武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

散歩(色鉛筆・作品紹介682)と 一番を目指すについて

2022-07-30 15:06:41 | Weblog

散歩をしていると・・・。

こんな気持ちになっているのか、武内は。

これは、心象風景と言えるかもしれない。

ところが、タイトルは「ヒロク二主義」。

わたしが訳すとしたら、「俺の主義」。

日常に主義がたくさんあり、わけが分らないのもある。

妻からすると、苦々しく思うことも。

最大の難問、「俺は布団で寝ないのだ。」だ。

また、「俺は腹一杯は食べないんだ。」

「私は、裸になるのに抵抗感が薄いほうなんよ。」

「身体から、固いものがなくなって欲しいと思っていてね。」と言う。(歯医者に行かない。)

「固いものって・・・・。」とあきれたわたしは、

「それじゃあ、爪もいらないのじゃないの?今、ペンチで剥がしてあげる。」と言えば、

「君って、怖い女だねぇ。」と言われた。

「本当は、歯医者が怖いのと違うの?」と、健康に関わるものなので、こだわりました。

箸にも好みがあり、普通の男性用の箸を使っていたのですが、

「こんな細い箸は、男が使うものじゃない。」と言ったかと思うと、

つかみにくい土産用の菜箸のような箸を急に取り出されたこともある。

「寝巻きはきない。」

病院でも、身体から、ドレーンをつけながら、Tシャツと短パン姿。または、長ズボン。

もしくは、濃いブルーのバスローブ姿。

最近やっと、「ここでは死ねん。手足を伸ばして寝ることも出来ないのか。」言うが、

「誰も、押入れで寝ろとかいいませんよ。自分でそうしてるのじゃない?」とやり返しておいた。

快適に寝るのは、疲労回復にいいと思うのですが、こうなんです。

岡本太郎氏の彫刻に「座ることを拒否する椅子」があり、

ここちよく座れない。つまり、座るということにも戦いが必要な椅子がありましたが、

それと似た感じなのか?

「枕すら、俺はない。」と文句を言われた時、

わたしは自分だけテンピュールの枕で寝て、夫には座布団を折って渡していたのに気がつき、

「確かに・・。」と思ったことも思い出しました。

もう、夫の寝具に興味が無くなっていたみたい。

 

話を真面目な方に戻します。

絵画制作の中で、「俺が一番」を目指していること。

(実際には、そうでないのか、そうなのかは置いておいて。)

誰々の二番手ではなく、この部分では一番だと。

色鉛筆の使い方も、やはり独特。

色鉛筆画も多くありますが、絵も個性的でこういう絵はない。

また、絵画における精神性のことも目標にしている。

それが、個性的な表現に結びついていると思う。

時々、形而上学的に思える作品があるのも、そういう理由がある。

哲学的に、形而上学というのは、アリストテレスの言うところの、

あらゆる存在者を存在者たらしめている根拠を探求する学問ということらしい。

武内の絵に垣間見えるのは、

現象的世界を超越した本体的なものや、絶対的な存在者を、

自分を通して知的直感によってとらえようとしているのかもしれない。

静かに過ごしている時は、

「私は勉強が好きなんよ。ただ、勉強が好きだ。」と、わたしに語りかける。

この言葉を言う時は、ちょっと切ない顔をする。

「少年よ大志を抱け!」この言葉が好きだというヒロク二さん。

この言葉を残したアメリカ人の事まで、解説してくれた。

わたしは、この際、こうなったら、

「少年じゃなくても、大志を抱ける人は抱くのだ!」と、思い直しました。

「一番を目標に上げる」というのは、なるかならないかより重要なことだと、

武内を通して思います。

二番になるのもいいのだけれど、二番を目指して二番になるのではなく、

一番を目指して、二番になるほうがいい。

まあ、二番を目指すということは、二番にもなれないと思います。

「俺は、もう一番なんよ。」とわたしに向かっていう時があって、

芸術家は皆、こうなんだろう・・、と思います。

初めて言われた時は、そんなこと考えたこともなく、「自信過剰」と思いましたが、

今は「そうだね。」と相槌を打っています。

その方が、やる気がでるみたい。

不満ばかり言って生活態度がなってない!と思う時は、

「どうして、そう思えるの?」とつれない態度のわたし。

「えっ。」って顔で、アトリエにすっこむ。

そういう時は、バレたかという顔しているのが笑えるけど。

時々、脅かして、気を引き締めてもらいます。

 

