何かのおまじないか?
そんな印象を受けます。
この絵は先回の作品と同じく、「これを取り上げてみてよ。」と渡された3枚の絵の1枚。
茅の輪をくぐる行事がありますが、それを思い浮かべたりしましたが、
でも、違うなぁと。
人型であることは確か。
右下にいる女の子が「ほら。見て。」という眼差しで、こちらを見ています。
家で言うセリフに、「ピーちゃん(猫)見て、ヒロクニ先生ナンかおかしなことしているよ。」というのがある。
そう言ってから、「見てごらん。」と、言ってピーを抱き、わたしの顔と並べ、
「2人で見ていま~す。」とわざわざヒロクニさんの周り半径1m半を包囲する。
すると、キッとした目つきで「じゃまだ。」と言う。
何をしているかというと、踊っていた。
CAN(ジャーマン・ロック)を聴きながら。
よくCANで踊れるなぁ~と感心する。
「CANは嫌い。」と宣言したせいか、「お前に、CANが解るか?」と度々言われています。
珍しい生き物を見るかのように、ピーを抱っこしながら移動したりして、
「変だね。」とピーに語りかける。
わたしは、踊っている武内からカッコイイダンスというより、
古代のお祭りに近い呪術的な動きを見て、
まあ祭祀に近いと言えば近いかもと思うのでした。
今回の絵は、あまりにも難解なので、いったいどういう絵なのか聞いてみました。
「丸が描かれているだろ。その中に色が配置されていて、
ピンクがあって、色の分量を見ているのだけどね。
黒の線が伸びていっている感じを確かめたりね。
何か面白い感じになっているでしょ。」
こういう答えが返ってきました。
この左端の女の子は?と聞くと、
「こういうふうに絵を統合していってるの。
こうやって、色やら形をどんどん統合していく、その一部。」
わたしにすれば、質問斜め上の回答なのです。
こういう絵が出来ましたというのではなく、
この絵の面白さを確かめつつ、次に登場させる。
次の絵には統合させたものを描くのだというふうに理解してみました。
いつもながら、抽象的な言語でわかりにくい。
もっと違うことが聞きたかったのですが・・・。
だた、「面白いな。」と言う箇所は、わたしも何か面白いと感じていて、
この部分は共感できるのです。
これが、わたし達の絆かもしれません。
ピンクの絵で春らしいくという思いと同時に、
春一番が吹き、春の到来を感じています。
昨日、ブログを書いていたのですが、
暖かくなりぽかぽかしていたので庭仕事をしているうちに、
気持ちが緩んでしまい、パソコンの前でボーとしていました。
書いてもまとまりがなく、文脈がバラバラになり、
それを読んではボーと眺めているだけになって今日に。
なんともいえない心地よさにひたっていたようです。
高くついている暖房費からも、開放されるのかと思うとホッとします。
コロナも落ち着いてきて、これもホッとしている。
しかし、ロシアとウクライナの戦争が長引いていることを考えると、辛い。
1年も続くとは・・・。
世界は、まだまだ野蛮なのだと思いました。
短期で終わらなかったことから。
そして、ロシアの二番手として野蛮で狡猾な中国が控えている。
国際社会での発言でも、お前が言うか?の内容を平気で言う。
嘘も平気だ。
気球の問題で、「アメリカからの気球が飛んできていた。」とか。
偏西風の関係で、アメリカから、中国へは流れることはないのに。
日本も防衛に力を入れておいて欲しいと切に願っています。
きれいごとで「仲良く」とか、「対話」というのは、
信頼とか道徳的に同じレベルにいるもの同士で通じるものだと思うので、
戦争にならないためにも、武力というものが野蛮な相手には、必要だと思う。
教養があって、志が素晴らしい人が、酷いことをされている人を見かけ、
人を助けようとしても、あまりにも弱々しい人であった場合、助けることは出来ない。
反対に、止めようとして一緒に酷い目に合うのがおちだ。
そこで、それではいけない!と思い、武術を見につけ磨く。
そこで、やっと志が果たされる。
志が行動できるようになる。
武士が、文武両道を唱えていたのは、そういう意味があると思う。
江戸時代というのは、科学は発展していないけれど、
日本のパクス・ロマーナだったと思います。
時々、江戸時代のことを考え、発展のあり方をかんがみると。
文化面での華々しさも。
あれこれ考えるうちに人類は、いい方に成長しているのだろうか?
