曽根田から福王寺への道は,途中の国川の地滑りで,集落を抜ける道は昨年の冬から、2月現在でも通行止めになっている。12月のこの時期瞽女達は関田山脈の裾の下を歩き,遊芸する。この頃、雪は完全に根雪となり,田畑は1m有余の積雪の下に埋もれている.北西から吹き付ける,日本海からの凍風は雪煙を上げ, 遮るもののない水田地帯では瞽女達を苦しめていたことだろう。
曽根田瞽女宿「寺裏」武藤さん
曽根田には前出の瞽女宿宿「店」と,この「寺裏」の2軒。寺裏はその名の通り寺の裏にあった。福王寺には「上江端」という屋号の瞽女宿はあったが代がかわり尋ねたが知らないとのことだった.地滑りで抜けられぬ福王寺を巻いて,吉増へ。だが吉増の宿はなかった.吉木に宿「しいむさ」.このあたりはお寺が多い.新潟のお寺は境内の中に何軒かの寺が混成している.吉木の宿の前にも立派な寺があった。
吉木から北条に.北条も小さな一塊の集落をなしている.北条神社近くの宿「隠居」を尋ねた。
北条から田井に.田井には宿が2軒.「しょうざん」「向こうたんぼ」とある.しょうざんは不明であったが,向こうたんぼは見つかったが,50代の方で覚えていないとのことだった.このあたりから妙高三山が良く見えた. 田井宿「向こうたんぼ」 右端の家
七カ所新田は関川の川べり.橋を渡る手前で農作業をしていたかたに宿について尋ねると,横の畑で作業している方が,そうだという.「池田」という屋号である.教員を退職し今は,晴耕雨読の生活とのこと.家は立て替えられたそうだ.子供の頃のことであまり詳しいことは分からなかったが,農作業の手を止め話をしていただいた.橋を渡りしばらくいくと,高速道路のインター高田インターがある.そこから左に折れ,南葉山沿いの県道を行くと間もなく道に沿って灰塚の集落がある.この辺りの家は蔵が多く,蔵の扉にコテ絵の細工がなされている.この手間のかかるコテ絵は裕福な証であり,資産家せあることを示しているのだろうか。
灰塚には宿「八むさ」がある。
八むさはあるにはあったが,70代の主人は覚えていないとのことだから,この辺りの宿は,戦前の利用であろうか. 丁度,子供達は下校時間と見え雪の中を遊びながら帰ってきた.きっと瞽女達も遊芸中に,こんな光景,否,子供達の元気な声にほくそ笑んだことだろうと思う。
灰塚から雪森へ.南葉山の裾をまわり,根雪になり寒々とした雪道を歩いたろうか.今のように,雪が降る傍から除雪車が入る時代ではないから,冬の遊芸は難儀だったと想像される.山から吹き下ろされる風の中,雪森につく。
雪森の宿「源七」 この家の蔵扉にもこて絵があった