「スミレ荘」という題のインクの作品。1982年作
病院でのヒロクニさんの訴える不安と恐怖、怒りはわたしにすべてぶつけられとても精神的に辛かった。
わたしからすると、なんの問題もなく順調でとてもラッキーで、インド人ならノープレブレムの一言ですむようなことで、ほんとヒロクニさんは、気違いだった。
その不安や恐怖は、いつから感じるようになったのか?とか、怒りをぶつけられた人は根拠がわからないから恐怖を感じるし、不愉快だと。そんな事をたくさん受けてきて(実際、一度や二度じゃないのです)一緒に暮らせなくなると昏々と聞いてもらった。
そして言った。
「自分自身のそういうものと戦え!!」と。
不安と恐怖の根源には、「死」という誰ものがれられないものがあると思っている。わたしだって老後を突き詰めると不安だけれどあまり考えないようにしている。兎に角、こうやって生きていて食事をとり、餓えない状態でいる限り、わたしは何かに守られて生きていると思っているのです。特にヒロクニさんのような芸術家が、餓えもせず毎日制作が続けられる状態にいる限り、やはり何かに守られている。
病院では、「わたしに感謝しろとはいわない。でも、病院でも手術を受けられていろんな人に世話になっている現実や、自分を取り巻く状況を見直したら?」と言った。「下手したら手術を受けることも出来なくて、死を待つしかできなかったかもしれなかったんじゃない?」とも言った。「たまたま、森下仁丹の仕事もあったじゃない。」と。
でも、あまり真剣に聞いてないようなので、
ヒロクニさんを睨みすえながら「あんたは、感謝がたりない!!だから、そんなんなんです!!」大声で、言った。
家帰ってからは、「自分で決めなさい」「自分でしなさい」としか言わなくなった。
今日、病院に付き添って行ったけれど、必要品を全部持たせ、「どうすれば・・・」。と言うが、ちらっと冷たい目でみて「人に聞きなさい」。とムッツリと言うと、ちゃんとできるみたい。「次は、どこへ行くんですか?」とまたムッツリ。「皮膚科だ」。という。ちゃんとできるんじゃないか・・・・。わたしは、大仏様のように半眼の目になり、うらめしそうな顔をした。
1日1食を美味しく感じるようになり、もう少ししたらもっと普通にもどるかなぁと思っている。手遅れかもしれないが、もうちょっとシャンとしてもらわないと、わたしも困る。
サイズはどれ位なんだろう?