 

今日の作品は、色鉛筆のみ使用。

左にある、赤いビスケットみたいな形と、全体を占める水色が懐かしい色に感じ、涼しげ。

しかし、この絵が「ヒロク二主義」というのは、どういうことだろう。

当人に聞きたいけれど、話が難しいく長いのを想像すると、怯んでしまうのです。

話を聞いている内に、気が遠くなりそうで。

当人の行動は「ヒロク二主義」そのものなのですが、

この絵は、どういう主義を表しているのか分りません。

 

 

こういう人と住んでいるにも関わらず、マイペースで暮らすピピちゃん(猫)。

猫は、賢い。

静かに寝たい時は、アトリエの机の下で寝ています。

急に出てきて、わたしの部屋でも、また寝ます。

その時の写真。

↑ポッテ、コロンというふうに横になる時もあれば、

歩きながら、急にドッテって倒れるように寝る時もある。

この寝顔を見ながら、大きくなったなぁとつくづく思う。

胴体に比べて、顔が小さく見え、太ったのだとも。

サビ猫なのですが、すごく毛触りが良くって、こういう猫も初めて。

↑すっかり寝入っていて、毛を乱してあげたのだけどされるがまま。

猫も暑いとよく寝るのか。

「祭」と書いた提灯の飾りがついた首輪を買い、今の季節にいいかもと思いました。

京都の祇園祭もやっと行なわれたようで、様子を見て驚きました。

祇園祭は、あの音がいいなぁ~といつも思います。

京都に下宿していた経験から、京都の夏の暑さを思うと行く気はおこりません。

アスファルトから陽炎が見えて、アスフェルトに描かれている白い線が踏んだら、

グニュッとなる感じになる日があったことを思えば・・。

それでも、学生の頃は自転車で京都の街を自在に走り回っていた記憶が。

碁盤の目のように道がなっていて、街中はどこも平坦なので、どこまでも自転車で行ける京都の街。

この猛暑、京都はどうなっているのか?と思う。

このピーの首輪の提灯を見ると、夏だなと思い、まだ始まったばかりと思うと怖い。

もう、バテそうで。

猫はいいよね。することが溜まらなくって。

 

朝顔が咲きました。

↑朝、涼しい頃、朝顔をみると清々しい。

唯一、涼しげで爽やかな瞬間。

ヒロク二さんもそう思うみたいで、アトリエから呼ばれると、

開けた窓から、朝顔の姿が現れる。

「ここから見るといいでしょ。」と。

今年は、上の方に朝顔のつるが巻くように格子に

“園芸用テープ”で格子を作ってみたのですが、うまく巻くかな。

今見ると、テープを丸めていたのが開いていて、紐状じゃなくなっている。

それでも巻くのか?

暑いし、蚊が一度に寄ってくるから、もう修正するのにも躊躇します。

毎年、種を取っているので同じ朝顔。

朝顔を見ると、朝、豊臣秀吉が朝顔を見るのを楽しみにしていた逸話を思い出します。

 

 

横にいる人が、「自分は一番だ。」と言うような人なので、

考え方や感じ方が随分変わったと思うことがあります。

「一番を目指す」のと「二番を目指す」の差を書きましたが、

自己肯定感というのが、日本人は弱いような気がするのです。

よく、幸せ度示数とかいうので、幸福度が日本は低いというのも、

ようするに自己肯定感が希薄だから、前向きになれないという。

また、絶対の不幸を知らないからちょっとしたことで不幸になるという。

わたしも、恥ずかしがりやの部分もあり、最初から小さくなる時もあります。

恥をかいてもいいじゃないか!と開き直ることも大切だといえます。

この部分では、ヒロク二さんは大先輩なことがあり、見習わなくっちゃ!と思うのです。

今日の内容から、そんなことを伝わったとしたら、嬉しい。

きょうも最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

 

 


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2 コメント

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この絵に使われているブルーはいいですよね。 (さほりん)
2022-08-06 11:10:48
コメントありがとうございます。
抽象的ですが、木だけが絵画的で。よく見たら黒い線の形が「ガッツポーズ」をする人に見えます。私は建物の形と思いこんでいたので、顔の表情に目がいっていなかった・・。絵の中に顔を見たくなかったりするのかもしれない。(たまに顔のない作品を見たいという欲求のあらわれか?)
私にとっても、この絵のタイトル「ヒロク二主義」これは、謎です。きっと、誰も分らないのでは?

