今迄歩いてきた瞽女道は,画家.斉藤真一が瞽女の親方 杉本キクエから聞いた話を基に描いた「越後.高田瞽女宿の図」に描かれた絵図にある宿と道を歩いてきたが,これからは意識的に,斉藤の地図に書き記していない,いわば毛細血管のように,谷から谷へと連綿と続く間道,裏道,抜け道といった地域に根ざした生活道を紹介したいとおもう.
これらの道の多くは使用されなくなり,尾根を隔てた集落同士も,お互いに道普請もしなくなり,多くの古道が廃道への道をたどってきている.しかし近年,歴史の中に登場するそれらの意味のある山道を保全しようという,機運が高まりつつあるのは,古道好きの私にとっては,本当に喜ばしいことである.それら見直されつつある古道は,兵士や領主などの戦火の裏道だったり、連絡道だった,はたまた,近代の瞽女達に限らず,中世の瞽女もまた、手引きにひかれて歩いていたに違いない.そんな想いを抱きながら,雪解け間もない,春日城跡から長浜砦を経て、城が峰砦跡を歩いてみた。
春日城址・本丸からのロケーション
春日城本丸からの眺めを楽しんだあと,西側に下る.下ってしばらく歩くと「柿崎屋敷」あとの広い台地に出る.ここには城が峰砦を経て、中桑取集落までの桑取道の説明の看板が立っている.ここから城が峰砦まで4km強.春日山の駐車場からだと5kmほどになるから,往復10kmあまり.ゆっくり楽しみながら歩いて,5,6時間見ておけばよいだろう.所々,息が上がる登り下りが何カ所かあるが,雪解けあとの山道にはカタクリが咲き誇って、心地よい山道が迎えてくれるから疲れも吹っ飛んでしまう。殆どが尾根に沿ってある古道は、城が峰砦跡が標高295mで、一番高い。
山道沿いにはカタクリ,山さくら,ショウジョウバカマ,スミレなどが咲き,それら花を求めて,春の使者,ギフチョウや,シジミチョウ,ルリタテハ,ヒオドシチョウなどが集まって来る。
ちょっとした登りに息を切らせて坂道を上ると,杉木立の隅に,どんな造形だったのか、想像もできない、ノミの刻んだ跡が全く消えてしまった古い石仏が,迎えてくれたりもする。
時々,樹間越しに南葉山,妙高,火打,焼山,烏帽子岳,権現,鉾が岳などが顔を覗かせるが,全貌を見れる場所はない.やがてそれら頸城の山の懐に,正善寺ダムが見えてくる.この桑取り古道は丁度,半分ほどの弧をえがいて
正善寺ダムを迂回する道筋となっている。
この標識が見えて来るとあと1kmあまり.1kmごとにあと何キロと表示が出てくるので元気が出る.
小さな登りを終えると3体の石仏が安置された堂の脇を抜け,カタクリの群落の砦跡.歩き始めた春日山城跡の松並みが薄らと見える.正善寺ダムが眼下に。
城ガ峰砦跡から東南を見る