武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ヒト・くも(作品紹介673)と カヤツリ草のこと‥

2022-05-21 19:03:47 | Weblog

崩れそうな積み木の積み方。

この絵を見て思ったことです。

タイトルが書き込まれている。

「ヒト・くも」と。

この“くも”と書かれた可愛らしい文字。

字を見ていると愛しくなる。

アップで↓

それはさておき、この絵は直線がよく使われているのが印象的で、

サシでも使ったのか?と思って見ていました。

しかし、線をよく見ると、

なめらかな線ではなく、キザキザしていたり、

太くなったかと思うと、細い線になっていったりと、

その線のせいかギシギシという音を立てながら歩いている人型のように見えます。

赤と青の“くも”も子供が描いたような感じもして、

なんだか童心に返ったような気持ちにさせられる。

だた1つ、子供の絵じゃないと思わせるところは、右にある枯木だ。

この部分は、寂しさを感じさせる。

侘しい感じが漂うこの枯木。

この部分にヒロク二さんを見つけるのでした。

余談なのですが、しあわせ食堂の毎日新聞の挿絵を描いていた頃、

食事が喉を通らなくなった時、

わざわざ新聞社の方が心配で来て下さり、わたしに、

「いや、枯木も強いですからね。意外と枯木強いですよ。」と励まして下さって、

良人を枯木のように眺めました。

この絵は、色鉛筆、クレヨン、ボールペン、ガッシュを使用しています。

 

 

心地よい風が吹いた日。

「僕が、僕でないときがあって、

 そんな時はスーと風のようになる。」とヒロク二さんは言った。

こういう歯の浮くようなことをすらすら言えるという才能がある。

わたしは、毎度のことながら「恥ずかしいくないのか。」と思うのですが、

「詩人なのかもしれない。」とも思う。

野蛮人なのにロマンティスト。

また、わたしに軽井沢の写真を見せながら、

「俺は、こういう所に佇んでいる自分もいるのだよ。」と言われ、

無言になり、真顔で見つめ返したりした。

だんだん、思いが高まってきたのか、「堀辰雄の本を検索して。」と言われました。

「俺の本質はここにもあるんよ。」と言われ、

サナトリウムと恋、そして高原の風、とイメージした。

実は、わたしは、「堀辰雄」は小説のイメージだけで、読んだことがない。

たぶん、イメージは誇張されていて、本質はまったく知らないのだと思う。

とにかく、言われるままに、最新刊を注文しました。

繊細な小説を好む割りに、身体が強いヒロク二さん。

“おでき”も治癒能力が高いのか、急激に直っていってます。

繊細な心に、原始人のようなヒロク二さんが軽井沢で横たわっている姿を想像すると、

「場違いよ、あなた。」と言いそうである。

マキャベリの「君子論」を読みたいと思うわたしと、ヒロク二さんの読書の傾向の違いは大きい。

 

そんなふたりですが、病院からの帰り道、一本の草を摘みました。

中心から花火みたいに、茎と星のような草が水路のわきに生えていました。

「あっ、この草の形おもしろい!」と言って、手折ってヒロク二さんに見せると、

「よく、こんな草みつけたね。さすが、さほり。」と。

「いや、この草の形は、あなたの絵に通じるものがあると思って、ハッとしたの。

 わたしじゃなくて、あなたの絵がそうさせたのよ。」と言った。

そんな絵あったかな?と首を傾げている。

この草の形を非常に関心をよせているようで、

やはりヒロク二さんの形だったのだと思い、自分に感心した。

(自分で自分を褒める)

↓そのカヤツリ草は、

こういう草で見たことがある人は多いと思う。

水路で羊歯も一枚手折りましたが、枯れてきました。

そう思うと、雑草というのは強い。

写真が分り難いので、日本野草図鑑からの写真を

↑これ。カヤツリ草の形はさまざまです。

この形は、メリケンガヤツリ草という。

しばらく、ふたりはこの形に感動していて、心がウキウキ。

この真直ぐ伸びるシュッとた葉と固まりに見える実のような草の部分の、

数とバランスに何かを感じているわけです。

ふたりにとっては、いい感じに映る草。

わたしは急に閃き、ヒロク二さんに、

「あの、ビックバンってあるじゃない。

あれって、エネルギーから物質が出来たという、無から有が出来た瞬間じゃないですか、

そして、その物質から宇宙が、この世界が出来上がって、

その物質から私達も出来ているということじゃない?

私達の身体も結局は原子や素粒子で出来ていているということでしょ。

宇宙に通じるものが、私達にもあるということなんだよね。

私達が見る、4万光年とかも、4万年前の過去の光を見ているという事だし・・・」と、興奮気味に話す。

ここでヒロク二さんが、口を挟んだ。

「アインシュタインとかいるじゃない。科学者というのも凄いものだと思うよ。

私の分野とは違うけど、彼らの頭脳というのも素晴らしいと思うんだ。」

科学者のことを、そんなふうに捉えていたのかと知りました。

意外でした。

普段、科学の話なんかはしない。

この草を眺めながら、こういう形になるのも深遠な法則があるような気がしました。

話が宇宙にまでいくという飛躍ぶり。

こんな話を聞いてくれるのは、ヒロク二さんしかいないだろうなぁと思った日です

 

庭は、やっと枝豆が成長してきたところ。

↑左に植えてあるのが枝豆。

ビオラが咲いている中、育苗しているのは、ねぎ、さやえんどう、イタリアンパセリ。

 

↑今年は、ペチュニアを夏の花に。

左の後ろに見えるのは、朝顔の双葉。

 

