狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続々・出てくる「転向者」達ー大城将保・宮城晴美・宮村幸延

2010-06-25 07:05:44 | ★集団自決

 

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本日昼頃羽田を発って沖縄に変える予定です。

長い間、予約更新にお付き合い頂いたことを感謝いたします。

明日から通常の毎日更新の予定ですが、何しろ9日間もネットを遠ざかっていたので、果たしてうまく更新が出来るやら。

とにかく本日までは「転向者」の群れを予約更新でお付き合い下さい。


 続々・出てくる「転向者」達ー大城将保・宮城晴美・宮村幸延

■大城将保氏の「転向」強弁の本■

大城氏は原告弁護団が氏の著書『沖縄戦を考える』を原告側証拠品として提出したことに対して、その後証言を翻した。

更にそれをネタに『沖縄集団自決の真実と歪曲』を出版した。 

沖縄戦記なら何でも出版のネタにするところは、流石は作家と恐れ入るが、その研究者らしからぬ強弁ぶりは、作家の大先輩大江健三郎氏を見習ったのか。

原告側徳永弁護士は雑誌「正論」の論文で、大城氏の『沖縄戦を考える』から次の部分を引用して、大城氏は「軍命を否定した」と主張している。

曽野綾子氏は、それまで流布してきた赤松事件の神話に対して初めて怜悧な資料批判を加えて従来の説をくつがえした。『鉄の暴風』や『戦闘概要』などの誤記や矛盾点などを丹念に指摘し、赤松元隊長以下元隊員たちの証言をつきあわせて、自決命令はなかったこと、集団自決の実態がかなり誇張されている点などを立証した。 この事実関係について今のところ曽野説をくつがえすだけの反証は出来ていない。>(『沖縄戦を考える』)

大城氏がこれに反論している章に「木を見て森を見ず」という見出しをつけているが、

ある著書を引用する場合、本全体(森)は引用するのは不可能なので、重要な結論部分(木の幹)を引用するのは議論の常套手段である。

よくあるパターンの「○○著の『○○』を読め」では、反論はおろか議論にもならない。

核心を突かれて「木を見て森を見ず」と逃げるのは、林教授の「抗弁」に負けない詭弁である。

何しろ自分の「転向」の強弁を出版して金儲けするくらいだから、流石は作家と感心してしまう。

大城氏は、上記引用の自己の文章に続いて、次のような「強弁」を続ける。

いま読み返すと『ある神話の背景』に随分甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなるのが、しかし右(上記引用文:引用者注)に引用された文章を評価する場合は、当時の沖縄戦研究をめぐる状況を考慮に入れていただく必要がある。 『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。同書の巻末の参考文献一覧に示してあるように、『青い海』(77年5月号)に掲載された「慶良間島の惨劇」それである。 この文章を書いた1977年は復帰後5年、『ある神話の背景』が発行されて4年後、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』が刊行されてから3年という時期である。沖縄戦に関する記録・調査・研究に立って、「慶良間島の惨劇」の文中で私はこう書いている。
「慶良間島の戦争体験の全体像をゆかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか」
じっさい私自身、『沖縄県史10巻・沖縄戦記録②』の編集を終えて3年経っていたが、調べれば調べるほどいまだ道遠しという感は深まるばかりで、県史の沖縄戦関係3巻で終わらせることに不満が残っていたのである。
>(『沖縄集団自決の真実と歪曲』高文研)

>『沖縄戦を考える』は新書版シリーズの一冊であって、右(同上)の文章には、実はもとになる論文がある。

本の出版はその本に記載されている文章から読者が受け取るものこそ著者の主張であり、その他の巻末掲載の参考文献などは著者の主張を証拠立てる参考資料に過ぎない。

それを、後になって「実はもとになる論文がある」なんて言われても読者にとっては知ったことではない。

これは『沖縄ノート』の読者に対して「『罪の巨塊』とは、実はもとになるラテン語の単語があり、辞書の二番目の訳語の他殺体という意味云々」と、恥もなく言い訳するノーベル賞作家と同じ論法である。

それで、その論文にはどのように書いてあるかというと、ますます自身の「転向」を証明する記述になっているので呆れてしまう。

本人が言う論文「慶良間島の惨劇」には、引用をあえて繰り返すと、こうある。

慶良間島の戦争体験の全体像をつかむうえで、また、集団自決という世にも悲惨な事件の本質に迫る上で、従来の記録類は質量共に不十分と言わざるをえない。 従来の記録が、事実関係の多くの誤りを含んでいることを曽野綾子氏の『ある神話の背景』で指摘されたところである。同書が発行されたのが今からちょうど4年まえ、その後の4年間に、はたしてどれほどの事実解明がなされ、従来の「神話」の修正がなされただろうか

これはどう読んでみても、従来の(『ある神話の背景』発刊以前の)沖縄戦記録のズサンさに対する大城氏を含む沖縄の研究者の反省と懺悔の言葉ではないか。

このように『ある神話の背景』に対して全面降伏ともいえる文章を書いておきながら、「集団自決訴訟」が始まるや瞬時に「転向」して被告側応援に加わる変わり身の早さには脱帽するしかない。

しかも、自著が原告側の証拠者類として提出されるや、それに対する反論の本を出版し、その反論と称する内容が反論どころか転向の証明だとしたら呆れて言葉を失ってしまう。

これを更に批判したら更に、再反論の出版を続けるのだろうか。

金儲けのネタは何処にも転がっているものである。

大城氏は自分の「転向」の弁明を活字にすると、更なる墓穴に繋がるとでも思ったのか2007年10月に東京で行った講演会で、次のような愚にもつかない弁明をしたらしい。

●裁判の原告は、大城氏が、自ら執筆した「沖縄県史」において隊長命令のことを覆したと主張している。そんなことはありえない。単に主張だけなら自由だから、「研究紀要」に掲載されただけだった。(沖縄「集団自決」問題(10) 沖縄戦首都圏の会 連続講座第3回

「単に主張だけなら自由」だとか、「掲載されただけ」とか、このお方本当に研究者なのだろうか。

被告側応援団である大城氏の弁明の出版は、法廷の証言の一か月前に「転向」し、その転向の弁明本を出版した宮城晴美氏とも相通ずるものがある。

■もう一人の「最強転向者」■

おっと、既に亡くなった方なので失念していたが、

もう一人強力な「転向者」がいた!

元座間味村遺族会会長宮村幸延氏は、座間味島の自分が経営するペンションに訪ねてきた梅澤元戦隊長に「軍命を出した」と濡れ衣を着せたことを謝罪し、次のような自筆の「詫び状」を梅澤氏に書いていながら、突然「転向」し、「梅沢氏に無理やり泥酔させられて書いた)として前言を翻した。

< 証言  座間味村遺族会長

昭和20年3月26日の集団自決は梅澤隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の宮里盛秀の命令で行われた。之は弟の宮村幸延が遺族補償のためやむを得ず隊長命令として申請した、ためのものであります

右 当時援護係 宮村幸延 捺印

 

梅澤裕 殿

昭和62年3月28日 
『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編著 PHP研究所)より

 

「集団自決」問題では「転向」する人物が多いと縷々書いてきたが、自筆捺印の「詫び状」まで書いていながら、「泥酔していたから」という子どもでも使わない言い訳で「転向」した当時座間味村援護係の宮村幸延氏も「最強の転向者」の一人に加えてよいだろう。

それにしても、裁判長がこんなミエミエの言い訳を信じたことも、「集団自決訴訟」七不思議の一つである。

 

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