朝、目を覚ますと、宮本が嫌味ったらしく、おはようございます、よく眠れましたか、と言った。苦しそうにしていたのでどうしたのか聞くと、宮本は、か細い声で腹痛を訴えた。ジムが横から、下痢が止まらないらしい、と付け加えて、宮本に横になっているように指示した。楽になってからゆっくり下山すればいいんだ、と私は宮本に言い聞かせて、ジムと2人で、外の空気を吸いに行った。
外に出ると、もう雨は上がっていた。今まで寒い所に居たせいか、深呼吸して吸った空気が妙に生暖かかった。
私の気のせいだろうか。ジムはさっきから何か言いたそうだったが、一言も口を聞かなかった。宮本のやつ、ほんとに体力無いよな、とわざと明るく話しかけたが、彼は私の方を振り向いただけで、何も言わなかった。たまりかねて私は、何か言いたいことでもあるのか、とつぶやくように言った。ジムは、しばらく黙りこくっていたが、急に私の方に振り向いて、宮本があんなふうになったのは自分がこんな所に連れて来たせいだ、と言った。そして、・・・悪かった、と一言、私に向かって頭を下げた。私は、もうこうなってしまった以上は、彼1人に責任を押し付けるつもりは毛頭無かった。私は、今さら言っても遅いよ、と憎まれ口をたたいた。そしてジムの肩をポンとたたいて、宮本の様子を見に戻って行った。
宮本は、熱にうなされていた。嘔吐もしたらしい。完全な脱水状態だ。人の手を借りずにこの山を下りるのはとても無理だ。野犬狩りの人たちを待つ他にはないと、私とジムは互いに無言で合図した。私は、狩りの人たちを待つ間、宮本の看病をジムと交代で行っていた。―――「アジア人の怒り」・・・その、当時の村人の“呪い”がまだ生きているなら、いや、その“呪い”が、まだ生きて10年前に起こった不幸を今再び私たちに浴びせかける力があるなら、横で苦しんでいる宮本を、ただ単に医学的な知識だけで治すというのは、最初から無理なことなのかもしれない。遠い昔、どこからともなく現れたという基督。その、村人を鬼の行為から救い鬼を残らず死に至らしめたというその基督が、今、今度は、何の身に覚えの無い“呪い”のために苦しんでいる私たちを救うために、ここに、どこからか現れてはくれないのだろうか。
鬼が死に、伴天連が死に、怒りを生んだ村人たちも死んで、・・・そして、怒りだけが、長い時間を越えて今も残っている。この洞穴に、その時代錯誤の一切が凝縮されて、そこここに漂っているのがわかる。この洞穴の中では、生きているもの全てが、いや、生きるということ自体が、呪われているのだ。
(つづく)