分だろ」「ここらが潮時さ」と上から目線で断言され、なし遂げてきた業績を評価せず、なだめられてるように聞こえる。まったく失礼な物言いで、反発を買うこと必至である。
もう お察しのことと思うが、このフレーズ。ぶっちゃけ英語のなかでは珍しく日本語的な「謙遜」表現の最たるモノなので、勇退する誰かが「It's been a good run.」と言ったら、「いやいやグッドなんてもんじゃない。ミラクルラン、オーサムランでした あなただから出来たんです」と訂正し、讃えるのが本来あるべき応答態度であり、惜別のマナーである。間違っても、「ホントにそうですね」と相槌を打ってはイケないのだ。それは、東京から出張してきた巨人ファンが「阪神は結局、下位に堕ちるで」と自嘲する虎ファンに「ホントそうですよね」と手離しで賛同を返すのに等しい。
末筆に、いかにも今どきの…と言うか、少し変わった場面で「It's been a good run.」と言ってる人の実例を紹介しておく。
おそらくは十代の男性。とある戦闘ゲームに入り浸り、YouTubeでログ中継してた若者が「進学準備に本腰を入れる決心を固めたので、アカウントを消して(戦場を)出てゆく」と"戦友"やビデオ・フォロワーに伝えている投稿動画である。
> https://www.youtube.com/watch?v=mtUFjsq_3zE
動画自体はともかくとして、寄せられた反響コメントの(英文の)数々に着目していただきたい。ここまで明らかにしてきたように、皆「寂しくなる」とか「あんたの活躍は伝説だよ」「新しい世界で頑張って」といった言葉で応じている。いくらゲーム中毒者だろうと、さすがに「It's been a good run.」に「It's been a good run.」で返すよーなボキャの乏しい奴は一名二名、いるだけだ。つまり、そういう「去り際の、渋い述懐フレーズ」こそが「いっつびーな・ぐっ・らん」… なのである。