皆さん、暑い暑い中でどう過ごされていますか?
吾輩も、暑さに老身が堪えられない。かといって軽井沢とか札幌とか避暑をできる身分でない。
そこで、クーラーをかけっぱなしにして、TVを見つつ、パソコンを見つつ、ビールを飲みながら、昼寝でうとうと。これが貧乏人の避暑のベストね。
コンビニで「アイスキャンデイ」150円也を買ってきて食べともっといいよ。
先週までは、相撲があったから、吾輩は、午後は、居眠りながら、うとうと相撲を見るというのがもいいものだ。
来週からは、おバカなテニス仲間が、週3-4回の日程を組んでくれる。
俺を殺すのか!でも半分ぐらいに逃げつつ、運動を炎天下に楽しむのも、昔の「我慢大会」か。
どてら着て、炭火をあおって、熱い甘酒飲んで無茶苦茶暑くして、あとの涼しさを楽しむ、過去の風習。今どき考えられないね。
そこで今週の吾輩は、月曜に歯医者の3か月の予約。若いかわいい歯科の先生だ。
助手の学生を連れているから、おじさんが声をかけるに、助手の学生が常にそばにいて、すきがない。トホホだ。
火曜は大学の同期生たちの、暑気払い会。みんな退職自由人に近いから、節操なく酒飲みに集まるね。俺も俺もだ。いいね・いやだね
今日水曜日は、最近図書館で借りてきた江戸城、そのたもろもろをエッセイで書いておられる、田安家とか、15代将軍徳川慶喜の直系の孫氏とかの本を借りてきて読んでいる。
吾輩は、勝手に「江戸の退屈御家人」とか称しているが、徳川譜代の臣下でない、赤の他人である。
柳営会という旗本・御家人の子孫の会があるのを知ったよ。
吾輩は、東京に18歳で上京し、以後、なんかのご縁で、50年も東京の中心地、千代田区に住み続けて今に至っている。
こういう、意識だけ、江戸の御家人的な発想になってしまったおじさんが、夏休みで、今日、江戸の外堀通りを歩きましたよ。
................................................................................................................
外堀跡は、現在,都道405号線外堀通りがほぼカバーしている。
17時30分、市谷御門出発。 今回はカメラ持参せず。だから絵がない。文書なんか誰が読むか。
時計回りに、飯田橋へ。 ここで 市兵衛河岸を眺めながら、江戸城の外堀、神田川と、実質外堀の 日本橋川の分岐点を見て、水道橋へ。 ここが外堀通りの不可解なところ。
水道橋から〈水道橋の架橋記念碑)を見て、お茶の水を超え、秋葉原へ下がる。左に、湯島聖堂を見ながら昌平坂交差点を右折。
それから淡路町を経て、鎌倉橋交差点を左折。竜閑橋を経て、新常盤橋と日本銀行のそばを通って、呉服橋をとおり、東京駅八重洲口前まで。
東京駅の八重洲口、その右側はかっての大名小路。そこに北町奉行所があったとか。
東京駅の東の道を南に下がると有楽町に至る。この辺は江戸の昔が残っていないが、有楽町のマリオンに、南町奉行所があったとか。
今チョンボで評判の東芝ビルが随分変わっているが、その前を銀座1丁目から8丁目まで歩きます。繁栄の町だ。
そうして新橋まで。ここが都道405号線、外堀通りの起点でかつ終点。
吾輩は、この新橋を右折して、虎の門に向かう。途中疲れて、コンビニでビールを買って一服。足も痛くなってきた。
これでは、東京マラソンにも参加できないぞ。パリマラソンも無理かね。
実際、42,195kmを走るのは大変だ。歩くのでも大変.走り、ジョッギングで完走するには相当の準備が必要ね。
ビール飲んで、文部省・特許庁前、「ここが江戸時代の溜池なのだ」を通って、首相官邸の下を過ぎ、日枝神社前へ。
くたびれたが、赤坂見附まで、ここで弁慶橋を左折。昔、岩倉具視が刺客に襲われ、急遽弁慶濠に落ち込み、そこで、水面に潜って、討手の逃げるのを待って、命拾いしたとか。
この先の食い違い御門のところで、大久保利道が 暗殺された。先の清水谷公園に顕彰碑がある。
今も高速道路の下で、若干薄暗いところで、明治初年の薄暗い/暗殺的雰囲気がないとも言えない ところを北上。左に迎賓館を見ながら、四ツ谷駅前へ。
ここから四谷の外堀公園に沿って、市谷御門まで。ここで、再度ダウンし、ビール&ギョウザ。
こうして、約3時間弱の外堀通り散歩を終えました。 この過程で、皇居1周という従来のジョッギング・散歩が子供じみてきた。江戸城は、外堀が城内だったのだ。
東京は常に動いている。特に外堀の地域は、いつもダイナミックな変貌をしていると、を肌で感じましたよ。