↑食卓には、あじさいのようにビオラを飾りました。

この容器は、蓋付きの容器(陶器)なのですが、

口が細くてビオラを飾るのに適しています。

この白いビオラは、咲き始めは白いのですが、だんだん花びらの縁から青みを増します。

種から継いでいるビオラなので、花に安定感がない。

しかし、あじさいに見立てるのはいい感じでした。

 

ヒロク二さんは、野蛮人さを発揮したり、ロマンティストになったりと極端な人。

わたしは、現実をこなすのに追われていますが、

もしかしたら現実を考えるのが好きな性質なのかもしれない。

「現実が好き」何だこれは?と思いつつ、この辺にします。

話が飛躍したり、あっちこっちへと思いが飛んでいますが、

今日も、お読み頂いた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2022-05-26 01:16:34
積み木、ヒト、ロボット、アンバランスだけど絶妙なバランス、ぽっかりとした浮遊感。こんな感じに、ふわーっと色々な感じが浮かびました。おどけたような、力(ちから)が抜けたような、照れ隠しにふざけているようなこの「ヒト」に、くすりと笑ってしまいました。
さほりんの解説どおり、文字のかわいらしさと枯れ木が、とても特徴的です。文字はもちろんですが、こういう位置に枯れ木は描けないと思いました。
枯れ木をずっと見ていると、積み木のヒトがぐんぐんこちらにせまってくる錯覚に陥りました。さっきまで、おどけた感じに見えていたのに……。

軽井沢とロマンティストは、しっくりきます。現実の軽井沢の大部分は観光地化してしまって商業的に作られたなロマン(ファンシー?)しかないと感じていますが、人々が避暑に訪れる別荘、木立を流れる緑と露を含んだ風、という昔から続く「軽井沢」はちゃんと存続しているので、やっぱり心が惹かれてしまいます。
堀辰雄は、私もちゃんと読んだことがありません。有名な方なので、その一節をちょこちょこと目にすることはあり、漠然と「サナトリウム文学」を感じている程度です。
フランスのロマン文学はその世界観に没頭できるのですが、日本の作品はちょっと苦手な感じを持っています。私が日本にロマンを持っていないからなのでしょうか。
繊細な小説がお好きなわりに、身体が強くて良かったです。おできが順調に回復していることは、すばらしいです。現実的には、やはり、強い身体が重要です。

カヤツリ草を見つけたときのお二人の会話が、とてもすてきです。お互いの感性を素直に言葉にして感心しあうやり取りは、このまま小説の一節になりそうです。
惹かれる姿の草を見てお二人で話が発展していく様子に、「夫婦」という姿を感じました。お互いの感性で話して、考えが発展したり、思っていることを言ってみたり。日常にこういう会話があること、とてもすてきです。

緑がぐんぐん鮮やかになってきましたね。ビオラがあじさいのようで、驚きました。すごい! ビオラが活け花になるということだけでもずっと驚いているのですが、活け方によってこんなに変わるなんて……。
以前いただいたアドバイス(ありがとうございます)の「肩の力は抜いて~」を試していますが、なかなかうまくいきません。肩の力を抜くと、活けた花が本当にだらしなくなってしまいます。
自分でも「これはないだろう……」とショックになるほどです。ビオラのあじさい、心からすてきです。
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いつも絵をよく見て下さりありがとうございます。 (さほりん)
2022-05-27 10:42:30
コメントありがとうございます。
絵をいつも丁寧に見てくれているのだなぁと、痛感しました。「枯木をずっと見ていると」のくだり、私は気がつきませんでした。不自然なくらい小さく描かれているせいか、人型が前に進んでくるような気が確かにします。私は、枯木のありようにばかり目がいっていました。この枯木が描かれていなかったら、凡庸な絵だったかもしれない・・と、今思っています。ともりんの感性に脱帽です。

私は、軽井沢へは行ったことがありません。ヒロク二さんは、入り口付近までは、行った事があるそうです。今、堀辰雄を読んでいるヒロク二さんは、何か変。思いが盛り上がっているという風で、自分の中で世界を作り上げているのが、姿から察せられる。
ともりんの感想で、日本の作品はちょっと苦手とあり、私にもそういう所があるので、分かる気がする。日本に私小説という部類がありますが、私は随分苦手。あと、外国の文学は、ストーリーの展開がはっきりしているのに比べ、日本の文学は、心情の描写に重きが置かれていて、その上、長い。そこが苦手なのかもしれない。私の苦手な理由ですが、ともりんは、どんな感じなんでしょうか?本も読む気がしないものを無理して読まなくてもいいと云う理由で、堀辰雄も手にとることは、今のところないのでした。
ヒロク二さんのおできは、治癒能力を発揮で傷口が勢いよく治ってきています。そんな身体で、堀辰雄とは・・・。ハハハ・・と、皮肉な笑いをしそう。

カヤツリ草で盛り上がったりする時は、とてもいい時間なんだと思います。おかしな夫婦の日常なんですが、「すてき」と言ってもらえて光栄です。

アドバイスが役に立たなかったようで、恐縮です。う~ん、私は、庭をフラフラしながら花を摘んでいるのですが・・・・。確かに、ビオラを生け花にしている人は少ないかも・・。花がすぐにダメになるしね。あと、思いつくのは、長くやってきたからかな?継続は力なり。がんばれ!ともりん。

最後は、役に立たないアドバイスでごめんなさい。今回のコメントでは、私の方が絵の気づきを頂きました。ありがとう!!
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