この絵は、「Paper House」と名付けられた作品群の中の一つ。
それのローズ色版といったところでしょうか?
この絵は、小学校などで使う、わら半紙に描かれています。
色のトーンが少し落ちているところがキッチュな感じな仕上がりに。
このわら半紙に描くという行為にかなり前からとりつかれていて、
「わら半紙のもっと大きいのはないのか!探してくれ!」と言われ、
A2サイズのわら半紙を8月に取り寄せた。
色を重ねるうちに、紙がよれよれとなり敗れたりすると、独特のやり方で裏から修正をしている。
「色鉛筆用の紙ってのは、ないから・・・・」と言い、
薄い紙がヒロクニさんにはいいらしい。
「もう、裏はこんなありさまよ」。と、私に見せにくる。
厚い紙だと、筆圧強く色鉛筆をのせると紙がでこぼこしてきて、紙のふくらみが気になるらしく、
裏から鉛筆で一度筆圧をかけてから、描いてみたりとしていた時期もある。
その作業を省略できるから、わら半紙を使っているようです。
この作品は、色鉛筆とボールペンの併用です。
エネルギーを感じる作品で、この絵が仕上がったら、疲れていました。
相変わらず、私はその横で古典を読んでます。
新編日本古典文学全集 (44) 方丈記 徒然草 正方眼蔵随聞記 歎異抄 1 | |
クリエーター情報なし | |
小学館 |
方丈記はすごく短いので、ヒロクニさんも読んだ。
徒然草は、方丈記が書かれてから100年後ぐらいの随筆集であります。
時代は、鎌倉幕府の末期と思われます。
方丈記に較べると、文章も平易であり、感覚も現代的な感覚に近づいている。
個人的な感想なのですが、面白く共感できる所は真ん中ぐらいが多く、前半と後半は読んでからあまり記憶にない。
ちょっと、批判精神がありすぎて、私的には「よく、こだわるなぁ。」と。
ちょっと、徒然草には肩透かしを食らったのでした。
きっと、私は「じゎ~と発酵するような思いと優しさ」を好むのではないかと思いました。
そういう意味では、クールで淡々として批判精神が旺盛な吉田兼好がもしかしたら、苦手なのかもしれないと思いました。
平安時代の貴族社会から武家社会へと、武士という武力をもっているものに世の中が移行していくのを、
平安時代には、物々しくなり優美が失われた嘆きの唄が多く残されていますが、
「蒙古襲来」というものが起こった鎌倉時代。
この時武力が進んでなければ、九州では日本人の残虐の限りが尽くされたかもしれないと思うと、
世の中うまく出来ているなぁ~と思います。
「正方眼蔵随聞記」は、どうやら禅僧の言葉らしく、なかなかおもしろい。
問答集のような感じで、禅の本質を言っているらしく興味を引きます。まだ、途中なんですが・・・・。
ヒロクニさんも私も、夏の疲れが出ているみたいで、お互いに顔を見ればぶーたれています。ヒロクニさんがややこしいことを言うと、「疲れてる時にやめて欲しいわ」とぶっちょう面。
それと、着物を無理して着てるから、暑いこと・・・・。自業自得の2人です。
この写真懐かしい写真なんです。
故・キタハマとジルくんの写真。
キタハマは、賢くて可愛かった。
ジルは、愚鈍でアホ。でも、単純でなにより毛が気持ちいい。
フクロウのような顔で、単純。
猫も1匹、1匹違いがあり、それぞれの付き合い方がある。
ジルの顔を見ると、なんか笑ってしまうのです。
変な顔なんで。
そんな風な笑いをさそう猫なんです。
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妻は別のブログも書いています。
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
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今は、フーバー大統領回顧録「日米戦争を起こしたのは誰か」を紹介しています。
ついでに、私が良く見るブログも貼ってあります。
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