上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

直江津・町屋ぶらり

2018-05-31 00:00:53 | 直江津散歩

直江津を流れる関川を挟んで、両岸を半日かけて歩いてみた。

左岸からは直江津港が見え、その背後には柿崎の火力発電所が控えている。

右岸からの眺めが、私は特に好きだ。河口付近に密集した町屋の背後には、妙高山、火打山、焼山、権現、鉾が岳が顔を覗かせているからだ。

 

 

 

右岸にある直江津捕虜収容所跡地には、小さな資料館と、平和記念公園がある。この場所は、太平洋戦争時に、300人のオ−ストラリア人が収容されていて、そのうちの60人が亡くなったのだという。しかも戦争後半になるとオーストラリア人だけでなく、米、オランダ、イギリス人、700人余りが捕虜として収容されました。

戦後何十年かを経て、収容されていたオーストラリア人との交流が始まり、この公園が設立されました。

いつ訪れても人気のない平和記念公園では、天女の笛の音が、嗚咽しているように思えます。

 

 

 

 関川河口と町屋、橋は荒川橋

 


18:51分の落日

2018-05-26 17:03:54 | 落日

私が、新潟上越に滞在するも足掛け10年あまり。通算すると4年ほどとなるか?その間、四季を問わず、日本海に沈む夕日を、折に触れて眺めるようにしているが、この日ほど見事な夕日は初めててあった。めったにない、ダイナミックで見事な落日をどうぞ!

        下方が変形し

      上方が変形し

 四角になる

 そして

  三角になり

 平らになり

水平線に消えていった。

明日また、復活だよね !!!

「私にパワーを少し分けて」と手を合わせる


 町おこし・十日町市 松代

2018-05-13 20:47:03 | 十日町

 3年と4か月前、十日町市の竹所という集落に建つ、ドイツ人の建築家、カール・ベンクスさん設計による家を取材しました。

 2015年2月取材記事⇨「ある山村にて」 

そのカール・ベンクスさんの事務所があり、拠点になっている十日町市の松代に行ってきた。

 

      竹所にあるベンクスさんの自宅。この家は鬱蒼とした緑の森の中にあり、

      ピンク・ベージュのカラーと相まって、緑の森とコーデイネートしていると思う

 

 竹所の集落を回ってみると3年前と同じで、居宅は増えておらず、7〜8軒ほど、そのうち半分は別荘のようで、人の気配はなかった。一軒の建物が増えていたが、作業小屋であった。もともと雪が深く、住居として住むには、竹所は余程の覚悟がないと生活には適していないと、私は思っている。ここに居を構えた方は、どんな思いを持ってこの地とベンクスさんの設計を選んだのだろうか。

 

 

 

 上記はカールベンクスさん設計によるものと思われる建物。(十日町、松代集落)

3枚目の画像の家は窓辺に大きな筆がかかっていたので、書家の方が住んでいると思われるが、好感の持てる設計、色である。

 

 ベンクスさん設計の家の近くには、従来からあるこの地の建物が建っている。飾り気のない何ら変哲もない、昔ながらの木造建築物である。そこで改めてパステル調の、ドイツの家とまごうようなカラーの家と比べると、従来の建物が、何とも心が和み、浮つかず落ち着いて見えてくる。

 それは私だけなのだろうか。

日本人は元来、突出することを嫌う。特別目立つこと、他人と差異を持つことは、その地で安穏と生きていけないことを意味していた。目立たず、ひっそりと生きる。個人主義はご法度なのだ。そんな国民性は私は嫌いだが、反面、集団様式美を生み出してきたと思う。それが顕著なのは、福島の大内宿、岐阜、富山の白川郷、五箇山等の建物なのではないかと思う。その意味で、昭和の佇まいの多くを残した松代の建物そのものを、資源として生かすメンテナンスができないのだろうか。松代をドイツビレッジカラーに誘導していくのも、ありなのだろうが。

 1980年代に観光で興隆を誇った清里が、今や廃村状態であるという。そんな記事を読み、昭和の街並みが色濃く残った松代に、改めて気がつかされたのである。