団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

有名人の人生と無名人の人生

2021年12月21日 | 生き方

スポーツ選手にしろ芸能人にしろ大変な競争をして自分の才能

が評価されるために血のにじむような努力をして自分の地位を

築いてる、一方有名人にならなかった無名人は地味で目立たな

いけど社会の荒波にもまれながら働いて老後は私のように有名

人のパフォーマンスを楽しんでる。

 

有名人は憧れの的でもある、例えばオリンピックで金メダルを

とったアスリートは一躍注目を浴びTVに引っ張りだこだが、メ

ダル確実といわれた選手がメダルに届かなかったりすると、そ

れまでの扱いと違い一切報道されない、本人の過去の映像など

全く流されない、ゲンキンなものだ、さらにネットで叩かれ、

メンタルが強くなければ本人にとってはかなりつらい。

 

有名人になると賞賛されることと、けなされることを同時に受

け止めなければならない、テレビにでて顔を知られるとじろじ

ろ見られ、サインや握手を求められ、あきらかに普通の人は違

う、もともと無名だったのが才能に恵まれ努力もし運も味方に

して華やかな舞台に上りつめる有名人は子供たちにとっては憧

れの的である。

 

ただ有名人というのは無名人が大勢いてこその有名人であるこ

とは間違いない、だから有名人の人生がいいか、それとも無名

人の人生がいいかなど死ぬまでわからないのではと思っている。


もう人生の時間が限られてるから

2021年12月20日 | 老後の生き方

人と会うことが激減、行動範囲も縮小し時間だけが過ぎいく

それでもぼーっとしながらも自由な時間、こんな時を求めて

いたのかもしれない、至福の時間というわけでもないが気分

は落ち着く心地よいひと時である。

 

若い時は、この人は嫌だなと思っても利害関係もあり、関係

を断ち切ることができないけれど、今はこの人はいいやと思

えば連絡をとらなければいいだけのことだ。

 

人間関係のピークは誰にでもあることで、環境が変わった、

話題が合わなくなった、どちらかが面倒だと思った、トラブ

ルが生じた等で自然に消滅することがある、どこかで偶然会

ったりしないかぎりそれっきり、齢をとったらそれでいい、

無理に執着することはない、もう人生の時間が限られてるか

ら心の声に忠実に生きるのがいいと思ってる。


父に続いて母の認知症に直面したとき

2021年12月19日 | 認知症

父が亡くなり母の一人暮らしが始まった、父の葬儀のとき喪主

の挨拶で父の認知症に触れないでくれと懇願された、それだけ

母は認知症に対する嫌悪感があった。

 

ひとり暮らしの母に毎朝8時半に安否確認をかねた電話をする

のが私の日課になった、実家の訪問は月2回、病院の付き添い、

家事の手伝い含め7年間続けた、そして3年前の6月の朝、い

つもどうり電話をしたが、母の様子がおかしい、話が噛み合わ

ない、翌日新幹線で実家にいったら「近所の人が泊まっていっ

た、弟が友達を連れて来た、これから選挙にいかなきゃ」など

明らかにおかしい、その日のうちにケアマネジャーに連絡、

一時期預かってくれるショートステイを紹介してもらい入居す

ることになった。

 

 

しかし入居する翌朝になって突然「行かないよ、何でいかなき

ゃならないの」と押し問答が始まった、さすがに私も冷静でい

られなく親を思えば言葉も態度もきつくなる、やっとの思いで

入居させたが案の定帰宅願望が強く階段から落下しそうになっ

たり食事を拒否したり施設から何度も苦情の電話が私のところ

にきた。

 

その後終の棲家になる有料老人ホームに入居したが、認知症も

かなりすすみ、おむつをして車椅子の状態、表情も動きも乏し

くなり私と弟以外はわからなくなってた、母が94歳のときだ

た、さらに追い打ちをかけるように大腸がんで入院と母にと

て試練が続いた、そして亡くなるまでの2年間はこの施設で

話になったが最後まで「ここは自分の居場所ではない」と

思いで過ごしたのかもしれない。

 


