この絵は、家の柱に貼ってありました。
まず思ったのは、「この絵って、縦向けでしたっけ?」という事。
よく見たら、「カンテ」という文字と、サインが横になっているじゃないですか!
横だと、
↑横だと、このように見えます。
縦向けに貼ってあったということは、この方がいいと思っているのでしょう。
確かに、横向きにみるより、縦向けに見た方が、宇宙人?に目力を感じます。
「カンテ」というのは、大阪にあり、阪急中津駅の近くにあります。
随分前に、この本店で個展をさせて頂きました。
その時に、描いたものになります。
20年以上前の作品です。
この絵の緑色にインパクトを感じ、新緑の季節に合っているかもしれないと思い紹介する事にしました。
宇宙人の横には、蝉の顔が描かれているようにも思え、怪奇幻想という言葉も浮ぶが、
エイリアンの出現と思えば、近代映画のような印象も。
油性のマジックを使っています。
宇宙人の緑色の中に、黄色い線を残しているのが、小憎らしい。
オシャレな宇宙人なのかもしれません。
外国のコミックにも思えるところがあって、POPな作品です。
この絵のことを怪奇幻想と書きましたが、
このブログを書く前に、エドガー・アラン・ポーの短編集を読んでいました。
ヒロク二さんがいつも話題にする「アッシャー家の崩壊」をまず読み、次に「黄金虫」を。
後は、ページ順にという具合に。
私達の間で「アッシャー家の崩壊」がどういうふうに話題になっているかと言うと、
ヒロクニさんは、いきなり、「来るんだよ。妹が・・・。階段を上って来るんだよ。」と言いだすことから始まります。
「そしてね、階段から足音がするんだよ。ギシギシって音がね。」と言い、
「死んだ妹が階段を上ってくる音でね。」と続けて言い、
「その妹が扉の前にきて、その時に扉が開くんだ。」と言った後、黙っている。
そして、わたしの顔を見ながら、
「それは、まぎれもなく妹で、それが兄にのしかかるんだ。」と、また続け、
「怖いねぇ~。」と言う。
顔の表情と手でゼスチャーをまじえて、怖さを演出してくれるのですが、
これを見ているほうが、特異な気持ちになれるという代物。
私の中では、幽霊物語になっていました。
こういうイメージを持ちながら、「アッシャー家の崩壊」を読みました。
ヒロク二さんの話で、恐怖小説のようなイメージを持っていましたが、
耽美的なところも往々にしてあり、「怪奇幻想」という言葉がぴったりきます。
語り手である友人がその曰くのある城と友人を訪ね、城に着いたところから陰鬱さが始まります。
物語が進むにつれ、城の内部の描写があり、陰鬱さが重ねられ、恐怖が深まっていく。
恐怖の虜になっている城主の特異な耽美的な美意識と、恐怖がワンセットになり、
訪ねている友人の心にもそれが侵食していく描写で、恐怖が高まります。
恐怖の正体は、「死」。
妹が死んだと思った城主は、妹を棺に入れ、墓地には行かず、
地下のかつて爆発物を入れていた倉庫に運びこみ、棺桶の鍵をかけ、地下の扉に鍵をかける。
その後、城の中で足音がするようになるのです。
城主は、妹を生き埋めにしたと言い出したりしますが、真相は分かりません。
ヒロク二さんの言うように、「それは、まぎれもなく妹で、それが兄にのしかかるんだ。」となった時、
その兄も死ぬ。
取り残された友人は、城が揺れ始め、その恐怖で外に出ると、
城は、割れ崩れ、沼に飲み込まれていきます。
沼の様子を見ながら、ただ独りそこに取り残される。
静けさの漂う中、尋ね人であった友人が独り残されている情景で物語は終わります。
エドガー・アラン・ポーは、アメリカ人なのですが、作風はヨーロッパを思わせます。
文章は簡素で分かり易い部分もありますが、
物や人物についての描写は装飾的でゴシックロマンの小説を読んでいるような気になるが、
“ロマン”という部分は薄いので、ゴシック小説の輪郭が浮き出ているという感じがした。
「アッシャー家の崩壊」は、陰鬱な沼が、わたしの心には象徴的に残りました。
ヒロク二さんは、階段の足音らしいが、
冒頭から登場する沼が、「死」、もしくは「滅び」を象徴していたようなように思いました。
