この作品は、1988年「聖と俗の混沌(カオス)」という手テーマで個展をした時の作品の一つ。色鉛筆の作品。10Fの大きさの紙に描かれている。アルトーハウスのアルトーは、詩人アントナン・アルトーのことだ。破滅的な生活を送った詩人で有名。また、美術学生や、ロック少年にアルトーの詩のファンは本当に多い。ヒロク二さんは、アンドレ・ブルトンの著書も、本に絵の具を塗って大切に手元においてある。その中にお気に入りの項目があり「ナジャ」という女の子が登場する章の話を聞かせてくれた。実在にいたのか、いないのか、はっきりしないのがシュールリアリズムらしくていい。一種のオブセッションのように感じました。美術家にオブセッションは時に大切。「アルトーハウス」という作品にも、それを感じる。現代美術家の草間彌生さんは、オブセッションだけで素晴らしい世界を形成し、見る人を脅迫してくれる。また、そこから感動が湧いたりするから不思議。ヒロク二さんは、この作品を描いたころは、精神的に辛い生活を送っていたようで、守るべきものもなく、荒れた生活をしていたようで、何とかこの絵を仕上げなければ自分がなくなるという恐怖感の中、仕上げた作品といいます。地獄へと三途の川を渡る様子とも見れる。その後、お世話になった、美術研究家の故山本芳樹氏に「先生にヤルヨ。」とあげてしまいました。美術研究家の、山本芳樹先生は気に入っておられたようですぐ貰ってくださいました。
この作品は、山本芳樹先生が存命中にコレクションされていた作品を、信濃デッサン館に寄贈されたので収められている。(無言館の方に)信濃デッサン館は、村山塊多、関根正二、松本俊介等の夭折の画家達のコレクションで有名な美術館です。
また、山本芳樹先生は、日本で一番最初にH・R・ギーガー(映画エイリアンの美術で有名)を紹介された人。その著書は「エロス幻想・わが密室を彩る画家たち」中外書房にて紹介されています。その本の表紙に、ギーガーの絵を使われている。今読んでも、とても面白い。徹底的にエロスなところが先生らしくていいのです。とてもダンディーで精神がおしゃれな方でした。
2008年の個展での作品。題は「Girl Friends」
わたしは、また「おんなの子」かと思っていたのだけれど、ヒロク二センセイに聞くと「女の形をしているけれど、特に女性を意識して描いてるわけじゃない。」という。「銃弾の跡のようなものだ!」「画面に銃弾を撃った跡の形だ。」といいました。二キ・ド・サンファールの初期の作品で、絵の具を銃に詰め、銃弾で撃ちこんだ作品を思い出しました。この頃のニキ・ド・サンファールの作品は、なにか思いつめたような緊迫感を感じる。精神の葛藤を二キ・ド・サンファールは即物的に表現した。ヒロク二センセイは、男なので観念的に表現したのか?と思いました。わたしは、包装紙になったら素敵ではないかと現実的なことを考えた。このアイデアもいいでしょう?
ロックに詳しいヒロク二さんは、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「恐怖の脳内改革」のジャケットの絵が、H・R・ギーガーだったので、山本芳樹先生に見せてあげたそうです。聴くなら「タルカス」というアルバムの方がいいと、わたしに教えてくれました。プログレだそうです。わたしは、昔、ロック通がいく小さいレコード屋に行って、大きな声で「プログレって何ですか?」と聞いて店の中にいた人達が、息を詰めたことがあり、お店の方も一瞬気が遠くなられたようでとても長い説明を受けたけれどあまり理解ができなかったことがある。近年思い出したように、ヒロク二さんに聞くと、CDをかけてくれて「こういうのがプログレ。」と教えてもらいました。やっと理解できた。「こういうの」の説明がとても難しかったのだと納得しました。通のお店では、口にされないような質問を、ついしてしまう鈍感なところがある。わたしは、恥ずかしい人生の汚点のような質問や、間違いをおびただしくしているよう。あからさまにバカにしないで、教えてくださる人はいつもとても親切です。