ジオラマでは全ての船小屋はあるのだが。
私の好きな風景、ベスト3に入っていた筒石の船小屋の崩壊が顕著である。残したい風景候補筆頭であっただけに残念である。
ジオラマでは全ての船小屋はあるのだが。
私の好きな風景、ベスト3に入っていた筒石の船小屋の崩壊が顕著である。残したい風景候補筆頭であっただけに残念である。
島道鉱泉は前方の山、鉾ヶ岳の麓にある。
前回紹介した小谷温泉は高田瞽女さんが訪れた西の端の温泉。糸魚川の島道鉱泉は高田の居宅から丁度中頃。瞽女さんはこの鉱泉で草鞋を脱ぎ、湯治をしたらしい。その宿が今も健在で、家族経営で維持している。私も入ったことがあるが鄙びた小さな温泉である。西側に立つ建築物は有形文化財となっている。
文化財になっている部分
館主の母娘さんにお話を伺った。
こちらをクリック→ 島道鉱泉 HP
21日は私の誕生日、74歳。後何年元気で遊べるか!今年最後の渓流釣りを終え国道8号線上に見事な満月が浮かぶ。
上越市の頭上に月。日本海に迫り出したR8号。
直江津の我が家の頭上に、浮かぶ。
上越市浦川原区横住出身 横尾茂 安井賞受賞作家
学生時代、友人には画家志望が多かった。小学生の頃から絵は苦手であった私だが、そんな環境もあって画廊や美術館には良く足を運んだ。門外漢であった私だが、おりに触れ、画家の卵の蘊蓄をしこたま頭に畳みこまされた。それが絵画の鑑賞にずいぶん役に立っていたことが、年を経てわかってきた。若い頃には無駄だと思っていた時間が、実は1番の宝物なのだと。
以前紹介した画家 横尾茂の作品を手に入れたので紹介いたします。地元でありながら横尾の評価は低いと思わざるを得ません。昨年の上越の美術館でのリニューアルで展示されていた作品が、美術館所有の物でなく、大島の小学校に寄贈された作品が展示されていたことでも推察されます。横尾の独特の作風、異風な曲線、デフォルメされたモチーフ、そのいずれもが大衆受けする画風ではないからだろう。小林古径を例に挙げるまでもなく、ありきたりなバリエーションで構築された絵がわかりやすく、好まれるのは理解ができるが、独自の画風で表現されてきた横尾の絵がもっと、評価されて良いのではと私は考えている。絵は絵面を見るだけでなく、作者の意図を汲み、感知という心の作業がなければ理解の端緒に立つことはできないはずだからだ。無論それは絵画だけには限らないが。
横尾の特異なサイン
「ロングヘヤのーモデル」と題して SMサイズ
横尾の作品は折に触れ、紹介したいと思う
横尾茂は文化学院や大森絵画研究所にて絵画を学んだ画家です。油彩画や線画にて素朴で愉快な作品を生み出しています。身近にあるモチーフを取材し、変化の激しい現代社会の表層を意識した作風は独創性が高く、評価されています。従来の油彩画の技法である塗り重ねることによる表現に疑問を抱き、本質的なものだけを現出させる東洋美学の表現を重んじて、絵の具の層を削って作品を作り上げるなど、独自の取り組みを行っていました。
1933年新潟県にて横尾茂は誕生します。中学で美術の先生に絵を勧められたことから絵の道を志します。1953年に上京し働きながら3年後の1956年には文化学院に入学、山口薫や佐藤忠良に学びます。1960年に卒業後には大森絵画研究所にて人体デッサンを中心に研究を行い、翌年の第25回自由美術展にて『野』が初入選を果たします。その後第28回自由美術展に『遊歩』や『帰路』を出品し、1965年に自由美術会員となります、その後も精力的に作品を作り続け第38回自由美術展では『季の唄』や『あrひるちゃん』を出品し、自由美術賞を受賞します。その後も様々な展覧会に作品を出品し受賞を重ね、ギャラリーを開設するまでとなります。2012年、78歳にてその生涯に幕を下ろします。「絵画買取ならSATEeee」のhpより抜粋
渓には9月も中旬だというのに雪が残る。
岩化け、木化けのM君。
今月で渓流釣りは終わり。私のことを師匠と呼ぶ、新潟での唯一の釣友M君とは、今年最初で最後の釣行となった。9月は大物が最上流に集まる季節。それを狙っての釣行である。
本流筋でやっときた岩魚
ミヤマシシウド
メスグロヒョウモン
ツリフネソウ
残雪の前で。残雪付近の植物は9月だというのに、瑞々しい。