上越市名立区にある「ろばた館」
上越で最も気に入っていた温泉である。我が家から30分余りの距離。近くに渓流があり、
釣りの帰りには冷えた体を、ここの温まる湯で癒したものだ。
500円にも満たない入浴料と朝から夜までのんびりと過ごす事ができた場所であった。
上越の温泉が次々に消えていく。
残念な事だ!
館内には雛飾りが。
上越市名立区にある「ろばた館」
上越で最も気に入っていた温泉である。我が家から30分余りの距離。近くに渓流があり、
釣りの帰りには冷えた体を、ここの温まる湯で癒したものだ。
500円にも満たない入浴料と朝から夜までのんびりと過ごす事ができた場所であった。
上越の温泉が次々に消えていく。
残念な事だ!
館内には雛飾りが。
越後湯沢 17号
降雪がおさまったころを見計らって上越に。
通い道にある日帰り温泉。十日町・湯田温泉(弱アルカリ泉)
湯田温泉前の雪(3mは超えているかも)
ここから小一時間かけて上越に。
横尾茂 デッサン 1960年代 50cm✖️65cm エゴンシーレポスター
カミさんの部屋にあるエゴンシーレのポスターと並べてみた。1960〜68年まで横尾は人体デッサンを執拗に研鑽したようで
骨太のシーレの線に似ているとも思った。
我が家の階段ギャラリーに飾った横尾の裸婦デッサン(1958年作)と油絵 5月のある日に(1980年)
クレヨン画の下絵もかなりの数があった。
横尾のデッサン画 1950年代〜1070年代まで
中央のピカソの模写は横尾氏、横尾氏の妻、そして娘さんのかおりさんの合作とか 自画像は息子さんが描いたとのこと
横尾作品を前に記念写真。左端の絵は息子さんの作品なのだそうだ。左から「横尾はじめ氏、牧田香織氏(旧姓横尾香織)」、
多田けいじろう氏を挟んで妻と私)
自然豊かな森の中に佇む、横尾邸を後にした。
作品の横に立つのが娘さんの(かおり)さん 手前の作品は80号〜100号か。
横尾の作品はとにかく大きい。この作品も120〜150号ほどであろうか。
横尾茂の画評は各々に譲るが、とっつきにくい横尾の特徴ある画風、曲線からくるうねりやしわ、ひだ、そこから醸し出される
生命の渦は、雪に埋もれる雪国の大地から生まれた横尾ならではだと、私は思う。
しばし横尾の荒々しい呼吸音を感じながら、絵を楽しんだ。
アトリエには横尾の作品だけではない。上記二つの画像は横尾氏の奥さん、娘さんが描いたものだそうで、さすが画家一家である。
いずれも小さなサイズの作品。左は龍 右は親子像(横尾氏の奥さんと幼い長男のはじめさん)とのこと1970年代作
新聞広告等の裏に書かれた下書き、デッサン。
続く
横尾茂の作品。大きいです。100号〜200号 人物画のモデルは娘さんの(かおりさん)だそうだ。
知人が安井賞画家・横尾茂氏の娘さん、かおりさんと交流があることがわかったのは、最近である。
それはかおりさんが私のブログにおける横尾さんの記事を読んでいたことから始まり、田中一村を通じて知り合った
私の知人と同じ活動をしていたことで、私に繋がったのである。
かおりさんは是非という私の希望に沿っていただき、今回のかおりさんの父上の横尾茂宅の訪問が叶った。
京王線 多摩センター駅で待ち合わせ
多摩がこんなに田舎なのか、と改めて思った。新宿から30分余りで自然の残る環境
田中一村が生まれた栃木と奄美大島の自然。新潟上越浦川原で生まれた横尾茂と多摩地方。
両者とも生地と同じ環境を選んでいるような気がしてくる。
横尾茂の石彫。石彫は初めて見たが、作品は結構あるようである。
初期の作品が玄関に飾られていた。自由美術会のペナントも。
横尾氏が亡くなって今年が13回忌なのだという。奥さんも昨年亡くなられたそうである。
横尾 茂 略歴(自由美術協会運営委員 日本美術連盟会員)
1933 新潟県上越市浦川原区横住 生まれ 農業をしていたが絵が諦められず20歳で上京
1956〜1968 文化服装学院にて山口薫、佐藤忠良に学ぶ 同院卒業後大森絵画研究所にて8年間
人体デッサンをする
1961 自由美術展に参加 入選
1965 銀座中央画廊にて初個展 自由美術にて会員に推挙される
1977 第20回安井賞に初出品で受賞 題名(里のひろみとうちのはあちゃん)
近代美術館蔵
1978 町田市市民ホール緞帳制作
1981 上越市展 審査員
1985 上越市浦川原公民館 「横尾茂の世界展」
1990 大手町画廊にて石彫展(石とたわむれる)
1994〜2008 香川県、富山県、静岡県等の審査員
2006、7 自由美術協会事務所代表 古典多数、招待作品等
2012、5月 逝去 78歳
続く