関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

石油元売り会社ってホントに何度も合併⚡繰り返し、20世紀に見慣れてた風景とは丸っきり❕❕違うよね

2018年09月21日 | 日記

国の特別天然記念物コウノトリのカップル「きずな」と「きらら」が栃木県小山に飛来したそうだ。
 
平均的な日本人なら、鳥名を英語でどのくらい言えるだろうか。 鶏はチキン、鷹はホーク、鳩ならピジョン…と、この辺までは出てきても「さてコウノトリは?」と問われたら、即答できる人は少ないのではないか。 ある地域の人たちを除けば。

──「ある地域」とは九州。 ここの大人たちなら、かなりの割合の人たちが「ストーク」と答えることができる。 なぜ、そんなマイナーな英単語を知っているのか。 実は、最近まで存在した(地場の)大手ガソリンスタンドの名称が「ストーク・ステーション」だったのだ。

このスタンドを展開していたのは、九州石油。 1960年設立、と石油の元売会社としては後発だったが、九州全域では相応の店舗数と知名度を誇っていた。 そしてまた、このスタンド網が店のシンボル・イメージに(1986年以降)掲げてきたのが、下の画像/左=「コウノトリ」マークと「STORK」というブランドネーム。 そう、「STORK」こそコウノトリの英名に他ならないんである。
(参考: 外部リンク→洋アニメ映画『コウノトリ大作戦』の英語版ポスター
 

※ちなみに、横に並べたヨーカードーのマークの他、平和堂や宅建協会など…日本の商売のシンボルでは横向きの鳥を描いたパターンを数多く見ることができる。
 
ただ日本経済「失われた20年」を通じ、日本のガソリンスタンド数は減り続けた。 安倍さんが「景気は回復基調」と豪語していたここ数年も、トレンドは何ら変わらない。 昨17年末の統計では、国内の給油所数が23年連続のマイナス。 九州石油も厳しい舵取りを迫られ08年、新日本石油(当時)への吸収により解散…という道を選んだ。 社齢、48年にして消ゆ──キューシュー石油がキューシューされちゃったワケで。

新日本石油と言えばエネオスのブランド。 今や「ストーク・ステーション」はエネオスの看板を掲げる。 ところで九州石油のコウノトリは(先のマークうを見て↑おワカりの通り)白い鳥のシルエットが青い基調を背景に飛翔しているデザイン。 つまり、基本カラーのなかに「赤」が配されていない。 ガソリンスタンドの看板の配色に「熱いエネルギー、活気」を象徴する赤や黄色が含まれないのは、たいへんに珍しい例と言えるだろう。

暖かい九州では「涼し気であること」こそエネルギッシュ、という理屈か。 そんな、見た目のクールさで見慣れていたスタンドがエネオスに鞍替えしたら❔ ……まさに「スタンドの基調カラーが青から赤、劇的ビフォーアフター❕❕」の実例画像が、こちら(外部リンク)。 いゃ実にスゴい、打って変わって「豹変」ってやつだね
 
さて、ところで石油会社と言えば昭和後半、春先から秋のスタンド事務所には(年毎の)水着ポスターが華やかに貼り出されていた。 古くは1969年の小川ローザ嬢以来、石油業界は紡績・ビール・航空会社と並ぶ、イメージガールの選出母体であり続けた。 むろん、九州石油とて例外ではない。


この98年イメージガールの村田和美さん〔既に芸能界を引退〕を、わたしは失礼ながら丸っきり存じ上げなかった。
 
過去に3度 実写ドラマ化された『ねらわれた学園』の、3度目のTVシリーズで主演されてたそうで。 世のなかに「歌手で俳優」とか「俳優でグラドル」という女性はよく聞くが、この子は14歳でデビューののち「歌手で俳優でグラドル」とマルチに立ち回り、寿引退する間際の数年はスポーツキャスターまで務めたとか。 そんな話を今知るにつけ、当時アラフォー手前だった自分が(いかに仕事に忙殺され)芸能番組をロクすっぽ観てられなかったかを再確認させられた。

まァともかく、こうした大手企業のイメージガールは業界の淘汰再編が激しいと"栄冠の椅子"も減る一方なワケで、(昨今のミスコンの自粛傾向などと合わせ)ボディを絞ってグラドル目指す女子には受難の時代である…。

