武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ぼた餅

2009-09-10 10:42:21 | Weblog
毎日新聞夕刊 2006年9月12日掲載 ぼた餅の絵

なんか笑いがこみあげるぼた餅。
この時、ヒロク二画伯は、テンションが高く、火宅の人かと思った。

歌手の北島三郎さんのお母様の手作りの味、とびきり甘く、大きなぼた餅について語ります。作る人から食べる人の心。最近、日本人、大切な事をお忘れでは?と問いかけます。

新聞社から「おはぎ」と聞いていたので、あんこと、きな粉のおはぎを用意して描き始めていたようです。いつも、デッサンのようでデッサンでない、エスキースでもない絵を、運動のように沢山描きます。そういう中、ファクスで原稿が来ました。読んでみると「ぼた餅」について書かれていました。アトリエを覗くと、きな粉のおはぎがデーンと描かれていてました。ウワッー!!と思いましたが、「あんこの方よ。ファクスに書いてある。」と伝えると、顔中「なんやと!もういっぺんいってみろ!」と目は怒りに満ち、眉間にしわをよせ、口もいがんでいる。
「とにかく、あんこの方なのよ。」と言うと、
「どうしろというのだ!!」形相が怖い。
しかし、絶対あんこのおはぎを描いてもらわねば。アトリエで言い合い。とにかく顔が怖い。それに、猿みたいに全身で怒るのだ。
クレヨン、パステル、鉛筆、色鉛筆が乱れている中に、おはぎにもってこいのパステルを見つける。きな粉の色は、クレヨンで描かれていたので、「このパステルをクレヨンの上にのせろ。クレヨンの上にパステルは乗るから。」と、そのパステルをいがんだ顔に、突きつけてやる。
コーフンして、鬼みたいな顔。いきなりパステルを乱暴に取上げるや、アトリエに行ってしまう。出来上がったとたん、新聞社に電話いれて、「何日もかかる時もあるのに、30分で出来上がる時もあるから、不思議だね~。」と嬉しそうに報告。

この「ぼた餅」の絵、いばっていて好きです。


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作品紹介31

2009-09-08 22:28:45 | Weblog

この作品は、出来立てで、まだ題はついていません。
色鉛筆とボールペンの作品。大きさはA4ぐらい。
これを地図に例えるなら、地面は微動していて、地震の予感がある地図だ。
これは、わたしの見立て。人それぞれ自由に見てくださいね。

ヒロク二さんは、「青春万歳!美徳ケツ食らえ!」とあの偉大な色鉛筆作家、妄想狂ゾンネンシュターンの言葉をよく噛みしめている。
ある時は、「青春でないと絵なんか描けるか!!」と朝から勢いがいい。なるほどと思う。
今日は、顔が曲がっている。口の曲がり方が凄い。その上、目も据わっている。手を顔の前で振って「大丈夫?」と言ったら「欝だ」と言われてしまった。体重計にものってもらった。体重は、50キロ。こういう時は、マッサージ。顔が凝ってるらしい。

たまに訪れる一人の時間
昨日は、ヒロク二さんが長時間出かけて、急にひとりになった。わたしは、ヒロク二さんが家を出て、1時間間ぐらいすると急に1ヵ所で固まるのです。「ほぉ~~」と深い息をついて、とても長い時間ボーとしてから、急に女友達に電話をかけたくなる。突撃電話だ。そして、だだのわたしになる。
着けてるつもりではないが、それなりに仮面を着けて生活しているようです。その仮面はがすのに時間が必要な上はがれにくい。はがしたと思ったら、ヒロク二さんが帰ってきた。仮面夫婦だとしたら怖いね。

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我が家の食卓・きつねうどんとちらし寿司

2009-09-07 00:20:45 | Weblog

ちらし寿司ときつねうどん。

これは、晩ごはん。
昼ごはんみたいだけど。
ちらし寿司の素(桃屋)が冷蔵庫に残っていたのと讃岐うどんを頂いていたので冷蔵庫の掃除を兼ねて作りました。ヒロク二さんに「晩ごはんはコレ?」と言われるかなと思っていたら以外に好評でした。わたしは、うどんとご飯というメニューは、炭水化物と炭水化物を食べるという感じで敬遠してきたので、はじめての組み合わせだった。
ちらし寿司は種の素を混ぜて味見をすると甘みが足りなかったので、三温糖を足した。そのまま三温糖を米に散らしてよく混ぜた。卵1個で錦糸卵を丁寧に焼くと3枚出来上がり全部ご飯の上にのせ、三つ葉を刻んだものと海苔をさらにのせる。写真は真上から撮っているので分からないが8㌢ぐらいの高さがあります。

きつねうどんの揚げはずーと前に購入したもの。賞味期限は見ないで開けてから食べれるかどうか匂いで判断して確認。OKと判断。出汁を作るのは上手になって昆布とかつおの汁にみりん、醤油、塩で味見しながら作った。以外に塩を入れることになるのに驚きつつ。やはりなにか足りないと思って本だしの顆粒を小さじ半分弱いれた。そうすると味が落ち着いた。

