快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 信長襲撃命令は足利義昭から伊勢貞興らに出されていた可能性

2017-11-21 01:24:24 | 地震 津波
 本能寺の変が追い詰められていた斉藤利三の暴走である可能性について、その後に旧室町幕府奉公衆もまた追い詰められていた事もは既に以前に記事にしました。
 ではどちらが話を持ちかけたのか?と言うのは斉藤利三の可能性が高いと思っていましたがその後に更に調べて行くと、どうも伊勢貞興、諏訪盛直、御牧景重らの旧室町幕府奉公衆の方だったのではないか?とも考えられるようになりました。
 この旧室町幕府奉公衆達の多くは、足利義昭が京都から追放される直前まで足利義昭に仕えていた者が多かったようです。
 一方の明智光秀は足利義昭が追放される1年前位から実質、信長方に乗り移っていたようです。
 つまり足利義昭は明智光秀よりも伊勢貞興、諏訪盛直、御牧景重らの方を信用していた可能性が高い事が考えられます。
 その場合、足利義昭は明智光秀ではなく伊勢貞興、諏訪盛直ら旧室町幕府奉公衆の幾人かに「機を見て信長を討つように」と指示命令を出していた事は十分考えらると思っています。
 更に公家の中にも足利義昭や毛利氏と利害を同じにするグループも少なからずいたはずと考えられ、それらの一人でも茶会に参加し、本物の信長が本能寺にいて警護も手薄なのを確認し、それを伊勢貞興、諏訪盛直ら旧室町幕府奉公衆に人脈ルートで連絡。
 新月の状況で信長が抜け出していないのこれら公家の一部が遠目で監視。
 そして秀吉援軍で明智軍として集結した中に、伊勢貞興、諏訪盛直ら旧室町幕府奉公衆の幾人がいて、そこにいた斉藤利三や明智秀光らに話をもちかけ、「襲撃できるこれだけの機会は今回を逃したらもうあまりないだろう」と言う事になり実行が決定。
 光秀はこれを知らなかったと考えられなくも有りません。
 この仮説によれば多くの疑問点はクリアできるようになって来ます。
 例えば山崎の戦いで御牧景重が光秀に退却を進言しつつ、自らは秀吉軍に決死の抵抗をして戦死、と言うのも何故そこまでするのか?と言う疑問が解けてきます。
 自分らが決定して強行したからです。
 また光秀が準備不足だったのは以前の記事で書きましたが、この謎も解けて来ます。
 

仕組みとアプローチ -  ロイヤルティ諸島エリアでM7の地震発生 これをどう見るか

2017-11-20 12:12:57 | 地震 津波
 ロイヤルティ諸島エリアの目立つ地震関連について最近何度か記事にしたのですが、ここでM7の地震が発生しました。
 UTC日時で先日からのM5以上の地震をEMSCで見て見ると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

2017-11-20 02:20:54.9
34min ago
21.16 S 168.63 E 5 5.1 LOYALTY ISLANDS
2017-11-20 00:09:24.2
2hr 45min ago
21.41 S 168.82 E 10 5.8 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 23:24:48.4
3hr 30min ago
21.44 S 168.57 E 20 5.1 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 22:58:59.1
3hr 56min ago
21.37 S 168.51 E 10 5.1 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 22:43:30.0
4hr 11min ago
21.30 S 168.74 E 12 7.0 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 19:34:22.8
7hr 20min ago
21.48 S 168.78 E 10 5.3 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 17:34:32.2
9hr 20min ago
2.90 S 129.59 E 48 5.0 SERAM, INDONESIA
2017-11-19 16:08:07.4
10hr 46min ago
21.15 S 168.61 E 10 5.9 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 15:09:04.9
11hr 45min ago
2017-11-19 11:27:44.3 21.49 S 168.75 E 10 5.3 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 09:56:01.4 21.62 S 168.75 E 10 5.2 LOYALTY ISLANDS
2017-11-19 09:25:47.8 21.48 S 168.77 E 15 6.3 LOYALTY ISLANDS