これが、 じじおじさんの、夏休みの社会見学報告です。
吾輩も、暑さに老身が堪えられない。かといって軽井沢とか札幌とか避暑をできる身分でない。
そこで、クーラーをかけっぱなしにして、TVを見つつ、パソコンを見つつ、ビールを飲みながら、昼寝でうとうと。これが貧乏人の避暑のベストね。
コンビニで「アイスキャンデイ」150円也を買ってきて食べともっといいよ。
先週までは、相撲があったから、吾輩は、午後は、居眠りながら、うとうと相撲を見るというのがもいいものだ。
来週からは、おバカなテニス仲間が、週3-4回の日程を組んでくれる。
俺を殺すのか!でも半分ぐらいに逃げつつ、運動を炎天下に楽しむのも、昔の「我慢大会」か。
どてら着て、炭火をあおって、熱い甘酒飲んで無茶苦茶暑くして、あとの涼しさを楽しむ、過去の風習。今どき考えられないね。
そこで今週の吾輩は、月曜に歯医者の3か月の予約。若いかわいい歯科の先生だ。
助手の学生を連れているから、おじさんが声をかけるに、助手の学生が常にそばにいて、すきがない。トホホだ。
火曜は大学の同期生たちの、暑気払い会。みんな退職自由人に近いから、節操なく酒飲みに集まるね。俺も俺もだ。いいね・いやだね
今日水曜日は、最近図書館で借りてきた江戸城、そのたもろもろをエッセイで書いておられる、田安家とか、15代将軍徳川慶喜の直系の孫氏とかの本を借りてきて読んでいる。
吾輩は、勝手に「江戸の退屈御家人」とか称しているが、徳川譜代の臣下でない、赤の他人である。
柳営会という旗本・御家人の子孫の会があるのを知ったよ。
吾輩は、東京に18歳で上京し、以後、なんかのご縁で、50年も東京の中心地、千代田区に住み続けて今に至っている。
こういう、意識だけ、江戸の御家人的な発想になってしまったおじさんが、夏休みで、今日、江戸の外堀通りを歩きましたよ。
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外堀跡は、現在,都道405号線外堀通りがほぼカバーしている。
17時30分、市谷御門出発。 今回はカメラ持参せず。だから絵がない。文書なんか誰が読むか。
時計回りに、飯田橋へ。 ここで 市兵衛河岸を眺めながら、江戸城の外堀、神田川と、実質外堀の 日本橋川の分岐点を見て、水道橋へ。 ここが外堀通りの不可解なところ。
水道橋から〈水道橋の架橋記念碑)を見て、お茶の水を超え、秋葉原へ下がる。左に、湯島聖堂を見ながら昌平坂交差点を右折。
それから淡路町を経て、鎌倉橋交差点を左折。竜閑橋を経て、新常盤橋と日本銀行のそばを通って、呉服橋をとおり、東京駅八重洲口前まで。
東京駅の八重洲口、その右側はかっての大名小路。そこに北町奉行所があったとか。
東京駅の東の道を南に下がると有楽町に至る。この辺は江戸の昔が残っていないが、有楽町のマリオンに、南町奉行所があったとか。
今チョンボで評判の東芝ビルが随分変わっているが、その前を銀座1丁目から8丁目まで歩きます。繁栄の町だ。
そうして新橋まで。ここが都道405号線、外堀通りの起点でかつ終点。
吾輩は、この新橋を右折して、虎の門に向かう。途中疲れて、コンビニでビールを買って一服。足も痛くなってきた。
これでは、東京マラソンにも参加できないぞ。パリマラソンも無理かね。
実際、42,195kmを走るのは大変だ。歩くのでも大変.走り、ジョッギングで完走するには相当の準備が必要ね。
ビール飲んで、文部省・特許庁前、「ここが江戸時代の溜池なのだ」を通って、首相官邸の下を過ぎ、日枝神社前へ。
くたびれたが、赤坂見附まで、ここで弁慶橋を左折。昔、岩倉具視が刺客に襲われ、急遽弁慶濠に落ち込み、そこで、水面に潜って、討手の逃げるのを待って、命拾いしたとか。
この先の食い違い御門のところで、大久保利道が 暗殺された。先の清水谷公園に顕彰碑がある。
今も高速道路の下で、若干薄暗いところで、明治初年の薄暗い/暗殺的雰囲気がないとも言えない ところを北上。左に迎賓館を見ながら、四ツ谷駅前へ。
ここから四谷の外堀公園に沿って、市谷御門まで。ここで、再度ダウンし、ビール&ギョウザ。
こうして、約3時間弱の外堀通り散歩を終えました。 この過程で、皇居1周という従来のジョッギング・散歩が子供じみてきた。江戸城は、外堀が城内だったのだ。
東京は常に動いている。特に外堀の地域は、いつもダイナミックな変貌をしていると、を肌で感じましたよ。
これが、 じじおじさんの、夏休みの社会見学報告です。