次の「黄金虫」は、愉快な雰囲気を隠し持ちながら、話が展開されます。
「黄金虫」は、推理小説の原型といえる作品で、暗号を解くという推理がはじめて世に登場した小説らしく、
これは、読みながら、何度か読者は騙されます。(笑)
読むものは、ここに登場する「黄金虫」の班のありようがドクロに似ていることや、
黄金の色をしている珍しいものだという描写で、この昆虫に意識がいく。
登場人物の中で、それに囚われる人物がいて、
すっかり「黄金虫」に囚われてしまい、意外な結末に驚かされます。
推理小説という分野を開拓したエドガー・アラン・ポーは、
アメリカよりもヨーロッパで人気があったそうです。
ポーの影響や、時代の流れで探偵小説が、イギリスで花咲くのはこの後です。
ここで終われば、書評ということになるのだろうけど、
ヒロク二さんとわたしは変なゴッコをしていました。
ヒロク二さんとわたしだけが受ける笑いにはまることに。
わたしが2階にいると、ゆっくりと階段をギシギシいわせながら、ヒロク二さんが上ってくるのです。
「アッシャー家している。」と思ったわたしは、
「怖いじゃない。マデリン姫が上ってきたのかと思った。」と言うと、
「リジーア」と言って、ポーの小説の登場人物になって、変な顔しているのです。
(注:死んだ妻の虜になっている男の話で、リジーアはその妻)
こうやって、2人で笑っていると、
私達夫婦は、お互いが娯楽になるという、究極を極めているのかもしれません。
散歩は、ヒロク二さん頑張っています。
また、家からトアロード通りまで、行きました。
また、ジャズ喫茶木馬に。
↑いつもここに着いた時は、疲れているようです。
しかし、この後もっと疲れることになるのですが・・・・。
電車に乗らず、歩いて家まで帰りました。
この日は、9722歩に。
そして、道々私達は、言い争いながら帰るという・・・・。
疲れているせいか、聞き捨てなら無いことばかり言うので、争っていました。
わたしのことを「鬼」とか言ってましたわ。
よく行く公園は、シロツメクサが満開。
↑花がどんどん増え続けています。
この木の幹を見ながら、なんて言う木だろう?と疑問に思っています。
この地は、木が多いので、木の種類が気になるようになりました。
↑タンポポです。
このように写真に撮りたくなったタンポポは、はじめてです。
このありように、宇宙を感じました。
(大げさ)
タンポポは、刺繍やデザインに多く取り入れられている花です。
葉のギザギザの形も特徴があります。
植物は美の恩恵を与えてくれる素敵な存在だと、いつも思います。
今日は、絵も写真も緑尽くしになったと思います。
今日は、ヒロク二さんからの影響で読んだ、エドガー・アラン・ポーの小説のことを書きました。
小説における新しい分野を開拓した、先駆者です。
ヒロク二さんからは、「意外と“詩”がいいし、多いと思うよ。」と、アドバイスしてくれました。
いろいろなことを知っている人です。
散歩は歩数を伸ばす、身体に負荷がかかるぐらいすると、体力はつくようです。
以前と違い、階段を勢いよく登っているようで、
降りたり登ったりの行動が多くなりました。
小部屋を書斎にするとか言って、動いています。
やっと、運動が癖ついてきたようで、やいやい言った甲斐があった。
言うのも疲れるのですが・・・ね。
今日もブログを最後まで読まれた方、ありがとうございます。
懐古趣味より、近代的なエイリアンの方がしっくりくるようですね。ヒロク二さんは、映画のエイリアンのような映画は、観たことがないのに、このような絵を描くことがあるので、横に居て、いつも不思議に思います。頭の中は、最前線なのでしょうか?こういう疑問は、よく持ちます。本当にわからない部分が多くあります。
やはり『アッシャー家の崩壊』は、ポーの小説の中でも群を抜いている作品だというのには同感します。他の短編も入っていたので、比べてみると完成度が高い作品だと感じました。恐怖のイメージの重ね方が非常にうまい。あと、ナンセンスまたはノンセンスな作品もあるのですが、私はいまいちそのセンスに乗れず、分かり難かった作品も。興味深い作家だと思いました。