石油業界の淘汰は、ってと「ENEOSスタンドの隆盛」ばかり際(キワ)立った。 通販業界のアマゾンみたく、出光さんと昭和シェルさんの縁談がゴタゴタと先送りされてたうちにも堂々、「一強」のアドバンテージを拡げてゆく。そして「合併に合併を重ねる」と言っても銀行業界なんかと違い、会社だけが合併して看板を架け換えなかった効用が大きい。

18年目に入ったENEOSブランドだが、実は、ブランド展開主である石油会社の名前は(この間に)4回も名前を変えてるのだ。 いちいち全部憶えてる人は、もはや少数派なのではないだろうか。

日石三菱新日本石油JX日鉱日石エネルギー
JXエネルギーJXTGエネルギー

もちろん、これは減りゆく給油所事情のなか、残ったスタンドのなかで(さらに)進んだ淘汰。 一方で、ENEOSへと変わっていった元売ブランドは数知れない。 主だった大手分だけでも系統立てした図面は(ないかとググってみたが)見当たらなかったので、急きょ自作してみたのが以下の画像だ。
 

平成世代の若手は「看板が目まぐるしく変わる」と言うとスーパー&コンビニ業界か家電小売業界あたりを連想するのだろうが、昭和から平成初頭は銀行や石油元売りが「目まぐるしく」社名や看板を塗り替えてきた…という記憶に彩られる。 もっとも、看板が変わるくらいならマシな方か。 昭和世代には、(たとえば自転車メーカーやオーディオメ―カーなど)慣れ親しんだブランドも消えるわ業界規模も縮小の一途だわ、「その界隈(かいわい)全体が細る、寂れる、過疎る」という、地方商店街みたいな移ろいをイヤと言うほど日常としてきたのだから。

寂れる、という話ついでに付け加えると……上掲の水着ポスター画像はの月刊誌の表紙から採った。
 

これは油業報知新聞社というところが発刊している業界誌で、98年当時は月刊だった(現在は季刊)。

頁をめくると、三井石油(←東燃ゼネラルが買収済み)キグナス(←現存するが最近、三愛石油の100%子会社からコスモ石油に株の20%が分配され、包括提携が強まっている。そもそも2004年までは東燃ゼネラル傘下だったのを、三愛石油が買い取った企業だ)といった大手ブランドが広告を出稿してる。 その、それぞれに栄枯盛衰がある。企業の寿命は(持って)30年❔ なんて言われ始めた今日、ホンの20年も経ったら「多くのこと」が違う景色に変わってしまってる。 …嗚呼
検索タグ:エネオスの歴史,エネオスの沿革,ENEOSの歴史,ENEOSの沿革,ガソリンスタンドの変遷,ガソリンスタンドの歴史
=了=

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野沢直子のサバプロ(1989年)

2018年09月17日 | 日記

わたしにとってボードゲームと言えば俄然『サバプロ』だ。サバっても昨今の、食材としての「鯖ブーム」は関係なし。「サバイバル・プロフェッショナル」を略した『サバプロ』、なんだそう。

バブルまっただ中の1989年に発売された創作ボードゲーム。(定価いくらだだったかもう憶えてないや)

作者は、元『ビックリハウス』編集長の高橋章子女史。ボード面の作画は赤星たみこ大先生。他に、商品イメージキャラクターとして野沢直子"嬢"が何ヵ所か、挿入写真のモデルとしてご登場。…というコトはつまり本作、オール女子チームによるプロダクトなんである。

が、ならば制作サイドである彼女らと同世代の(当時の)会社OLが遊べるボードゲームなのか❔と言や、全然さにあらず。

これは、東京の企業戦士で社畜で妻の尻に敷かれる男性サラリーマン君が朝、家を出て(会社の指図=ノルマを迅速に消化しつつ)数々のデンジャラスな出来事やトラブルを無事 乗り切って、他のプレーヤーより早くスタート地点(=妻子が待つマイホーム)に戻り着くコトを競う「生き残り競争すごろく」になってる。 高級クラブのねーちゃんと不倫デートしたり、顧客のお偉いさんを接待するハメになったり、良いこと悪いこと問わず、降りかかるゲーム進行中の艱難辛苦は全部❕ オトコ社会のリーマン目線で展開してくんである。

