画面に見える記号や形が赤い大地の上に、折り重なりながら浮かんでいる。
見ていると、多くの微笑があるようで、春の到来を思わせる。
ここは、楽園なのかもしれない。
左の受け皿のような赤い形に落ちてくる丸い形は、
実りを受け入れ、豊穣を思わせる。
右端にあるxのような形は、喜びを表しているかのようだ。
この形は、絵に初めて登場したもので、目新しい。
こういう形をよく発明するというか、表現させたらピカイチかもしれない。
任意の形を生み出す才が秀でているのだろう。
わたしは、このxの形の虜になっています。
武内は、亡き師匠の徳山厳氏から、若い頃、
「おめぇは、詩を爆発させるからな。」と言われたと聞きます。
こんな絵、摩訶不思議絵画なのですが、
ポエジーを感じます。
この形の集合から、「喜び」を感じるのです。
そして、春が早く来ないかなと思う。
この絵は、アトリエに吊るされていたものです。
写真をアップします。
↑急に写真を撮りに行ったので、お疲れの武内がいます。
頭の上のほうに、この絵があります。
他の作品もあると思いますが、
あまりにも難しい作品は、ブログでは、紹介していないと思う。
わたし自身が、非常に戸惑っているということです。
武内はなにか話しているようですが、
「俺を写真に撮ってどうするの?」ということを言っています。
机の前、左端に見える写真は、
マース・カニングハム、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージの3人の写真。
アメリカの偉大な表現者、年老いた3人が写っています。
毎日、見えるようなところに貼っているのが、可愛い。
(台所には、晩年の熊谷守一氏の写真が貼ってあります。)
こういう素晴らしい老人になりたい!ということなのでしょう。
普段は、用務員のようないでたちで、制作しやすい服装がコレだそう。
寒がりなのに、このいでたち・・・、石油ストーブで考えられないほど部屋は暖かい。
部屋を暖かく保つために、やりくりの工夫に追われるわたしです。
こんなわたし達ですが、最近の口癖は、
ヒロクニさんは、「そうねぇ~。」で、
わたしは「そうなのよぉ~。」「そうでしょう~。」だ。
お互い、「そう」を連発しているが、何に対して言っていたのが思い出せない。
それぐらいたわいのない話をしているということだ。
日常は淡々と過ぎ行く。
こういう日が続くと少しの変化にも敏感になり、
一日の中でも気持ちの移り変わりがよく見えた。
わたしは、よく考え事をする性質なのであるが、
その考える行為の中で、自分の周りにまとわりつく余計なもの、
つまり、ある種の考えごとにつきまとう灰色の影のようなものがあるのに気がついた。
仏教でいうところの“執着”といっていいかもしれない。
執着性の考える行為。
ものごとをよく考えるのはいいが、
その中に考えなくてもよい種類のものがあるのだと。
例えば、引越しのことを考えている内に、
引越し先の環境のことを思い、嫌な住人がいたらどうしようとか、
ものごとを悪い方に想像し、それに陥っている考えなど。
そのことに囚われだしたら、なんか抜け出せなくなっている状態です。
その考えに陥っている時に、これって“執着”?と思いました。
自分の中にある執着が、この考えを増長させているのだと。
簡単にいうと、原因は“不安”なのでしょうが、
必要以上に「快適にならねばならない」という思いや、
わたし的には今の家が快適というか、割合好きなので、
「現状より、悪くなると嫌だな。」という考えが支配的になっているのだろうと思う。
まだ、引越し先が決まってないのに、あれやこれやと考えているのです。
悪い方に考える自分自身の中に、問題があるのだと思いました。
「卵が先か、鶏が先か」の例えがあるように、
不安が先か、自分の中にある執着が先か?と思い、
自分の心の中を見ています。
不安は、物件を見ている内に解消されることがあると思う。
そう思うと、自分の中で支配的になっている“執着心”を解消してから、
家を見に行ったりする方が、判断の時に良い選択が出来ると思いました。
「ねばならぬ。」という肩に力の入った状態ではなく、
肩の力を抜いて、淡々と物事に取り組むという姿勢で望んだ方がよさそうです。
今週は、ヒロクニさんに驚かされたり、無理難題や、怒りをぶつけられることもなく、
平穏な日々でした。
平穏な日々だからこそ、自分自身の心のありようを見つめることができました。
自分の中の不穏な心に気がつけたのは、いいことです。
普段、不穏はすべて、ヒロクニさんがもたらしていると思ってしまいがちなので、
少し反省です。
しかし、わたしって考え事をよくします。
この文章自体もそうですよね。
↑種から育てているビオラがやっと1つ咲きました。
