償いの書(60)
「ゆり江ちゃんの結婚式の写真ができた。見る?」
仕事から帰ると、裕紀は袋から写真とネガらしきものを出した。ぼくは、それを洋服を着替えた後、見た。
「きれいだね」
「そうでしょう」裕紀は自分のことのように喜んでいた。「もし、わたしが先に死んじゃうようなことがあれば、ゆり江ちゃんみたいな子と再婚して」ぼくは、真面目な顔でその発言した方へ向く。「もう、無理だけどね」
「冗談でも、そういうこと言うなよ」
「冗談だから、冗談らしくきいてよ」彼女は、笑う。ぼくは、どちらに怒ったのだろう。ゆり江ちゃんと以前に関係をもったためか。それを知られることを恐れるためか。それとも、裕紀が先に死ぬ、ということを考えたくもなかったのか。自分でも分からない。だが、不機嫌の予兆のようなものは残った。
「裕紀のは?」彼女が着飾った格好で写っている写真も見ておきたかった。
「何枚か後ろのほうにあるよ。ゆり江ちゃんみたいな輝ける日は終わったけど」彼女は、なぜかその日は珍しく辛らつな発言をした。
「別に、終わってないじゃん」
「そう、思う?」
「そう、思ってるよ。今でも」後ろに数枚だけあった。誰かにカメラを渡して撮ってもらったのだろう。それは、まさしくぼくの妻であり、またその笑顔はいつも見せる表情より華やいでいる気がした。「きれいに撮れてる」
「10年ぐらい前のゆり江ちゃんのこと、知ってるんだよね?」
「妹の友だちでもあって、バイトをしてたのが、ぼくの家に近かったから」ぼくは、当たり障りのないことを情報として与えようとしている。
「わたしが、よく知っているのは20年ぐらい前。とっても、可愛かった」
「10年前も可愛かったよ」
「ああいう子、好きにならない?」
「どうだろう。たくさんの男の子はそう思うだろうね」ぼくは、一般論で終わらせようとしている。
「ひろし君は、思わなかった?」
「まあ、タイミングが、ものをいうこともあるしね」
「しつこいけど、わたし以外と再婚するなら、ゆり江ちゃんみたいな子がいい。ひろし君に合ってる」彼女はあくまでもそのことに拘った。ゆり江ちゃんなら許すが、そこは暗に別の女性では駄目だということを示したがっているらしい。それは、雪代のことを永遠に許さない、という決意にも響いた。ある面から見れば、そう取れた。そして、自分のよく知っている女性と、知りたくもない女性を区別させ、ぼくの世界を作り、かつ操ろうとしていた。
「なんか、今日、しつこいよ。誰とも結婚なんかできないよ」ぼくは、もうその話題を避けたかった。「上田さんの会社の後輩の女の子とあってね、誰か紹介してと言われたんだ」ぼくは意図的に別の話題を選んだ。自分を中心としない話の内容へとだ。その切り替えはうまく行くのだろうか?
「そう、可愛い? あ、あの子?」ぼくが名前を言うと、彼女が撮ってくれた写真を裕紀は見た。「誰か、いなかったの? 決まったひとが」
「別れたばっかりらしいよ。長い話を聞かされた」
「退屈だった?」
「逆だけど。まあ、歴史の証人になった気分だよ」
「誰かの耳に届けたいのよ。わたしもそうした」
「誰のこと」裕紀は、信じられないという表情をした。まさしく、その理由を作った当人と話している最中ではないか、という顔だった。どうも、切り替えは難しいようだった。
「ごめん、そうだよね。忘れてる訳じゃないけど」
「責めてないよ。ただ、そんな気分の日があって、誰かに伝えて忘れたり、そのことで浄化されたような気持ちになるものよ、わたしなんかも」ぼくは、裕紀が誰かに伝えた自分の別れ話が、世界を巡って、笠原さんの口を通して語られるストーリーに責任を取らされたようなイメージを頭の中で作った。ぼくは、そうする運命でもあったと誰かが要求していた。
「誰か、いるの?」
「会社の何人かが思い浮かんでいるけど、タイプが合わなかったり、別れたりしたら、両方に対して悪いような気もしている」
「それは、自分たちで考えるでしょう」
ぼくは手持ち無沙汰になり、さっきの写真をまた手にした。
「結婚相手は、どうだった?」
「背が高くて、素敵なひとだった。ちょっと、ぼんやりしているようにも見えたけど」
「男性って、ああいう日は、緊張するものなんだよ。それで、そう見えたんだろう」
「ゆり江ちゃんもお母さんになるのかな」と、彼女は遠くを見つめるようにしていった。「彼女のお母さんもずっと優しいひとだった。誰もが憧れるようなきれいなお母さんで。この前も変わってなくて、きれいだった。ああいうお母さんを悲しませるようなことを誰もゆり江ちゃんにしちゃ駄目だよね」
ぼくは、以前にそのゆり江ちゃんを悲しませたかもしれないことを考えていた。世界は自分の思い通りにいかないものだと、やっと、思い始めた若い自分の先駆けとして、その映像が自分の頭の中にあった。
「どうかした?」
「あの愛らしい子が、また、愛らしい子を産むのかなと思ったら、時間はもの凄く早いスピードで過ぎ去ってしまうものだと思った」
「つかまえないと、わたしも逃げちゃうよ」
「つかまえないと、しっかりと、つかまえないと」と、ぼくは独り言のような言葉を口から漏らした。
