慈恩寺の看板
「ウイキペディアから」
「慈恩寺(じおんじ)は、山形県寒河江市にある仏教寺院で、現在は慈恩宗の本山。山号は瑞宝山。宗教法人としての登録名は「本山慈恩寺」。
行基によって見い出され、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、鳥羽天皇の勅で再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。平安時代は荘園主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮して帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。
本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式である。創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された」
巨樹を見に行こうとカミさんが仕事を終え、家を出たのは午後16時過ぎ。鹿沼インターから山形へ。午前12時前に寒河江SAにて車泊。最近は車泊が流行っていて、連休も重なり一晩中車が出入りし、騒々しい。
「わざわざ離れたところに止めるのだが、慣れないのか、それとも心細いのか、他にスペースがあるのにもかかわらず、すぐ脇に止める人が多い。そういう人に限って隣に寝ている人車があるのにもかかわらず、エンジンをかけたままいつまでもドアの開閉でバタバタうるさいのである。最近このような無感(ノーカン)な人が多くなった。自分たちは無感性、無考慮、無認識、そして鈍感なのでさっと寝れるのであろうが」
どうも私は、神経質で騒々しいと寝れない性格でそんなこんなで、あまり眠れぬまま朝7時起床。本日の予定は寒河江の「道の駅チェリーランド」で、前から欲しかった月山和久さんの刃物を買うこと。次に出羽桜美術館で「斎藤真一展」を見ることである。道の駅は10時オープンだろうと想像し、その前に慈恩寺を見ておこうとカミさんの提案で、慈恩寺に。
20代から30代にかけてスキーにハマっていた時には良く月山に夏スキーに来ていた。その際この慈恩寺の名物そば、ニシン蕎麦屋にはちょくちょくお世話になったものだが、その慈恩寺そばの本家本元のお寺には足を運ぶことはなかったから、今回50年ぶりでのお目見えとなった。
「トナラー」なる考察があるらしいので
こうした「隣に座る人」を、「トナラー」と呼ぶこともある。もともとはガラガラの駐車場で隣に停める人を指した言葉のようだ。トナラーの中にはセクハラまがいの不届き者もいるかもしれないが、そうとは思えないケースも少なくない。なぜ、隣に座るのか──。 そもそも、隣に座られると私たちはなぜ不快感を覚えるのだろう。日本ビジネス心理学会副会長で認知科学研究所所長の匠英一さんは、「パーソナルスペース」の観点からこう解説する。 「自分が快適に過ごすための空間『パーソナルスペース』を侵されたと感じることが一番の理由です。パーソナルスペースの広さは環境や状況で変化し、ガラガラの電車内や空いているカフェでは自分のテリトリーと認識する範囲が広くなる。隣に座られても満員電車のような密着はないはずですが、満員電車以上に不快に感じるのも自然です」
私は隣に座ろうが、駐車しようが、マナーとTPOを守ってもらえれば一向に構わないのだが!
慈恩寺山門
慈恩寺山門・仁王像
慈恩寺 三重の塔
慈恩寺 本堂
慈恩寺遊歩道に出ていたハナイグチ(食)けんちん汁などに
遊歩道最上部(この遊歩道はかつては慈恩寺をめぐる修験道だったという)山王台公園からみる寒河江の町波。晴れていれば蔵王山などが見れる。
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