次に咲くつぼみも見つけていますが、やはり紫色。
今年もどんなビオラが咲くのか楽しみにしています。
今日は、わたしの負の感情について書きました。
負の感情って、なかなか強いものがあります。
日常生活の中で、自分を見つめるのもなかなか難しいもの。
私の場合、いろいろやらかしてくれる、
ヒロクニさんを見つめるのに集中してしまって・・、特に。
見ないでいい部分まで見ているような気がします。
淡々とした変化の無い生活もいいものだと思いました。
今日も、たわいのないブログを読んで下さった方、ありがとうございます。
xの形、最初はヒゲ?と思ったのですが、喜んでいるのかな?と思い直しました。その後にさほりんのコメントを読んで、当たった!と思い嬉しくなりました。いつもながらですが、色使いが本当にきれいです。
アトリエの写真をありがとうございます。こうした風景とはあまり縁がないので、新鮮に感じます。
自分が「こうなりたい」という人の写真を、良く見えるところに貼ってあるのですね。常に向上心を持たれて生活されているのだと想像しました。
以前どこかで「自分がなりたい人の写真を貼っておくことは良い刺激になります。なりたい姿として、現在と10年後20年後30年後……といった未来も想像しておくとよいです。」ということを読んだ記憶があります。
毎日視覚で刺激を与えることは、効果的なのですね。
今年は本当に燃料費が高いです。ヒロクニ先生のこの服装で暖かい部屋、ということを考えると、さほりんのご苦労が想像できます。いつもとても頑張っていらっしゃって、私にも刺激を与えていただいています。ありがとうございます
引っ越し、大変なイベントです。不安になると思います。肩の力を抜いて……と頭ではわかっていても、いろいろ考えて考えすぎてしまうのは仕方がないと思います。
損をすることが多いかもしれませんが、たくさん考えることは良いと思っています。考えない人はそこから成長がないと思います。考えすぎの人は自分で「考えすぎだ!」と自分で思うので、最終的にはうまくバランスが取れると思います。
紫のビオラがかわいらしいです。春がやってきたなあとうきうきします。
春の足音が聞こえてきたので、重い腰をあげて庭木の剪定を始めました。面倒だな嫌だなと思う気持ちに、「さほりんは庭の手入れをしていてすごい。私もちゃんとやらなければ恥ずかしいよ。」と自分に活を入れながらやっています。
勝手に励みにさせていただいています。ありがとうございます。
オシャレ感を感じてしまうのは、形や色、その配置で感じるのかもしれません。私もこの作品には、特にそれを感じます。何気ない形と色の配置が絶妙なのでしょうね。xの形、ヒゲに見えたとのこと。そう思ってみたら、もうヒゲにしか見えなくなります。(笑)わかるわ~。
それと同時に、やはりこの形、ユーモラスだなと。ともりんの感想を読んで思いました。自由な素直な感想って、いいなぁって思います。なんか楽しくなってしまいました。
アトリエの雰囲気、これはヒロクニさんの美意識と絵が描きやすいようにと、機能性が追求されています。だいたい何処に住んでも、こういう雰囲気を作りだします。部屋作りの名人だと思っています。しかし、寒いと言っても、この軽装・・・。灯油代のために、いろいろ工夫・・・。牛肉が好きなヒロクニさんなのですが、牛肉を買わなかったら、かなり食費が安くつくのが分って、食卓にあがらなくなっているのですが、気がつかない。まだ、気がつかない。いつ気づくかとハラハラしてます。
だけど節約、といっても、今回の値上がりや光熱費の高さでは、限界があるような・・。ちょっと、トホホ。家計を預かる主婦としては、厳しいものがありますね。もうすぐ春!と思い、春待ちです。今年は、早く春が来るのを望んでいます。
引越しのことで、心配ばかりして、悪い想像ばかり浮かぶので、自分で「いや待て!その考えちょっと待て!」と気づき、気持ちを整理してみたのです。ブログを書いてから、4日後ぐらいから、それよりも、この家に感謝の気持ちを持って、お別れしなくっちゃと。やっと、前向き。ともりんが、私によりそった気持ちのコメントも、“優しい気持ちがつまっていて”私をホワッとさせてくれて、なごみました。引越しは7月まで猶予はあるのですけど、急に力んでいたようです。反省・・。
紫のビオラ、とても小さくて、可愛いでしょ。そう思ってくれていて、嬉しい。
お庭の剪定、頑張っているのね。時折、寒くなるので気をつけて。今日は、とても寒くて驚きました。また、庭の剪定で、私を見本にとあり、私が見本になれるのか?とも思うけど、私で良かったら、いくらでも利用して励みにして下さい。(この辺が、あつかましく年取ったということだと痛感する)
お互い、いろいろやっていきましょうね!
優しい気持ちを頂きました。
ともりん、ありがとう!!