この絵は食卓にあるコップに立てかけてありました。
雨が降り続く中、この絵を見て、
はやく雲が過ぎ去ってくれればいいのに・・・、と思いつつ見ていました。
ヨットが嵐にあう前触れを感じているような雰囲気を感じます。
記号のようにも思えたりと・・・・。
このところ、わたしは、「ジョン万次郎物語」や、「ガリバー旅行記」「モンテ・クリスト伯」と、
舟が出てくる物語ばかり読んでいます。
たまたま、手に取った本なのに、みな舟に乗る主人公。
しかし、この3冊は、どれも名作で読後感にヒタヒタと浸かり、
牛のように読後を反芻していました。
ヒロクニさんは、「ジョン万次郎の本を、わたしにも貸してくれないかな。」と言い、
「このジョン万次郎は、絵うまいよ。」と言う。
この主人公のジョン万次郎は、実在の人で、漁に出て難破したところ、
アメリカの捕鯨船に助けられ、その船長の養子となります。
難破したのは、14歳の時。
時代は江戸末期なので、後にアメリカとの開国にあたり、大きな役割を果たします。
一介の農夫がたまたま漁の手伝いをした為に、遭難してアメリカに行く話です。
そして、日本に帰って来てから「サムライ」になります。
農家の息子が、サムライになるのです。
万次郎は、江戸時代に遭難した仲間の日本人より、ものの受け止め方に分析力があり、
読んでいて、感心する。
それと、変な言い方ですが、心がいい。
その部分が、アメリカの船長の愛情を受けることにつながり、
また、そのアメリカ人船長も一般のアメリカ人よりも心が大きかった。
本に出てくる絵は、万次郎が記録として描いた絵です。
アメリカの捕鯨船の様子を克明に描いて記録したものが挿絵になっていて、
その絵がいいとヒロクニさんは言います。
また、舟は、武内の絵にモチーフとしてよく出てきます。
舟に関することは、興味を引くことなのかもしれません。
「捕鯨船ってどうやって鯨を射止めるの?」
「何を使って、射止めるの?」
「どうやって運ぶの?」
「鯨をアメリカ人も食べてたの?」
と、私に質問攻め。
「アメリカは、明かりの為に油をとっていたんです。」と、言いながら、
「本を読めよ!」と内心思うわたし。
思わず、「私は、捕鯨のプロじゃないし、本に詳しく書いてある。」と言うのでした。
絵だけ、見ていたようです。
雨が続き、アトリエから窓の景色を見ると、
ひまわりが頭を垂れ、ガラス窓が曇り、ゆらゆらと揺れていた。
あやうい夢を見ているような気がした。
↑いつも見るひまわりと違い、別の世界を見ているようでした。
幽玄の世界のように思いました。
窓から切り取られたこの様子は、映画を見ているような感じ。
ヒロクニさんは、この様子を楽しんでいるようで、
しょっちゅう、「この揺れぐあいを見に来て。」と呼びます。
この非日常的なこの光景を見ると、「夢みたい・・・。」と。
雨のせいで水槽の中にいるような気分がいっそう、そう思わせます。
除湿を入れたらヒロクニさんは、「寒い!」と怒るので、
我家の湿度は最高になると70%なんです。
雨の日、テントで過ごしているような感じと言ったらいいか。
きっと、私は疲れているのだと思う。
↑こちらは、雨が降る前のひまわり。
背丈がいろいろ。
同じ種なのに。
雨が続く中、ピピちゃんの首輪を作りました。
↑はぎれを使って。
シャツの襟みたいになるよう作ってみました。
首の部分、襟の部分は接着芯を入れて。
猫ちゃん用の外れる留め具は、古くなったものから取り外して作りました。
(ピーちゃんは、暑くても寝るし、雨が降っても寝てばかり。最近、よく寝ています。)
ヒロクニさんは、首輪を見て、「ピーは嬉しいだろうね。」と言うのですが、
「う~ん。ピーは嬉しいかな?別に嬉しくないのじゃない?」
「ピーにとっては、どうでもいいことだと思うけど。」わたしは、言った。
以下会話。
サホリ 「ピーじゃなくて、わたし達が嬉しいのと違うの?」
「首輪をしているピーを見るのが、嬉しいんだって。」と。
ヒロクニ 「猫は、こんなの作って貰って、自分が可愛がられているって思わないものなのか?」
「こいつは、さほりのこと友達と思っているじゃないか。」
「俺には、あまり寄って来ないよ。」
サホリ 「それは、わたしが餌を上げているから!餌をくれる人は重要なの。」
「あなたも、餌を上げたらすぐ寄ってくるって。」
ヒロクニ ふ~ん。(間がある)
「ピー、良かったね。首輪を作ってもらって。」
「よく似合っている。」
「やっぱり、サホリだよね~。」と、言って去っていくヒロクニさんでした。
「作ってもらって。」と去っていったヒロクニさんはの気持ちが読めた!
