瞽女街道をいく.妙高市古文書
先日,妙高市,西野谷の古文書を手に入れた.いずれも享保年間の古文書である. 一通は享保3年.もう一通は享保13年である.双方とも西暦で言えば1700年代中頃, 1700年代は飢饉が多く,この時代は大変であったらしい. 上記の古文書は前金でもらっていた納品すべき材木を,川の氾濫によって流され,納品出来なくなったためしばらく待っていただきたい,そんな趣旨の文章であるらしい.私でも部分的には読めるのだが,なにせ300年も前の文字なので,心もとなかったので 最近,古文書読解の勉強を始めたカミさんに,内容を要約してもらったものである. 「乍恐以書付本願書」(大白川筏川流)享保13年(1728),西野谷の村民,6人の嘆願書であるらしい.
もう一通は,一高三斗の採れ高の田んぼを質に三両貸して欲しいという,金の無心の証文らしい. 「質田地証文,御公儀年貢』 享保3年(1718)三人の質入れ連綿の証文である. 当時の社会状況は生きるだけで精一杯の状況だったに違いない.そんな中,瞽女たちはどんな生き方をしていたのか、想像に難いのである。