江戸の退屈御家人

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風花や 宇佐の鳥居の 山頭火

2016年01月17日 21時42分50秒 | Weblog
宇佐八幡宮は日本の八幡宮の総本山である。

その昔、3-4世紀ごろからこの地帯一帯九州東部の豪族が宇佐一族に吸収収斂され、一族の総本山として、宇佐神宮が形成されてきたようだ。

もちろんその頃は、その存在感と影響力から、近畿の大和朝廷と友好関係を築いていたらしい。

奈良時代には、例の 道鏡 の天皇神託事件があり、極めて大きな影響力を行使した。それだけ決定力を左右する存在だった。

(権力闘争・クーデターはありとあらゆるものが利用される、これは今の時代でも同じだが)

こうして、古代を、有力氏族として生き延びた宇佐氏&宇佐神宮は、平安期に入ると、院政の時代の上皇側に肩入れしたらしい。

生き残るための尤もな選択だ。

そして、そのあとの平家の時代には平家一門に組した。 そして平家にあらずんば、人にあらず という時代が少しあった。

しかし、時代は源氏の時代となって暗転した。そうすると、かって九州の多くを安堵されていた地位が一転、落ち目になる。



神社の面だけで見ても、昔、京都の誰が勧請したかは知らないが、京都の南に石清水に宇佐八幡宮を勧請して据え、八幡宮と称した。

源義家が、石清水八幡宮で元服したから、かれは、八幡太郎義家という。

彼が源氏の棟梁となり、義家及びその子供たちが、多くの武勲とその後の権力闘争で勝ち残りり、源氏の世を作った。

この結果、宇佐八幡宮は、石清水八幡宮に日本の八幡宮の家元の地位を奪われる格好になったとか。

日本の多くの八幡神社は、鎌倉八幡宮はもちろん、石清水八幡神社系であるといわれる。

   いやお寺さんばかりでなく、お宮さんにも栄枯盛衰の歴史があったのだ。  今回の湯治旅行の成果。








 宇佐八幡宮である



八幡宮の入り口鳥のそばに、山頭火の句碑があった。


そこで、



 風花や 宇佐の鳥居の 山頭火          を読んだ。


風花は冬の空に、時々チラチラ舞う雪みたいなもの。


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