今日書いた前々回の記事の続きです。
ライコケ山の前回の大噴火が1924年と言う事で、では当時のカムチャッカかその周辺エリアで目立つ地震か噴火が有ったのか?となるので調べて見た所、ほぼ対応するものが出て着ました。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8#%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D
1923年
2月3日 カムチャツカで地震 - Mw8.5(Mt8.8[4])。
引用終了
では最近ではどうなのか?と言うと、
引用開始(一部抜粋)
https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes
2017-07-17 23:34:16.4 54.55 N 168.84 E 30 7.7 KOMANDORSKIYE OSTROVA REGION
引用終了
更に1924年の前年である関東大震災が有った1923年とその前後の日本の大地震はと言うと次の通りです。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0 (Mb8.1)、死者12人。
1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9 (Ms7.0)
1914年(大正3年)
1月12日 桜島地震 - M7.1、死者29人。
3月15日 仙北地震 - M7.1、死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定[123]。
1915年(大正4年)
1月6日 石垣島北西沖で地震 - M7.4。
3月18日 北海道十勝沖で地震 - M7.0、死者2人。
11月1日 宮城県沖で地震 - M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M6.0、死者2人。
1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M8 (Ms8.2, Mw8.3[115], Mt8.5)、死者24人。
1920年代
1921年(大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
1922年(大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M6.8、死者2人。
12月8日 島原地震(千々石湾地震) - 1時50分にM6.9、11時02分にM6.5。長崎県橘湾で地震、死者・行方不明者?人。
1923年(大正12年)
6月2日 茨城県沖で地震 - Mj7.1[4]、千葉県銚子市で最大震度4。
7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 - Mj7.3[4] 深さ44 km[4]。宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度4。
9月1日11時58分ごろ 関東地震'(大正関東地震、関東大震災) - M7.9 ("Ms8.2, Mt8.0, Mw 7.9 - 8.0[124], Mw8.2[96])、関東地方南部と山梨県で最大震度6。神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定[125]。死者・行方不明者10万5,385人(1925年の調査では14万2,800人)[126](日本災害史上最悪)。本震3分後にM7.2、4.5分後にM7.3の地震が起こって地震動は10分以上続いて[127]いる。
同日12時3分ごろ 相模湾で地震 - Mj7.3[4]、埼玉県熊谷市と山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
9月2日 千葉県南東沖で地震 - Mj7.3[4] (Mw7.8[128])、山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
1924年(大正13年)
1月15日 丹沢地震 - Mj7.3、死者19人。山梨県甲府市で最大震度6。大正関東地震の余震と見られている。
7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj7.5、北海道根室市で最大震度4。
8月15日 茨城県沖で地震 - Mj7.2、福島県いわき市で最大震度5。
12月27日 網走沖で地震 - Mj7.0、深さ150 km、北海道根室市で最大震度4。
1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj6.8、兵庫県豊岡市で最大震度6。火災発生、死者428人。
1926年(大正15年)
6月29日 沖縄本島北西沖で地震 - Mj7.0、深さ150km。沖縄県那覇市で最大震度4。
8月7日 宮古島近海で地震 - Mj7.0、沖縄県石垣島で最大震度4。
1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj7.3(Mw7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度6。震源付近で震度7相当と推定[129][114]。死者2,925人。
1928年(昭和3年)5月27日 岩手県沖で地震 - Mj7.0、青森県青森市、岩手県宮古市・盛岡市で最大震度4。
引用終了
時期はややずれていたり前後が逆だったりしますが、1924年近辺に発生していた大地震では例えば、1914年の仙北地震 - M7.1が今月発生した山形県沖の地震に対応していると見えなくも有りません。
1915年の十勝沖地震や宮城県沖地震は東日本大震災に対応、1916年の明石付近で地震 - M6.1は1995年の阪神淡路大震災に対応、1922年の島原地震は2016年の熊本地震に対応と言う所でしょうか。
仮にこれに似たパターンが繰り返されると言う前提に過ぎませんが、上記に載っている大地震で未だ現時点でここ30年発生していないものについてはもしかしたら規模の違いは有れ、目立つ地震となる可能性がゼロではないのかも知れません。
実はライコケ山の噴火は知られているものは、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E5%85%AC%E8%A8%88%E5%B3%B6