少しの工夫がうまく行ったのか、2人で微笑ましく食べました。

時々サバイバルゲーム!
ゲームといってもコンピューターゲームのようなサバイバルゲームではない。もっと切実なゲームをする。この頃は、食物が少し傷むとすぐ捨てると思うのですが、もっともっと人間の原点に返って「食べること」に挑むのです。
今もし、戦時下にいて食糧難と仮定した状況なら、どれくらいまでは食べれるか?という問いかけを自分にするのです。そうすると現在は大抵のものは食べれてしまうのです。食べる快楽のない食事ですが、そういうゲームをしていると「食べる」という事は、美味しく食べる以外に、命綱だという認識が出来て食物に対して感謝と謙虚な気持ちになるのです。反対に売られているもので、業務スーパーで売っている冷凍の山芋のおろしというのを分けてくれた人がいて、初めて食した時、薬品の匂いがついて食べれなかったことがある。気分が悪くなって吐き出してしまった。これには、ホント驚いた。食物が傷んだものよりヒドイ。この差、この違いわかります?
残し物が出たときは、いつもサバイバルゲームのチャンスと思っています。こうやって動物の本能を磨くわけです。これは、ヒロク二さんに強要していません。わたしだけの密かなゲームです。
あっ、でも、きつね(揚げ)は食べさせてしまいましたね。
美味しいって言っていたねぇ、ヒロク二さん。


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きつねうどんの巻

2009-09-06 15:46:40 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2006年6月13日(火)

丼からはみ出るような大きな揚げのきつねうどん。大阪の雑多な人情てんこ盛りの街角で食べるきつねうどんは、あっさりつるつる普段の味。

作家の梁石日(やん・そぎる)さんは大阪生まれの大阪育ち。大阪は長屋があれば、その一角にたいていうどん屋がある。戦争が終わって、闇市となった鶴橋に近い長屋に移り住んだ。もちろんうどん屋があった。父がかまぼこ工場をはじめた、かまぼこを2、3個くすねてはうどん屋に食べに行った。シンから好きなうどんをつるつる食べるのは幸せだったと語ります。それに、物々交換の成立が成り立った時代が面白いですね。

この度は、簡単に作りました。
うどん玉を買ってきて、ヒガシマル醤油のうどんスープの素でつゆを作り、揚げは甘辛く煮込み、ねぎは出来るだけ細かく切った。もちろんかまぼこも薄く。イメージは立ち食いうどん。それを再現するべく作ってみた。ヒロク二さんは、ハシでうどんの麺をゆらゆら揺らしたり、持ち上げたりと観察していた。よく絵を見るとうどんの曲り方がうまく描けてると思う。うどんの弾力のある様子が。右の画面が闇になっているのは、人間の二面性を表現しているらしいです。

このヒガシマル醤油のうどんスープの素は、関西限定と関東限定の二種類が売られている。我が家は、関西なので知らず知らずのうちに関西限定の商品を購入することになる。このスープの素は結構いけるのだけれどしょっちゅう使うと飽きが来るのです。塩分も気になる。そこで、かつお節で取った出汁にみりんと醤油、塩をいれて手作りの出汁とうどんスープの素で1:1で合わせると自然な味に近くなる。いつもこうしています。


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トイレットペーパーはロールと呼ぶこと!

2009-09-04 22:45:50 | Weblog
トイレットペーパーをのせてご機嫌なキタハマちゃん。


ちょっと近づいて、パシャ。


伸びきっている。このまま寝るのか?


ケリケリ、ケリケリと大忙し。いい子のふりしていつも悪い事をする。
「ロールを返せ!」と取上げた。こうして何時も紙の山を作る。
我が家では、トイレットペーパーをロールと呼ぶことになっている。それは、子供アトリエ造形教室をしていた頃に始まる。絵具や筆をちょっと拭くのに、ティッシュペーパーを使用していた。子供達は、雑巾で絵具を拭かず「先生、ティッシュ」「先生、ティッシュ」とティッシュペーパーを使いまくるので、ある日トイレットペーパーに替えたのです。今度は「先生、トイレットペーパー」「先生、トイレットペーパー」と紙を使う。授業中何度も、トイレットペーパー、トイレットペーパーという言葉が飛び交い耳につく。目を閉じて聞いているとトイレットペーパーの声が呼応する絵画教室というのも情けない。ティッシュペーパーのこともトイレットペーパーと読んでいる。ふっと、思った。この子達は家庭に帰ってからも、自分の家で親に「トイレットペーパー何処?」と聞き、親から「これは、ティッシュペーパーでしょ!何処でトイレットペーパーと言う様になったの?」と言われ、「アトリエで絵具をふくのは、トイレットペーパーなんだよ」と話す様子がアリアリ浮かんだ。目をあけてから、我に返り、笑顔で「み・ん・な・これは・ロール・と・よ・び・ま・す。分かりましたか?」と言った。ほんと子供達は素直で「先生、ロール」「先生、ロール」と呼ぶようになり、一先ず安心した。
実は、ヒロク二さんがティッシュペーパーを買っていたら友人が「おい、武内。ティッシュペーパーなんて贅沢や。なんでロールを使わんのや。」と言われ、「俺、そんな事、気が付かなくて。言われてびっくりした。トイレットペーパーの事、その上ロールというとは・・・・。という話を聞いたことある。その話が潜在意識下にあり、トイレットペーパーから急に飛び出てきたのが「ロール」だった。トンチの根元がヒロク二さんの話だと思うと、ヒロク二さんに1本とられていた訳だ。くやしい!!