引用終了

 M7もさる事ながら、UTC日時で先日から世界で発生したM5以上の地震の殆どがロイヤルティ諸島エリアのものだと言うのも印象的です。
 このエリアの目立つ地震については以前の記事にした通り、今後、ケルマディック諸島エリアの目立つ地震発生という連動傾向が再現するのか?と言う点がまず有ります。
 そして更に以前に記事にしたいおうにバヌアツで火山活動が活発化した事がバヌアツの目立つ地震が減少した理由だと仮にしたと仮定した場合、次のような見方も可能性としては考えられなくもない、と言う事に行き着きます。
 それは次の通りです。
 「バヌアツで地殻やプレート境界部の固着が減ってスムーズの滑りやすくなった為に滑る時の発熱でマグマが発生しやすくなった、と言うならば、今度は地殻やプレートの力が隣接部や近接エリアにかかり、突っかえ棒の交代理論から行けばロイヤルティ諸島エリアの目立つ地震につながった事は考えられなくも無い。そして仮にそうならばロイヤルティ諸島エリアの目立つ地震多発はバヌアツでの目立つ地震に相当する、と言う事にもなってしまうので、バヌアツの法則を適用するケースとなる可能性はゼロではない」。
 今後、2週間くらい、と言うと次の満月、そして期間を更に長めに考えるとそのまた次の満月前後も上記の原理が仮に成り立ったと言うケースに過ぎませんが、どちらかと言えば要注意、と言う事になります。
 そして次の次の満月、それは来年1月2日のスーパームーンなのですが、果たしてどうなるでしょう。

仕組みとアプローチ -  南極の火山活動活発化で更に考えられる事

2017-11-20 00:46:23 | 地震 津波
 次の例は南極ではなく、北極圏で既に発生している事です。

引用開始(一部抜粋)

http://www.sankei.com/photo/daily/news/160507/dly1605070004-n1.html

北極に「黒い氷」広がる 温暖化、氷床融解を加速

 温暖化が進む北極圏グリーンランドで、微生物が大量に繁殖し氷床が黒くなる現象が確認され、2012年には黒い部分の面積が、四国の1.5倍に相当する約2万7千平方キロメートルに拡大したことが7日、千葉大の竹内望教授(雪氷生物学)らの衛星画像を使った調査で分かった。国際科学誌電子版に発表された。
 竹内教授は「黒い氷は太陽光を吸収しやすい。気温上昇に加え、さらに融解を速める一因となっている可能性がある」と指摘している。
 竹内教授によると、黒い氷の原因は藻類やバクテリアなどの微生物などに由来する「クリオコナイト」と言われる直径1~2ミリの物質。クリオコナイトが底にたまった氷床の穴が気温の上昇で解け、氷床の表面に散らばって、氷が黒く見える。

引用終了

 このケースが南極で起きるとすればそれは南極で大規模な火山噴火が発生し、しかもその火山灰の種類が藻の繁殖に適した場合なのですが、火山灰の成分が通常の藻にはあまり適していないとしても、藻には多くの種類が有り、その火山灰や酸性に強いものも有るかも知れません。
 仮に火山灰の成分の一部を繁殖に使うタイプの藻が増えればの話ですが、やはりその時は北極圏と同様に氷床や雪の融解につながるかも知れません。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 逆臣や逆賊というレッテル

