快気分析

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仕組みとアプローチ -  海底隆起を伴う地震でも地震や津波被害が殆ど無かった例

2024-01-20 08:38:06 | 火山 地震 津波 
 海底隆起を伴う地震の例は多くあるのですが、その中でも例えば1590年の安房での地震のように地震被害が殆ど無かったケースも有るようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#16%E4%B8%96%E7%B4%80

1586年
1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層(岐阜県)が活動したとする説もあるが[86]、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85]。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。


引用終了

 このような隆起を伴う地震なら通常は地震や津波で多大な被害が出る事が多いのですが、この時はスロースリップに近いような地震だったようで関東移封されたにも拘わらず家康が強運に恵まれた事がわかる典型ではないでしょうか。
 一方で秀吉の勢力圏では大地震とそれに伴う被害が多発しました。
 家康とその重臣らの緻密な計算による面は有りますが、歴史は自然災害により決まる面が大きい、と言うのは確かなようです。

仕組みとアプローチ -  金沢地震(1799年)をどう考えるか

2024-01-19 23:52:06 | 火山 地震 津波 
 今年の能登半島地震は激震だったわけですが、隣接域と言える金沢市とその周辺の大地震については次のような史実が有ります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日)後志地震 - 北海道後志神威岬沖合で地震。M≒7.1又はM7.3[123]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[124]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M6.9 - 7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[123]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
1801年5月27日(享和元年4月15日) 上総地震 - 久留里城が破損。
1802年12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M6.5 - 7.0、死者37人。
1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震 - M7.0±0.1、死者500から550人。象潟で2mの地盤隆起と3から4mの津波。
1808年12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[125][126]。
1810年9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島で地震 - M6.5±1⁄4、死者60人

引用終了

 この時も東日本大震災と同様でやはり少し前にあたる1793年に寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M8.0 - 8.4が発生しています。
 ただこの金沢地震が発生した前後数年で能登半島地震が発生していません。
 そして約9年後にあたる1802年に佐渡小木地震が発生。
 つまり能登半島の両端に該当する金沢と佐渡での大地震と言うわけで、何でその中間にあたる能登半島で大地震が発生しなかったのか?と言うと、それは1729年に発生した能登・佐渡地震により既にストレスが有る程度は解消されていた為、と言う事なのかも知れませんがそれは定かではありません。
 仮にこのパターンが繰り返されるのだとすればですが、金沢市周辺では今後数十年は大地震が発生しない、となるのでしょうがそれは当時の地下で発生していたストレス等の条件と全く同じと言う事は無いわけで、つまり金沢地震がいつどういう規模で発生するのかと言うのはわかりません。
 ただ1799年の 金沢地震がM6.0±1⁄4又はM6.7と言うようにそれ程の地震規模ではないにも関わらず、犠牲者が死者640人と多かったのは、当時の金沢市周辺が加賀前田百万石と言われたように城下町として栄え、おそらく耐震性があまり無い、しかも重たい瓦屋根の建物が軒を連ねていた為ではなかったか、と思えます。
 今回の能登半島地震についてもあの重たそうな瓦屋根が仮に軽量の金属屋根とかだったら犠牲者はかなり少なかったかも知れません。
 金沢市とか佐渡でも今なら未だ間に合う。
 備えあれば憂い無し。

仕組みとアプローチ -  避難所の課題 劣悪な共用トイレ問題 解決はそう困難でないはず

2024-01-18 18:42:56 | 火山 地震 津波 
 避難所の課題についてですが、共用トイレが劣悪な状態になるケースが多いので避難所に行くのを躊躇う人も少なくない、と言う事も無視できます。
 確かに災害時には水が使えない、排泄物を回収するまでに日数がかかる事が多いなどの悪条件が有ります。
 ただこれ、解決するのは簡単なのです。
 結論から書きますと、要は「テントと簡易トイレを避難者各自が持ち込むか、或いは自治体などで予め十分な数だけ用意して屋外、或いは避難者とは離れた屋内とかにテント式簡易トイレを多数設置する」事です。
 簡易トイレにはポリ袋(できれば防臭タイプ)を予め設置してそこに排泄し、そのポリ袋は所定の所に運んである程度は貯められるようにする。
 そうすればトイレは世帯毎に1つのテント、一つの簡易トイレとかになり、共用トイレに汚物が入りきれないと言う劣悪な状態は避けられるのです。
 なのでテントを避難者が持ち込んだ場合に屋外とかに設置するのを容認するスペースとかを避難所側は明示しておく必要が有ります。
 こういう体制を予め周知しておけば、災害が発生した時に共用トイレを使いたくない人が殆どでしょうから、テントも自分で用意するようになる事が多いはずです。
 トイレ用のテントは大きなものでなくても大丈夫なので大した価格ではありません。
 また購入するのが困難な住民とかには自治体が補助をして自宅保管を推奨するのも良いと思います。
 個別テントに簡易トイレがあればドアを触ったりした時の感染拡大とかもある程度は防げます。
 また避難所では眠れないとかの場合には時々テントで睡眠をとる事もできます。(但し冬なら防寒機能が高い寝袋やマットが必要)
 避難所周辺にテントをもっと自由に張れるような体制を採れば、トイレ問題はかなり解決するのと、このテントにトイレを使用する時以外はペットを居させてもよいわけです。
 これで「ペットお断りの避難所」の問題もある程度は解決できるはずでしょう。
 

仕組みとアプローチ -  その後にどのような大地震が発生したのか 1729年に発生した能登・佐渡地震

2024-01-17 09:06:41 | 火山 地震 津波 
 1729年に発生した能登・佐渡地震ですがその後にどのような地震が有ったのかについても気になりましたので見てみると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。

引用終了

 まあこのパターンで今後も同様な大地震が発生するのかどうか、と言うのは全くわからないのですが、気になるのはやはり、

1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。

あたりでしょうか。
 何しろ東日本大震災でプレートの歪が解消されたエリアの北側隣接域なわけなので。
 それと、

1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。

と言うのも気になります。
 更に、

1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。

と言うのもまあ東日本大震災で危険な部分は対策済の所が多いとは言うもののやはり気になります。
 今後、どうなるでしょうか。
 それは今の技術では誰にもわかりません。

仕組みとアプローチ -  1729年に発生した能登・佐渡地震と令和6年能登半島地震を考える その2

2024-01-17 08:45:03 | 火山 地震 津波 
 1729年に発生した能登・佐渡地震ですがその前に発生した主な地震は次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃北西部で地震、M6+1⁄4、山崩れなど。死者56人。
1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M6.5 - 7.0。
1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1718年8月22日(享保3年7月26日) 遠山地震 - M7.0、三河、伊那遠山谷で地震。遠山川の河道閉塞が後日決壊し、死者50人[119]。
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
引用終了

 これを見るとすぐに気がつくのですが、

1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 → 2007年の新潟県中越沖地震
1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 → 2011年の東日本大震災
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 → 2016年の熊本地震

と言う感じで似てる面が有るように思えるのですがどうでしょう。