『俺もピーも、さほりにいろいろして貰って、嬉しいよね。』と。
それで、勝手にピーちゃんの気持ちになっていたのだと。
「自分のことは、自分でさっさとしろ!」と、良人には思うことが多いのですが、
ちょっと絶望感がしました。
何度も絵を見返して下さり恐縮です。アラン・ドロンの「太陽にいっぱい」の映画は、今回思いつきませんでした。いい映画ですよね。(笑)いい男が2人、登場しますし。ヨットを想像したのだと理解しました。
「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」マーギー・プロイス著を読みました。私は、時々耳にしていた名前でしたが、よく知らないまま長くいました。図書館で見かけたので、この際、読もうと。居酒屋の名前になっていたと教えて下さり、ちょっと驚き。関西では、やはり見かけません。それでも、居酒屋の名前になるくらいなので、知っている人は知っているのだと思いました。この本は、児童書なので読み易いと思います。絵もある。
私とヒロクニさんは、読む本の種類が違うというか、お互い共通して読む本がなくて、いつも「ここまで違うか?」という2人。今回、珍しいと思っていたが、絵を見ただけとは・・・。もう、文章の方は、「俺が読むにはふさわしくない文章」だったのでしょう・・・。児童書だし。
ひまわりのところで出てくる泉鏡花は、ヒロクニさんはしっかり読んでいます。そして、私は未読。確か、活字の感じが漢字が多くて、ふりがなが多様されていて、つまり難しい漢字が多く使われていて、敬遠した記憶があります。ともりんは、読まれたのだとしたら、凄いわ。
ひまわりの写真は、風に揺れているところが伝わらなくて残念な写真になっています。それでも不思議な光景は伝わったようで、泉鏡花と言われ、そうなんだ・・と思いました。鏡花は、確か幻想文学に入りますよね?間違っているかな?
雨で湿度が高い時にピーの首輪を作りました。何かに集中すると紛れると思って。ピーは、喜んでいるとのこと。そうかもしれない・・と思った方が嬉しくなります。よきアドバイスありがとう。猫博士の言葉は信じます。ピーちゃんは、「かなり私が好きだ」というのは、わかってきています。ベッタリなんです。「見て欲しい、こっち向いて。」の泣き声も識別できるぐらい。
ヒロクニさんは、でっかい猫のようなものなのでしょうか?ピピの気持ちを代弁しつつ、自分のことを言っているのでしょうね。こちらも「こっち向いて欲しい」が伝わる時がありますが、気がつかないフリをしてしまうことがあります。憎めない人なんですが、最近、子供に近づいているような?
そのヒロクニさんの心情まで読み取る猫博士ってなかなかいません。(笑)ともりんは、人の気持ちをくむのが上手だなぁ~と感心しました。
暖かいコメントありがとう!
今回の作品は、突き抜ける真夏の日差しの一風景のように感じます。白が突き抜けているからでしょうか。アラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」を思い浮かべました。
あの映画の、まぶしくて鮮やかで突き抜ける太陽を感じます。
そしてやっぱり、サインの文字がすてきです。これが芸術家のセンスだなとしみじみ感じる文字です。デザイナーとかではなく、芸術家しか描けない文字です。
こういうところに、しびれてしまいます。
「牛のように読後を反芻」に笑ってしまいましたが、確かにそうかも。何度も思い返し考え返すことって、牛の反芻の感覚かもと納得しました。
ジョン万次郎の本は読んだことがないのですが、30年くらい前には東京にたくさんあったチェーン店の居酒屋の名前として知っていました。
店舗展開は関東だけだったのか不明ですが、安かったのでよく行きました。
当時、店舗名がなぜジョン万次郎なのだろう?と思って調べて、その人物の由来を知りました。今度、本を読んでみます。
「本を読めよ!」に、ちょっと同感です。本はいろんなことが文字で書いてあって、読むたびに驚愕と発見と文字への畏敬を感じます。
別世界のひまわりは、本当に別世界のようで、幻想的です。美しくもあり怖くもあり。泉鏡花が著しそうなひまわりです。
湿度70%は、もう、べたべたです。妖怪が出そうなほどだと思います。それは、疲れます。さほりんだけ、扇風機にあたって湿気を吹き飛ばすとか……何か、身を守る行動をお願いしたいと思います。
ピピちゃんの首輪、なんてかわいいのでしょう!サビちゃんの毛色に紫と白がよく映えます。そして、シャツの襟がキュートで、さほりんの細やかなセンスがすてきです。
留め具の取り外し再利用、さすがです。このような小さいかもしれないけれど、まめにしていないとできないことは大切です。あの留め具も買うと結構なお値段です。そして、私も取り外して保管しています。
ヒロクニ先生の「ピーは嬉しいだろうね。」は、私も同感です。嬉しいと思います。猫は、自分のことを気にしてくれたことをとても嬉しく感じるように思います。
首輪が嬉しいかはわかりませんが、それを作ったさほりんの、自分(ピピちゃん)への気持ちは感じているのではと思います。
餌をくれる人は重要ですが、猫も主観的な好き嫌いの感情があって、餌をくれて親切にしてくれても嫌いな人はいると感じています。
ヒロクニ先生の「いろいろして貰って……」、純粋に、さほりんが何かしてくれる=愛情、という感覚が嬉しいのではないかなと思いました。
ヒトは誰かに愛情をもらうと純粋に嬉しいと思うので、その感情の一端かな?と。
みんなさほりんの愛情を感じると嬉しいのかなと思いました。さほりんは大変なのですが。