「ゆり江ちゃんの結婚式の写真ができた。見る?」
仕事から帰ると、裕紀は袋から写真とネガらしきものを出した。ぼくは、それを洋服を着替えた後、見た。
「きれいだね」
「そうでしょう」裕紀は自分のことのように喜んでいた。「もし、わたしが先に死んじゃうようなことがあれば、ゆり江ちゃんみたいな子と再婚して」ぼくは、真面目な顔でその発言した方へ向く。「もう、無理だけどね」
「冗談でも、そういうこと言うなよ」
「冗談だから、冗談らしくきいてよ」彼女は、笑う。ぼくは、どちらに怒ったのだろう。ゆり江ちゃんと以前に関係をもったためか。それを知られることを恐れるためか。それとも、裕紀が先に死ぬ、ということを考えたくもなかったのか。自分でも分からない。だが、不機嫌の予兆のようなものは残った。
「裕紀のは?」彼女が着飾った格好で写っている写真も見ておきたかった。
「何枚か後ろのほうにあるよ。ゆり江ちゃんみたいな輝ける日は終わったけど」彼女は、なぜかその日は珍しく辛らつな発言をした。
「別に、終わってないじゃん」
「そう、思う?」
「そう、思ってるよ。今でも」後ろに数枚だけあった。誰かにカメラを渡して撮ってもらったのだろう。それは、まさしくぼくの妻であり、またその笑顔はいつも見せる表情より華やいでいる気がした。「きれいに撮れてる」
「10年ぐらい前のゆり江ちゃんのこと、知ってるんだよね?」
「妹の友だちでもあって、バイトをしてたのが、ぼくの家に近かったから」ぼくは、当たり障りのないことを情報として与えようとしている。
「わたしが、よく知っているのは20年ぐらい前。とっても、可愛かった」
「10年前も可愛かったよ」
「ああいう子、好きにならない?」
「どうだろう。たくさんの男の子はそう思うだろうね」ぼくは、一般論で終わらせようとしている。
「ひろし君は、思わなかった?」
「まあ、タイミングが、ものをいうこともあるしね」
「しつこいけど、わたし以外と再婚するなら、ゆり江ちゃんみたいな子がいい。ひろし君に合ってる」彼女はあくまでもそのことに拘った。ゆり江ちゃんなら許すが、そこは暗に別の女性では駄目だということを示したがっているらしい。それは、雪代のことを永遠に許さない、という決意にも響いた。ある面から見れば、そう取れた。そして、自分のよく知っている女性と、知りたくもない女性を区別させ、ぼくの世界を作り、かつ操ろうとしていた。
「なんか、今日、しつこいよ。誰とも結婚なんかできないよ」ぼくは、もうその話題を避けたかった。「上田さんの会社の後輩の女の子とあってね、誰か紹介してと言われたんだ」ぼくは意図的に別の話題を選んだ。自分を中心としない話の内容へとだ。その切り替えはうまく行くのだろうか?
「そう、可愛い? あ、あの子?」ぼくが名前を言うと、彼女が撮ってくれた写真を裕紀は見た。「誰か、いなかったの? 決まったひとが」
「別れたばっかりらしいよ。長い話を聞かされた」
「退屈だった?」
「逆だけど。まあ、歴史の証人になった気分だよ」
「誰かの耳に届けたいのよ。わたしもそうした」
「誰のこと」裕紀は、信じられないという表情をした。まさしく、その理由を作った当人と話している最中ではないか、という顔だった。どうも、切り替えは難しいようだった。
「ごめん、そうだよね。忘れてる訳じゃないけど」
「責めてないよ。ただ、そんな気分の日があって、誰かに伝えて忘れたり、そのことで浄化されたような気持ちになるものよ、わたしなんかも」ぼくは、裕紀が誰かに伝えた自分の別れ話が、世界を巡って、笠原さんの口を通して語られるストーリーに責任を取らされたようなイメージを頭の中で作った。ぼくは、そうする運命でもあったと誰かが要求していた。
「誰か、いるの?」
「会社の何人かが思い浮かんでいるけど、タイプが合わなかったり、別れたりしたら、両方に対して悪いような気もしている」
「それは、自分たちで考えるでしょう」
ぼくは手持ち無沙汰になり、さっきの写真をまた手にした。
「結婚相手は、どうだった?」
「背が高くて、素敵なひとだった。ちょっと、ぼんやりしているようにも見えたけど」
「男性って、ああいう日は、緊張するものなんだよ。それで、そう見えたんだろう」
「ゆり江ちゃんもお母さんになるのかな」と、彼女は遠くを見つめるようにしていった。「彼女のお母さんもずっと優しいひとだった。誰もが憧れるようなきれいなお母さんで。この前も変わってなくて、きれいだった。ああいうお母さんを悲しませるようなことを誰もゆり江ちゃんにしちゃ駄目だよね」
ぼくは、以前にそのゆり江ちゃんを悲しませたかもしれないことを考えていた。世界は自分の思い通りにいかないものだと、やっと、思い始めた若い自分の先駆けとして、その映像が自分の頭の中にあった。
「どうかした?」
「あの愛らしい子が、また、愛らしい子を産むのかなと思ったら、時間はもの凄く早いスピードで過ぎ去ってしまうものだと思った」
「つかまえないと、わたしも逃げちゃうよ」
「つかまえないと、しっかりと、つかまえないと」と、ぼくは独り言のような言葉を口から漏らした。