桜が満開の日曜の写真です。
我が家の前の 靖国通り。 先の方の木々の塊が靖国神社境内の西端になる。
千鳥ヶ淵 です
国会議事堂を望む
英国大使館
半蔵門
国立劇場 ここも桜の名所だ
最高裁判所通り
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今日、3月28日、朝、歯科の予約があり(この先生は 「菜の花や 女歯科医の 襟ぼくろ」の美人)、その帰り、お他の水の三省堂で、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞作「日の名残り」を買って、途中で読むため都バスに乗り込みました。読みやすいきれいな文章で、バスを待つ間も、気軽に読める。
御茶ノ水から荒川土手行きバスだったが、途中で、都電荒川線の 「小台」で都電にのって、早稲田へ帰る途中、思いついて、飛鳥山・・ここは江戸時代から桜の名所だ・・で桜見物。ここは渋沢栄一記念館など桜に囲まれている。
ステーキ定食で腹ごしらえをして、その後歩いて、古河庭園に入り(老人は70円)、ここのベンチで昼寝を挟み2時間半ほどイシグロ、の「日の名残り」を読みました。
春の穏やかな気候の中、桜も見られる立派な庭園で、優雅に文学を読みました。
奇麗な文章で すーと読めるが、それなりに 中身のある、なるほどノーベル賞だと。
私も長い間いろいろな本を読んだが、これは昔、清岡卓行氏の文章を読んだ時以来の感動だ。きっと訳者土屋政雄氏も、筆者同様うまいのだろう。
これぞ、人生の幸せ、春のこの時期に味わったというものだ。
その後、区民バスで巣鴨へ行き、ここで、染井吉野の記念公園を発見。
いわく、江戸時代、駒込の染井は、巣鴨とともに 花卉・植木の一大産地であった。伊藤伊兵衛の庭で大勢の人が花をめでるを写した浮世絵(1803年・享和3年)のレプリカがあり、江都第一の植木屋なり と書いてある。ちなみに享和3年1803年は、米国軍艦が長崎に来て、通商を要求し、幕府がこれを拒否した年である。まだ国内は太平であった頃か。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
千代田区では桜まつりとか大げさに言っているが、元をたどれば、染井村の植木職人の開発品種の孫の孫の孫の孫・・かもしれないのだ。
今日は歯科が目的で、カメラがないので、本家の染井吉野の写真がないのは残念。前日の写真で申し訳ない。 ちなみに
これは国立劇場から見た、染井吉野でない、「仙台屋」という品種。高知市内の仙台屋の庭に咲いていたのを、高知出身の植物学者 牧野富太郎 博士が移したもので、「オオヤマザクラ」の一種で、染井吉野より、数日遅れて咲くとか。赤みがかって美しい桜だ。
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我が家の前の 靖国通り。 先の方の木々の塊が靖国神社境内の西端になる。
千鳥ヶ淵 です
国会議事堂を望む
英国大使館
半蔵門
国立劇場 ここも桜の名所だ
最高裁判所通り
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今日、3月28日、朝、歯科の予約があり(この先生は 「菜の花や 女歯科医の 襟ぼくろ」の美人)、その帰り、お他の水の三省堂で、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞作「日の名残り」を買って、途中で読むため都バスに乗り込みました。読みやすいきれいな文章で、バスを待つ間も、気軽に読める。
御茶ノ水から荒川土手行きバスだったが、途中で、都電荒川線の 「小台」で都電にのって、早稲田へ帰る途中、思いついて、飛鳥山・・ここは江戸時代から桜の名所だ・・で桜見物。ここは渋沢栄一記念館など桜に囲まれている。
ステーキ定食で腹ごしらえをして、その後歩いて、古河庭園に入り(老人は70円)、ここのベンチで昼寝を挟み2時間半ほどイシグロ、の「日の名残り」を読みました。
春の穏やかな気候の中、桜も見られる立派な庭園で、優雅に文学を読みました。
奇麗な文章で すーと読めるが、それなりに 中身のある、なるほどノーベル賞だと。
私も長い間いろいろな本を読んだが、これは昔、清岡卓行氏の文章を読んだ時以来の感動だ。きっと訳者土屋政雄氏も、筆者同様うまいのだろう。
これぞ、人生の幸せ、春のこの時期に味わったというものだ。
その後、区民バスで巣鴨へ行き、ここで、染井吉野の記念公園を発見。
いわく、江戸時代、駒込の染井は、巣鴨とともに 花卉・植木の一大産地であった。伊藤伊兵衛の庭で大勢の人が花をめでるを写した浮世絵(1803年・享和3年)のレプリカがあり、江都第一の植木屋なり と書いてある。ちなみに享和3年1803年は、米国軍艦が長崎に来て、通商を要求し、幕府がこれを拒否した年である。まだ国内は太平であった頃か。
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千代田区では桜まつりとか大げさに言っているが、元をたどれば、染井村の植木職人の開発品種の孫の孫の孫の孫・・かもしれないのだ。
今日は歯科が目的で、カメラがないので、本家の染井吉野の写真がないのは残念。前日の写真で申し訳ない。 ちなみに
これは国立劇場から見た、染井吉野でない、「仙台屋」という品種。高知市内の仙台屋の庭に咲いていたのを、高知出身の植物学者 牧野富太郎 博士が移したもので、「オオヤマザクラ」の一種で、染井吉野より、数日遅れて咲くとか。赤みがかって美しい桜だ。
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