いい生き方とは

2021年12月18日 | 生き方

いい生き方とは素晴らしい仕事や業績を残すこと、社会的な名声、

経済力を得て周囲の人から愛され尊敬されること、よき妻、子供

に恵まれて幸せな家庭を築くこと、人のために尽くすこと、知識

や教養を身につけ自分を磨くこと、挙げていけばキリがない。

 

 

しかし、私にとっていい生き方とは「いま」に集中する、「いま」

をいかに楽しむか、「いま」が一番と思えること、ちょとした希

望がある、愉しみがある、夢中になれるものがある、そして当た

り前のことに感謝する気持ちを持つことだと思っている。

 

 

「ごちそう」が当たりまえになればごちそうの喜びも失われる、

だからこそ感謝する気持ちは大切である、当たり前のことにいか

に支えられているか、癒されて勇気づけられているか、今一度当

たり前のことに感謝し、自分の心に正直に自分を信じて「いま」

に集中し生きることこそ、いい生き方だと思う、限りある人生、

そんな生き方に私はこだわっていきたい。

 


ブログのアクセス数が急伸するとき

2021年12月17日 | ブログ

ブログの書き手として気になるのがアクセス数、どれだけ読ま

れてるか誰が読んでくれてるのだろうか?気になるものである、

例えばgooブログであれば6時間以内のアクセスした人がわか

るし、リアクションボタンを押してくれた人であれば、いつで

わかるようになってるので便利である。

 

最近はないけど2年前アクセス数が急伸することがあった、通

常一日のアクセス数が5千~6千、アクセス人数が2千~3千

なのに突然アクセス数が2万、アクセス人数が1万というこ

が月に2度ほどあった、喜んだのもつかの間、翌日からは通常

のアクセス数に戻り当時はなぜ?と思ったものだ。

 

そしてある時私と同様のケースがあることを知った、クローラ

ーといって各検索エンジン(Google、Yahoo、Bing、gooなど)

や研究機関がWebサイト情報を収集するために利用している自

動巡回ロボットのことでクローラーアクセスはこのクローラー

がブログにアクセスしたぺージ数で時々クローラーアクセスに

より、著しくアクセス数が増えるということだった。

 

その時のブログのタイトルにたまたまアクセスした結果いつも

と違いとんでもなく急伸したのは一過性のものだったが、当時

はブログをやってて励みになったものである、それだけアクセ

ス数、アクセス人数が気になることは確かである。

 

 


亡き両親と夢の中での出来事

2021年12月16日 | 

先日10年前に亡くなった父と2年前に亡くなった母が同時に

夢の中にでてきた、私が実家にいくと二人ともニコニコして玄

関で出迎えてくれた、「仕事は忙しいかい、みんなは元気か」

本当に久しぶりに両親との対面、なんか若くなった感じがする。

 

父には「喘息の発作はどうなの?」母には「膝の具合は大丈夫

?」と聞くと、二人とも笑いながら「何いってるの、まだ若い

からなんともないよ」そういえば二人とも晩年は認知症で苦し

んだのに、今は微塵も感じられないほど若い、おかしいなと思

ってる自分と息子に会えて喜んでる両親の姿、それから父が

「久しぶりに焼肉を食べに行こう」と言ったところで夢が終わ

った。

 

まるで山田太一氏の小説「異人たちとの夏」のような夢、亡き

両親との交流を描いた作品だが不思議な夢だった、夢から醒め

て子供のことを案じてくれてた両親、味方になってくれてた二

人を失ったことを改めて夢が教えてくれたような気がした。

 


人間関係はいつの時代も難しい

2021年12月15日 | 人間関係

私たちは家庭や学校、会社、地域社会などで自分以外の個性と

協調しながら生きていかなければならない、しかしこの他人と

協調して生きるということは、なかなか難しい。

 

その社会の中で必ず嫌な人間がいるものである、自分の歯車と

噛み合わない、ぶつかることもある、努力しようとするが人間

関係は努力だけではよくならない、長い人生のなかで対立、疎

遠は日常どこにでもあることである。

 

