津南町荒屋の道祖神(寛政9年 1797年)舟型、祝言手握
荒屋の道祖神は背後に御幣束をあしらい、衣服に彩色が見られるが風雨にさらされほとんど見識できないが
230年ほど経っている。
丸顔の男神の頭に、雨蛙が遊びに来ていた。
津南町清田山の道祖神。
道路脇から押しやられている道祖神が多い中、馬頭観音と共に、路傍にしっかり据えられていた。
津南町荒屋の道祖神(寛政9年 1797年)舟型、祝言手握
荒屋の道祖神は背後に御幣束をあしらい、衣服に彩色が見られるが風雨にさらされほとんど見識できないが
230年ほど経っている。
丸顔の男神の頭に、雨蛙が遊びに来ていた。
津南町清田山の道祖神。
道路脇から押しやられている道祖神が多い中、馬頭観音と共に、路傍にしっかり据えられていた。
店構えは何十年も変わらない、下田屋風(明治9年創業)金枡屋。←クリック
甘いものは若い頃から目がなかったが、糖尿予備軍に昇格した頃から、果物、甘物から遠ざかった。
時々お土産にいただくことはあっても、自分で行くことはなかったが、ちょっとお使い物にと、久しぶりに
かりんとうを買いにお店に行った。
この店には大好物のかりんとうと五家宝がある。かりんとうは絶品である。
店内は簡素です。土日、祭日は早めに行かないと「かりんとう」は人気で、売り切れます。
昔ながらの包装。この商品が一番小さい包装で730円〜。
食べ始めると、止まらなくなってしまう。
3日前に痛めた膝に張はあるが痛みがないので、今年最初で最後のパラダイス行きを決めた。
谷までの下りは標高差は200mあまり。やはり下りは膝が痛むがなんとか谷に着く。
毛針を水面に打つ。清流から次々に美しい良型岩魚が水面を割る。尺を優に越す物が多い。
しかし膝は限界を超えたようで、急な痛みが出た。おそらくこの膝の状態では、今年の釣りは今日が終わりとなると、
思い、無理して上流を目指した。案の定、パラダイスは期待を裏切ることはなかったが、春先から痛めていたの無理が祟り、
私の膝は壊れた。
今年もよく遊ばせていただきました。自然に感謝。
現在リハビリ中、来季を目指す。
脇目も触れず新潟の上越に向かう沿線には、大中小の見所がある。
案内板には気がついても目的地にだけしか目が向かない
短慮な人間なので、そんな看板が目に入っても寄ることもなかった。
そんな場所の一つに渓谷美で有名な清洲峡がある。
その渓谷をを過ぎたところに「角間のねじり杉」という名所があるらしいのだ。
その場所に双体道祖神があるということがわかり、足を運んだ。
このねじり杉とは、通常は真っ直ぐ伸びるはずの杉の樹皮が、捻れて着装しているらしいのだ。
ねじり杉と石仏達。背後の観音堂。
国道を離れこんな場所に道路があったのかと不思議に思いながら、つづら折れの急な道をあがっていると
農作業の農婦が一人。家も一軒家。80は超えたと思われる老婆に、ねじり杉があるという観音堂の場所を聞いた。
いや〜この老婆, 雰囲気があって被写体に良い、と思ったが言い出せず、後ろを振り返りながら、車を走らせた。
石仏達の背後にある大杉は、なるほど樹皮が捻れてついていた。
目的の双体道祖神が参道沿いの杉木立の間に。すねたような、怒ったような男神。幼体顔の道祖神様でした。
秋の日差しを感じる一日だった。
気温はなかなか下がらないが、山は確実に秋に向かっている。
谷で出会った黒いカモシカ。黒いカモシカは珍しい。
新潟での釣友の一人、三浦君と谷泊りの釣行をすることになった。彼とは知り合ってから8、9年経つが
一度も谷泊の釣行をしたことがなかった。昨年は一度も釣行をしなかったこともあり、谷泊となった。
私、77歳直前、三浦君48歳。年齢差30歳もある。親と子ほども歳は離れているがこの9年間同行できたものだ。
谷泊のザックは流石に重く、春先の兆候で痛めた膝の痛みが出てきた。段差のある谷、常時冷やす下半身。
5時間ほどあるきテン場についた頃には、膝周りが張っていた。それでもテンバから上流を3時間ほど釣った。
夕餉の支度をする頃には膝周りはパンパンに張っていた。
ブナの再生
それぞれに良型が次々に
美しい雌の岩魚と岩盤
テンバは良い場所がなく、河岸の両側にそれぞれのテントを張った。
三浦君ご馳走作ってね!
この日は谷の恵の岩魚をそれぞれに二匹づついただいた。
テンバに遊びにきた?ウエストバックに滲みた汗を舐めにきたキチョウ。