「永久凍土」という言葉は、はじめて知りました。検索して、アラスカの傾いた家を見てみました。小屋のような家に、木の支えでしのいでいる家や、共同住宅のようなのは、高床式のようにして、その上に家をのせているようなものがありました。地球上には、考えられないことがたくさんあるんだ・・・、と感慨深い気持ちに。永久に凍っているか、いないか賭けをしながら、家を建てる決意をしなくてはなりませんね。ずっと凍ったままだとラッキーなんだ。こんなことを考えながら、家を建てるということに、摩訶不思議感を覚えました。ともりんは、面白いことを知っているね。感心します。
ヒロク二さん、頑張っているでしょう。一緒に歩いている間、くだくだ言うわよ。だけど、歩く歩数が伸びて、歩く感触が戻ってきているのが分かるせいか、以前よりは歩くのに前向きなところが見られます。(ホッとしてます)
喫茶店のコンテナに、ドクダミの葉が生い茂っているのを見ました。花がまだなので、その深い緑のその有様が目に残りました。見ながら、ともりんの家のドクダミのことがすぐ浮かびました。華やかさというのが皆無なところが、恐怖なんだろうか?と思って見ていました。反対にシロツメクサは、子供の頃によく触れていた植物でもあるので、懐かしいという感情がぴったりきます。宝塚では、すみれが目につき、シロツメクサのことは忘れていました。神戸で、思い出したという感じです。
ポーの詩を早速読むともりんは、勤勉です。私は、「盗まれた手紙」が、ポー自身が傑作と言っていたらしく、それを借りてきました。二人とも勤勉ですよね。ヒロク二さんの生徒みたいですね。(笑)
もう、頭痛はおさまっています。頭痛も辛いものだと思いました。しかし、なおると、その痛みのことは思い出せないくらいケロッとします。心配かけました。いつも優しい心遣いありがとうございます。
我家のピピちゃんは、最近、寝てばかり。普段より、よく寝ています。
今日は、返信が長くなったような気がしています。
話が長い!さほりんでした。
ポーは全体的にゴシックホラー感が漂うミステリーですが、『アッシャー家の崩壊』はその群を抜いていると思います。あれは怖いです。それを語るヒロクニ先生を想像すると、さらに怖いです。でも、ヒロクニ先生の「リジーア」には笑ってしまいました。
最近読んだアラスカの本に、「永久凍土の上に建った(建築時点では土台が永久凍土とはわからないらしい)家は、『中央部分が地中に沈みかけ全体に三日月を横にしたような形に湾曲している』」となるらしいのですが、その家が売り物件になり購入する人がいる、というのはアラスカでは普通とのこと。購入後に自分たちで家の傾き等々の不具合を直すらしいです。
これを読んで、アッシャー家のことを思い出しました。象徴としての崩壊だとは思うのですが、もしかして永久凍土……ということはないまでも地盤が沼地とか物理的な崩壊なのかなと、現実的に思ってしまいました。
頑張って歩いたヒロクニ先生、確かにお疲れな感じかもです。でも、心なしか(写真の感じかも)血色が良いような感じがします。たくさん歩くと、その疲労でぐっすり眠れると思うので良いスパイラルのように思うのです。
シロツメクサがびっしり! 最近、このような風景は見ていないなと、懐かしい感じです。植物はその造形は美しく、生き様はたくましく、その繁殖力は時にはにくらしい生き物ですね。我が家のドクダミのすごさ……(泣)。
ポーの詩は知りませんでした。なので、ネットで調べてみました。『アナベル・リー』は知っている詩でした。ポーの作だったのですね。他の詩(すべて和訳ですが)を読んでみました。好きだと思いました。原文だとまた感覚が違ってくるのだろうなと、興味が惹かれました。
頭痛はせつないですね。前回のコメントで「解放されて……」と書かれていましたが、その後も良い状態であることを願います。つらいときはご無理されないようにお願いしますね。
季節の変わり目、我が家の猫たちは毎年この時期にお腹がゆるくなります。もちろん今年も。気候の変化は思っている以上に体に負担をかけるのだと思いますので、どうかお大事にしてくださいね。