「girl girl」というタイトル。
白い空間がめずらしい作風。
色鉛筆で塗り込められている絵が多い中、
こういうあっさりとしたものはめずらしい作品になります。
白いと言いましたが、この白色も鉛筆で一度描いたものを消し去っている。
白ではなく、明るいグレーといったほうがいいのかもしれない。
微妙なトーンの中に、切り裂くようなドローイングが走っている。
この線が画面に緊張をもたらしているようで、
この「飛ぶ少女」にも臨場感を感じます。
1998年作ということから、
エロティックな要のある作品が多い頃といえる。
その頃の絵に「うさぎと繁み」という絵があって、
その絵と再会した時と同じような感触があります。
その絵は可愛く、エロティックな作品でした。
今日の絵は、気に入った方が購入されて今は手元にないのですが、
写真が残っていたので取り上げました。
武内の絵には「飛ぶ」という幻想というか、
オブセッションがあるように思います。
今日のことなのですが、
「俺、疲労なのか?幻想なのか?分らない時があってさ・・」と言われて、
ギョッとしつつ、探りを入れました。
「あなた、今日はいわしを料理するけれど、フライと煮付けとどっちがいい?」と聞いた。
そうしたら、「フライの方がいいな」と即答。
幻想や妄想に溺れていないと思い、一安堵します。
まだ、大丈夫と。
いわしを開いて、フライにしなくては・・・と思うと、
少々めんどくさい。
煮付けの方が簡単なのにと思ったりして。
そんな質問しなけりゃよかったと思っても、後のまつり。
今日は、いまひとつ料理にやる気が出ない日のようです。
どういうわけか、テンションが低い。
いつもは、「あっ、これしよう!」とか、
「あれをしよう!」という風に、毎日ひらめきがあって意気揚々と過ごしている。
それのひらめきがなく、空白状態に突入している。
ヒロク二さんの話、長い話を聞いた後は、眠気に襲われて、
「わたし眠くなったから、少しお休みします」と言い、
ほんとうにぐっすり寝てしまった。
話は、まわりの画家達の話で、「元永さんの美術館は出来んのかねぇ」とか、
「その地域の県や市は、どうなんだ」という話から、
「学芸員がいうには、美術館に入ったら日の目を見ないともいうけど・・・」と。
人のことを言っているようだが、自分に一番関心があるのがヒロク二さんだ。
「自分の美術館のことでも考えてるのか?」と聞いた。
「コレクターの人で、俺の美術館を作りたいと言ってくれた人もいるけどね」と言う。
「美術館が出来るって、死んでからの話と違うの?」
「大抵そうでしょうが」
「それより、最近傑作と言える作品が少ないように思うけど」
と続けていった。
「死んでから・・」という酷いことを言ったので、
これではいけないと思い、
「多くの人に作品を見てもらうのは、とてもいいことだと思うよ。
あなたの作品は、万人向けはしないけど、万人ではない人に勇気を与えると思うからね」
「強烈に、ある人達に訴えかけるものがあると思うよ」と付け加えた。
ヒロク二さんは、なるほどと聞いていた。
幾分か落ち着きを見せているので、やれやれだ。
そこで、もう少し追い討ちをかけねば、と思ったわたしは、
「それで、美術館なんて大層なことを考えているけれど、どういう行動をするの?」と。
「ジーと、家にいて思うだけじゃだめなのと違うの?」
「わたしは、twitterでもしたら?と言っているでしょ。自分からもなんか発信してよ」
急に無言になってきているヒロク二さん。
いつも、口だけがよく動く人なんです。
時々「あなたは、口から生まれたのか?」と言うくらいよくしゃべる。
絵はよく描くのですが、絵を描き終わったら1人でもしゃべっている時がある。
いきなり美術館なんていう話が唐突で、話の後、
睡魔に襲われ、2時間も寝てしまった。
その日のイワシフライは、たいそう美味しかったようで、
塩をふりかけて食べていました。
3匹も食べていた・・・・。
イワシって、脳の働きもよくなるので、我家ではよく食べる魚なのです。
賢くなるのでは?