まあバブル時代の2~30代女性社員ってば、まだまだ男女間の歴然たる待遇格差があったとは言え(今に比べりゃ)たいそうな額の給与をもらい、オトコどもの多くが(分厚い札束を)ネオン街での遊興費や高級時計、はたまた口説き目的のデート代とかに投げ捨ててしまってたよーなコトを一切せず 堅実にコツコツ財テクだのマンション投資だのして(最終的には男子社員と比べても遜色ない)リッチな経済環境を得てしまう「ちゃっかり組」も多く出現してた。そんな子たちにとっては、デカく稼ぐが「ムダ銭の多いジタバタ生活」に奔走する男性種族を皮肉っぽい目で観察し、揶揄する余裕も持てていたワケで。 このボードゲームなんかは、そんな世情の心持ちが生み出した最たる『ジョーク・アイテム』なんだろう。

さて、それで当『サバプロ』の遊びかただが。

ゲームを進行させるのはサイコロの他に、『ノルマカード』『アクシデントカード』

ゲーム盤には東京都内の交通網が縦横に描かれているだけで、決まったゴールは各自のスタート地点。どこを目指してどっちに進め、という決まりが無い。それを指図するのが『ノルマカード』で、行き先や用事が(そのカードをめくると)書かれてある。プレーヤーは各ノルマを通り終えた時点で、他のプレーヤーにも開いて見せインチキでないことを証明し、次のノルマカードをめくる……を繰り返す。


この『ノルマカード』のなかには幾枚か『ラッキーノルマ』というやつが隠れていて、これが『核シェルターへ行け。着くと核爆発、他のプレーヤー全員が減点となる』とかって内容。

要は『他のやつら被曝してザマぁみろ 俺だけ助かって超ラッキー』、てなノリなんだ 防災モラルは微塵も無い。

そりゃナンちゅー卑しい価値観だとも思うし、それが「サバイバル精神ってモンだろ」とも思う。 万事こんな調子で、このゲーム上の東京では(実に頻繁に)核が投下されたり、大地震に見舞われたりする。 だが次の瞬間には、新たなノルマで(何事もなかったかのよーに)次の目的地を選び続けてくんだからして、何ともシュールつか、タフな社畜生活ではある(悲哀)


もう一方の『アクシデントカード』はサイコロの数だけ進んだ毎に、毎回1枚ひくカードだ。 すごろくでいう「1回休み」とか「3つ進め」的なイベント設定が書かれてあるので従う。ここでも下掲のよーに核戦争ネタ、地震ネタなど無慈悲で過激な被災ハプニングがテンコ盛りww 東京の毎日がホントにこんななら、安倍さんは被災地周りだけで総理の全任期を費やしてしまうだろな。


きょうも1日(命を削って)働いて働いて、そしたら突然の地震とかで自宅に帰りつけない…とか、当『サバプロ』は22年あとに(現実の)東京を揺るがす「帰宅困難者」の決死の帰宅バトルを予見したとも言えそうなエンタメ玩具だが、一方で、やれ核攻撃大震災だという「危険の肌触りや恐怖の中身が空っぽ」で、事務的で、サラっと流すだけに尽きてもいる。

さすが、そこら辺は東日本大震災や北韓のミサイル実験が起きてない時代の「サラリーマンのサバイバル・デー」妄想。

もし2020年、同じような『サバプロ』がリブート企画されたら? もうさほど「核爆弾が落ちる」なんてアクシデントは乱発されないだろう。 その各コマでは「通り魔に刺され…」「痴漢と間違えられ…」「上司のパワハラで…」「会社が倒産して…」「愛人が妻に浮気をタレ込み…」「仕事の不祥事をマスコミに叩かれ…」「SNSの甘い誘いに乗り…」「隣人宅から死体が見つかり…」等々、もっと別の恐怖で詰まった『新アクシデントカード』を引かされるハメになるハズだ。
 

最後に、余談。 このボードゲームのオマケで付いてきた(野沢直子26歳がモデルの)ハガキ大シールを掲げとく。

正式タイトルは見ての通り、野沢直子の ラブリー避難ファッション・シール』


時代かなー(遠い目)。 糸井世代つか、いわゆる『ビックリハウス』直球の感性だよね。 当時大ブレイクした「ヘタウマ調」の実写ブロマイド。

この、防空頭巾と満州引き揚げをミックスしたような恰好を「ラブリー避難ファッション」と笑い飛ばす、一種の「割り切り」❔❔ こんなのは『この世界の片隅に』に漲(みなぎ)る「元気やユーモア」に託したメッセージとは真逆の、ぶっちゃけ戦中世代への侮辱以外の何でもないっつ話で。