1778年 - 噴火[2]。山頂部分3分の1が破壊されるほどの規模だったとされ、これがきっかけとなり、その 2 年後には初めての千島列島の火山調査が実施されることとなった[2]。
1924年 - 2月15日[4]、噴火[6][6][2]。クレーターの深さや島自体の輪郭が変わる規模であったとされる[2]。
2019年 - 6月22日午前3時頃[7]、噴火[8]。東京航空路火山灰情報センター(東京VAAC)によれば、噴煙高度はFL430(約1万2900メートル)[6][9]、北東に向かって拡散すると予想された[9]。
引用終了
1778年の噴火では日本国内でどのような大地震が有ったのか?と言うと、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#20%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%89%8D%E5%8D%8A
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡島北方沖で地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[89]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[89]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[89]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7 1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7 1⁄4±1⁄4、M7.2[86]又はM7.4[93]、大分城で被害多く、熊本領内でも被害有り。津波有り。
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M7.4 - 8.0 (Mt8.5, Mw8.7[102])、死者約12,000人。津波の最大遡上高85 m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性有り。
1780年7月30日(安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[103]。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日) 北海道後志神威岬沖合で地震 - M≒7.1又はM7.3[104]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[105]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[104]。金沢などで地震。640人死亡、その他の地域でも死傷者あり。
引用終了
1741年の寛保津波は1993年の北海道南西沖地震 に対応(?)、1763年と1766年の東北沖の地震は東日本大震災に対応、1769年の日向・豊後・肥後の地震は2016年の熊本地震に対応、1780年の庄内地方は今月の山形県沖の地震に対応(?)、1782年の天明小田原地震は1923年の関東大震災に対応、1799年の金沢地震は1927年の北丹後地震に対応。
大体こんな見方が出来るかと思えます。
相模トラフとその延長上に関連する地震、そして兵庫県から石川県あたりにかけての日本海側は暫く大きな地震が発生しておらずやはり要注意なのでしょうか。
ライコケ山の前回の大噴火が1924年と言う事で、では当時のカムチャッカかその周辺エリアで目立つ地震か噴火が有ったのか?となるので調べて見た所、ほぼ対応するものが出て着ました。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8#%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D
1923年
2月3日 カムチャツカで地震 - Mw8.5(Mt8.8[4])。
引用終了
では最近ではどうなのか?と言うと、
引用開始(一部抜粋)
https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes
2017-07-17 23:34:16.4 54.55 N 168.84 E 30 7.7 KOMANDORSKIYE OSTROVA REGION
引用終了
更に1924年の前年である関東大震災が有った1923年とその前後の日本の大地震はと言うと次の通りです。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0 (Mb8.1)、死者12人。
1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9 (Ms7.0)
1914年(大正3年)
1月12日 桜島地震 - M7.1、死者29人。
3月15日 仙北地震 - M7.1、死者94人。秋田県強首村(現大仙市)で最大震度7相当と推定[123]。
1915年(大正4年)
1月6日 石垣島北西沖で地震 - M7.4。
3月18日 北海道十勝沖で地震 - M7.0、死者2人。
11月1日 宮城県沖で地震 - M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M6.0、死者2人。
1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M8 (Ms8.2, Mw8.3[115], Mt8.5)、死者24人。
1920年代
1921年(大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M7.0。家屋倒壊、道路亀裂。
1922年(大正11年)
4月26日 浦賀水道地震 - M6.8、死者2人。
12月8日 島原地震(千々石湾地震) - 1時50分にM6.9、11時02分にM6.5。長崎県橘湾で地震、死者・行方不明者?人。
1923年(大正12年)
6月2日 茨城県沖で地震 - Mj7.1[4]、千葉県銚子市で最大震度4。
7月13日 九州地方南東沖で地震 20時13分 - Mj7.3[4] 深さ44 km[4]。宮崎県宮崎市と鹿児島県鹿児島市で最大震度4。
