最後まで見つけられなかった柿崎区水野の双体道祖神。廃村への山道への辻、切り通しの高台にある。
今回の撮影で訪れると双体道祖神は倒れており、使用されていたと思われる石の台座を安定させ安置した。ここの双体は集落の人は存在すら知らず、管理していない。おそらく石仏マニアの一握りの方が訪れるだけであろう。
この双体道祖神は切り通しの三叉路の高台に立ち、すでに廃村になり通らずとなった山道を、人知れず、今も守っているのである。
欅の古木の根元に鎮座していた。目と鼻の先にあったのだ!
上越市には6体の双体道祖神がある。もとを正せば上越市には一体の双体道祖神もなかった。
現在あるのは市町村合併によるもおかげである。その双体道祖神を探して今年は市内を徘徊した。りょうごん寺にある道祖神は新しい物であるが、他の5体は江戸後期か、明治に建立されたものと思われる。探すのは資料にある地名を訪れて探すのであるが、お堂や神社内などと特定してあると比較的簡単に見つけられるのであるが、地名だけであると、なかなか見つけられない。ほとんどのものが山村部にあり、樹木、藪の中になる。地元の方に聞いてもすでに道祖神に関心のある方はほとんどいなくなり、半日ほど探し回って探しあてたり、何回も通って見つけたものもがほとんどである。
柿崎区のりょうごん寺の双体道祖神 (最近建立と思われる)
平沢の双体道祖神。姿形を留めていず、お顔を拝することはできない。
資料には個人宅のそばとあったが平沢のお堂の祠にあった。
黒岩の双体道祖神。古道の切り通しの上にちょこんと鎮座していました。
ふくよかな両神は嬉々として古道を守っている
柿崎区小萱の双体道祖神。廃村になった村へと続く薄暗い古道の切り通し上にある。
地元の方に聞かなければ見つけられなかったただろう。
日本人離れした彫りの深い両神。石工の腕が伝わる名碑。
安塚区須川の双体道祖神。この道祖神は唐風で珍しい。
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