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玉子かけご飯の巻

2009-09-02 17:26:28 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2006年5月23日(火)掲載のえ

ご飯を窪ませ玉子を落とし、しょうゆをたっぷりかけた。

落語家の柳家小三治さんのまくらに7人家族が玉子1つで玉子かけご飯を食べる話というのがあり、それは全部実話と言います。今は、ご飯にくぼみをつけて玉子を落とし、それを箸で5~6回ご飯をひっくり返す。そうすると炊き上がったご飯の味、しょうゆの風味、玉子のかかったところも白身と黄身の混ざり具合によって違う。それを舌の上で味わい分ける。1つの玉子で何十通り、何百通りの味が転がると語ります。

簡単に分け合うといってもそこに家族ドラマがある。CDが発売されていたので購入してそのドラマと話しぶりを堪能してから、絵を描き始めました。ヒロク二さんは深読みして、玉子を分けるシーンを描いて、その上、絵の画面は真っ赤だった。なんか燃えてる紙に見えたくらい。もちろん書き直したが、しょうゆが赤い。

この度、玉子かけご飯は好きな人が以外と多いのを知った。周りの人にアンケートをとるように伺った結果なのですが。わたしは、生卵が苦手なので子供の頃、妹や弟達が美味しそうに食べてる中、1人だけ黄身だけの玉子かけご飯を作ってもらっていた。ご飯が金色のようになる。大人になってもその金色のご飯が頭にちらつく事があるが、余った白身をどうするか?と思うと実行できない。余った白身で作った白い玉子焼きが浮ぶ。そんなあやふやな事を考えていたら、わたしに生き方という確固としたものがあっただろうか?という疑問が出てきた。いつも二者択一であみだクジのように生きてきたと思う。あっちに進み、こっちに進み、こっちがだめならあっちだという具合。思考の角度も90℃だ。人生は1本の道に例える人もいるのに、あみだクジはヒドイと考えていた。金色の玉子かけご飯と白身の玉子焼きを食べて、潔い気持ちになれといいきかせた。時々くよくよと考えるのです。いけないと思います。両手で鏡を見ながら頬をピシャリと叩いた。

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ジャズ喫茶バンビ(三宮)

2009-09-01 17:41:30 | Weblog

今はない、三宮に在ったジャズ喫茶バンビ(バンビー)。
60年~70年代、ジャズが世界中でもっとも輝いていた時代が喫茶バンビの全盛だったという。そこには、たくさんのユニークな人達の出会いやすれ違いがあったらしい。中島らも氏がもっとも有名で、小説の中によく「バンビ」が出てくる。ヒロク二さんにその頃の話を伺うと、2階はドラック中毒のたまり場だったのは本当らしい。ヒロク二さんがいうには、「睡眠薬をやっている奴は、身体が弛緩してだらっとしてるんだよ。目も虚ろでね。傍目でみてると単にだらだらしてるみたいに見える。薬剤というのは嫌だね」という。


ヒロク二さんはジム・ホールの「スウェーデンから愛をこめて」をよくリクエストしていたという。リクエストはいつも決まっていたそうです。他には、ホレス・シルヴァー、ウェイン・ショーター、マイルス・ディヴィス、ビル・エヴァンス、ウェス・モンゴメリー、チャーリ・ミンガス、ケニー・ドーハムをよく聴いたと話してくれました。


バンビのマダムと。
ヒロク二さんは、このジャズ喫茶を人との連絡を取る‘事務所’にしていたらしい。ここで電話をよく取り次いでもらっていたとも。わたしはよく知らないが、ヒロク二さんはとてもモテタらしい。信じられないという顔をするわたしに、ヒロク二さんの悪友達が「本当やねん」と力説してくれた。このジャズ喫茶に入り浸っていた現在60歳前後の方、この顔に見覚えはありませんか?

初めてこの店に行ったのは、そんな時代がすっかり終わって静かな喫茶店だった。内装の雰囲気が古臭く、静かにかかっている音楽の中、歩くと木の床はコツコツと音がした。2階にいく階段を見上げると壁のデザインというか、在り様を見て、江戸川乱歩の世界みたいと思ったのでした。珈琲は濃くて美味しいとは思えず、わりと大きな角砂糖が2つ添えられていた。怪しい感じもあるがひっそりとしていて静かな時間を過ごすのに最適な喫茶店と思っていた。それも23年前のこと。
次に、このバンビに行くのは、ヒロク二さんに貸した画集を返してもらうため必死になってダッシュで行った。バンビはヒロク二さんが指名した喫茶店だ。ここで画集を返してもらって縁を切るつもりだったが、心外な結末になるわけです。

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