努力しても無駄だとわかったときは怒りを相手にぶつける、い

わゆる喧嘩である、もしくは喧嘩してもしょうがないなら我慢

する、もしくは相手から離れる、人それぞれである、怒りのな

かには困惑、驚き、失望、いろんな感情が渦巻いてる、さらに

利害関係が絡めばややこしい、人間関係はいつの時代も難しい

ものである。


父の認知症に直面したとき

2021年12月14日 | 認知症

父の様子がおかしいと母から電話がきたのは12年前の冬だった、

会社に休暇申請し翌日実家にいき大学病院の神経内科で診察を受

けた結果幻覚症状のでるレビー小体型認知症と診断され、その足

で市役所で介護認定の申請の手続きをした。

 

親が認知症と診断されてから私自身、本やネットで調べたり、認

知症のフォーラムにも参加した、会場には介護従事者はじめ多く

の人が参加してたのには正直驚いたものだ、ただこの時点では親

が認知症という実感はあまりわかなかった。

 

それから1ヵ月経過したころから、父親のおかしな言動が始まっ

た、母親が浮気をしてる、離婚する、風呂場に怪しい軍団がいる

など妄想が激しくなり、連日私や弟のところに電話をかけてきた、

さらに母親に暴力をふるうこともあり、実家に何度も通ったが、

日を追うごとに症状が悪化してることは確かだった。

 

母にとっては地獄の日々で朝、昼、夜かまわず暴言に悩まされ、

父の持病が悪化して入院するまでの半年間は苦労が絶えなかっ

た、介護施設への入居は頑なに拒んでただけに、もし在宅介護

の状態がつづいてたらと思うとぞっとする、変わり果てた父の

姿はショックだったし、威厳のある父はどこにいったのかと思

ったものだった、父が倒れて入院する2週間前に私にかけてき

た電話が最後の会話だった「そっちに行くから住むところを探

してくれ、俺このままでは殺される、それでもいいのか」幻視

妄想とはいえ、その言葉はいまだに耳に焼きついてる。


いくつになっても悩んで迷ってあたりまえ

2021年12月13日 | 生き方

何も悩みを抱えてない人間などいるはずがない、人は人生の悲し

みや辛さから逃れることはできないけれど、そんな時私は不幸や

苦しみは自分一人に起こっているのではないと認識を持つように

してる。

 

苦しみや不幸があるから生活でなく人生を考える、もし健康で満

ち足りていれば生活の事を考えて生きることの意味や人生につい

て考えないはずである。

 

「災い転じて福となす」というけれど災いがなければ福もない、

悩んで迷って乗り越えていくしかない、だからいくつになっても

悩んで迷って当たり前だと思っている。


人と会わなくなったけれど

2021年12月12日 | 人間関係

母が亡くなってから人と会うことがなくなった、母が生きてた

ころは月2回新幹線で1時間実家に行き、掃除、買物、夕食

準備、病院への付き添い、7年間続けた、その後認知症にな

高齢者施設に入居してからも実家への訪問と施設の訪問をさら

2年間続けた、晩年は大腸がんに罹患、昨年の3月コロナ禍

の中95歳亡くなった。

 

病院の医師、看護師、近所の人達、施設のスタッフ、葬儀社、

さらに実家の処分では不動産業者、解体業者、市役所、法務局、

税務署など事務的とはいえ会って話さなきゃならない人がそれ

なりに多かったが今はコロナ禍もあるがほとんどいない。

 

かといって誰かと会いたいという気持ちもない、若い頃は自分

の気持ちを、自分のつらさを、自分のやりたいことをわかって

もらいたい、だから会って話したいと思ったものだが今はそん

な気持ちはない、感性が鈍ったのかもしれない。

 

自分と向き合う時間が多いせいか、わかってくれるのは自分、

自分だけだと気づいてる、そういう意味では人と会わなくな

ったけれど、なぜか今が生きやすいと思っている。