江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

今年の年末年始は、鬼平犯科帳で

2013年12月30日 21時14分17秒 | Weblog
年とったせいか、年末年始をどう過ごすか、イメージがわかない。

明治神宮の初詣200万人ぐらい?浅草寺190万人ぐらい?
いずれにせよ、人ごみの中で阿鼻叫喚が想像され、これは若い人でないとだめだ。

京都では、多いと言っても東京みたいに人間が湧くいてくることはない。

 12月31日の夕刻から、浄土宗総本山知恩院の除夜の鐘つき。NHKの行く年くる年の場所。
ここの鐘は大きいので寺の若い坊さん10数人が鐘をつき、入れ替え制で善男善女がそれを見守るシステムだ。

 昔、寒い底冷えの京都で震えながら108つの煩悩をつき清められるのを見届け、その足で祇園の八坂神社まで歩いて、ここで初参りする。おけら参りですがな。

  煩悩を 撞きて 八坂のおけらかな 

       の句を作ったのだ。      これも、今は昔。往時茫々。

 東京では、年経る人間はどのように 去年今年(こぞことし)を過ごすか、心重い。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

さしあたって、小説を読んでワイン飲んでローストビーフを自分で作って、時間つぶすかと。
鬼平犯科帳もいいね。

12月29日から年末休みにつき、図書館で「大文字版」鬼平犯科帳を借りる。

すぐ読み始めると、まず基本は 本所2つ目の「2の橋」わきの「軍鶏鍋や 五鉄」だ。
江戸の古地図と、現代の15000分の1の地図、さらに江東区発行の観光地図を引き合わせて場所を確定した。

 要は「竪川」、現在の「立川」・・この上に首都高速7号線が走っているが、この川に沿って、
隅田川から 1つ目通り、2つ目、3っつ目、4っつ目、5つ目(これが現代の明治通りだ)がクロスしていると、思ってくんなまし。

その2つ目の橋の北詰に、「「しゃも鍋屋 五鉄」があったと思ってくだしゃんせ。


五鉄は実在の店でなく、もっとも、この辺り全般は関東大震災と、昭和20年の大空襲で街並みが徹底的に破壊されたのだから、残っているものは、江戸時代の古地図と人間の記憶。

そして、「五鉄」のモデルは、人形町の「とり鍋 玉ひで」と言われているが。確かに、いいみせだ。

今日は、早めの年末年始の散歩を行い、新富町からあるいて、まず 鉄砲洲神社にお参りした。(ちなみに同社は明12月31日の16時から大祓いと、1月1日の10時から歳旦祭がある)






次いで、隅田がんの左岸をのぼり、永代橋を渡って深川に入り、本所の本拠地「五鉄」あとまで散歩した訳。