2017-11-19 08:12:55 | 地震 津波
 光秀が主君である信長を討てば「逆臣」となります。
 ではこの汚名をかわすにはどうすれば良いのか?と言えば、それは征夷大将軍である足利義昭を追放した信長に報復した、と言う大義名分があれば良いことになります。
 「しかし信長だって本能寺の変の時は右大臣だったのだから、征夷大将軍である足利義昭を追放したのは別にいけなくはないのでは?」と言う疑問が有るかもしれないのですが、そうでは有りません。
 信長が足利義昭を追放したのは1573年。
 その信長が右大臣になったのは1574年。
 更に右近衛大将になったのは1575年。
 つまり右大臣でもなく一大名に過ぎない信長が征夷大将軍である足利義昭を追放したのは、広義には「逆賊」となるわけで、ならば光秀が足利義昭を京都に戻して、仮に元の足利幕府復活ができれば、光秀は「逆臣」のレッテルは貼られずに済む、言わば足利義昭擁立は明智光秀にとって命綱だったと考えています。
 これは毛利氏とても同様で右大臣、右近衛大将の信長を討つとなった時、征夷大将軍である足利義昭を立てれば、やや際どいとは言え一応は「逆賊」のレッテルを回避できる事になるので、足利義昭を手放すわけは無かったと見ています。
 では光秀がかなり以前から足利義昭が戻るように連れ出す工作をしていたのか?と言えばそのよう史実を伝える資料を特に筆者は確認できておらず、以前の記事で引用したような、寧ろ本能寺の変が起きてからあわてて足利義昭擁立の根回しを付け焼刃程度に行った位の書状しか残っていない様です。
 これが何を意味するのか?と言えば、それは本能寺の変が明智光秀の想定外の時に発生してしまったから、或いはもう少し可能性を広げるとすれば、本能寺の変を起こす必要性が突然生じてしまったからだと考えています。
 ではそれらの必要性とは何か?と言えば、それは急に決まった織田信忠の征夷大将軍就任決定と足利義昭に解任決定ではないでしょうか。
 以前の記事では光秀の想定外で斉藤利三が暴走した可能性について書きましたが、少し考えが足りなかったかも知れません。
 更にもう少し考察を進めると可能性は低いものの次の様なケースも考えるようになりました。
 それは、「織田信忠の征夷大将軍就任決定と足利義昭解任決定で、あわてた光秀が斉藤利三らとやむなく計画した、そしてやはり追い詰められた旧足利幕府奉公衆も同調して本能寺の変が発生した」、と言う事です。
 そして筆者が考えているのは、前日である6月1日の茶会でこの征夷大将軍の就任、解任の話が出た可能性が有る事です。
 仮に織田信忠の征夷大将軍就任決定と足利義昭解任決定が無かったとした状況で光秀が信長を討とうと考えていたのなら、光秀は計画とは裏腹に毛利攻めにはまさにやる気満々のパフォーマンスで信長と進軍し、到着後か戦闘中に突然毛利氏に寝返ったと思います。
 その方が、距離も近く密使を送って足利義昭と毛利氏に合流できる上、信長や秀吉を討取れる率も高く、そして柴田勝家などの織田の重臣達も当時は遠くにいて直ぐには到着できず、更に毛利軍と明智軍が合流すれば織田方の軍勢とは有る程度の長期戦となったはずで、そうなれば上杉氏、北条氏、長宗我部氏、反信長勢力などが次々と連携をとって攻勢に出て来る事となり、柴田勝家などの織田の重臣達や軍勢は織田vs毛利の戦場となっている中国地方には集結できない、出来たとしても極僅かの軍勢にしかならないと言う状況になり、更に光秀が毛利攻めの戦場に到着してからならば、織田信孝は既に四国に渡航した後であり、梯子を外された織田信孝と丹羽長秀の織田軍は浮き足立って逃亡する雑兵が続出し長宗我部氏を前に敗走した可能性も高かったのではないでしょうか。
 仮にこのケースになっていたとしてもやはり毛利氏には有利となっていたのかも知れません。


仕組みとアプローチ -  インドと中国の国境付近でM6.3の地震発生

2017-11-18 12:00:13 | 地震 津波
 先ほどインドと中国の国境付近でM6.3の地震が発生しました。
 このエリアのM5以上の地震を、EMSCで調べると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2017-11-18 00:32:01.6
2hr 20min ago
29.95 N 94.84 E 10 5.1 EASTERN XIZANG-INDIA BORDER REG.
2017-11-17 22:34:19.4
4hr 17min ago
29.92 N 95.06 E 10 6.3 EASTERN XIZANG-INDIA BORDER REG.

引用終了

 EMSCのデータは2004年の途中からなのですが、今回の2件の記録しか有りません。
 少なくとも最近十数年では初めてと言う事になります。
 やはりユーラシアプレートに力、それも少なくともここ十数年間では無かった力がかかっているのでしょうか。
 そして以前に記事で書いた「ミャンマーの傾向則」のエリアとやや近い面も気になります。
 だからと言って「ミャンマーの傾向則」を拡大解釈して適用すべきなのか?と言うとこれもまた迷います。
 ただ今月に入り韓国で発生した目立つ地震とも合わせるとやはり油断は出来ない、と言う所でしょうか。