年寄りが戦争の話をするたび、「るせーなー、もう時代が変わったんだ」と反発してた世代が、最後の最後の栄華に酔い、国民規模な暴走に散ったのが、他ならん『バブル崩壊だったワケで。 ジジイども、俺らの築いた「この華やかな時代」を見ろ。もう戦中の日本人は「滑稽でしかないぜ」!!!!って驕りや過信が、あのバブル隆盛時代は世のなか覆ってたような気がするもん。 今じゃこうしてさァ、「そのバブル期の日本人も滑稽でしかない」ってのにね。      = 了 =
 
 
 
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【フリー素材|無料画像】 PhotoShop®でロイヤリティ・フリー画像を自作する②  = カラフルなフルーツ飲料 in 牛乳びん×5本 =

2018年09月15日 | 日記

Copyright-Royality-Download FREE | "Colorful juice in glass bottles" images (4,000 x 2,800 pix)

PhotoShop®でゴソゴソと、勝手気ままなフリー素材画像を手作りするコーナー、2回目。今回は4000 × 2800 pixと、前回よりデカい尺を採って8枚のバリエーションを作ってみた。

昭和の景色、ガラスの牛乳びんのなかに(あえてアクリルペンキのように原色で濃厚な)グレープ、ウォーターメロン(すいか)、オレンジ、レモン、メロン……以上5種類のフルーツドリンクを充填してズラリ、並べましたってな光景です。

フォトショって、広~い意味では「CG」の部類に入るのかぁ?? 別に動画じゃないしな。 どう考えても鉛筆と消しゴムでシコシコ描いてる延長にしか思えないんだが。もっぱら指先のコンマ何ミリの運動能力と、(文字通り)目分量の色合わせやツール調合だけが制作の核を占める。コンピュータに何か判断させてるとか、釣り合いを診て調整してもらってる、なんて(具体的に作画する手間や思案する時間が省けて)便利に感じたてえコトは一度もない。

ただ……出来た平面の静止画だけを並べて見たら「これ、CGで描いたの?」とかフツーに言われそう。そしたら「還暦も近いような(高校の美術科目でアートは卒業の)中高年おやじが、きょうびの豪華CG(?)テクなんか駆使するかよ! 昭和人のローテクと忍耐だけで描いたに決まってんじゃん」と即答する。

手書きとCGとの境界って、厳密に定義しようとすると幾通りも説が分かれてくるんだろう、きっと。

背景01|ビュッフェ  spn86_C01_001


背景02|涼しき滝  spn86_C01_002


背景03|朝露の樹々  spn86_C01_003


背景04|青空に白雲  spn86_C01_004


背景05|ストリート  spn86_C01_005


背景06|窓からビル群  spn86_C01_006


背景07|旅客機キャビン  spn86_C01_007


背景08|医療ラボ  spn86_C01_008



※ちなみに、それぞれの画像をクリックすると(外部リンクで)オリジナルサイズの配布画像へ飛びます。

                                                = 了 =
 

 
【関連の記事】:
 ・ 【フリー素材|無料画像】 PhotoShop®でロイヤリティ・フリー画像を自作する①  = グリーンの道路標識 Part1:業務アプリ制作会社向け =
<英文タグ> fruity juice bottles, colorful drink bottles, colorful fruit smoothies, copyright free images
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🎬オキュぺーション:オーストラリア本土がエイリアンに占領されるSFバトル映画のDVDジャケ写が、なぜに東京都荒川区?

2018年09月14日 | 日記

豪SF映画……当ブログでも頻繁に話材にするテーマだ。

自分の洋画鑑賞歴における豪SF映画の原点は、やはり1981年の『マッドマックス2』だ。その世代だから、基本的に「オーストラリアは先住民族と白人の国」だと思っている。観光以外の目的で(かの大陸に)アジア人が暮らしていることは、(自分のなかでは)オーストラリアのイメージに合わず、興醒めする光景のひとつだ。