そんな疑問も出てくるが、
まあ、人のことはさておいて、
あまり素晴らしくないわたしを磨くのが筋なんだろうと思うのでした。
*パクス・ロマーナは、ローマの平和の意味。
ローマ帝国の時代、繁栄と200年の平和が続いた時代のこと。
早く、ウクライナの人が平和な日常をおくれますように。
春のうららかな日に、こんなことを考えました。
庭では、野生のすみれに花がたくさん。
↑にょきにょきと、花が葉から飛び出てきました。
↑上から見ると、こんな感じ。
冬の間、食卓へ花を飾るのに摘んでしまうと、葉しか残らない感じでしたが。
↑端の方まで、花が一杯に。
春の風とともに、花がたくさん。
↑鉢植えのビオラ。
今年は、地味で白っぽいビオラを買いました。
意外と、いい感じに食卓に置く花として、映えてくれます。
もっと暖かくなると、たくさん花をつけるでしょう。
わたしがヒロクニさんをからかい、ふざけたりする日常の一コマ。
お爺さんとおばさんが、よくやるなー(棒)
難しい絵でしたが、考え込まなければ、見て大らかな気持ちになれると思います。
「大」の字が、描いてあるような感じもするし。
今日も最後まで、お読み下さった方、ありがとうございます。
右下の女の子の手前の黒い四角が気になります。何か、とても大事な役割をしているような感じがするのですが、何を表しているかまったくわかりません。とても気になります。
ウクライナのことは、本当に心が痛くなります。同様にシリア、アフガニスタン等でも凄惨な内戦・紛争が続いていることも、とてもつらいことです。
世界の平和を実現させることは自分にはできません。「何が起きているのか」「それはなぜなのか」ということを常に考え続けていくしかできません。
きれいなことで平和が実現できたら、それに越したことはありません。むしろ、なぜその思いで平和が実現できないのか、と思います。
各国でその国の正義があり、それを遂行しているのでしょうが、私たちのような多くの民は、ただ、平和にその土地で生活したいだけなのです。
「民を平和に生活させるために、戦争する必要がある」という論理もあるのでしょうが、無為に民が犠牲になっていくことは、正しいとはとても思えません。
野生のすみれ、本当に美しいです。蕗のような緑の葉と深く濃い紫の花。花びらが小さいことが、その美しさを引き立たせているように感じます。
白っぽいビオラ、ちょっと今っぽい感じ。ひらひらとして小さな花びら、ビオラと言う花は美しいなとしみじみ思いました。
庭仕事、先日頑張って3分の1程度バラの剪定をしました。残り3分の2を急ぎしなければいけないのですが、できていません。気持ちがあせるばかりです。
頑張ります。
この絵、意外と女の子が重要です。その表情がこの絵に合っているのだと改めて思いました。黒い四角は、私は見落としていました。この四角があることで、丸の曲線の黒が安定して見えます。手で四角を隠して、あるのと、ないのを比べてみると、在ったほうがいい感じです。ヒロクニ先生は、意識せずに描き込んでいるように思いました。
ウクライナのことは、どう考えても心が痛みます。シリア、アフガニスタンのことや、トルコの地震まで加わって・・・。次から次へ。
ともりんの言うように「平和にその土地で暮らしたいだけ」なのにというのが普通の感覚だと思う。それ以上に欲を持ったものが、争いを作っていくのでは?プーチンの戦争と言われているとおり、ロシアでも戦争反対者が多くても、プーチンの意志が一人歩きしているという印象。プーチンは何を夢みているのか?ロシア帝国の再来という夢?
中国は、「台湾は中国だ!」「尖閣諸島は中国の領土だ!」もう、こういうのが異常。台湾は蒋介石が毛沢東に敗れて逃れた地(かつて日本)で、中華民国なのに。ヤクザのシマのレベルの話になっていると思いませんか?
侵略戦争、領土拡大というのは、もう終わりの時代にならないといけない。日本も防衛体制を整えて、万が一に備えなければならないと。たぶん、防衛も十分に出来ないまま、一般人が殺されてからでは、遅いと思うのです。そうなると、次は争いに突入するだろうし、日本にいる外国のスパイが暗躍し、さらなる火種になると、思っている。シナリオを考えすぎ?
ウクライナの人達は、自分達の自由の為に戦っていると思う。これは、人から聞いた話で申し訳ないが、西洋人は、自由のために戦う、武器をとるのだそうです。そうなのかなぁ~と未だ半信半疑ですが。思うことや考えることのみ増えて、何の力もない私ですが、「過剰な欲」から争いは起こることが多いと思います。
野生のスミレ、ますます花数が多くなってきて、春を感じさせてくれています。育苗中のビオラもやっと黄色が咲きました。白いのも花数が多くなるのが楽しみです。
バラの剪定がんばっているのね。もしかして、ともりんの庭は、かなりのバラが咲き誇るのかしら?剪定の大変さから、大輪のバラに覆われる家を想像してしまいました。あと3分の2残っているのか・・。まだまだ暖かさは続く、寒の戻りが来る前にやっちゃおう!
暖かくなりました。
ちょっと一息入れています。
もうすぐしたら桜が咲きます。
冬、長かったわ。(灯油、電気代)
お互い春を楽しみましょうね。
コメント、いつもありがとう!