写真からなので、少しぼやけています。
ふんわりホワホワした雰囲気の作品になります。
浮かんでいる乗り物のようなものは、船?空母?
キャップ帽を被った人が操縦しています。
淡いピンクと淡い水色が、空気のようで、空に浮かぶ雲を連想させます。
並んだ人は、この乗り物の乗客なのでしょうか?
この作品は、ちょっと儚い雰囲気が漂っていますが、
見ていると、優しい気持ちになります。
攻撃的な作品やパワーという感じの作品が多い中、少し変り種の作品になります。
極端から極端を行ったり来たりするヒロクニさんなので、
私は「この統一感のなさ」が、この人なのよ!と思うのでした。
最近、写真の整理をしています。
私達も結婚して31年と歳月を重ねたので、写真が20年前かな?10年前かな?と振り返って
眺めることがしばしば。
そう思って写真を見ていると、我家の猫ちゃんも3代目になっていて、
はじめて飼った「キタハマ」ちゃんのことを思い出しました。
太陽という雑誌で、大佛次郎氏(小説家、鞍馬天狗シリーズで有名)の猫の飼っている様子の写真があり、
↓それはこちら
この写真を見て、「猫を飼いたい!」と強く思い、即、猫貰って下さいに申し込み、
即、やってきたのがキタハマちゃん。
↑やって来た当初のキタハマちゃん
ソファでびよーんと長くなっています。
その頃は、派遣社員(CADオペレーター)でしたので、朝早くから、残業で夜遅くまで仕事をしていた頃で、
ヒロクニさんに「夕食出来ないから、作って下さい。あなたは、家での仕事だからやってみて!」と、
言い渡し、お願いしていた。
残業によっては、PM11:00頃に帰宅ということもあり、お願いしていました。
それに恐怖が加わることに・・・・。
嫌々感満載の料理を作ってくれるのですが、インドネシアの変わった香辛料が気に入ったらしく、
何にでもその香辛料がかかっているのです。
簡単に言えば、出されている料理すべてにそのスパイスが・・・・。
帰宅で家に近づくと、そのスパイスが外にも洩れ出ていて、恐怖を感じるようになった。
「ああ、このニ・オ・イね・・・トホホ。」と。
しかし、お願いして作ってくれているのだからと思い、
消え入りそうな声で「おいしいわよ。」と。なんだか泣きそうな感じ・・・・・。
豚肉のソテーにイチゴジャムが塗られていたりしたことがあり、
食べてみると非常に不味い。
食卓に妙な静けさが漂った。
そして、ヒロクニさん自身、その豚肉からナイフでイチゴジャムをこそげ落としている瞬間を見た!
そして、毎日、「料理は男がするもんじゃない。」とか、
「料理していたら、バカになる。」とか、
「芸術と料理は両立せん!」とか言う文句を聞くのです。
この頃、私は隠れ“おっさん”になっていて、
「仕事で疲れたなぁ~。家帰ったら、恐怖の料理が待っているし、
文句もきかされるしなー、なんか家以外の居場は?。そうだ!一杯飲んで帰ろう!」と、
雑多で人間関係を持たなくていいタイプのショットバーで、一杯だけお酒を飲んで帰ることを覚えた。
大阪です。都会ってこういう場所がちゃんとあるのですね。
疲れてる30代女。黙って酒を飲む。
なんだか怖い女になってるわ・・・と内心思いつつ、たまに一杯引っ掛けた。
今だけが、私のひと時か?これって、おやじ?世の男性はこんな気持ちなの?
(この頃は、お酒はまだ強かったので、秘密に出来た)
そんなことを思ったりしました。
休みの日は、とにかく寝かしてくれ!である。
休みの日は、溜まった家事が待っているし、3度も食事の用意がある。
一緒にお出かけしたいと言われるが、寝ていたいのが本音。
「出かけようと!」と言われ、嫌だとごねると、布団から引き離されたりして、
「さあ!着替えて。」と促される。
「私を殺す気なわけ!!」と、口論になり、口答えだけは、しっかりする私なのでした。
疲れているせいか、この頃一番夫婦喧嘩が多かったと思う。
時々、急に電話がかかってきた人にとばっちりが行くことがあり、
喧嘩をする時は、電話線を抜いておくことにしたのもこの頃なのだ。
もうボクシングのリングに上るような気持ちで、喧嘩をしていた。
1ラウンドは、私が勝った。2ラウンドは、ヒロクニさんの変な理屈に負けた。
こんな感じ。
それが、猫ちゃんが来たことで、一変した。
可愛くって、早く家に帰りたいし、家全体が明るくなった。
私は家にいる時間が少なかったので、
日に日に、キタハマちゃんはヒロクニさんに懐き、
寂しがり屋のヒロクニさんがホワッとしてきた。
キタハマちゃんは、ヒロクニ様って感じで、仲いい2人。
その姿が微笑ましくって、私の心も明るくなった。
猫って凄い!と思いました。
初めて飼った猫ちゃんのキタハマを偲んで紹介します。
↑今の家ではなく、以前の住居にて。
制作している時必ず横にいるキタハマちゃん。
↑夜の制作現場にて。
手元が動くのが面白いらしく、いつも横でみているのです。
↑アトリエで、アクリル絵具の容器に首をのせるキタハマちゃん。
↑家の横で、ヒロクニさんと。
ヒロクニさんの足元で、けっこうポーズをきめているキタハマちゃん。
ほんと、仲良し。
↑この写真から今の家になります。
窓辺でタバコを吸うヒロクニさんとおそろいで。
↑キタハマちゃんは、美猫でとても賢かった。
「レッツ、ゴー、キタハマ」という遊びもした。
駆けっこをするポーズをしたら、一緒に走る遊びなんですけど。
ヒロクニさんと柿を収穫していると、柿の木にスルスルと登って、
一緒に柿を取っているつもりになるところも可愛かった。
何でも一緒にして、一体感を味わいたいというのが、ひしひしと伝わってくるのです。
そして、今、おっとりくっつき虫のピピちゃんがいます。
くったり、まったり型のようで、仕草が可愛い。
ヒロクニさんは、「プー。」て呼ぶ。
↑歴代の猫ちゃんと同じように冷蔵庫の前で、小魚をおねだりするようになりました。
ヒロクニさんと「我家の猫は、皆ここでおねだりするね。」と話しています。
ただ、ピピは、寝入っているとおねだりを忘れるらしく、
「あれ?今日は忘れてるのかな?」と言うと、
「それが、おかしいんだよ。」とヒロクニさんは言います。
また、「こいつ、顔が分からないじゃないか。」と言ってよく笑う。
↑その分かりにくいご本尊です。
薄目をあけているのですが、分かり難い。
顔の模様が複雑なので、目の位置がわからなくなるのが特徴なのです。
私も猫ちゃんによって“おっさん”の道を究められなくて良かったと思っています。
猫って、いいものですよね!
