田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『の・ようなもの の ようなもの』

2016-01-17 21:52:29 | 新作映画を見てみた

落語の人情噺を思わせる心地良さ



 亡くなった森田芳光監督の『の・ようなもの』(81)の35年ぶりの続編。前作の主人公、出船亭志ん魚(しんとと=伊藤克信)と、兄弟子の志ん米(しんこめ=尾藤イサオ)、志ん水(しんすい=でんでん)のその後と、新入り弟子の志ん田(しんでん=松山ケンイチ)の成長が描かれる。何と芸能界を引退した志ん肉(しんにく)役の“ありがとうの小林くん”まで出てきたのはうれしかった。

 その中でも今回は志ん田の師匠になる尾藤イサオが落語家らしさを出して絶品だった。ちなみに彼の父は落語家で、彼自身も曲芸師として寄席に出ていたことがあるらしい。それに映画の舞台となった谷中は彼の故郷だと聞いた覚えがある。

 この映画、志ん田が行方不明となった志ん魚を捜す前半は、森田の遺作『僕たち急行 A列車で行こう』(12)をほうふつとさせる鉄道+旅の面白さがあり、志ん田と周囲の人々との絡みを描く後半は落語の人情噺を思わせる心地良さがある。特に大師匠の墓前で一席語る志ん田=松山の心意気がいい。

 監督は森田の助監督を務めた杉山泰一。ドライを装いあまり人情物を描かなかった本家に比べるとずっとウェットな出来になっている。少々うがった見方をすれば、志ん魚が森田で志ん田が杉山の心象を反映しているのかもしれないと感じた。

 ところで、『の・ようなもの』のクライマックスは、「人形焼の匂いのない仲見世は寂しい、思い出の花屋敷に足は向く。シントトシントト…」といった具合に、志ん魚が堀切から日暮里まで「道中づけ」をしながら歩くシーンだった。この映画の原作には志ん田の「道中づけ」の場面があるようだが、映画の中には出てこなかったのがとても残念。

 映画を見ながら、個人的には、伊藤克信と顔が似ているからと、志ん魚と呼ばれた30数年前の自分へのノスタルジーと、そこから今までの間に失ったさまざまなものへの思いが浮かんできて困った。

 それ故、尾藤イサオが歌う『の・ようなもの』のエンディング曲「シー・ユー・アゲイン雰囲気」が最後に流れてきた時は、一気に30数年前に引き戻されたような気がして、胸がいっぱいになってしまった。

その「シー・ユー・アゲイン雰囲気」はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=6lpowfF7lvg

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『最愛の子』

2016-01-17 18:17:30 | 新作映画を見てみた

美人女優は諸刃の剣なり



 中国で実際に起きた子供の誘拐事件を基に映画化。誘拐された3歳の子は、3年後に発見された時には実の親のことを忘れていたという内容が衝撃的だ。監督は『捜査官X』(11)など、アクション系の映画で知られるピーター・チャン。

 産みの親か育ての親かというテーマは、日本の『八日目の蝉』(11)『そして父になる』(13)にも通じるものがあるが、この映画には、中国の児童誘拐の実態、一人っ子政策の矛盾、都市と農村の格差、出稼ぎなど、さまざまな問題が内包されている。前半は産みの親による子供の捜索のやるせなさ、後半は育ての親の立場の弱さや悲しさが浮き彫りになる。簡単に結論は出ない問題だが、後半やや話が脱線して失速するのが残念だ。

 父親役のホアン・ボーが好演を見せるが、エキセントリックな養母役のヴィッキー・チャオが美人過ぎて、問題の本質がぼやけるところがある。美人女優は諸刃の剣なり。

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