9月1日11時58分ごろ 関東地震'(大正関東地震、関東大震災) - M7.9 ("Ms8.2, Mt8.0, Mw 7.9 - 8.0[124], Mw8.2[96])、関東地方南部と山梨県で最大震度6。神奈川県と千葉県南部のそれぞれ一部で震度7相当と推定[125]。死者・行方不明者10万5,385人(1925年の調査では14万2,800人)[126](日本災害史上最悪)。本震3分後にM7.2、4.5分後にM7.3の地震が起こって地震動は10分以上続いて[127]いる。
同日12時3分ごろ 相模湾で地震 - Mj7.3[4]、埼玉県熊谷市と山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
9月2日 千葉県南東沖で地震 - Mj7.3[4] (Mw7.8[128])、山梨県甲府市で最大震度5、大正関東地震の余震。
1924年(大正13年)
1月15日 丹沢地震 - Mj7.3、死者19人。山梨県甲府市で最大震度6。大正関東地震の余震と見られている。
7月1日 北海道東方沖で地震 - Mj7.5、北海道根室市で最大震度4。
8月15日 茨城県沖で地震 - Mj7.2、福島県いわき市で最大震度5。
12月27日 網走沖で地震 - Mj7.0、深さ150 km、北海道根室市で最大震度4。
1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj6.8、兵庫県豊岡市で最大震度6。火災発生、死者428人。
1926年(大正15年)
6月29日 沖縄本島北西沖で地震 - Mj7.0、深さ150km。沖縄県那覇市で最大震度4。
8月7日 宮古島近海で地震 - Mj7.0、沖縄県石垣島で最大震度4。
1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj7.3(Mw7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度6。震源付近で震度7相当と推定[129][114]。死者2,925人。
1928年(昭和3年)5月27日 岩手県沖で地震 - Mj7.0、青森県青森市、岩手県宮古市・盛岡市で最大震度4。
引用終了
時期はややずれていたり前後が逆だったりしますが、1924年近辺に発生していた大地震では例えば、1914年の仙北地震 - M7.1が今月発生した山形県沖の地震に対応していると見えなくも有りません。
1915年の十勝沖地震や宮城県沖地震は東日本大震災に対応、1916年の明石付近で地震 - M6.1は1995年の阪神淡路大震災に対応、1922年の島原地震は2016年の熊本地震に対応と言う所でしょうか。
仮にこれに似たパターンが繰り返されると言う前提に過ぎませんが、上記に載っている大地震で未だ現時点でここ30年発生していないものについてはもしかしたら規模の違いは有れ、目立つ地震となる可能性がゼロではないのかも知れません。
実はライコケ山の噴火は知られているものは、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E5%85%AC%E8%A8%88%E5%B3%B6
1778年 - 噴火[2]。山頂部分3分の1が破壊されるほどの規模だったとされ、これがきっかけとなり、その 2 年後には初めての千島列島の火山調査が実施されることとなった[2]。
1924年 - 2月15日[4]、噴火[6][6][2]。クレーターの深さや島自体の輪郭が変わる規模であったとされる[2]。
2019年 - 6月22日午前3時頃[7]、噴火[8]。東京航空路火山灰情報センター(東京VAAC)によれば、噴煙高度はFL430(約1万2900メートル)[6][9]、北東に向かって拡散すると予想された[9]。
引用終了
1778年の噴火では日本国内でどのような大地震が有ったのか?と言うと、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#20%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%89%8D%E5%8D%8A
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡島北方沖で地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[89]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[89]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[89]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7 1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7 1⁄4±1⁄4、M7.2[86]又はM7.4[93]、大分城で被害多く、熊本領内でも被害有り。津波有り。
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M7.4 - 8.0 (Mt8.5, Mw8.7[102])、死者約12,000人。津波の最大遡上高85 m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性有り。
1780年7月30日(安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[103]。
1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日) 北海道後志神威岬沖合で地震 - M≒7.1又はM7.3[104]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[105]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[104]。金沢などで地震。640人死亡、その他の地域でも死傷者あり。
引用終了
1741年の寛保津波は1993年の北海道南西沖地震 に対応(?)、1763年と1766年の東北沖の地震は東日本大震災に対応、1769年の日向・豊後・肥後の地震は2016年の熊本地震に対応、1780年の庄内地方は今月の山形県沖の地震に対応(?)、1782年の天明小田原地震は1923年の関東大震災に対応、1799年の金沢地震は1927年の北丹後地震に対応。
大体こんな見方が出来るかと思えます。
相模トラフとその延長上に関連する地震、そして兵庫県から石川県あたりにかけての日本海側は暫く大きな地震が発生しておらずやはり要注意なのでしょうか。