ヒロクニさんは、なかなか憎憎しい時があるのですが、
喧嘩していたことをケロッと忘れるので、助かっています。
言いたいことは、その時、その時、全力で言っているので、私もスッキリなのですが、
私は過去の記憶をよく覚えている方なので、それもいいような悪いような・・・でしょうか?
とちらかと言えば悪いか・・・・。
船のように見えるけれど、赤いヒトのようなものを「目」と見ると、クジラのような大型の海洋生物にも見えます。
ふわふわと、けれどもどんどん行きたいどこかに行ってしまいそうです。
それとバランスをとっているのが、下に描かれている人々なのでしょうか。
青年が大志を抱いて、どこまでも、どこにでも行く、気持ちの高揚を感じました。
キタハマちゃんの物語、「それが、猫ちゃんが来たことで、一変した。」の一文で涙がこぼれました。
お二人の生活の中の葛藤を想像したことと、その様子に自分を重ねるところもあり、感情がぐっとあふれてしまいました。
キタハマちゃんのかわいさと、お利口さと、愛らしさ、そして、写真の構図もアーティスティックで、写し出されている世界がとても美しいです。
「レッツ、ゴー、キタハマ」、私もキタハマちゃんに似ている猫、はなげちゃんと、ちょっと似た遊びをしていた!と嬉しくなりました。
「寝んね、ゴー」という遊びです。
私が寝るときに、彼女は持ち手がついている籐のカゴに入って、私にそのカゴを持って行ってもらい一緒に寝室に行くことが好きでした。
「寝んね、ゴー」と私が言うと、すぐにそのカゴに入ってからだを丸めて、持って行ってもらう体制をしっかり整えていました。
声をかけると離れた場所にいても、すぐに走ってきてカゴに入る姿がかわいかったことを思い出しました。
猫は本当にかわいいです。
互いの意思の疎通もでき、自分(自猫?)の意思もしっかり持っていて、一緒に生活をしていくパートナーだと思います。
ピピちゃん、薄目がわかりにくいですね(笑)
でも、そんなところも、おねだりを忘れたりたくさん甘えたりするところも、想像しただけでかわいらしいです。
「動物農場」を読みました。
共和主義から恐怖政治への変化の物語、これは永遠に繰り返されることなのかと考えました。人類の課題です。
開高健の日本語訳の文章が、さすがの文章力で読み応えがありました。
ヒロクニさんのこの作品、もう手元にない作品です。
通りがかりで絵を見た方が買われました。
フワフワした浮遊感とパステル調なのがめずらしい。
見るものも一緒にフワフワしてしまいます。人のところは、画面を締めるために濃い色が使われているような気がします。ともりんの言うように、バランスを取っていると思います。
私の思いをかみ締めてくださりありがとうございます。(笑)今は、笑い話になっています。
しかし、私も暴言に磨きがかかっていて、今思いだすとよくここまで言ったなぁ~なんですけど。(笑)
「寝んね、ゴー」とてもいいですね。
同じ時期に言っていたりして。最近、類似する感覚をもっているのかもしれないとよく思うようになりました。ともりんの本の感想とかを読んでいて。ともりんとも何かのご縁かもしれませんね。よろしくお願いします。
ピピちゃんは、キタハマとは違う魅力があります。
猫って、ほんとうに面白い生き物。うまく寄り添ってくれる本当にいいパートナー。共感します。
「動物農場」は、よく出来た寓話だと思うのです。人間のはてしない業から派生する集団心理のからくりをうまく描いているナと。不滅の小説ではないでしょうか?しかし、人には、愛という前向きなエネルギーがあります。ヒロクニさんが「愛」にこだわるのは、そういうことなのでしょうかねぇ~。
フランス文学は、苦手ですが・・・・。
いつも、心強いエールのこもったコメントありがとうございます。