という気持ちで食べています。
好きな魚の1つ。
この3日間、わたしのテンションが低い理由には、
読書に一段落ついたこともあるかもしれない。
18世紀、19世紀のイギリス文学をさまよっていました。
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルソー』に始まり、
チャールズ・ディケンズにはまり、『デイビッド・コパフィールド』、
コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』と。
他にもイギリス文学をつまみ食い。
『デイビッド・コパフィールド』では、その頃のロンドンの裏町の庶民の生活や
その頃のテムズ川の異臭とかの様子が克明に書かれていて、興味深い。
人物の描写や会話も魅力的で味わいがある。
また、『シャーロック・ホームズ』では、馬車の行きかうロンドンの街にゾクゾクする。
かの有名な「ワトソンくん」を楽しんでいました。
19世紀頃のイギリスの様子を思い浮かべながら、イギリスの街並みや雰囲気に浸っていました。
もう頭が飽和状態になって、今は頭に新しいことをつめこむのではなく、
「脳に浸透して定着」させている状態なのかもしれない。
頭がジーンとしているみたいなのです。
イワシ効果が発揮されるといいなと思います。
頭の働きが良くなる効果がね。
庭では、やっと咲き始めたビオラが。
↑やっと3っ咲きました。
左が食べれるスミレ。濃い紫は、種を採取してを繰り返しているが、
ちゃんと濃い紫色の花を咲かせてくれています。
手前は、紫の縁で中心が白いビオラだったのですが、2色にくっきり分かれてました。
わたしの好きな“クラシックな黄色と茶色”のビオラがまだ。
種から植えて、外に出しているので花が付くのがとっても遅い。
今年は、寒いからなお遅いようです。
テンションがわりと普段高めなので、
こういう日がめずらしい。
その上、ヒロク二さんが必死で絵を描いている横で、
グーグー寝てしまった。
文章は、あいかわらず、話があちらこちらへと行き交う。
最後まで読んで下さったかた、
わけがわからなかったらごめんなさい。
そして、拙い文章を読んで下さって、ありがとうございます。
モチーフも色彩もとてもエロティックです。細く長い腕と手にどきどきします。一本足の少女や丸いフォルムの少女とは全然違い、性を感じさせるというか、「エロティック」な雰囲気をまとっていると感じます。
じーっと見ていると、少女が蝶のように見えてきました。まさに「夜の蝶」のようです。
幻想や妄想に囚われてしまいそうになった夫さんに、とっさにいわしの食べ方を問うて現実に戻すさほりん、お見事です。この場面での「いわし」はとてもぴったりです。サンマでもアジでも、しっくりきません。
おかずはいわしに決まっていたのかもしれませんが、「どうしたの?大丈夫?」ではなく、いわしの食べ方を問う。映画の脚本のようで、場面を映画のカットのように想像してしまいました。
フライは面倒です。開いて衣をつけて揚げて……私は何年作っていないことでしょう。煮付けに誘導しなかったさほりんは優しいのですね。
さほりんは精力的にいつも活動されているので、体が「ちょっと休もう」と言って、テンションを低くしたのではないでしょうか。お休みは必要なので、眠くなったら寝てください。
「強烈に、ある人達に訴えかけるものがあると思うよ」は、とても同感です。ヒロクニ先生の作品は、脳にガツン!ときます。「しあわせ食堂」を見たときの鮮烈な衝撃、あんな衝撃は初めてでした。
イワシフライにはいつもソース(本当はウスターが良いけれど、家にあるのは中濃)をかけていましたが、塩だけというのは新鮮です。今度やってみよう、と思いました。
雰囲気のある文学に浸り続けると、なかなか現実に戻れないように感じます。イギリス文学は文化を映している表現が多くて、ずっと読んでいるとイギリス人になったように錯覚してしまいます。
イギリス文学は日本語の翻訳者も上手だと思います。原書のニュアンスを壊さないように、日本語の単語の選び方と文章の組み立て方、さすが、とうなってしまいます。
小さなビオラ!こんなに寒いのにちゃんと咲いてくれたのですね。美しいシジミのような花がとても愛らしいです。
いつもお料理を頑張ってちゃんとして、美しい花を咲かせる庭になるよう手入れし、そして野菜も作っているさほりん。たまにはゆっくりお休みくださいね。
この絵は、ヒロク二さんらしい作品で類似したものを見ているかもしれませんね。最近は、エロティックな作品はあまりみかけなくなっているような。今は違うことを考えて制作しているような気がします。この絵は、キュートとエロティックが同居しているような感じが、私も好き。
イワシは、安くて栄養があるのでよく食べます。何かで、頭に栄養がいくというのを読んで、頭脳をよく使うヒロク二さんにいい食べ物という認識があります。しかし、この日は躊躇しました。魚のフライって、卵が余ったりするのにムラムラします。足らなくても困るのですが・・・。余ったのは錦糸卵にしてしまうのですが、それをするのが、また面倒で。優しいのかどうかはわからないけど、聞いておいて、煮付けにすると、「きみ、フライにするっていったじゃない」というのが、目に浮かんで・・、急にむっつりされても嫌なので、頑張りました。(冷汗)
イワシフライは、下味で塩こしょうを軽くしてあるのですが、塩をかけていました。ともりんもやってみるというのに、ちょっと驚いた。シンプルな味と想像します。私は、しょうゆをかけました。後、串カツ用のソースにする時もあります。
ヒロク二さんの絵は、私の女友達は、ちょっと・・と敬遠するか、好きになった人はいつも個展にきてくれたりと、真っ二つに分かれていて、その分れ具合も強度が高いので、そういう絵なのかもしれないと思うようになりました。東京の個展で「こんな絵を見たかった!」と激しく言われた方もいて、ある種の人にとって大切なんだと思い至りました。
確かに脳にガツン!と来る。私も、はじめて個展で絵を見た時、「こういう絵を見たかった」と思ったのが思いだされます。そう思うと、ともりんとも仲間なんだと思ったりします。
イギリスの小説は、雰囲気ありますよね。歴史を感じるというか、風土とともに育った文化を。独特のセンスが培われているというか。訳もたくさんの人が訳しているので、だれを選ぶかという楽しみもあります。ここまで来たら、シェイクスピアまでいくか・・・と思っているところ。
ビオラやっと、3つです。シジミと言われると、なるほど!と思って微笑んでしまいます。うまくいうわね!と感心してしまうの。
やっと頭が働き始めたようなのですが、まだまだ休みモード。ともりん、優しい気持ちをありがとう。なんだか、ホワッとしていい感じで過ごすことが出来ました。これからもよろしく!
ほんと、ありがとう!