もっと厳密に言うと、自分のよーな「ケツの穴のちっせえ輩」にとって、周りが英語をしゃべる白人で、英語に疎い自分が「白人じゃないから(英語を)しゃべれないんだ」という理屈が通っている方が、自分の気分が楽になる。これが、周りに英語ぺラぺラのアジア人がフツーに溢れていたら、モロ❕わたし個人の資質が「アジア人としてもダメ、劣等」と陰で言われるような気がして、無性にイラつく。したがって、白人建国国家にアジア市民が増え(ている光景を目にす)るのは、イラっとする……という三段論法になるのだ。

白人国家は未来永劫、白人国家であり続けてほしい。人類は、むやみに肌の色を超えて交流しないでほしい グローバル化 糞食らえ。いみじくもアジア人なら、この緻密で内向的なアジア文化圏から出ていくな❕❕…という、誠に勝手な「負け惜しみ根性」の囚われ人。それこそがわたしの卑しく醜い本質なのだ。

…で。

そういう歪んだ性分の自分にとって、本年の豪SF大作『オキュペーション -侵略-』観るに堪えないモノだった。白人が支配して以降、オーストリア大陸(つかオーストラリアという国家の本土は)は、まだ一度も占領(オキュペーション)されたことがない。そこへ突然、未知のヒト型エイリアンの船団が現れ奇襲&総攻撃。圧倒的な火力で、みるみる大陸の大半を制圧する。命からがら逃げ伸びた中国系ひと家族と白人の数家族、それに(コソ泥生活を送っていた)風来坊ら。祖国オーストラリアをエイリアンの手から奪い返すために、一致団結して闘いを挑むのであった……という

エイリアンなんかの異様さに比べりゃ、中国人も同じ人類兄弟じゃないか。分け隔てなく迎え入れ、仲良く暮らし共に闘おう、てか。別にエイリアンでなくとも、巨大バッタの群れとか怪獣軍団でも良いよねえ❓ 早い話「オーストラリア人の、肌の色による(国内社会の)断絶を吹っ飛ばすためなら、大挙夜襲してくる残忍な敵キャラは何でも良かった感」がストーリー冒頭からイヤでも鼻を突く。


80年代SFみたく安易でB級な「宇宙人による侵略」という状況設定からして、SFヲタクよりもフル世代のアクション映画好き、すなわち「よりフツーの大衆全般」に向けた作品であることは明らか。どうキレイごと並べたって(かの大陸から)白人主義者は居なくならんだろよ❕と毒づきつつ、こーゆう「SF(❔)の皮を被っただけの」新生オーストラリア礼賛プロパガンダ映画には、自己欺瞞の塊りがっとナジるばかり。けっして生理的に受け付けられない自分なのだった(哀)

さあ。作品への恨み節はもう置いといて、本日の本題。来たる11月発売予定の「邦版DVDジャケ」について触れよう。


日本独自デザインなのだよね。インディペンデンス・デイもどきの巨大円盤。眼下に見えるのは……え❓ 桜橋ぃぃ??
 
そうなのだ。この(下半分に配された)ジャケ写は、東京スカイツリーから眺望した荒川区周辺。邦版DVDジャケでは、あろうことか元ネタのオーストラリア(もっと具体的には、シドニー)、という重要なファクターが(ごっそり)抜け落ちてる。こう変えた意図が、皆目ドンノウだ。


てか、わざわざ(本国版ポスターやジャケのデザインと)変える必要、微塵にも無いのにな。ちなみに本国版、シドニー市街の眺望を拝したこれだから、単にこうすりゃ良くなかった❔❔ ねえ皆さん。


 
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ウィキペディア発のフェイク情報を追う❕ 「函館に来たベレンコ中尉のミグ25」が今もロシアで “機体を展示”中…って英語版の記述は、たぶん間違いだろう/他1件。

2018年09月10日 | 日記

さあ。今夜はまず、「結論めいたこと」からザックリ記した上で以下、詳しい「その根拠となった道すじ」を語っていこうと思う。

つい先般……9月6日は昭和の「お騒がせ怪事件」のひとつ、《ベレンコ中尉ミグ亡命事件》が起きた日から42年目()となった日であった。当時は冷戦まっただ中。お堅いソ連の、それも最前線を護る空軍将校が(西側世界に怖れられた)最高機密の戦闘機を駆って任務放棄の逃亡。あろうコトか仮想敵領土深く、民間の函館空港に強行着陸して「米国への亡命」を申し出た、という前代未聞の「例のアレ」である

冷戦もソ連も崩壊し、ミレニアムも越えた数年前のこと……事件発生から70日余を経てソ連に返還されたミグ機の行方(ゆくえ)をめぐり、英語版のウィキペディア「ミグ25」の項目説明に↓以下の文言が(ひっそりと)追加された。


憶測だが(資料原典の引用符も無いので)さらりと読む分には、誰か英米語圏の一般人ツーリストが「旅行でロシアの航空機工場を観てたら、思いもかけず件のミグ機が飾ってあったのでさっそく知識を共有すべく追加しましたァ」みたいな一節にも?読める。

ミグ機? それ飾ってあるって、どんなふうに??

