すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「アジア人の怒り」⑬

2005年03月13日 | 小説「アジア人の怒り」
 私は何もできずに、ただ、彼の体に涙声で叫び続けているジムを見つめていた。2人共、いや、宮本本人さえ予期していた当然の出来事だった。しかし、それがあまりにも早く、あまりにも突然に起きたことに対するショックが、私たちを動揺させていた。・・・どうして、こんなことに。そんな言葉が無意識のうちに口をついて出ていた。しかし、その言葉は、自分にも非はあったと認めた私の前言を全面的に否定し、あまりにも露骨に、ジムに対して責任を転嫁していた。
 ジムは、それを敏感に感じ取り、睨むように私を見た。頬を濡らしている涙も拭かずに、まるで何か意を決しているかのように黙っていた。私は、それに気づかない振りをして宮本を見ていた。しばらくしてジムは、ゆっくりと視線を落とし、埋めてやろう、と、ぼそっと言った。私は同意の返事を返す代わりに、立ち上がって宮本の足元に移動した。私たちは、あの“墓地”へ宮本を運び、そこに11人目の墓を立てた。ジムは、宮本のリュックから医療品と食料を出した後で、リュックをその杭に掛けて、5秒ほど手を合わせていた。私もジムに続いて、杭の正面に立って手を合わせた。私は正面の杭を見つめたまま、ジムに体調を尋ねた。ジムは、症状は良くならないが宮本みたいに急激に悪化することは無いだろう、と言った。ジムは、一息ついて、また話し出した。
 自分は責任を感じている。宮本がこんなふうになったのも自分が悪いんだ。しかし、自分が山を下りずにここに残ることにしたのは間違っているとは思わない。あの狂気の村人たちに撃ち殺されるくらいなら、ここに居た方が、同じ死ぬにしてもまだ長く生きられる、そう思ったからだ。自分の考えは間違ってはいない。そう思ってはいるが、・・・おまえが反対するなら、自分は、ここに引き止めはしない。山を下りるなら1人で下りろ。
 ―――“撃ち殺される”?ジムは、知っていたのか?“同じ死ぬにしても”?どういう意味だ?ジムは、薬で治らないことを知っていたのか?―――自分も同意見だ。従って、山を下りる気は無い。・・・私ははっきりと答えた。ジムは、うつむいた顔を上げて、火を焚こう、いつまでもここに居たら肩の傷に応えるぞ、と言って、私の右肩をポンと叩いた。

(つづく)
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