生活習慣の主張は、武内にとっては意味があるというか、精神性を保つための行為なのでしょうけど、自分でしておいて、私に文句をいうのが玉にきず。時々、自分で自分の首をしめているような感じもして、だけどそれがストイックな精神なのか?男性と女性の違いが浮き彫りになる事柄かもしれません。そう思うと、生温かい目で見てあげないといけない!(笑)

ピピも大きくなったでしょ。一人前です。ああいうふうに寝ているのは、心を許してくれていることなんですね。動物の気持ちを読めるともりんは流石。触っても揺り起こしても、寝ているので、態度が大きくなったと思っていました。

朝顔は、学校で観察日記をつけた記憶が私にもあります。また、子供の頃よく見かけた花でもある。馴染みがありすぎて、一旦離れてからよさに気がつくのかもしれません。日本の花は、静かな花が圧倒的に多いのも特徴なのかと思うこともあります。朝顔の美しさに気がついて、日本人だな・・って思う感覚素敵です。食い気のほうで言うと、日本料理店で、山菜の天ぷらを食べた時に、「私って日本人だな。この味のことを思うと、外国に住めない・・。」としみじみ思ったことがあります。食い気のほうでごめんなさい。

少し効果があったとのこと。良かった。
私も主人の病気の時にやっていました。ともりんは、素直で気持ちがきれいな人です。私の拙いアドバイスを受け入れてくれて。
よき方へ、お互い向いていきましょう。(何故か、私も入っている)

先回のコメントを書きながら気がつきました。改めて思うことは、「ありがとう」です。
手前勝手な私の神様ににも、「ありがとう」って言いたい。
コメント、いつもありがとうございます。
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Unknown (ともりん)
2022-08-04 22:11:54
きれいな青色だなあ、と素直に思いました。背景の水色もヒト?(山?)のような青色も、とてもきれいです。実物はもっときれいな色なのだろうな、と想像しました。
主義はよくわからなかったのですが、なんだか楽しそうな感じがします。黒い線で描かれたヒトのようなモチーフが「俺は俺の感じたように生きるんだぜ~」と飄々と言っていそうです。
上に描かれている茶色い部分が気になります。これはなんでしょう?ほうき?(のわけはないですね……)。とっても気になります。

布団で寝なかったりお腹いっぱい食べなかったり、そういうことと「俺が一番」は何かつながっているように思いました。
日常のふるまいや習慣の一つ一つが、最終的に絵画という世界での一番につながっているような。今まで思ったことはなかったのですが、絵画は(絵画に限らず芸術全般がそうだと思うのですが)作者の文字通りすべてで制作するのだなと思いました。

ピピちゃん、なかなか立派な体形になりましたね。もうすっかり大人の猫さんです。被毛が絹のようです。いつもながら、美しい被毛です。
横になる様子がとてもわかります。いずれも、無防備で心を100%許してくれていることがよくわかります。

グラデーションが美しい朝顔が涼やかです。朝顔を見て夏を感じる、日本人だなあとしみじみ思いました。
朝顔は学校で育てたりして、みんな子供の頃から馴染みがある植物だと思うのですが、その美しさは大人になってからの方が強く感じるように思います。

夫の病気に関すること、暖かいお気持ちとアドバイスをありがとうございました。
「口角を上げて鏡を見てニコッと笑ってみる」やってみました。効きました! なるほどーと感心しました。「鏡を見る」ことが肝心だなと思いました。
口角を上げてニコッと笑っている顔の方が、無表情だったりちょっと考えているような表情よりずっと魅力的な顔だと実感できます。
さほりんの、思いやりのお気持ちとお言葉、心に伝わります。いつもありがとうございます!

気が付くと、長いお付き合いですね。ちょっと驚きましたが、なるほど、気が付かなかったなあ、と感慨深くなりました。
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