と言うコトで順を追って調べる。

まず、「ニジニノヴゴロドのソコル工場」って? ニジニノヴゴロドはロシア西部に在って、モスクワの衛星都市のひとつ。ソ連時代は「軍事機密上の閉鎖都市」で地図にも載らなかった。晴れて冷戦後の今は(先般の)ワールドカップロシア大会でもサポーティング・シティの一都に名乗りをあげ、サッカー日本代表にこそ縁が無かったが《ニジニノヴゴロド・アリーナ》なんて大スタジアムを会場用に突貫改修して話題を呼んだ。


 
さて、その街にある「ソコル工場」って?

正確には単に工場、ってんじゃなく会社だ。ロシアでは伝統的に『1所1社』という感覚が強い。ひとつの会社の下に何ヵ所かの事業場がある、という経営方式は採らず、各工場や営業所が「会社」としての体裁を持ち、より大きな会社が「資本上の親会社」となり「本社」となる。最終的な「統括本社」は実質、プーチンさん率いるロシア政府である。その、官営なんだか民営なんだか、あいまいなまま混然と一体化してるのが現ロシアの経済体制なのだ。

ソコルの直接の親会社は「OAK(統一航空機製造会社)」という半官半民の会社。今の形に再編させられたのは2006年で社史としちゃ若いが、ミグやスホーイ、ツポレフといった(日本でもおなじみの)ブランド企業も全部、このOAKの傘下にある。

となるとソコルは、日本の感覚だと『OAKニジニノヴゴロド工場』になるんだが、『1所1社』のロシア的にはあくまで《ソコル航空機製造合資会社》、あるいは略して《ソコル》としか呼ばないんですな。集合しても名前が残ってちゃ業容の理解が複雑になるだけなのにって我々は思うが、ロシア人は地産の屋号やブランド名が資本合併で看板がコロコロ変わる、ってこと自体、「腐った資本至上主義の悪習」と信じて疑わないようなのだ。

ちなみに、ソコルとはロシア語で「はやぶさ」のこと。名のごとく、瞬速で飛ぶヒコーキを造ろうと始まった工場で、1930年に建設が開始され32年には生産第1号機となる複葉戦闘機をロールアウト。1948年には初のジェット戦闘機を出荷、これが縁で翌49年から「ほぼ、ミグ機専門の」製造工場となり現在に至っている。

ミグ? ソコルじゃなくて?

はい。だってソ連時代の創業で。 腕の立つ熟練工や、その門下を目指す青年を集めて「生産会社」を設立しただけだ。(軍用機だろうと民間機だろうと)ヒコーキを設計だの開発だのするのは、「お上の、お役人部局」の仕事で、「その設計図の機体、ウチのソコル工場で作らせてください」という営業は(地場の)党幹部や政治局員の仕事。

逆に、ミグやツポレフという設計開発会社(当時は会社でなく「設計局」という役所)は各機種の量産や保守整備、エンドユーザへの販促…等々までは担当してない。設計図と部品(材料)リストさえ書き上げたら、そこから先は全国に散らばる「生産会社」の役目。そして、どこの会社にどの機体を任すか?決めるのは「お上=OAK」の役目。その役割分担は、ソ連崩壊後も変わらなかった。造船なども基本同じで、各地の造船会社は船を企画設計したり営業して回ったりはせず、今もまだ、決められた材料と与えられた設計図で(文字通り)ひたすら船を造るだけが仕事になってるようだ。国内同業者間で互いに(直接、市場を舞台に)受注競争しない、という意味では『共産社会』時代のしきたりが色濃い、とも言えようか。

ちょっと話が拡がりすぎたので、ソコルに話を戻す。いちいち《ソコル航空機製造合資会社》では面倒なんで、単にソコル社、としよう。

ミグ設計局(今のミグ社)の設計した機体を着々と生産することで業容を固めたソコル社。そのソコル社の工場構内に「生産してきた代々のミグ機を飾った区画がある」……結論から言うと、これは正しい。グーグルMapの航空写真でも、その様子は確認できる。


ネット上には、地上で撮られた写真
も上がってる。ミグ25の辺りだけ拡大してみたのが↓下の画像。



それでだ。
 
前置きが長くなってしまったが、英語版ウィキの「ベレンコ機が今も工場に飾ってある」との記述は、ここに並んでるなかの一番、西の端っこ。下の機体↓のことを指した可能性が高い。



記述者が「(この機↑が) ベレンコ機だ」と判断した理由は、おそらく当人は現代史をヒモ解くのは好きだが、軍用機オタクではない この機だけ不自然に、他のミグ25やミグ29とは離された場所に置いてある 何よりも!函館で撮られた亡命機と機体ナンバーが同じ『31』だ。…といったことかと思われる。


たしかに、函館のミグ機の機体ナンバーは『31』だったが、数少ないカラー写真を見る限り、赤色塗色の31であり、この機のような紺文字の31とは違う。記述者は(世界じゅうに最も数多くバラ撒かれた)モノクロ写真のミグ25ばかりが脳裡にあって、早合点したのかもしれない。

さらには、だ。 航空機&戦闘機マニアなら一目でおワカりの通り、そもそもこの機体はミグ25ですらない。

もう一度、3つ上の「展示機を地上で撮った写真」を見返してほしい。 写真、向かって左手前から右手奥に順に、ミグ19、ミグ21、ミグ25、ミグ29、ミグ31。

そう。この機体ナンバーは現役運用時の識別番号ではない。どの展示機も、単に機種名の(ミグに連なる)附番に塗り替えて並べてあるだけ。一番奥に置いてあるのは「ミグ25の、他のとは離して置かれた31番機」ではなく、フツーに「ミグ31」だ。

ま、当ブログは軍事ヲタ専ではないので、パンピー的に捕捉の説明画像も加えておく。かように、そっちの一般知識を持ち合わせてる御仁なら、誰もこの機を「ミグ25だ」などとは誤認しようがない!と思う。


人の体重や要員数を増やしてでも(ミグ25の単座仕様から)複座に設計変更したのは、表向き「> 作戦任務でのパイロットの負担を減らすため(※ウィキペディア日本語版)」などとされているが、もっと泥臭い本質的な理由は「二人組の操縦システムに変えることで、パイロットひとりの意思では逃亡(して亡命)できなくする」ことに他ならなかった。
 
マッハ3級の迎撃戦闘機をワンマン操縦にすると、パイロットが機ごと逃げようと思えば(追いつける機種がないため)容易に逃げられてしまう。この当然の「危うさ」を白日の下に晒した者こそ、売国奴ベレンコなのであった。さらに言えばレーダー操作は後席でしか行えず、たとえパイロットが自身の逃亡のためには鬼となり(飛行中に)後席の同僚を射殺できたとしても、あとはレーダー無しでの操縦を強いられ、亡命“逃飛行“の成功率は格段に落ちる。

とま、余談はさておき。
 
ここまで分かった段階でも、まだウィキ英語版「ソコル工場に展示説」が100%フェイク情報とまでは断言できない。

なぜなら2年前、同じようにウィキペディアの記述に引っかかったブログ主(実は元防衛"庁"の海自所轄官?)さんも英文でご推察してる通り…


曰く、「なら、その隣の隣に置かれた(正真正銘の)ミグ25の機体こそ、ナンバーを31から25に塗り替えられた"ベレンコ機"なのかあ??」という仮説も成り立たないワケでなく、実は?それこそが「事実だった」…とも限らない。

この際だから、とことん考察してみよう。それじゃ(ミグ31は忘れて)ミグ25展示機の方に目を転じる。この機についても、近くで撮った写真がある。


おや? 何やらミグ25の機体の前には解説板?みたいなプレートが立ってるような。 ここに「反逆将校ベレンコが乗っ取り、日本の函館空港に…」云々と記されてるのか? ソコルはミグ機の製造部門だけでなく、ミグ最新機種の操縦士候補生(延べ)1万人以上を育て上げた総合訓練センターを内包している。そういう意味では、明日のミグ機を操る訓練生の目の届く場所に「恥すべき黒歴史」を展示することの教育的効果が無いとは言いきれまい。

しかし…。

あいにくだが、その可能性も低そう?なのだ。函館の亡命機、この展示機の「左主翼 付け根前方」部分をズームUPしてみると…


いかがだろうか? もっともハッキリしてるのは①②とを比べた場合、展示機は主翼の付け根前方へと1.5mほど細長く突出した梁(はり)のようなモノが、明らかに溶接で「つぶされている」ことだ。これはフェアリングと言って、妨害電波の発信器(アンテナ)を覆う風防なのだが、実際にアンテナを埋めて機能させる気なら(①②のように)5cm程度の厚みで"出っ張らなくては"覆うことができない。どうも展示機には「展示用に、ただ大雑把に外面パーツを繋ぎ合わせた感」が色濃い。にわかには「ベレンコ機だ」とは言い難いと思う。

今回の記事で(自力で)追えるのは正直ここまでだが、いちおー「ベレンコ機が展示中、と言うのは(ミグ31を勘違いしたか、あえて紛らわしくするよう意図された)フェイク情報であった」と結論しておく。

そう結論づけたのには、もう一つ「他力の情報」を根拠としている。 それはロシア語版のウィキペディアにおける、下記の記述だ。 周知のごとく、ロシアの「公式情報」の真贋は一概に見抜けないし紛(まが)い物も多いのだが、少なくとも個人的には、英語版の「展示説」より説得力があった。


 
いやいや、それでも納得できないぞ、って人のためにww

ナンなら、あなた自身がニジニノヴゴロドに飛んで行って(疑惑の展示機体を)見てこよう…と思い立つかもしれない。そんなあなたのために『ニジニノヴゴロド"異色"観光ガイド』を併載しておこう

先ずは、ニジニノヴゴロドの宿を取ろう。リンク先を見ての通り、別に高いもんじゃない。次に、渡航法は"おまかせ"で。モスクワなり経由して、ニジニノヴゴロドを目指されたし。

ホテルからはタクシーで、運ちゃんに「ムイジ・ソコル、バジャオスタ」(ソコル博物館へ頼む)とでも言えば、下記のソコル航空機製造史博物館に連れてってくれるハズだ。 あとは地図解説の通り歩けば、難なく「そこ」へ着くぞ。


参考までだが、このソコル社の工場地帯が(市内の)どの辺にあるか?と言うと以下の辺り。
 

この地図に在る「ソルモヴォ飛行場」(露表記:Сормово аэродром)だが、実はグーグルMap上には載ってない。※航空写真モードで2997х68メートルの立派な滑走路こそ確認できるが(肝心の)一切のテキスト記載が無い。主にミグ機の試験用なのだから冷戦時代は隠匿されてて然るべきだが、新ロシアの治世になってからは、こんな鈑金工場のスクラップ置き場みたく、ただただ「荒廃に任せとくのもどーよ」って気運が高まっている。


おまけに、周辺を常時監視する人材まで(空軍もソコル社も)賄えないという苦しい懐事情をイイことに(最悪、警官に射殺されても文句言えんのに)忍び込んで盗撮するバカな若者まで出てくる。こりゃあナンとかせんと。少しは(自社産品の試験以外に)、もっと「カネを産む使いかた」も考えろ!という至極もっともな要請が…今や各方面から寄せられてるのだ。
 
↓空から見たソルモヴォ飛行場の全景。とても最新ミグ機の発着場には見えない。

ここ数年、世界のツーリストたちに知られ始めてる「ロシアで、ミグ29に乗って絶叫アクロバット飛行体験ツアー」「ロシアで、ミグ29に乗って成層圏まで夢の往復ツアー」の運営元こそは他ならぬソコル社で、実はあのミグ29、このオンボロ自社飛行場を発着母港にしてるのだ… 知らなかったでしょwww
 

この、唯一世界に1機しかない"観光仕様"ミグ29に乗るのに「どんな大金」ハタかされるのかは知らないが、こんな場末のスクラップ置き場から離陸すんのかってだけで、フライトの初っ端から「絶叫マシン」状態に曝(さら)されるんじゃないかしらん プロモ動画だけ見てる分には「楽しそう」「スゴそう」…なんだけどね

MIG-29 flights in Russia. NEW multi-angle video! 


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